追放された私は北国の王に拾われる

紅蘭

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ギド

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無駄だろうなと思いながら隠し持っていた短剣を投げる。それは男に届く前に簡単に落とされた。完全に不意をついた。予備動作もなかった。その辺の暗殺者には止められたことなんてない。


「これをお前に教えたのが誰か忘れたのか?」


短剣を拾いながらそう言う男にため息が出た。


「覚えているわよ。その節はお世話になったわね」


幼い私に木の上からダメ出しをしてくれたのはこの男だ。


「おかげで今日まで生きることができたわ」


短剣に毒を塗ればいいと教えてくれたのも、その毒をくれたのもこの人。そしてたまに私へ送られて来る暗殺者を始末してくれていたことも知っている。


「じゃあこれも覚えているだろ?」


初めて会ったのは12年前。彼は私を殺しに来た。どうにか逃げ、そして言われた。


「お前を殺すのは俺だ。絶対に俺が殺す」


あの時と同じ言葉をもう一度聞くとは思わなかった。


「……どうしてそう私にこだわるの?あなたの流儀に反するのではなくて?」


かつてこの人は言った。「依頼されて金を貰えば誰だって殺す。だけど金にならねえ仕事はしない」と。

男はふっと笑う。


「確かにお前を殺したって金になんてならねえのに。でも殺さないといけねえ気がするんだ」


短剣をこちらに突きつけられ、私はまたため息をついた。

もういいかもしれない。守る家はなくなった。仕える主君とは離れることになった。私がいなくとも、これから先はリヒャルトもヴィルヘルムも自分でどうにかするだろう。


「……どうせあなたがいなければもっと早くに死んでいたでしょうしね」


そう言うと、マリーが震える手で私の袖を握った。真っ青なその顔は何か言いたそうで、だけど言葉にならないようだ。ふるふると首を横に振るマリーのその手を握る。私の手よりも冷たかった。


「大丈夫よ。エーリッヒ様はきっとよくしてくれるわ」


手を離す。マリーの目からは今にも涙が溢れそうだった。


「姉さん……?」


リヒャルトが何が何か分からない、という表情を浮かべていた。いつも冷静なリヒャルトにしては珍しい。


「あなたはもう1人でも生きていける」

「……ちょっと、待ってくれよ」


小さなその声に「大丈夫よ」と囁く。リヒャルトは視線を彷徨わせた。私は微笑んだ。もういいの、と。

男の手が動き、喉に短剣の冷たさを感じた。怖くはない。きっとあっちにはお父様もお母様もいる。きっと、よく頑張ったね、と抱き締めてくれる。

それは私の望む幸せ。

ふっと笑いがこぼれた。男が不満そうに眉を寄せる。


「なんだ、その顔は」


早く殺せばいいのに、短剣が少し引かれた。男は怒っているように見えた。


「……お前はそうじゃないだろ」


怒気を含んだ低い声。希望通り殺されてあげようとしているというのに何が不満なのか。


「お前は!みっともなくしがみついてまで生きることを決めたんだろ!?生きてきたんだろ!?」


男はいつの間にか私に向けていた短剣を下ろしていた。握りしめた手には力が入っていることが一目で分かる。


「今までに何人殺した?」

「……いちいち数えてなんかいないわ」


最初は数えていた。私が奪った命の数。だけど二十を超えた頃から数えなくなった。

男も女も子供もいた。私は皆同じように殺した。最初の頃はその度に嘔吐したり悪夢を見たりしていたが今ではなんとも思わない。


「お前は人を殺してでも生きようと思ったんだろ?」

「殺さなければ殺されていたもの」


誰も好んで殺しなどしない。殺さなくとも殺されない世界なら、私はきっと誰の命も奪わずに過ごしていた。


「言い訳をするな!お前は殺してでも生きることを選んだんだ。それが罪のない奴でも、暗殺者でも、お前は今いくつもの命の上に立っているんだ」


どうして今更そんなことを言うの?私に殺し方を教えたのも、殺すことを望んでいるのもあなたなのに。


「そんなやつが簡単に命を捨てるな」


笑った。その言葉があまりにも似合わなくて。あまりにも真剣な目をしていて。だけどこれもこの人なのだと思った。今まで見ていたのはただの一面。


「……矛盾しているわ。私を殺すのと言ったのはあなたじゃない」


男が舌打ちをした。そして短剣を投げ捨てる。


「止めた。今のお前を殺したって虚しいだけだ。さっさと行け」


ぐいっと手を引っ張られた。


「リーゼロッテ様、早く行きましょう。こんな男など視界に入れる価値もありません」


マリーってこんな風に喋るんだっけ?いくら今殺されかけたからってなんか違和感が……。マリーらしくないあまりの言い様に首を傾げた時だった。


「酷え言い方だな、マリー。お前の大事な『リーゼロッテ様』の命は俺の手の中にあるんだぜ?」

「たった今止めたと言ったところでしょ。さっさと失せなさい、ギド」


ポカンとしてしまった。

確か最初に殺されかけた時、マリーも一緒にいた。だけどこんな風に親しくなることなど……。


「なんて顔してんだよ。俺は何年もお前の側にいたんだぜ?マリーとはちょっと遊んでやっただけだ」

「遊んだ……?」


それはどういう意味で取ればいいのだろうか。随分と仲が良さそうではあるが……。


「微妙に誤解を招きそうな言い方は止めてくれる?あなたはただ私の仕事の邪魔をしていただけじゃない」


マリーはプンプンと怒った。洗ったばかりの洗濯物をぐちゃぐちゃにしただとか、食事を作ろうとしたらつまみ食いされただとか、買い物に出たら無理やり奢らされたとか。

それに対して男はお前が押すからだろ、腹が減っていたんだ、たっぷり給料をもらってたんだろ、などと言い返す。


「代わりに『リーゼロッテ様』の情報を教えてやってたじゃねえか」

「何が情報よ!今日も徹夜だったとか暗殺者がきたとかどこぞの貴族に嫌味を言われていたとか、もっといい情報を持って来なさいよ!」

「ねえんだよ!仕方ねえだろ!」


……うん、何も言えない。

私が苦笑した時だった。


「その辺でいいか?」


エーリッヒ様だった。それまで一言も喋らなかった彼が私の前へ出て来る。


「ギド、だったか?」

「ああ」

「お前を雇いたい」

「……は?」


ギドの間の抜けた声。きっと誰もが同じ感じになっていたことだろう。


「聞こえなかったか?お前を雇いたい」


エーリッヒ様が同じ言葉を繰り返した。

……聞こえたけど理解ができない。なぜたった今殺されかけた人にそういう話ができるのか。いえ、殺されかけたのは私であってエーリッヒ様ではないけれど。


「金を出せばなんだってやるんだろ?リーゼロッテの護衛に雇いたい」

「金を出せば誰だって殺すと言ったんだ。なんだってするとは言ってねえ」


ギドが言い返すとエーリッヒ様は眉を顰めて淡々と言った。


「人を殺すことができるなら、なんだってできるだろう」


ギドがポカンとして、そして舌打ちをした。


「俺はたけぇぜ」

「私の自由になる金の範囲内なら問題ない」

「……あんた王様だったよな?」


ギドは少し考えると頷いて、にやっと笑った。


「いいぜ。だが俺に指図はするなよ」


エーリッヒ様は「話は決まりだ」と馬車に乗り込んだ。

ユルンの国庫は知らない。だけどエーリッヒ様は私に言った。自分の自由になる金はそう多くない、と。

まさかファルラニアの王子のヴィルヘルムよりも多くはないだろう。本当にギドのお給料がエーリッヒ様の懐から出るなら、ギドにとってはかつてないほどの薄給なのではないだろうか。

……エーリッヒ様は正確な金額を言わなかったわね。

ユルンの国力や、王個人で使うお金と国庫はまた別だということをよく知らないギドが少し可哀想に思えた。
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