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第5章 遠征試験編
第百二話 「ささやかな祝杯」
しおりを挟む一面に広がる星空。
砂地から突き出た岩塊を椅子代わりに、私はその空を仰ぎ見ていた。
キラキラと光る粒たち。それを囲う真っ暗な空は、否応なく肌寒さを感じさせてくる。
しかし反対に私の体は、実に高揚してぽかぽかとしていた。
ふんふんと鼻歌なんて口ずさみながら、ゆらゆらと両足を揺らす。
その原因は、私が現在見つめているもの――一面に広がる星空ではなく、それを背景に眺めていた、右手で掲げた四角いものにあった。
冒険者の証――『ギルドカード』だ。
「随分と嬉しそうだな」
「……?」
不意に声が聞こえて、視線を正面に戻す。
するとそこには、赤い長髪が目印の、試験官のお姉さんがいた。
あっ、いや、もう試験官じゃないんだっけ?
「うん、まあね」
そう答えると、シャルムはにこりと微笑をたたえた。
砂地を踏みながら、こちらに歩み寄ってくる。
軽やかな所作で私の隣に腰掛けると、呆れ笑いを浮かべてギルドカードに目を留めた。
「嬉しいのはわかるが、ギルドカードを見せびらかすのは控えた方がいいと思うぞ。不合格者も同じキャンプにいるのだからな」
「うん、わかってる。だから誰もいないここに来たんだよ」
とは言いつつも、私はカードをポケットに仕舞う。
両手を後ろについて改めて星空を見上げると、視界の端から紫色の液体が入ったグラスが伸びてきた。
同じものを反対の手に持ったシャルムが、なんとも様になった動作で首を傾げる。
「まあ、何はともあれお疲れ様だ。とりあえず、ささやかながらの祝杯といこうか」
「……」
私はしばし固まってしまう。
やがておもむろにグラスに手を伸ばすと、受け取ったそれにシャルムがもう片方のグラスを当ててくれた。
カン、と心地よい音が二人の間に流れ、互いに頬を緩ませる。
祝杯。幼い私が聞くにはなんとも不釣り合いな、しかしとても嬉しい響きを秘めた言葉だった。
冒険者試験が終了してから数時間。
私を含めた全参加者は、試験を終わらせて昨夜のキャンプ場に戻ってきていた。
砂漠を歩き回り、野生モンスターと戦い、アイテム探しに目を凝らし続ける。
そんなこんなあった参加者たちは、当然のように一同にくたくたになっていた。
合格した者しかり、残念ながら不合格になった者しかり。
試験終了間近で前者に入ることができたのは、今でも本当に幸運だと思っている。……というか、思い出すだけで否応なく冷や汗が流れてくる。
私とリンドは冒険者試験に合格できた。
試験終了直前でスタート地点に駆け込み、滑り込みでなけなしのアイテムを換算。
その結果、ポイント換算を務めていた試験官さんが、私とリンドを交互に見て、「合格」と一言言ってくれたのだ。
あまりに淡白であっけない幕切れに、私たちは思わず放心した。
すると次の瞬間、「今回の試験はここまで!」と試験官さんは高らかに宣言。
まさに間一髪の合格に、私たちは冷や汗を禁じ得なかった。
あのリンドでさえも、目を丸くして呆然としていた。
というのが、私たちの合格までの流れである。
あの砂漠の大魚を倒したのが功を奏したのかどうか、具体的なことは何一つ聞かせてもらえなかったけど、二人分のポイントが足りたのは本当に幸いだったと思う。
その経緯を大雑把に思い返していると、不意にシャルムが隣から問いかけてきた。
グラスに入った紫色の液体を口につけ、魅惑的に濡らした唇を動かす。
「それで、今回試験を受けてみてどうだった? 始まる前は自信満々だったようだが……」
「あっ、うん、楽しかったよ。ポイント制って聞いたときは驚いたけど……」
私はたった数時間前のことを思い出すために、まるで数年前のことを思い出すようにぼんやりとする。
遠い記憶を一つ一つ掘り起こして、結局最後は一番印象に残ったことを話した。
「それに、友達もできたし」
「あのゴーレムテイマーの少年のことか?」
「うん」
それと、ロックにグレム。
試験に合格したことよりも、みんなと友達になれたことが一番の成果だ。
そう思いながら頷くと、シャルムはふっと微笑んでくれた。
次いで彼女はきょろきょろと辺りを見回して聞いてくる。
「彼は今、一緒ではないのか?」
「うん。晩ご飯に誘おうとして、向こうのキャンプに行ってみたんだけど、外にはいなかった。たぶんもう、テントで寝てる」
「……そうか」
すでに晩ご飯は食べ終わってしまった。
それに誘おうとして、少し前にキャンプを訪ねてみたのだけれど、金髪少年の姿はどこにもなかったのだ。
おそらく、試験の疲れが溜まっていたんじゃないだろうか。
顔には出していなかったけど、あの戦闘回数だ。
きっと今はテントの中で、ぐーすか眠っていると思う。
若干の不安を抱えながらキャンプの方に目を向けて、やがて正面に戻す。
そして私は、ずっと手に持ったままのある物に目を留めて、シャルムに問いかけた。
「ところで……」
「んっ?」
「ずっと気になって、口をつけてなかったんだけど……これ、お酒?」
怪訝な顔で首とグラスを傾ける。
するとシャルムは悪戯な笑みを浮かべて言った。
「どちらだと思う?」
「いや、どちらって言われても、お酒だったら私、飲んじゃダメじゃん」
子供はお酒を飲んじゃいけない。
そういう決まりになっているのだ。
私は良い子なので、できれば内緒で飲むようなこともしたくはない。
不安な様子で視線を送り続けると、やがてシャルムはくすりと笑って答えた。
「安心したまえ。これは残念ながら、ただの果実搾りだ。当然、私のもな」
「安心していいのか、残念にした方がいいのか、どっちなの?」
呆れながらそう呟き、今一度グラスの中に目を落とす。
恐る恐るちびっと舐めてみると、誠なことにそれはただの果実搾りだった。
甘酸っぱい味が口内に広がり、深く安堵する。
あまりに優雅に手渡されたので、てっきり大人の飲み物だと思ってしまった。
いや、お酒だとしても味とかわかんないけど。
改めてグラスに口をつけて、私はシャルムとの祝杯に心を安らげる。
岩塊の椅子からはみ出た両足をぶらぶらと揺らしていると、再びシャルムがぽつりと言った。
「彼には改めて、お礼を言わなければな」
「えっ?」
彼? 彼って、リンドのこと?
唐突に金髪少年についての話に戻り、一瞬困惑してしまう。
だが、すぐに頭を落ち着かせて聞き返した。
「なんで?」
「あの子のおかげで、闇ギルド志望者たちを事前に抑制することができた。職員間でも彼はかなり賞賛されている。特に試験官の私たちが手を出しにくい案件だったのでな、職員を代表し、今一度お礼を言っておこうと思ったのだ」
「へ、へぇ……そう」
いや、それは本人に直接言わない方がいいかもしれない。
私はあの気難しい金髪少年を脳裏に浮かべて、そう思う。
素直にお礼を言ったら逆に怒るんじゃないだろうか。
陰でこっそりと感謝されることを望むような……いや、それすらも望まないだろう性格のはずだ。
でもまあリンドも、誰かに感謝されることに慣れた方がいいとは思う。
きちんと言葉にしてもらう。それを受け取り、自分がやったことを改めて理解した方が、どちらのためにもなるというものだ。
私は何も言うまい。あとはシャルムたちに任せよう。
なんて考えていると、再びシャルムの声。
「これからの課題も彼のおかげで明確になった。それに、彼自身もまた将来有望な冒険者だ。今回の試験で得た成果はかなり大きい」
「べた褒めだね、リンドのこと。まあ、私もそう思うけど」
そう答えて、喉を潤すべくグラスに口をつける。
果実搾りを軽く口に含んだところで、なぜかシャルムが悪戯的な笑みを浮かべた。
「対して君は、もう少し努力が必要だな」
「……?」
「この試験中、ずっとあの少年に助けてもらいっぱなしだったろう? アイテム採取やエリア探索の能力は目を見張るものがあるが、戦闘に関してはほとんど彼とゴーレムに任せてしまっている。これは冒険者として大きな欠点だ」
「うっ……」
図星を突かれて、思わず呻き声を漏らしてしまう。
その勢いで果実搾りを飲み込んだから、変に喉につっかえてしまった。
「ケホケホ」と軽く咳込んで、シャルムにジト目を向けようとする。
しかし彼女を恨む筋合いはないと、寸前で断念した。
まさにシャルムが言ったとおりだ。
アイテム採取やエリア探索は、私が先行して誘導していた。
しかし冒険者にとって一番大事な『戦闘』は、ほとんどリンドとグレムに任せっぱなしだった。
少しくらいはロックと一緒に戦ったりもしたけど、それもリンドたちがいなければ勝てていたかどうかわからない。
今回の試験はアイテム採取だけで、最悪乗り切れるものだったからいいものの、前回のように制限時間が短く、モンスター討伐が絶対だったら、おそらく合格はできていなかっただろう。
いや、もしかしたら、ずる賢い私のことだ。採取アイテムを一早く見つけ、それを野生モンスターの魔石と取り替えっこしてもらうような、ずるいことをしていたかもしれない。
ルール上では問題がないと、可愛くもない言い訳をしながら。
なんて自分の実力のなさを悲観していると、ふとシャルムが小さな声を漏らした。
「いや、もしかしたら……」
「……?」
「彼と巡り合うことができたのも、『君の実力のうち』、なのかもしれないな」
「そ、それは…………どうだろうね?」
いくらなんでも話が上手すぎると思う。
アイテム採取とエリア探索の能力なら、まあ多少は他の人より優れていると自覚はしている。リンドから野性児という不本意な評価もいただいているし。
ならその能力は人との巡り合いにも効果を発揮するだろうか?
そう問われれば、私は首を横に振ることだろう。
リンドとグレムに会ったのは、ただの偶然。
同じくルゥやライム、クロリアとミュウと会ったのも、本当にただの偶然だ。
人との出会いは誰かの力によって叶うものじゃない。
んっ? いや待てよ。それを認めてしまうと、私は何一つ自分の力を使っていないことになるのではないだろうか。
リンドたちと会ったのは偶然。偶然強い人たちと仲間になって、偶然試験に合格できた。
私は偶然に助けられている。実力なんか何もない。
やっぱり私は、冒険者に向いていないのだろうか。
再び不安に押しつぶされそうになっていると、シャルムがくすりと笑って言った。
「まあ、モンスター討伐だけが冒険者の仕事ではないからな。未開拓エリアの探索、野生モンスターの調査、未発見アイテムの採取。戦いができずとも、君にはそれを補って余りある野性の勘が備わっている。きっと君も、いい冒険者になるはずだ」
「……慰め、ありがとう」
明らかな同情に、私は果実搾りをちびちび舐めながらお礼を言う。
冒険者の仕事はモンスター討伐だけじゃない。
それはそうだろうけど、それが主体になるのは間違いないのだ。
ルゥたちの役に立つためにも、実力があるに越したことはない。
一度しっかりと戦い方を考えるべきかもしれないな。
密かに意気込んでいると、不意にシャルムが岩塊から腰を上げた。
「さて、私はそろそろ戻るとするよ。明日の帰りの準備もあることだしな。君はどうする?」
「私はもう少しここにいる。ギルドカード、もっとよく見たいから」
「そうか。風邪をひく前にテントに戻るのだぞ」
「うん」
そう頷くと、シャルムは最後に微笑を向けて立ち去っていった。
しばしの静寂がこの場を包み込む。
私は何となしにポケットからギルドカードを取り出し、星空を背景に仰ぎ見た。
次いで残り少ない果実搾りを一気に飲み干し、長いため息をついて静けさを破る。
「長いようで、短かったなぁ」
これで私の冒険者試験は終わり。
始まる前は緊張し続け、試験中はずっとドタバタしていて、終わってしまえばあっけなかった。
それでも私たちの場合は六時間の試験だったけど、前回ルゥたちが受けたやつはさらに少ない二時間だったらしい。
こうして感傷に浸ることもできないくらいあっという間だったんだろうなぁ。
私は心の内にある感情に疑問を抱く。
この気持ちは悲しい? 嬉しい? 落胆?
いや、やっぱりこれは悲しいかな。
大変だと思っていた冒険者試験だけど、いざ終わってしまえばやはり悲しい。というか寂しい。
達成感の前にその気持ちを抱く私は、同意を求めるように声を上げた。
「ねぇ、ロック」
「……ゴロゴロ」
椅子代わりにしている岩塊の裏から、モンスターの眠そうな鳴き声が聞こえてくる。
シャルムと話している間も、ロックスライムことロックはずっと岩塊の裏で眠っていたのだ。
今は私の相棒だからね。
私は後ろを振り向き、うつ伏せになって岩塊の裏に手を伸ばした。
ごつごつとしていて、それで丸い岩肌を撫でながら、私は思う。
冒険者試験が終わってしまうのが、本当に悲しいわけではない。
『色々な別れ』が待っているのが、悲しくて寂しいのだ。
私に宿る本当の力は、アイテム採取やエリア探索を効率よく進めるものではなく、野生モンスターと友達になれる力。
そしてとても、悲しい力なのだ。
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