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リヒャルトの怒り
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もうすっかり見慣れた天井。そして音でそこが自室だと気が付いた。
「……ギド」
そう呼ぶと「お?」と軽い声が答えた。短剣を研ぐ音が途切れ、静かな足音が近付いて来る。
「起きたか?」
「ええ、マリーは?」
倒れたことが知られたら心配をかける。ギドが「何も知らねえよ」と苦笑するのを見てホッとした。体を起こす。頭痛も気持ち悪さも消えていた。
視線を上げてぎょっとした。そこにリヒャルトが座っていたのだ。
「リ、リヒャルト、いたのね……」
驚いた。いたなら何か言ってくれたらよかったのに。静かに座っていられると分からない。というかリヒャルトが私の部屋にいるなんて珍しいから。まさかいると思わなかった。リヒャルトは私を見て肩をすくめた。
「ずっといたよ。意識のない姉さんをエーリッヒ様が抱えて帰って来た時から」
声も言い方も刺々しい。見るからに不機嫌そう。
「何をそんなに怒っているの?」
そう聞くとリヒャルトはキッと目を吊り上げた。そこで失敗したことに気が付いた。まずは謝るべきだったか。だけど理由も分からずに謝ってもきっと怒られる。打つ手なし、だ。
「姉さんがユルンに来て倒れたのは何回目?」
えっと、食堂で一回。花の蜜のあれは眠ってるだけで違うから……。
「今回で2回目ね」
「その前にファルラニアのパーティーで1回倒れたね」
ええ、と頷く。どうして今そんなことを、と思う。もしかして倒れたことに怒っているのだろうか。
「それがどうしたの?そう多くないじゃない」
思わずそう言ってしまった。リヒャルトは勢いよく立ち上がり、私に詰め寄って来た。
「『そう多くない』?それ本気で言ってる!?たった3ヶ月とちょっとで3回だ。1ヶ月に1回。これが多くないって?僕は生まれてこの方倒れたことなんてないよ」
「そ、それは丈夫で羨ましいわ」
あまりの勢いに少し引きながらそう言うと、リヒャルトは更に目を吊り上げた。
「そんな話はしてない!姉さんは自分の体を労るべきだ!それから毎回目の前で倒れられるエーリッヒ様の気持ちを考えるべきだ!」
後半に関しては弁解の余地がない。ただ前半に関しては言わせてもらいたい。
「1回目は仕事が忙しくて3日徹夜したの。バルテル侯爵のせいよ。2回目のあれはギドのせいでしょう?今回に関しては誰も悪くないわ。もちろん私もよ」
先ほどから時折ギドの笑い声が聞こえるが、完全に無視してそう言うと、リヒャルトの怒りは頂点に達したようだ。まだ余地があったか、と少し後悔した。
「1回目は倒れるまで仕事をし続けた姉さんのせいだ!2回目も挑発に乗った姉さんのせい!今回も体調が悪かったのに倒れるまで休まなかった姉さんのせい!全部姉さんのせいだ!」
リヒャルトがこんなに怒るところを見たのは初めてだ。私たちは一度も喧嘩をせずに育ってきた。怒られているが少し嬉しい。だけどそれはそれ。しっかりと言い返させてもらう。
「仕事を終わらせないとヴィルヘルム様の名前に傷がつくじゃない。それから、挑発に乗った私も悪いかもしれないけど、挑発した方がもっと悪いわよ。ねえ、ギド?」
「そうだな」
そう笑いながら頷いたギドの声に被せてリヒャルトはため息をついた。まだ文句を言いたそうだが言っても無駄だと諦めたようだ。
「心配してくれたのは分かっているわ。ありがとう」
「……次こういうことがあればマリーに言うからな」
リヒャルトはそう脅した。それは困る。マリーに知られたらこんなものじゃ済まないだろう。もしかするともうこの部屋から出られなくなるかもしれない。とっても困る。
「気を付けるわ」
そう笑うとリヒャルトはやっと椅子に座った。沈黙が降りる。ギドは再び短剣を研ぎ始めた。よく見ると私がいつも使っている短剣だ。
ギドは今までも定期的に手入れをしてくれていた。ユルンに来てからは毒を塗っていないが、毒を塗ると刃がすぐ錆びるのでとてもありがたかった。
リヒャルトとこうして同じ空間で過ごしたことが過去にあっただろうか。エーリッヒ様の執務室ではいつも一緒だけどあれは少し違う。
「……姉さん、どうして僕をユルンに連れて来たんだ?」
「弟だからよ」
「それ嘘だろ。あの時姉さんは『一緒に来なさい』と言ったんだ。いつもなら勝手に僕の将来を決めるようなことしない。絶対に選択肢をくれたはずだ」
その通りよ、と言おうとして止めた。リヒャルトは余計なことを知るべきでない。
「嘘ではないわ。弟だから連れて来たの。あなたがリヒャルト・ヴァルデだから」
「ああ、出たよ、姉さんのぶっ飛んだ理論」
リヒャルトは呆れたようにため息を吐いた。そして鋭い目で私を見る。
「いつもいつも一人で背負い込んで僕には何も説明してくれない。もう分かってるよ」
でも、とリヒャルトは続けた。
「僕だってもう子供じゃない。説明して欲しいと思っている」
知っている。リヒャルトはもう子供じゃない。だけど大人でもない。
「話せることは話しているわ」
リヒャルトがムッとしたのが分かった。いつも冷静な癖にたまにこういうところがある。うまく隠せるようにならないと。やっぱりまだ大人じゃない。
「余計なことは知らなくていいの」
リヒャルトが何か言おうと口を開いた時、ノックの音が響いた。扉が開いて姿を現したのはエーリッヒ様。
「起きたか。無理をさせてすまなかった」
静かな声でそう言うエーリッヒ様に返事をしたのは私じゃなくてリヒャルトだった。
「姉さんが大丈夫って言ったのでしょう?なら無駄ですよ。頑固な人だから」
刺々しい物言いに思わず笑ってしまった。その通りかもしれない。リヒャルトは立ち上がって部屋から出て行った。不機嫌を隠そうとしないのはリヒャルトの短所だ。まだまだ青い。
エーリッヒ様がベッドの横へ来る。座ったまま見上げて微笑んだ。
「リヒャルトの言う通り。謝るのは私の方です。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑ではないが……顔色も良くなったな」
心配してくれたのだろう。本当に毎回エーリッヒ様の前で倒れて申し訳ない。でも今回のは原因不明なのでどうしようもなかった。強いて言えば体調が悪くなった時にさっさと引き返すべきだったくらい。
いつの間にかギドは短剣を研ぐのをやめてこちらを見ていた。
「先ほど行商人が来た。あなたに頼まれていた物も届いた」
少し考えてそれがハンナの薬の材料であることに気が付いた。手に入りにくい物なのでどうかと思っていたがよかった。
「ありがとうございます。では明日調合をします。午前中はお休みをいただいてもいいですか?」
「ああ、邪魔じゃないなら私も見学したい」
「ええ、もちろん。これでハンナの病気が治せるわ」
そう言って笑うと、ギドは無言で出て行った。いつもと違うその静かさに少し違和感を覚えた。
「……ギド」
そう呼ぶと「お?」と軽い声が答えた。短剣を研ぐ音が途切れ、静かな足音が近付いて来る。
「起きたか?」
「ええ、マリーは?」
倒れたことが知られたら心配をかける。ギドが「何も知らねえよ」と苦笑するのを見てホッとした。体を起こす。頭痛も気持ち悪さも消えていた。
視線を上げてぎょっとした。そこにリヒャルトが座っていたのだ。
「リ、リヒャルト、いたのね……」
驚いた。いたなら何か言ってくれたらよかったのに。静かに座っていられると分からない。というかリヒャルトが私の部屋にいるなんて珍しいから。まさかいると思わなかった。リヒャルトは私を見て肩をすくめた。
「ずっといたよ。意識のない姉さんをエーリッヒ様が抱えて帰って来た時から」
声も言い方も刺々しい。見るからに不機嫌そう。
「何をそんなに怒っているの?」
そう聞くとリヒャルトはキッと目を吊り上げた。そこで失敗したことに気が付いた。まずは謝るべきだったか。だけど理由も分からずに謝ってもきっと怒られる。打つ手なし、だ。
「姉さんがユルンに来て倒れたのは何回目?」
えっと、食堂で一回。花の蜜のあれは眠ってるだけで違うから……。
「今回で2回目ね」
「その前にファルラニアのパーティーで1回倒れたね」
ええ、と頷く。どうして今そんなことを、と思う。もしかして倒れたことに怒っているのだろうか。
「それがどうしたの?そう多くないじゃない」
思わずそう言ってしまった。リヒャルトは勢いよく立ち上がり、私に詰め寄って来た。
「『そう多くない』?それ本気で言ってる!?たった3ヶ月とちょっとで3回だ。1ヶ月に1回。これが多くないって?僕は生まれてこの方倒れたことなんてないよ」
「そ、それは丈夫で羨ましいわ」
あまりの勢いに少し引きながらそう言うと、リヒャルトは更に目を吊り上げた。
「そんな話はしてない!姉さんは自分の体を労るべきだ!それから毎回目の前で倒れられるエーリッヒ様の気持ちを考えるべきだ!」
後半に関しては弁解の余地がない。ただ前半に関しては言わせてもらいたい。
「1回目は仕事が忙しくて3日徹夜したの。バルテル侯爵のせいよ。2回目のあれはギドのせいでしょう?今回に関しては誰も悪くないわ。もちろん私もよ」
先ほどから時折ギドの笑い声が聞こえるが、完全に無視してそう言うと、リヒャルトの怒りは頂点に達したようだ。まだ余地があったか、と少し後悔した。
「1回目は倒れるまで仕事をし続けた姉さんのせいだ!2回目も挑発に乗った姉さんのせい!今回も体調が悪かったのに倒れるまで休まなかった姉さんのせい!全部姉さんのせいだ!」
リヒャルトがこんなに怒るところを見たのは初めてだ。私たちは一度も喧嘩をせずに育ってきた。怒られているが少し嬉しい。だけどそれはそれ。しっかりと言い返させてもらう。
「仕事を終わらせないとヴィルヘルム様の名前に傷がつくじゃない。それから、挑発に乗った私も悪いかもしれないけど、挑発した方がもっと悪いわよ。ねえ、ギド?」
「そうだな」
そう笑いながら頷いたギドの声に被せてリヒャルトはため息をついた。まだ文句を言いたそうだが言っても無駄だと諦めたようだ。
「心配してくれたのは分かっているわ。ありがとう」
「……次こういうことがあればマリーに言うからな」
リヒャルトはそう脅した。それは困る。マリーに知られたらこんなものじゃ済まないだろう。もしかするともうこの部屋から出られなくなるかもしれない。とっても困る。
「気を付けるわ」
そう笑うとリヒャルトはやっと椅子に座った。沈黙が降りる。ギドは再び短剣を研ぎ始めた。よく見ると私がいつも使っている短剣だ。
ギドは今までも定期的に手入れをしてくれていた。ユルンに来てからは毒を塗っていないが、毒を塗ると刃がすぐ錆びるのでとてもありがたかった。
リヒャルトとこうして同じ空間で過ごしたことが過去にあっただろうか。エーリッヒ様の執務室ではいつも一緒だけどあれは少し違う。
「……姉さん、どうして僕をユルンに連れて来たんだ?」
「弟だからよ」
「それ嘘だろ。あの時姉さんは『一緒に来なさい』と言ったんだ。いつもなら勝手に僕の将来を決めるようなことしない。絶対に選択肢をくれたはずだ」
その通りよ、と言おうとして止めた。リヒャルトは余計なことを知るべきでない。
「嘘ではないわ。弟だから連れて来たの。あなたがリヒャルト・ヴァルデだから」
「ああ、出たよ、姉さんのぶっ飛んだ理論」
リヒャルトは呆れたようにため息を吐いた。そして鋭い目で私を見る。
「いつもいつも一人で背負い込んで僕には何も説明してくれない。もう分かってるよ」
でも、とリヒャルトは続けた。
「僕だってもう子供じゃない。説明して欲しいと思っている」
知っている。リヒャルトはもう子供じゃない。だけど大人でもない。
「話せることは話しているわ」
リヒャルトがムッとしたのが分かった。いつも冷静な癖にたまにこういうところがある。うまく隠せるようにならないと。やっぱりまだ大人じゃない。
「余計なことは知らなくていいの」
リヒャルトが何か言おうと口を開いた時、ノックの音が響いた。扉が開いて姿を現したのはエーリッヒ様。
「起きたか。無理をさせてすまなかった」
静かな声でそう言うエーリッヒ様に返事をしたのは私じゃなくてリヒャルトだった。
「姉さんが大丈夫って言ったのでしょう?なら無駄ですよ。頑固な人だから」
刺々しい物言いに思わず笑ってしまった。その通りかもしれない。リヒャルトは立ち上がって部屋から出て行った。不機嫌を隠そうとしないのはリヒャルトの短所だ。まだまだ青い。
エーリッヒ様がベッドの横へ来る。座ったまま見上げて微笑んだ。
「リヒャルトの言う通り。謝るのは私の方です。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑ではないが……顔色も良くなったな」
心配してくれたのだろう。本当に毎回エーリッヒ様の前で倒れて申し訳ない。でも今回のは原因不明なのでどうしようもなかった。強いて言えば体調が悪くなった時にさっさと引き返すべきだったくらい。
いつの間にかギドは短剣を研ぐのをやめてこちらを見ていた。
「先ほど行商人が来た。あなたに頼まれていた物も届いた」
少し考えてそれがハンナの薬の材料であることに気が付いた。手に入りにくい物なのでどうかと思っていたがよかった。
「ありがとうございます。では明日調合をします。午前中はお休みをいただいてもいいですか?」
「ああ、邪魔じゃないなら私も見学したい」
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