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第二話 出会い、アプリ、オススメ
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家族四人の朝食。
普段と何も変わらない光景。
に、見えた。
「今日ね、北海道フェア行こうと思うんだけど」
みそ汁を一口すすり、姑が思い出したように言った。
夫婦仲の良い彼らは、ほとんど毎日二人で出かけている。今年、舅が定年退職してから、両親は悠々自適の老後生活を満喫している。自分も老後、こうありたいと理想の姿として、羨ましく思っていた。
明るい未来予想図は崩壊し、数年後どころか数日後、私たち夫婦はどうなっているか、想像もつかない。
「デパートの? そっか、今日からでしたね」
「美津さんも一緒に行かない?」
「すみません、私はやることがあるので」
「そう、残念ね」
私は静かにとなりの夫を見た。
昨夜は一つのベッドで、背を向け合って、眠った。というか、当然、まともに眠れなかった。対して、諸悪の根源であるはずの夫はよく眠れたようだった。安らかな寝息を聞きながら、どうして平然と眠っていられるのかと、そのふてぶてしさに憤っていたら、いつの間にか朝になっていた。
腹が立ったので、毎朝欠かさずやってきた「おはよう」のあいさつすら、省略してやった。
何か言わなければと思うのに、何をどう言えばいいのかわからない。
そんな様子で、朝から無駄に私の視界に入ってきては、もじもじしているだけで声を掛けようとはしない夫に、心底呆れた。私から何か言うのを待っているのだ。
あれから一言もしゃべっていない。思えば私がこんなふうに、彼を無視するのは初めてのことかもしれない。
顔は青ざめ、動きに覇気がなく、たまに箸を持つ手が小さく震えたが、両親は息子の異変に気づいていない。
「あ、そうだ、お義父さん、お義母さん」
改まって二人を呼ぶと、となりの夫がガタンと椅子を鳴らして軽く跳ねた。
「お土産、期待してますね」
わざと一拍遅らせてそう言うと、夫が鼻から荒い呼吸を吐き出した。
笑いを堪え、白米を頬張った。
変な感じだ。
浮気をされたというのに、私はこの状況を少し楽しんでいる節がある。
怒りと驚愕と悲しみが、私の脳に何かしらの作用をもたらしたに違いない。
そういえば、と洗い物をしながら思い出す。
結婚前、浮気の話になったときのやり取りだ。
絶対に浮気はしないとのたまった彼に、私は確か、こう言った。
「もし浮気したら、ちょん切るからね」
夫はよほど、浮気をしない自信があったらしい。阿部定かよと笑ってから、「絶対浮気なんてしないから、どうぞどうぞ」と誇らしげに自分の下腹部をさすっていた。
浮気なんて縁がないと思っていたラブラブ期のほのぼのエピソードだが、今こうなってしまうともはやホラー、いや、サスペンス? スリラー? とにかくこれは、夫を揺さぶるのにいいネタだ。
──ねえ
たった二文字のLINEを送る。夫は電車通勤だ。アプリで漫画を読んでいる。だから通知に気づくのは早い。既読がついたのを見計らい、すかさずメッセージを送る。
──付き合ってるとき、絶対に浮気しないって言ってたの覚えてる?
返事がない。既読はついたものの、なんの反応もない。
──ちょん切ってもいいんだよね?
──約束したよね?
──普通のハサミで切れるかな?
私の発言で画面が埋まっていく。
怖い怖い。
口元を押さえ、笑いを堪える。
夫からの返事は数時間後。ちょうどランチタイムが終わるだろう頃合いだった。
──許してください。ごめんなさい。本当に、もう二度と、いたしません。なんでも言うことを聞きます。許してくれるまで何度でも謝ります。本当にごめんなさい。それと、俺はちゃんと、美津を愛しています。言わなくてもわかってくれると甘えていた部分があったと思います。美津が俺を好きで、何をしても許してくれると思い込んで、傲慢だったのだと反省しています。俺が素を出せるのは美津だけです。唯一、美津の前だけは気負わず、本当の自分でいられる。棚に上げて悪いとは思うけど、他の男に美津を抱かせたくない。昨日のは、冗談だよな?
改行する余裕すらないようだ。みっちりと文字の詰まったメッセージだった。
昼休憩の時間を私への返信に費やしたのだと思うと申し訳なさがよぎり、読み進めるうちにこれはまずいと焦りが生じた。
怒りが、収束しそうだった。
許してしまいそうだった。
裏切られ、愛は冷めたと思ったのに、私はどうあがいても、夫を好きなのだ。
必死で許しを請うのが、可愛いと思った。
面と向かって謝れないプライドの高さが愛しいと思った。
消えたはずの愛情が、私の内に種を蒔き、小さな芽になって、復活してしまう。何度摘んでも、それはきっと、しつこく芽生えるのだ。
そんなのは、駄目だ。
彼を許してはいけない。
私は、意地になっていた。
渾身の詫び状を無視し、検索サイトを開いた。
出会い、アプリ、オススメ、とキーワードを検索窓に入れ込んで、検索の文字をタップする。
普段と何も変わらない光景。
に、見えた。
「今日ね、北海道フェア行こうと思うんだけど」
みそ汁を一口すすり、姑が思い出したように言った。
夫婦仲の良い彼らは、ほとんど毎日二人で出かけている。今年、舅が定年退職してから、両親は悠々自適の老後生活を満喫している。自分も老後、こうありたいと理想の姿として、羨ましく思っていた。
明るい未来予想図は崩壊し、数年後どころか数日後、私たち夫婦はどうなっているか、想像もつかない。
「デパートの? そっか、今日からでしたね」
「美津さんも一緒に行かない?」
「すみません、私はやることがあるので」
「そう、残念ね」
私は静かにとなりの夫を見た。
昨夜は一つのベッドで、背を向け合って、眠った。というか、当然、まともに眠れなかった。対して、諸悪の根源であるはずの夫はよく眠れたようだった。安らかな寝息を聞きながら、どうして平然と眠っていられるのかと、そのふてぶてしさに憤っていたら、いつの間にか朝になっていた。
腹が立ったので、毎朝欠かさずやってきた「おはよう」のあいさつすら、省略してやった。
何か言わなければと思うのに、何をどう言えばいいのかわからない。
そんな様子で、朝から無駄に私の視界に入ってきては、もじもじしているだけで声を掛けようとはしない夫に、心底呆れた。私から何か言うのを待っているのだ。
あれから一言もしゃべっていない。思えば私がこんなふうに、彼を無視するのは初めてのことかもしれない。
顔は青ざめ、動きに覇気がなく、たまに箸を持つ手が小さく震えたが、両親は息子の異変に気づいていない。
「あ、そうだ、お義父さん、お義母さん」
改まって二人を呼ぶと、となりの夫がガタンと椅子を鳴らして軽く跳ねた。
「お土産、期待してますね」
わざと一拍遅らせてそう言うと、夫が鼻から荒い呼吸を吐き出した。
笑いを堪え、白米を頬張った。
変な感じだ。
浮気をされたというのに、私はこの状況を少し楽しんでいる節がある。
怒りと驚愕と悲しみが、私の脳に何かしらの作用をもたらしたに違いない。
そういえば、と洗い物をしながら思い出す。
結婚前、浮気の話になったときのやり取りだ。
絶対に浮気はしないとのたまった彼に、私は確か、こう言った。
「もし浮気したら、ちょん切るからね」
夫はよほど、浮気をしない自信があったらしい。阿部定かよと笑ってから、「絶対浮気なんてしないから、どうぞどうぞ」と誇らしげに自分の下腹部をさすっていた。
浮気なんて縁がないと思っていたラブラブ期のほのぼのエピソードだが、今こうなってしまうともはやホラー、いや、サスペンス? スリラー? とにかくこれは、夫を揺さぶるのにいいネタだ。
──ねえ
たった二文字のLINEを送る。夫は電車通勤だ。アプリで漫画を読んでいる。だから通知に気づくのは早い。既読がついたのを見計らい、すかさずメッセージを送る。
──付き合ってるとき、絶対に浮気しないって言ってたの覚えてる?
返事がない。既読はついたものの、なんの反応もない。
──ちょん切ってもいいんだよね?
──約束したよね?
──普通のハサミで切れるかな?
私の発言で画面が埋まっていく。
怖い怖い。
口元を押さえ、笑いを堪える。
夫からの返事は数時間後。ちょうどランチタイムが終わるだろう頃合いだった。
──許してください。ごめんなさい。本当に、もう二度と、いたしません。なんでも言うことを聞きます。許してくれるまで何度でも謝ります。本当にごめんなさい。それと、俺はちゃんと、美津を愛しています。言わなくてもわかってくれると甘えていた部分があったと思います。美津が俺を好きで、何をしても許してくれると思い込んで、傲慢だったのだと反省しています。俺が素を出せるのは美津だけです。唯一、美津の前だけは気負わず、本当の自分でいられる。棚に上げて悪いとは思うけど、他の男に美津を抱かせたくない。昨日のは、冗談だよな?
改行する余裕すらないようだ。みっちりと文字の詰まったメッセージだった。
昼休憩の時間を私への返信に費やしたのだと思うと申し訳なさがよぎり、読み進めるうちにこれはまずいと焦りが生じた。
怒りが、収束しそうだった。
許してしまいそうだった。
裏切られ、愛は冷めたと思ったのに、私はどうあがいても、夫を好きなのだ。
必死で許しを請うのが、可愛いと思った。
面と向かって謝れないプライドの高さが愛しいと思った。
消えたはずの愛情が、私の内に種を蒔き、小さな芽になって、復活してしまう。何度摘んでも、それはきっと、しつこく芽生えるのだ。
そんなのは、駄目だ。
彼を許してはいけない。
私は、意地になっていた。
渾身の詫び状を無視し、検索サイトを開いた。
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