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第四章 ディスコミュニケーション
君は最低
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それから数日後。私はラジオでヘビーローテーションされている流行りの新曲を口ずさみながら、校舎から校門へと続く並木道の下り坂を独りで下校していた。
今日は白倉さんから、二つの勝利をもぎとった。一つは、始業式の日に受けた課題テストの成績。数学では後れをとったけれど、国語と英語で逃げ切った形だ。それぞれの得意科目がお互いの性格を反映しているようで、ちょっと興味深い。そしてもう一つは、生徒会の仕事。二週間でやると彼女に約束した議事録の校正を、私は十日で仕上げて見せた。さすが環季は出来る子ね、と白倉さんに言われた時の私のドヤ顔を想像してほしい。
私はしかし、このような生徒会の通常業務については正直物足りなさを感じていた。何しろ春休みの間に、白倉さんとあのような冒険を体験したのだ。事務作業など本来の仕事の片手間でしかない、なんて書記の私が言ってはいけないのだろうけれど。
いつか白倉さんから彼女が理想とするような仕事を任されるかもしれないと思うと、身の引き締まる思いがする。しかし果たしてこの私が、人と関わりながら物事を解決することなんてできるのだろうか。
書店や図書館に行けば、コミュニケーションスキルについての自己啓発書なるものは、それこそ山のように積まれている。しかしそんなものは、いざという時にはきっと何の役にも立たない。私と相手との組み合わせはランダムかつ膨大で、しかもその時の状況によって会話のフローチャート分岐はそれこそ無限である。そんな状況下で慌てふためいて指南本を紐解く時間などあるはずもない。
結局コミュニケーションを学ぶには、勉強やスポーツと同じく、経験と訓練しかないのだろう。当たって砕けろか、さすが生徒会長の言葉は説得力が違う。
そんなことを考えながらぶらぶらと校門に近づいた私は、そこにいる一組の男女に何気なく目を留めた。男子と女子が話しているだけで彼らが付き合っていると思ってしまうのは、私のもの欲しさの表れなのだろうか。当然彼らはただの友人同士かもしれないのだけれど、悲しいかな友達も恋人もこれまで経験のなかった私には、その区別のつけようもない。そもそも、友情と恋愛感情の境界線ってどこなのよ。
校門をくぐろうとしながらその二人をちらりと見て、私はどきりとした。司くんと、始業式の朝に一緒にいた眼鏡の女の子じゃないか。登校だけではなく下校も一緒なのか、これはもう限りなくクロに近いのではないか。まあ別に司くんが誰と付き合おうと自由だが、たくさんの女の子と仲がいいというのはどうなのか。単なる私のひがみだと言われればそれまでなんだけれど。
触らぬ神に祟りなし。こそこそとそばを通り過ぎようとした私の耳に、女の子の押し殺した、しかし怒りを含んだ声が聞こえてきた。
「だから、もう迎えに来たりしないでください」
「俺がいなくても問題ない、ってことかな。それは」
「そ、そういう意味じゃなくて。金澤さんにそんなことされても、私、困ります」
「まったく。女の子ってのは、どうしてこうなのかな。嫌なら嫌だって、はっきり言ってくれるといいんだが」
つい先日に生徒会室で司くんが私に言った言葉と、それはとても良く似ていた。だからだめだってば、その言い方は決して相手にいい感情を生まないんだよ。案の定、相手の女の子は顔を赤くして司くんをにらみ返す。もはや周りの目を気にしている余裕は彼女にはなさそうだった。私と違って、その子は司くんに、今度ははっきりと言った。
「金澤さんのそういうところ、嫌いです。私のことなんて、もう放っておいてください!」
「そういうわけにはいかないんだけれどね」
私は司くんに近づくと、彼の腕をぐいっと引っ張った。弟以外の男の子の腕をつかんだのは初めてだ。
「ちょっと、つ、司くん。何、やってるのよ」
彼は驚いた表情で、私の顔とつかまれた自分の右腕とを交互に見た。
「え、環季先輩じゃないですか。いつからそこに」
「やめなさいよ。彼女、い、嫌がってるじゃない。君って、その、いろんな子と遊んでるだけじゃなくて、ストーカーもしてるの?」
司くんは眉をひそめると小さく舌打ちした。こういうところ、彼は容赦がない。
「なに面倒くさいこと言ってるんですか。先輩には関係ありませんよ、邪魔しないでください」
そんなこと言われても、見過ごすわけにはいかないではないか。私は司くんともめていた女の子の方を見た。
「司くんは、こう言ってるけれど。どうなの、あなた?」
彼女は口をきつく引き結んで、私と司くんを交互ににらみつけている。これは、誰も私に構わないで、のサインだ。彼女がそう思っているのが私には確信できる。なぜなら、かつて私もそれを得意としていたから。
「やっぱり彼女、はっきりと、迷惑そうじゃない」
「だから、先輩には関係ないって言ってるじゃないですか。余計な首、突っ込まないでくれませんかね」
「な、なによ、その言い草。なんだかんだ言っても、司くんって女の子の嫌がることをするような奴じゃないって思ってたけれど。どうやら、私の見込み違いだったみたい。君って、最低」
「別に、最低で結構ですが。先輩の勝手なイメージに合わせてやる義理なんて、さらさらないですからね」
まさに売り言葉に買い言葉。私は司くんと火花を散らし合いながら、明らかに困惑した表情で成り行きを見守っている女の子に声をかけた。
「とにかく、あなた。この場は引き受けるから、先に帰った方がいいんじゃないかな」
「おい、ちょっと待てって……」
彼女は自分のリュックをぐっと胸に抱きかかえると、わき目も振らずに立ち去っていった。やはり左足が不自由なのだろう、早足で歩くたびにその左肩がことり、ことりと揺れた。
今日は白倉さんから、二つの勝利をもぎとった。一つは、始業式の日に受けた課題テストの成績。数学では後れをとったけれど、国語と英語で逃げ切った形だ。それぞれの得意科目がお互いの性格を反映しているようで、ちょっと興味深い。そしてもう一つは、生徒会の仕事。二週間でやると彼女に約束した議事録の校正を、私は十日で仕上げて見せた。さすが環季は出来る子ね、と白倉さんに言われた時の私のドヤ顔を想像してほしい。
私はしかし、このような生徒会の通常業務については正直物足りなさを感じていた。何しろ春休みの間に、白倉さんとあのような冒険を体験したのだ。事務作業など本来の仕事の片手間でしかない、なんて書記の私が言ってはいけないのだろうけれど。
いつか白倉さんから彼女が理想とするような仕事を任されるかもしれないと思うと、身の引き締まる思いがする。しかし果たしてこの私が、人と関わりながら物事を解決することなんてできるのだろうか。
書店や図書館に行けば、コミュニケーションスキルについての自己啓発書なるものは、それこそ山のように積まれている。しかしそんなものは、いざという時にはきっと何の役にも立たない。私と相手との組み合わせはランダムかつ膨大で、しかもその時の状況によって会話のフローチャート分岐はそれこそ無限である。そんな状況下で慌てふためいて指南本を紐解く時間などあるはずもない。
結局コミュニケーションを学ぶには、勉強やスポーツと同じく、経験と訓練しかないのだろう。当たって砕けろか、さすが生徒会長の言葉は説得力が違う。
そんなことを考えながらぶらぶらと校門に近づいた私は、そこにいる一組の男女に何気なく目を留めた。男子と女子が話しているだけで彼らが付き合っていると思ってしまうのは、私のもの欲しさの表れなのだろうか。当然彼らはただの友人同士かもしれないのだけれど、悲しいかな友達も恋人もこれまで経験のなかった私には、その区別のつけようもない。そもそも、友情と恋愛感情の境界線ってどこなのよ。
校門をくぐろうとしながらその二人をちらりと見て、私はどきりとした。司くんと、始業式の朝に一緒にいた眼鏡の女の子じゃないか。登校だけではなく下校も一緒なのか、これはもう限りなくクロに近いのではないか。まあ別に司くんが誰と付き合おうと自由だが、たくさんの女の子と仲がいいというのはどうなのか。単なる私のひがみだと言われればそれまでなんだけれど。
触らぬ神に祟りなし。こそこそとそばを通り過ぎようとした私の耳に、女の子の押し殺した、しかし怒りを含んだ声が聞こえてきた。
「だから、もう迎えに来たりしないでください」
「俺がいなくても問題ない、ってことかな。それは」
「そ、そういう意味じゃなくて。金澤さんにそんなことされても、私、困ります」
「まったく。女の子ってのは、どうしてこうなのかな。嫌なら嫌だって、はっきり言ってくれるといいんだが」
つい先日に生徒会室で司くんが私に言った言葉と、それはとても良く似ていた。だからだめだってば、その言い方は決して相手にいい感情を生まないんだよ。案の定、相手の女の子は顔を赤くして司くんをにらみ返す。もはや周りの目を気にしている余裕は彼女にはなさそうだった。私と違って、その子は司くんに、今度ははっきりと言った。
「金澤さんのそういうところ、嫌いです。私のことなんて、もう放っておいてください!」
「そういうわけにはいかないんだけれどね」
私は司くんに近づくと、彼の腕をぐいっと引っ張った。弟以外の男の子の腕をつかんだのは初めてだ。
「ちょっと、つ、司くん。何、やってるのよ」
彼は驚いた表情で、私の顔とつかまれた自分の右腕とを交互に見た。
「え、環季先輩じゃないですか。いつからそこに」
「やめなさいよ。彼女、い、嫌がってるじゃない。君って、その、いろんな子と遊んでるだけじゃなくて、ストーカーもしてるの?」
司くんは眉をひそめると小さく舌打ちした。こういうところ、彼は容赦がない。
「なに面倒くさいこと言ってるんですか。先輩には関係ありませんよ、邪魔しないでください」
そんなこと言われても、見過ごすわけにはいかないではないか。私は司くんともめていた女の子の方を見た。
「司くんは、こう言ってるけれど。どうなの、あなた?」
彼女は口をきつく引き結んで、私と司くんを交互ににらみつけている。これは、誰も私に構わないで、のサインだ。彼女がそう思っているのが私には確信できる。なぜなら、かつて私もそれを得意としていたから。
「やっぱり彼女、はっきりと、迷惑そうじゃない」
「だから、先輩には関係ないって言ってるじゃないですか。余計な首、突っ込まないでくれませんかね」
「な、なによ、その言い草。なんだかんだ言っても、司くんって女の子の嫌がることをするような奴じゃないって思ってたけれど。どうやら、私の見込み違いだったみたい。君って、最低」
「別に、最低で結構ですが。先輩の勝手なイメージに合わせてやる義理なんて、さらさらないですからね」
まさに売り言葉に買い言葉。私は司くんと火花を散らし合いながら、明らかに困惑した表情で成り行きを見守っている女の子に声をかけた。
「とにかく、あなた。この場は引き受けるから、先に帰った方がいいんじゃないかな」
「おい、ちょっと待てって……」
彼女は自分のリュックをぐっと胸に抱きかかえると、わき目も振らずに立ち去っていった。やはり左足が不自由なのだろう、早足で歩くたびにその左肩がことり、ことりと揺れた。
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