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第7章
第二十二話 ケインとアベル
しおりを挟むラウラリスの薫陶を受けてからというもの、アベルは全身連帯駆動の才を急速に開花させつつあった。元が貧弱であったが故に下手な癖が付いていなかったことも相成り、白い布地に染料が伝わっていくように、彼の肉体に染み渡っていった。
それは単なる肉体的な動作のみにとどまらず、知覚にも及んでいた。
城を抜け出すのが上手くなったのも、ただ単に肉体動作の練度が上達し気配を殺すのが上手になっただけではない。漠然とではあるが人の仕草や息遣いを読み取り、無意識ではあるが人の意識の方向性からくる『死角』を察知しているからである。
もっとも、アベル当人はそこまで考えは至っていない。まだまだ己の中にある変化を言語、体系化するまでには至らず、そしてそれに辿り着くまでは長い時間が掛かるだろう。
それでも、己の肉体との対話を始めたからこそ、アベルもわかり始めた事がある。
マフィアの拠点でラウラリス達三人が大立ち回りをしていたが、当人達にとってはお遊びの範疇を超えず、実力の半分以下も出していなかったのだと。油断や慢心こそなかったが、それ以上に全員には『余裕』があったのをアベルも見てわかった。
よくよく観察すれば、ラウラリスらは歩き方からして常人とは一線を介していた。地を踏み締める足から根が張っているかの様な安定感があり、それを無意識に継続している。
彼らだけではなく、先ほどに屯所であったデュランにしてもそうだ。立ち振る舞いを見るだけでも動きの先端にまで神経が行き届いている。ラウラリスだけに限らず女性にもそういった強い人間がいるのはアベルにとって驚きだった。
そして──。
「……自分の顔に何か?」
「あ、いえ。ジロジロ見てすいません」
いつの間にかジッと視線を向けていた様で、青年の声にアベルは慌てながら謝る。当人は特に気に留めた様子もなく、すぐに前を向き直る。
勾留されたラウラリス達を迎えに来た青年──ケイン。
ラウラリス達の釈放は決まったが、諸々の手続きを終えるために勾留の身であった三人はまだ屯所内だ。今頃は何枚もの書類にサインを記している最中だろう。
無辜の一般人でありただの目撃者であるアベルは一足先に屯所から出ていた。ケインはアベルを一足先に王城に連れ帰ろうとしたが、アベル当人が強引に待ったをかけた。迷惑をかけた手前、別れの挨拶を済ませなければ礼儀に反すると強弁したのだ。
そして今は、ラウラリス達が屯所から出てくるのをケインと共に待っている最中だ。
一目見た瞬間から、彼が来たのは王子が原因だとすぐにわかった。
直接話したことはなかったが、王城の中で一度だけケインを見た事があった。だから、すぐに城に勤める『騎士』であると判断できた。
ラウラリスやデュラン達に負けず劣らず、やはりケインの立つ姿を見るだけでアベルは『強い』と直感した。おそらく、王城に務める兵士や護衛達のほとんどよりも強いのではないかとさえ思う。
もし彼らに匹敵する実力者ともなれば、それこそ母セディアの側近であり近衛騎士隊隊長のアイゼンではなかろうか。
──アベルはそんなことよりも、気になる点が二つほどあった。
まず一点。
会話ができるほど近づいたのは紛れもなく今回が初めて。
なのに、ケインとは前に一度、遠目で見た時とはまた別に会った様に思えるのだ。既視感に近しいものではあったが、夢の類ではなく、現実のどこかでケインを見た事があるはずなのだ。ただそれがどうしても思い出せなくて気になる。
そしてもう一点。
彼がラウラリスととても親しげに話していた事だ。
どこなく気まずいものをケインは抱いていた。
ラウラリス達が絡んでいたがために勢いで出てきてしまっていたが、本来であるならば王子を迎えに行く役は他のものに任せるべきであった。それこそ、彼女やヘクトとも面識があるアマン辺りに押し付けて然るべきであった。一週間まともに寝ていないとちょっと前にぼやいていたが、後で酒の一つや二つでも奢ってやれば引き受けてくれただろうに。
これまでケインは極力、王城に出向くことを避けてきていた。仕事で王都に赴く際もなるべく外出はせず、本部にある自室に引きこもって作業するのがほとんどであった。
(それもこれもあの女に関わったばかりに)
思い浮かべるのは当然、あの銀髪紅目の少女だ。
切っ掛けは亡国の幹部を捕える任務のため、戦力補強で声をかけただけであった。だがそこからどんどんラウラリスのペースに乗せられていった。紆余曲折ありながらもどうにか任務を終えてからというもの、彼女とはまるで腐れ縁の様な関係が続いている。
──果たして己が彼女に対して抱いている感情はなんなのか、正直なところケイン自身にも把握できていない。『手の掛かる問題児でありながらも、頼り甲斐のある戦友』が一番近いかもしれないが、それにしたって微妙にしっくりこない。
(……今はアベル王子の事だ)
これも仕事だと、余計なことを考えだしたケインはアベルに悟られない範囲で深呼吸し思考を打ち消した。
「……ちょっといいですか?」
「なんでしょうか」
まさにそのタイミングでアベルから声を掛けられたが、この程度で息が乱れるほどやわな精神鍛錬は行なってきていない。我ながら落ち着いて言葉を返せたと。
「その……ラウラリスさんとはどの様なご関係で?」
無愛想を絵に描いたような整った顔のコメカミが動くのを、ケインは抑えきれなかった。この後についてや王城での騒ぎについて聞かれると思っていたら、まさかの質問に動揺を隠せなかったのだ。
己の表情の変化に気がついたケインは咳払いを一つして持ち直すと、努めて冷静さを維持しながらアベルに向き直り、当たり障りのない聞き返しをする。
「どの様な、とはどういう意味でしょうか」
「お見受けしたところ、ラウラリスさんとは……とても親しげでしたし、先ほどいた他の方々と比べても気の置けない風に感じましたので」
アベルは気が付いていなかったが、今の少年は、まさしく『ちょっと気になる女性が自分以外の男性と仲が良くて気になって仕方がない』──という、まさしく思春期真っ盛りな男子の顔である。
それが分かったケインは、頭を抱えながら蹲りたい衝動に駆られた。王子の目の前でなければ絶対に堪えきれなかっただろう。
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