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心の変化
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ヴーヴー ヴーヴー
微かな音が聞こえ、私は呼んでいた本から顔を上げた。今年もこの日がやって来た。そろそろかと思って最近はアリアには早めに下がってもらっていたのだ。
画面に表示された応答の文字をタップ。
「もしもし」
「久しぶり。元気?」
電話の向こうからはかつての私の声が聞こえた。
「ええ、元気よ。早速だけど、ヘンドリックお兄様のことを聞きたいの」
「本当、早速ね。まあいいよ。時間はあまりないしね」
電話をするたびに向こうのエレナの口調が段々と軽くなっていっているのが分かる。だけどきっと向こうも同じように思っているのだろうなと思う。
「エレナはヘンドリックお兄様からどんな扱いを受けていたの?」
「そうだね、多分思っているほど酷くはないと思うよ。直接暴力を振るわれたことなんて数えるほどしかないし。だけど殺されるって思ったことは何回もあるね」
暴力振るわれたことあるんだ……。突き飛ばされたあれは暴力に入るのかな。
「上のお兄様はすごく私を憎んでいたようだったね。会うたびに憎悪で満ちた目で私を見て、言葉を交わすのすら嫌みたい。ほんっとうに今にも殺されそうな目を向けられていたよ」
「小さい頃から?」
「小さい頃は結構嫌味も言われていたよ。少しでも手が触れるようなことがあったら殴られることもあった。でも大きくなるにつれて関わることもなくなってきたし、嫌味すらなくなったね。どんなに成長してもあの目だけは変わらなかったけど」
……手が触れただけで殴られる。それを想像するとぞっとした。五歳年上のお兄様。小さな子供にとってそれがどんなに大きな差なのか。
私の知っているヘンドリックお兄様とは別人だ。最初は結構酷かったけどだけどそこまでではなかった。カミラへの態度について文句を言っていたのはこういうことか、とようやく理解した。
「それで、上のお兄様がどうしたの? 殴られた?」
「いえ、殴られたことはないのだけど……」
今私がヘンドリックお兄様と仲良くしていることは言ってもいいものなんだろうか。エレナにとってはとても複雑な問題なのではないだろうか。考えて、私の口から出たのは質問だった。
「ヘンドリックお兄様のこと、恨んでる?」
これを聞くのはなかなかに勇気のいることで、私は声が震えないようにするのに必死だった。だけど返って来た声はあっけらかんとしていた。
「別に。何とも思ってないよ。上のお兄様にも事情があったみたいだし」
「……そう」
その声で私は素直に言う決心ができた。
「ごめんなさい、実は今ヘンドリックお兄様と結構仲が良いの。わたくしの部屋の隣にお部屋を作るくらいには」
沈黙。なんと言っていいのか分からない私と、おそらく驚いているであろうエレナ。長い長い沈黙が降りた。
「…………は?」
「えっと、だからね、仲が良いの。卒業パーティーでエスコートもされたわ」
「ごめん、ちょっと理解ができない」
「ええ、そうだと思うわ。だけど本当なのよ」
困惑を含む声に私は重ねて何度も言う。別に、だから何と言うわけではないけど。
「うん、まあ、いいよ。謝らなくても。もう愛玲奈の人生なんだから。それよりもっと有意義な話をしよう」
そうエレナが言った途端、ジジッとノイズが入った。あああ、貴重な数分間なのに! 今回は月を見上げていないが、もう時間はのこされていないことが分かった。
「エレナ、わたくしは何をしたらいいのかしら?」
「何かをしないといけないの? 愛玲奈は私から何が聞きたいの?」
「え……?」
「別に何もしなくていいじゃない。ゲームの情報を集めなくてもエレナとして生きていくことはできるでしょう?」
……それは確かに。思えば別に私が何かをする必要なんてない。自分が何を目指しているのかも分からない。それなのに何かをしようとしている。私は何も言葉が出なくなって、黙り込んだ。エレナも何も言わない。少しの間、ぐるぐると考えていると、突然プツッと微かな音が耳に届いて、ツーツーツーツーと無機質な音が聞こえた。
あ、電話切れちゃった……。ポスンと携帯を布団の上に投げ、私は再び考える。
私は何をしたいのか。何の情報が欲しいのか。何かをしないといけない理由があるのか。
今までそんなこと考えたことがなかった。別に何かをしようと思ったことはない。ただこのファンタジー世界を楽しみたかっただけだ。
だけど人よりもこの世界に少しだけ詳しくて、何も知らなくて、だけど先を知ることができる。だから何かをしないといけないと無意識のうちに思っていたのかもしれない。
「そっか、私、別に何もしなくてもいいんだ」
そう口に出してみるとストンと心に何かが落ちるのと同時に、砕けた口調にとてつもない違和感を覚えた。
私はもうすっかりエレナになってしまったんだ。エレナとしてこのままただ生きていけばいいのだ。
だけど気になることは今まで通り知りたい。調べよう。
変わったのは心の持ちようだけ。きっとすることはこれまでもこれからも変わらない。だけどまるで生まれ変わったかのように頭の中がすっきりしていた。
微かな音が聞こえ、私は呼んでいた本から顔を上げた。今年もこの日がやって来た。そろそろかと思って最近はアリアには早めに下がってもらっていたのだ。
画面に表示された応答の文字をタップ。
「もしもし」
「久しぶり。元気?」
電話の向こうからはかつての私の声が聞こえた。
「ええ、元気よ。早速だけど、ヘンドリックお兄様のことを聞きたいの」
「本当、早速ね。まあいいよ。時間はあまりないしね」
電話をするたびに向こうのエレナの口調が段々と軽くなっていっているのが分かる。だけどきっと向こうも同じように思っているのだろうなと思う。
「エレナはヘンドリックお兄様からどんな扱いを受けていたの?」
「そうだね、多分思っているほど酷くはないと思うよ。直接暴力を振るわれたことなんて数えるほどしかないし。だけど殺されるって思ったことは何回もあるね」
暴力振るわれたことあるんだ……。突き飛ばされたあれは暴力に入るのかな。
「上のお兄様はすごく私を憎んでいたようだったね。会うたびに憎悪で満ちた目で私を見て、言葉を交わすのすら嫌みたい。ほんっとうに今にも殺されそうな目を向けられていたよ」
「小さい頃から?」
「小さい頃は結構嫌味も言われていたよ。少しでも手が触れるようなことがあったら殴られることもあった。でも大きくなるにつれて関わることもなくなってきたし、嫌味すらなくなったね。どんなに成長してもあの目だけは変わらなかったけど」
……手が触れただけで殴られる。それを想像するとぞっとした。五歳年上のお兄様。小さな子供にとってそれがどんなに大きな差なのか。
私の知っているヘンドリックお兄様とは別人だ。最初は結構酷かったけどだけどそこまでではなかった。カミラへの態度について文句を言っていたのはこういうことか、とようやく理解した。
「それで、上のお兄様がどうしたの? 殴られた?」
「いえ、殴られたことはないのだけど……」
今私がヘンドリックお兄様と仲良くしていることは言ってもいいものなんだろうか。エレナにとってはとても複雑な問題なのではないだろうか。考えて、私の口から出たのは質問だった。
「ヘンドリックお兄様のこと、恨んでる?」
これを聞くのはなかなかに勇気のいることで、私は声が震えないようにするのに必死だった。だけど返って来た声はあっけらかんとしていた。
「別に。何とも思ってないよ。上のお兄様にも事情があったみたいだし」
「……そう」
その声で私は素直に言う決心ができた。
「ごめんなさい、実は今ヘンドリックお兄様と結構仲が良いの。わたくしの部屋の隣にお部屋を作るくらいには」
沈黙。なんと言っていいのか分からない私と、おそらく驚いているであろうエレナ。長い長い沈黙が降りた。
「…………は?」
「えっと、だからね、仲が良いの。卒業パーティーでエスコートもされたわ」
「ごめん、ちょっと理解ができない」
「ええ、そうだと思うわ。だけど本当なのよ」
困惑を含む声に私は重ねて何度も言う。別に、だから何と言うわけではないけど。
「うん、まあ、いいよ。謝らなくても。もう愛玲奈の人生なんだから。それよりもっと有意義な話をしよう」
そうエレナが言った途端、ジジッとノイズが入った。あああ、貴重な数分間なのに! 今回は月を見上げていないが、もう時間はのこされていないことが分かった。
「エレナ、わたくしは何をしたらいいのかしら?」
「何かをしないといけないの? 愛玲奈は私から何が聞きたいの?」
「え……?」
「別に何もしなくていいじゃない。ゲームの情報を集めなくてもエレナとして生きていくことはできるでしょう?」
……それは確かに。思えば別に私が何かをする必要なんてない。自分が何を目指しているのかも分からない。それなのに何かをしようとしている。私は何も言葉が出なくなって、黙り込んだ。エレナも何も言わない。少しの間、ぐるぐると考えていると、突然プツッと微かな音が耳に届いて、ツーツーツーツーと無機質な音が聞こえた。
あ、電話切れちゃった……。ポスンと携帯を布団の上に投げ、私は再び考える。
私は何をしたいのか。何の情報が欲しいのか。何かをしないといけない理由があるのか。
今までそんなこと考えたことがなかった。別に何かをしようと思ったことはない。ただこのファンタジー世界を楽しみたかっただけだ。
だけど人よりもこの世界に少しだけ詳しくて、何も知らなくて、だけど先を知ることができる。だから何かをしないといけないと無意識のうちに思っていたのかもしれない。
「そっか、私、別に何もしなくてもいいんだ」
そう口に出してみるとストンと心に何かが落ちるのと同時に、砕けた口調にとてつもない違和感を覚えた。
私はもうすっかりエレナになってしまったんだ。エレナとしてこのままただ生きていけばいいのだ。
だけど気になることは今まで通り知りたい。調べよう。
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