あの夏をもう一度─大正時代の想ひ出と恋文─

不来方しい

文字の大きさ
10 / 34
第一章 想ひ出

010 繋

しおりを挟む
 かち、と音が聞こえないように鍵をかけた。
 いつものことであるのに、音が聞こえるのがいやに恥ずかしかった。
「全部脱ぐのか?」
「上も下も汗で気持ちが悪いんだ」
 幸一はすでに下着一枚になっている。
 浴場であればそれほど意識はしないが、今はふたりきりだ。
「八重澤…………」
 確実に大人への階段は上っているとはいえ、まだ未熟な身体だ。中心を際立たせ、指揮も取れない波打つ欲だ。
 幸一は下着に手をかけた。ゆっくりと下ろしていく。
 虎臣自身も、若い芽が伸びかけているような感覚に襲われる。成長途中で必死に抗い、けれどそれが無意味だと知っている。
 息を吐いて緊張をほぐし、幸一の肌に手拭いを当てた。
 幸一はしたいようにさせている。
「背中まで蹴られたのか」
「どうなっている?」
「痣ができている。一番痛々しく見える」
 背中を拭くと、微かに震えた。幸一は痛みをこらえているのだ。
「膝立ちはできるか?」
 幸一は素直に応じ、臀部や太股も手拭いをすべらせた。
「さすがに前は……」
「判ってるよ。自分でやる」
 じっくり見るものでもないので、幸一は手拭いを渡して後ろを向いた。
「っ……勘違いするなよ。お前に触れるのが嫌だとか、そういう意味じゃないからな」
 幸一から「うう……」といううなり声が漏れた。

 診察の結果、幸一の肋骨にヒビが入っていた。椅子に座っての授業は普通に受けられるが、体育は休まざるを得なかった。
「その状態でよく立って歩けたな」
 虎臣は呆れながらも肩に手を回しやすくさせるよう、少し屈む。
 部屋が同じということもあり、虎臣は担任から世話係を命じられた。
 犯人は捕まっていないが、いつまでも休校となるわけにはいかず、学校側は生徒に対して複数人での移動、部活の禁止令を出した。
「ほら、食堂に行こう」
「こうしてお前に世話をしてもらえるのなら、ずっと怪我したままでいいかもな」
「いいのか? いろんなところへ行って好きな絵も描けなくなるんだぞ」
「早く良くならないかなー」
 食事も普通に取れるようになり、このまま順調に行けばそう長い時間は要しないだろう。
 遅れて柏尾が食堂へ入ってきた。帳面に鉛筆を走らせ、松岡と親密そうに何かを話している。
「あいつら、犯人を捕まえようとしているんだ」
「警察ごっこか?」
「俺の怪我を見て、あんな暴力集団に任せておけないって張り切っているのさ」
「任せておけないのは同意だ。けれど嗅ぎ回ればあいつらだって怪しく見られる。おとなしくしているべきだ」
「怪我といえば、お前の怪我はどうだ? 痛みは?」
 幸一は自分の頬を人差し指で差した。
 警察に殴られ、薬を塗ったものの痛みはなかなか引かなかった。
「大したことじゃない。痛みもほとんどないんだ」
「なら良かった」
 他の生徒より早めに食堂から出て、すぐに自室へ戻った。
 布団を並べて、そこに座ってとりとめのない話をするのが日課となっている。
「第二の家みたいな感じ。ここが落ち着くよ。心が弱ってるときは側に誰かいてほしいものだからな」
「俺も……そう思う。家が落ち着くってこんな気持ちなんだな」
「将来、一緒に住もうか」
 はっきりとした返事は出せなかった。
 代わりに、彼との生活を想像してみる。大学はきっと通うことになるだろう。彼の進路はどうなるのだろうか。
「嘘でも約束がほしいなんて、甘やかされてきた証拠かな」
「嘘でもいいのか? 守られない可能性だってあるんだぞ」
「約束や契約だって破る人間はいる。守る人間もいる。少なくとも本田は、夏に手紙の返事はくれただろ。それに約束が生きる糧になることもある」
「そんな大げさな……。僕は、とても臆病なんだ。明日のことだって何が起こるか見当もつかないのに、数年後なんて考えられない。それでも……八重澤とは長く続いていきたい」
「今はそれで充分だ」
「ごめん、うまく言えなくて。この気持ちがなんなのか、もやもやするんだ。お前を見ていると、妙な胸騒ぎがするし、他の男と話しているのを見ると、どうしようもない喪失感が沸く。一緒に過ごせば過ごすほど、八重澤を失う感情が強くなる。家族よりも側にいるのに、どうしたって消えないん……」
 影が覆い被さり、顔を上げると幸一の顔が目の前にあった。
 何をされるかなんて判っている──。
 虎臣は目を閉じて、微かに震える手を握った。
「今も、喪失感はある?」
 胸に手を当ててみると、生涯分の鼓動が鳴っていた。
「今は……大丈夫。でも心臓がけたたましい」
「それは俺もだ。異常じゃなことじゃない。ただ一つ、約束がほしい。俺はお前と一緒に過ごす日を夢見てるってことを。これはきっとこの先も変わらない。だから本田は、俺のことを信じてほしい」
「判った。信じる」



 事件から五日が経ち、ようやく生徒側にも情報が伝わってきた。
 被害者は三年の生徒で、クラスメイトは名前を聞いても誰も知らないとう。
 ただ情報は警察ごっこをしていた柏尾から大方聞いていたので、担任から伝えられる情報に驚くふりはした。
「管野進……管野進……。全然聞いたことがないな」
「目立たない生徒だったそうだ」
「事件は夕方から深夜にかけて。ただ十七時くらいまでは校庭で八重澤が絵を描いていたから、それより後になる」
「まさか俺の絵が証拠になるとはね」
「一体、どんな殺され方だったんだ?」
 柏尾は自分の首を指差した。
「惨いな……なんでこんなことを」
「松岡と聞いて回ったんだぜ。全生徒は宿舎に戻ることになってたが、中には校舎に残ってた生徒もいた。勉強するという名目なら残っててもよかったらしい」
「他には何を聞いたんだ?」
「怪しい奴は見なかったかって。全員首を横に振ったさ。警察といっても暴力しか脳がない集団だぞ? あいつらに解決できるのか?」
 柏尾はは痛々しい目で幸一を見やる。松葉杖はまだ手放せない。
 消灯を知らせる音が鳴った。あと五分で全員が部屋にいなければならない。一人でもかけていたら、全員が罰則を受けることになる。
「柏尾、もう戻れ」
「ああ、そうさせてもらう。おやすみ」
「おやすみ」
 柏尾が出ていったあと、廊下が暗闇に包まれた。
 しばらく勉強していると、教師が見回りにやってくる。
 部屋からは出てはいけないが、勉強時間は自由だ。特に咎められはせず、教師が隣の部屋へ行くとすぐに内側から鍵をかけた。
 幸一の帳面を見ると、ほとんど真っ白なままだった。
「全然集中できていないじゃないか」
「ちょっと気になることがある」
「事件の話?」
「ああ。学校で怪しい奴を見たかと聞かれて、いると答えられるか?」
 どういう意味だろう、と虎臣は眉をひそめた。
「例えばの話だ。本田が犯人だったとする。小屋付近をうろうろしていても俺目線は怪しい奴とは思わない。同室だし、友人だからだ」
 友人という言葉にえらく心が暴発した。
「そうか。だから怪しい奴と聞かれても、そこにいたのが友人もしくは教師であれば、怪しくは見えない」
「誰か人がいなかったかどうか、で確認すれば、もしかしたら別の話が出てくるかもな」
 腰を上げようとするが、窓から見える月に見張られている気がしてもう一度座り直した。今日はもう遅い。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

処理中です...