ラジオの向こう

諏訪野 滋

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第四章 ディスコミュニケーション

言うまでもないじゃん

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 眼鏡の女の子を見送った司くんは大きなため息をつくと、改めて私に詰め寄った。

「まったく、何してくれてるんですか。環季先輩が女の子じゃなきゃ、ぶっ飛ばしてる」

 この野郎、もう怒った。上等じゃん、やってみろよ。

「私だって司くんじゃなかったら、声もかけずに警察に通報してる。君、生徒会の副会長なんだよ。いったいどういうつもりなの」

「しつこいですね。声をかけてくれなんて、誰も頼んだ覚えはありませんよ」

「君、私が困っている子も助けられないような意気地なしだって、馬鹿にしてるでしょ。ちょっと女の子に人気あるからって、調子に乗るな!」

「いい加減にしろよ、勘違いにも程がある。これ以上くだらない言いがかり付ける気なら、俺だって」

 言葉を続けようとした司くんが、不意に黙りこんだ。何だろうと思って彼の目線を追うと、自分の両膝ががくがくと震えていることに、私はその時初めて気付いた。焦った私は意識を集中してみたが、それはどうにも止まりそうにない。
 司くんはぐっと唇を噛むと、ばつが悪そうな表情をした。私から目をそらしてそっぽを向きながら、小さく頭を下げる。

「……怖がらせてしまって、すいません。つい俺、かっとして」

 彼の言葉で私も頭が一気に冷えた。年下君相手になにやってんだか、私。

「別に、司くんのことが怖いわけじゃないよ。ちょっと、自分にびっくりしただけ。自分が誰かと喧嘩するなんて思ってもみなかったから、何だか興奮しちゃったみたい」

 司くんは不意にかがむと、私の両膝をおもむろにつかんだ。おいこら、セクハラだろうが。そのまま太ももまで手をずらし上げたりなんかしてみろ、マジで警察に通報するか白倉さんに言いつけてやる。妄想癖をいかんなく発揮する私に、彼は顔を上げないままで生真面目に聞いてきた。

「どうです。震え、止まりましたか」

「腕ずくで止めて意味あるのかな、これって」

「こうするよりほかに、どうしていいかわかりませんから」

「馬鹿だね、君って」

 私の言葉に小さく肩を震わせた司くんに、私はお願いしてみた。

「ねえ、顔を上げてくれないかな」

「いいんですか、スカートの中が見えるかも」

「そこはスルーして、今の君の顔を見せてくれないかな」

 彼は私を見上げた。やはりそうだ、司くん、笑ってるよ。それは苦笑ではあったけれど、最初に見た自嘲というやつよりもはるかに大きな進歩だった。つられて笑った私を、彼は立ち上がって困ったように見た。

 司くんはやがて、ためらいがちに口を開いた。

「環季先輩。俺を信用してくれますか」

 そんなことを私に聞くのか。言わないと伝わらないのか。

「見てわからないの、私は司くんを信じてる。そうじゃなきゃ、君とこんなに喧嘩したりしないよ。だから」

 君のこと、知りたい。

「理由、話してくれないかな」

 司くんは何か言いかけたが、やがて首を横に振った。

「そいつは勘弁してください。彼女はきっと、そうされたくはないでしょうから」

「あの子が?」

 司くんは、慎重に言葉を選んでいるように見えた。

「環季先輩は誤解していますよ。俺は必要なら、女の子が嫌がることもやるような奴です。それにご存じの通り、いろんな女の子と遊んだりもしています。先輩、そういうの嫌いでしょう?」

「司くんがそういう事をしているのが、好きじゃない」

「……それでも、俺のことを信用してくれている?」

「そう。どうして、なんて聞かないで。人付き合いしたことがないから、だまされやすいだけかもしれない」

「俺は先輩に嘘はつきません。こいつだけは、信じてもらってもいいですか」

「信じるわ」

 司くんは小さく息をつくと、少しくせのある黒髪をかき回した。

「細かいこと話せなくて、すいません。あと、けんか腰になったのも謝ります」

「私こそ、先輩なのに大人げなかった。ごめん」

 司くんは小さく笑った。今更先輩だの大人だのと背伸びをした私を笑ったのだろう。でも今度のそれは、自嘲でも苦笑でもない、本物の笑顔だった。

「それはそうと、環季先輩。俺と話していても、どもらなくなりましたね」

「あ。そう、だね」

 いろいろと砕けたのかもしれない、体当たりもしてみるものだ。指南してくれた白倉さんには報告する義務があるかな。でも司くんとのこんなやり取り、彼女に話すには少し気恥ずかしい。今だって照れくさいんだ、これでもね。

「それで、司くん。君の好きな味は?」

「は」

「鈍いなあ、ポテトチップスのことだよ」

「そんな当たり前のように言われても、わかるわけがないんだが。まあ、あえて言えば塩味ですかね。それが何か?」

「副会長なのに生徒会室にいないんじゃ、しまらないからね。まあ、胃袋をつかんでおく、ってやつかな。塩味ね、了解。Lサイズを何袋かストックしておくよ」

 司くんはあきれたように肩をすくめた。

「まったく。ポテトチップスで拘束しようなんて、俺も安く見られてますね」

「会長の有難いお言葉と、私が入れた紅茶付きよ。悪くないんじゃない?」

 何か言い返そうとした彼は、首を振って苦笑した。

「さすが、白倉会長が見込んだ自慢の書記ですね。なかなか、一筋縄じゃいかない」

「え、会長が私のことを自慢? 本当?」

「何ですか、その満面の笑顔。環季先輩がいない時、会長は先輩の話ばかりしてますよ」

 私は司くんをけん制するために、ふくれっ面を作ってみせた。白倉さんと秘密を共有していいのは私だけだぞ。

「ふうん、司くんって結構私のいないところで会長と話してるんだね。やっぱりひいきだ、面白くない」

「俺だって、会長からのろけ話を聞かされるのは面白くないですがね。でも先輩、今日はえらく直球ぶつけてきますね。何か変わりましたか?」

 デッドボール覚悟で勝負に出ただけなんだけれどね。私って結構、野球には詳しいのだ。時間通りにラジオをつけたら野球のナイター中継が延長していることが時々あって、選曲し直すのが面倒でそのまま何度か聞いているうちに自然にそうなっちゃって、今では一介の評論家気取りだ。ピッチャー交替のお知らせです、背番号三番、死球王、八尋環季。

「変わったかと聞かれてもね。高三になってやっと部屋から出てきたんだから、変わるな、っていう方が無理な相談だよね」

 そして私を連れ出してくれた白倉さんは、友達にまでなってくれたんだ。これで変わらなきゃ、本当におかしい。

 私の言葉に思うところがあったのだろうか、司くんは何かを探すように遠くを見た。しかし、それは結局見つからなかったのだろう。やがて視線を戻した彼は、ぽつりとつぶやいた。

「そうですか。良かったですね、本当に」

 私は司くんに尋ねてみたかった。中三で生徒会長まで務めた君が、高一になってすっぱりと第一線から身を引いてしまったこと。そして白倉さんから誘われた今になって、生徒会への復帰を承諾したこと。それに何より、多くの女の子と個人的な付き合いを続けながらも、どこか寂し気なこと。そうなんだ、君の目はいつだって、相手の女の子ほどには輝いていない。
 疑念があるならはっきり口にしろ、そう司くんは言った。でも、ここから先にはうかつに踏みこんではいけない、との警告が私の頭の中で鳴っている。先輩には関係ない、との先ほどの彼の拒絶の言葉も、拡大解釈されたままで私の胸に残っている。

 焦っちゃだめだ。司くんのしていることがいいとか悪いとか、勝手に評価するのはやめよう。必要ならば、彼は必ず私に話してくれる。司くんのそばにいれば、いつか。

「さて、と。大喧嘩しといてなんだけれど、私と一緒に帰る?」

 それまでぼんやりとしていた彼は、ぎょっとした顔で私から離れた。ふふん、こんな私でも司くんの気分を変えるくらいのことはできる。

「そういうの嫌いだって、さっき自分で言ったばかりじゃないですか。環季先輩って世間知らずそうだし。俺は違いますけれど、悪い奴に簡単にだまされちゃいますよ、そんな無防備さじゃ」

「だますよりはだまされる方がましでしょ。ほら、私のカバン持って」

「何で俺が先輩の荷物持ちなんか。ぐっ、重。教科書多すぎだろ、もっと減らせよ」

「会長のバックパックはもっと重いから。学園のツートップの学習量、めちゃだめだよ」

「そうだった、環季先輩たちって頭良かったんだっけ。それにしちゃあ、発言がいちいち馬鹿っぽいんだが」

 私は手持ちのサブバッグも、彼の手に無理やり握らせてやった。

「はーい、ペナルティ追加。私の家って歩いていけるから、頑張ってね」

「マジかよ……」
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