池に落ちて乙女ゲームの世界に!?ヒロイン?悪役令嬢?いいえ、ただのモブでした。

紅蘭

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嫌いの理由

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クリスと一緒に魔法省へと向かい、奥の部屋へ行くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。


「ね、寝てる……?」


クリスが驚きと恐怖が入り混じったような表情で私に聞く。私もそこにいるヘンドリックお兄様を見て頷いた。うん、寝てる。

定位置の椅子に座ったまま寝ているお兄様。こうして見てみるとまだ少しだけ幼さが残っている気がした。


「エ、エレナ、また後で来ようよ」

「どうして?」


適当にその辺りの椅子に座る私の袖を、クリスは遠慮がちに引いた。その表情は少し引きつっている気がする。


「だ、だって寝顔見たなんてヘンドリック様に知られたら後でどうなるか……」

「あら、お兄様もそんなことくらいでは怒りませんわよ」


多分。

というかそもそも私はお兄様に用事があるわけではない。ただ単にお城の中でここにしか居場所がないと思ったから来たのだ。ついでの魔力提供と。だけど普段はムッとしているお兄様の寝顔が新鮮で、もう少しだけ眺めていたい気もする。

そう思うのは私だけで、クリスは起きた後のお兄様が怖いみたいだ。……仕方がない。


「じゃあクリスはマルゴット様を探してきてもらえるかしら? せっかく来たのだからお手伝いをしていこうと思うの」

「うん、任せて!」


私の言葉に元気よく頷いたクリスはさっさと出て行ってしまった。あっという間に静かになる。

あー、穏やかだなあ。時間がゆっくりと流れている気がする。とても心が静かになる。こうして何もしない時間も悪くない。

と思ったが、十分もしない内に暇になった。お兄様の寝顔だってそんなにずっと見てたって面白いわけじゃないし。……あ、いいのあるじゃん。

机の上にあった魔法を魔法陣へと変える道具と、その辺にあった紙で色々な魔法陣を作ってみる。少しの間それで遊んでいる内に、お兄様が動いた。いきなり立ち上がったのだ。ちょっとだけ驚いてお兄様を見ていると、近くにあったコップに魔法で水を出して飲んでいる。

普通目が覚めた時に声をかけるとかするよね。……お兄様は普通じゃないか。

特に私から声をかけることもないので引き続き魔法陣を作って遊んでいると、「おい」と呼ばれた。顔を上げると、お兄様が私を見ていた。


「今日は弁当はないのか」

「あ、はい、今日は作ってきておりませんが……」


たまに来るときにお兄様用に持って来ていたお弁当。いつも何も言わずに食べて空のお弁当箱だけ返されるので知らなかったが、私が思っていたよりも気に入っていたのかもしれない。

次に来るときは作って来ようと思った。

私の言葉にお兄様は「そうか」と言うと、私が遊びで作った魔法陣を眺め始めた。機嫌は悪くない。けど良くもない。ただクリスが言っていたように怒ってはいないことだけは確か。

静かな中、穏やかに時間が流れている。聞くなら今だと思った。


「……どうしてお兄様はわたくしが嫌いだったのですか?」


エレナがエレナの時にヘンドリックお兄様にどういう仕打ちを受けていたのかはあまりよく知らない。私がエレナになってからお兄様に嫌われていると思ったのは初めの方だけだったから。だけど最初のクルトお兄様とアリアの反応を見るとなんとなく分かった。


「わたくしはお兄様に何かをしたのでしょうか?」


返事はない。お兄様は表情一つ変えずに魔法陣を眺めている。まるで聞こえていないかのように。少し待ってみたが、お兄様の口は開かなかった。

……まあいいか。別に支障はないし。今は嫌われてないし。

そう思った時、静かな声が聞こえた。


「何かをしたのはお前じゃない。母だ」


まさか返事があると思っていなかった私はばっとお兄様へと見た。お兄様は相変わらず魔法陣を見ている。


「お義母様、ですか?」

「……違う」


お兄様は魔法陣を机の上に置くと、ふー、と深いため息を吐いた。


「義母上じゃない。俺たちを産んだ母親だ」


ああ、エレナの母親。エレナが二歳の時に亡くなったらしいから、その時ヘンドリックお兄様は七歳。……色々あったのか。その辺りはアリアも知らないみたいだけど。


「お前はあの女によく似ている」


こういう時なんて言ったらいいの? 私から聞いておいて何も言わないとちょっと失礼? でも何があったかなんて知らないし……。うーん、思っていたよりも重そうな話だな。


「似ているから、嫌いなんですか?」


考え抜いて、結局それだけ言うと、お兄様はため息を吐いて私を見た。


「前にも言ったが、最近のお前は嫌いじゃない。外見は似ているが、中身が変わった。少なくとも私が知っていた頃のお前はあの女と同じ顔をしていた」


この場合は顔の造りじゃなくて、表情ってことよね。私はエレナの母親は知らないから何とも言えないけど、まあ、中身は本当に変わってるし……。

沈黙が降りた。お兄様はもう話すことはないようで、また魔法陣を見ては魔力を流している。微妙に空気が重い。変えたいが今下手なことを言ったら絶対に怒られる。


「エレナ様は本日もお弁当をお持ちで?」

「いいえ、今日は持って来ていないと思いますよ」


どこかからそんな声が聞こえてきた。静かなので良く聞こえる。お兄様も魔法陣から顔を上げた。


「それは残念ですね。今日こそヘンドリックから奪おうと思っていましたのに」

「……奪うって、それ絶対怒られますよ」

「大丈夫ですわ。慣れていますので。それに無理やりにでも奪わないとヘンドリックは絶対に分けてくれませんもの」


……実はマルゴット様お弁当を狙っていたのか。二人の声がどんどん近付いて来る。お兄様は深いため息を吐いた。先ほどまでの微妙な空気はもうない。


「ヘンドリックはいつも一人で美味しそうに食べて一口もわけてくれませんのよ。そろそろ我慢の限界です」


そんな声とともに部屋に入って来た二人。途端に部屋の中が寒くなった。凍ってしまうんじゃないかと言うくらい。実際の温度は変わっていないのだけど。


「そんなことを考えていたのですか、先生」


そこにはとてもひややかな目をしたお兄様がいた。クリスは飛び上がって私の後ろに隠れ、マルゴット様はゲッという顔をしている。

……うん、とりあえず微妙な空気を壊してくれたことには感謝。お礼に次からはマルゴット様の分のお弁当も作って来てあげようと思った。
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