池に落ちて乙女ゲームの世界に!?ヒロイン?悪役令嬢?いいえ、ただのモブでした。

紅蘭

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月の光

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何も考えずに暗い中で空を見上げる。どのくらいの間そうしていたのか、突然どこかから私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

……気のせい?

周りを見てみるが人の姿は見えない。空耳だったんだろう。そう思った時だった。


「エレナ」


うわあぁぁぁぁぁ!

真横で声が聞こえた。びっくりして心臓が飛び出そうだった。よく悲鳴を上げなかったと思う。本当に。自分で自分をほめてあげたい。


「ごめん、びっくりさせたね」


申し訳なさそうに私の隣に座るその姿を見て、私は深呼吸をした。


「い、いえ、大丈夫ですわ。こんな時間にどうされましたか? マクシミリアン様」


というか全く気配なかったんだけど! こわっ! 実はマクシミリアンの姿をした幽霊なんてことはないよね? 大丈夫だよね? じっと見つめてみるがおかしいところはない。透けてもいない。どうやら本物で間違いなさそうだ。


「廊下を歩いていたら人影が見えたから。こんな時間に外に出るのはクリスくらいだと思ったんだけど」

「え、ええ、そうかもしれませんね」


はは、と苦笑いをするしかない。確かにそうかもしれない。夜に外に出るなんてとても非常識だ。


「珍しいね」

「……何がでしょうか」


暗い静かな中に落ちるマクシミリアンの穏やかな声。ここに来たのがレオンやカイじゃなくてマクシミリアンで良かったと思った。


「エレナはいつも頑張っているように見えるから」

「え? ええ、頑張ってはいますが」


確かに自分でも頑張ってはいると思う。だけどそれが何か関係あるの? 何が珍しいの? 何と言っていいか分からない私を見て、マクシミリアンは「そうじゃない」と小さく言った。


「いつも背筋を伸ばして家の恥にならないように、って気を張ってる感じがする。無茶苦茶なことは言うけど、無茶苦茶なことはしない。いつもだったら、エレナはこうして夜に外に出るなんてことしない。地面に直接座るなんてしない」


言われて気が付いた。確かにそうかもしれない。アリアとお義母様に仕込まれた令嬢としての作法。いつも令嬢らしく、令嬢らしく、と心がけている。怒られたくないから。そしてエレナのフリをした他人の私がフィオーレ家の恥にならないように。

部屋にいない方が良いと思ったから出て来たけど、別に寮の外に出る必要はなかった。共有スペースでも食堂でもあったのに。きっといつもだったらそうしていた。


「何があったの? クリスは?」


私を見るマクシミリアンの目はすごく真っすぐで、まるで全てを見透かされてしまうんじゃないかと思った。


「クリス、は、ちょっと一人になりたそうだったので」

「ああ、言ってくれたんだね」

「……え?」


よく意味が分からない私にマクシミリアンは「違うの?」と首を傾げた。


「クリスに言ってくれたんでしょ。僕たちと距離を置いた方がいいって」


驚きに目を見張る私を気にすることなくマクシミリアンは続ける。


「もう五年は経つもんね。毎日一緒だった。カイとレオンとヨハンとフロレンツと、クリス。いつの間にか六人でいるのが当たり前になってた。だけどそろそろかなとは思ってたんだ」


分かっている。私は何も言っていないのに。マクシミリアンは全部分かっている。皆と一緒にいるときはあまり喋らないから。こうして二人で話すことなんてなかったから気が付かなかった。


「僕たちは男とか女とか気にしたことがなかったんだよ。僕達は誰もクリスを女の子だなんて思っていない。だけど世間は違うから。ヨハンは『先生』になって、クリスは『女の子』になって、カイは『次期皇帝』になる。僕たちはもう一緒にはいられない」


静かに話すその声を聞きながら私は何も言葉が出なかった。鳥肌が立った。マクシミリアンは輪の中にいながらもちゃんと俯瞰で見ることができている。そして私がそれを指摘すると思っていたんだ。


「エレナはいつも楽しそうだけどどこか一線を引いている気がする。言ってくれるとしたらエレナだと思ってたんだ。ありがとう」

「い、いえ、そんな、大したことはしておりませんわ」


なんて言ったらいいのか分からなかった。何も言葉が出てこなかった。マクシミリアンはこんなにも頭が良かったのか。一体何人がこれに気が付いているのだろうか。いや、きっと誰も気づいていない。もしかしたら本人すらも。

確かにプロフィールの隅の方に「頭がいい」とは書いてあった。だけどここまでだなんて考えもしなかった。……やっぱりゲームは最後までしてからこっちに来たかった。それだけが悔やまれる。が、マクシミリアンが頭がいいからと言って別に何かが変わるわけではないだろう。

私は立ち上がった。マクシミリアンは座ったまま動く気配がない。


「わたくし、そろそろ戻りますわ」

「……もう一つ、お礼を言いたいんだ」


もう一つ? 私何かお礼を言われるようなことなんてあったかな? 身に覚えがない。が、マクシミリアンにはあるのだろう。


「春にお城でどの科に行くかって話になったの覚えてる?」

「ええ」


私が文官科に行くと宣言したあの日のことだ。


「僕、魔法も剣も得意じゃないから文官科に行こうとしていたんだ。それにちょっと引け目も感じてた。でもエレナが科に上位も下位もないって言ってくれてすごい嬉しかった」


ああ、あれか。もしかするとマクシミリアンは結構気にしていたのかもしれない。


「人には得意不得意がありますのよ。マクシミリアン様が騎士科に行ってもついていけないかもしれませんが、レオン様が文官科に行ってもついていけないかもしれませんわ。ただそれだけの話ですの」


まあそんなことはないだろうけど。マクシミリアンも最低限剣を使えるし、レオンだって入学できた時点で文官科でやっていけないということはない。かなり頑張らないといけないかもしれないけど。

私の言葉にマクシミリアンはふっと可笑しそうに笑った。そして「そうかも」と冗談を含んだ口調で言う。

さて、本当に戻ろうかな。夜更かしはお肌に悪いしね。マクシミリアンの言葉ですっきりもしたし。歩き出した私を呼び止めるようにマクシミリアンの声がとんでくる。


「エレナ」


ぱっと振り返ると、マクシミリアンのこれ以上ないほどの笑顔が見えた。


「ありがとう」


月と街灯のかすかな明かりに照らされたその笑顔は無邪気さと綺麗さを両方含んでいて、思わずちょっとだけ見惚れてしまった。マクシミリアンは月のようだ、とぼんやりと思った。
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