池に落ちて乙女ゲームの世界に!?ヒロイン?悪役令嬢?いいえ、ただのモブでした。

紅蘭

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雨の朝

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ぴちゃぴちゃという水音で目が覚めた。べたべたする体に張り付く服と髪。なんでこんなに暑いんだと思って、そして思い出した。

昨夜は自然を感じたくていつも設置している温度管理の魔法陣を撤去して、窓を開けて寝たのだ。

そりゃ暑いはずだ、と思いながらベッドを出ると、向こうのベッドからはまだ寝息が聞こえて来た。時間はまだ五時前。早起きが習慣になってしまっている。もう一度ベッドに入ってももう眠ることはできないだろう。

温度管理の魔法陣を設置し、窓を閉めに向かう。窓の外はしとしとと雨が降っていた。薄暗く靄のかかった中でかすかに見える緑。音を立てずに窓を閉め、私は静かに部屋を出た。

あの雨の中を歩きたいと思った。アリアはまだ寝ているだろうから呼ばない。すぐに帰ればばれないだろう。

屋敷の中はまだ寝静まっていた。ちらほらと働く使用人の姿が見えるが、誰もが音を立てずに動いている。この朝の雰囲気は、旅行に出発する日、世の中の皆が寝ている時間に起き出し、お母さんと一緒に家を出たあのいつかの日と同じだった。

わくわくした。

そっと扉を開けて外に出る。ぬるい雨に当たると言いようのない気持ちよさが込み上げてきた。

鼻歌を歌いながら庭を歩く。ただ歩くだけなのに楽しくて仕方がない。まるで悪いことをしているかのような背徳感を覚えるが、それすらも楽しい。特に何を見ることなく、あちこちを歩き回る。少しすると山の向こうに朝日が顔を出した。

足を止め、眩しさに目を細める。雨はまだ止まない。向こうの空だけが明るく、私の上の空は真っ暗で。全身ずぶぬれで、ぬれた髪はぺったりとくっついている。だけど不快ではない。王都でも朝日を見ることはあったが、それとはまったく違って見えた。


「おはよう、エレナ」


太陽が全て山の上に出た頃、突然後ろから声が聞こえた。全然気が付かなかったことに驚き、そしてこんな姿を見られたことに焦りを感じた。

言い訳を考えながら慌てて振り向く。


「おはようございます、おばあ様」


いつからそこにいたのか分からない。だけどおばあ様も私と同じく、使用人を一人も連れず、そしてずぶぬれだった。


「おばあ様、濡れているではありませんか。お風邪を召してしまいますわ。早く中に入りましょう」


やばいやばい、お年寄りが体を冷やすなんてよくない。慌てて屋敷の方へと促す私の手をおばあ様はそっと取った。


「大丈夫よ。あなたがあまりにも楽しそうで気持ちよさそうだったから、わたくしも濡れてみたいと思ったの」


私のせいか! 確かに楽しくて気持ちいいけど、こんなことするべきではない。というか絶対に怒られると思ったのに、一緒にこんなことをするっておばあ様もちょっと変わってる……?


「だけどおばあ様、こんなところアリアに見つかったら怒られちゃいますわ」


そう笑って言うと、おばあ様も「そうね」と笑った。お茶目なおばあ様だ。


「じゃあ見つからない内に中に入りましょうか」


おばあ様の言葉に頷いて、一緒に屋敷の方へと向かう。正面玄関に着いた時、ちょうどアリアがタオルを持って出て来た。あ、これしっかり見つかってるじゃん。


「おはようございます、奥様、エレナ様」

「ええ、おはよう」


表情はいつも通りに見えるが目が怒っている。アリアは何も言わずに私たちにタオルを一枚ずつ渡した。そして扉を開ける。


「この雨ももうすぐ止むわ。よかったらカミラやクリスも誘って午後に外でお茶でもいかがかしら?」

「ええ、ぜひ!」


なんと嬉しいお誘いだ。しかも外で! 大きく頷くと、おばあ様は「じゃあまたね」と言って歩いて行ってしまう。


「あの、おばあ様!」


私が慌てて引き留めるとおばあ様は嫌な顔一つせずに足を止めて振り返った。


「こちらはとてもいいところですわね。雨がこんなにも楽しいと思ったことは初めてですわ」


どうしても伝えたかった。一緒に濡れてくれたおばあ様に。おばあ様はふふっと笑うと「わたくしもよ」と言って、去って行った。残された私は自然と頬が緩んだ。が、後ろから怒りオーラが伝わってくる。

……とりあえず部屋に戻ろう。小言は座って聞きたいもんね。私はアリアの顔を見ずに、部屋へと歩いた。



部屋に戻るとクリスはまだ寝ていた。気持ちよさそうに寝るその顔に落書きをしたくなる。が、そんな品のないことはしない。水魔法で手っ取り早く体に付いた水分を取ってしまい、アリアの方へ椅子を向けて座る。完全にお小言を聞く体勢だ。

だがアリアは「何をしているんだ」と言いたそうな顔で私を見た。


「あら、お説教はなしなの?」

「怒って欲しいのですか?」


そう聞くアリアからはもう怒りオーラは出ていない。じゃあさっき怒っていたのはなんだったんだろう。まあ説教がないならいいや。


「いいえ、無理に怒らなくてもいいわ」


そう言って立ち上がるとアリアはポツリと言った。


「エレナ様が雨に濡れることで冷えてお風邪を引かれるのでは、と心配しました。怒りたい気持ちはあります。ですが、エレナ様があまりに楽しそうでしたので」

「……そうね、楽しかったわ」


王都では感じたことのない静かな高揚感。この空気にこのまま溶けてしまいたいと思えるほどに澄んだ世界。日本でも王都でも感じない、自然との一体感。

私はこの場所が好きだ。


「朝食の時間まで勉強するわ。何かあったら呼ぶからアリアも下がっていいわ」


そう言うと頭を下げて部屋を出て行くアリア。この非日常に埋もれて日常を忘れてしまわないよう、私は必死にページをめくった。
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