池に落ちて乙女ゲームの世界に!?ヒロイン?悪役令嬢?いいえ、ただのモブでした。

紅蘭

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交渉

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図書室の扉を開けると、紙とインクの香りが鼻を抜ける。ベアトリクスは椅子に座って本を読んでいた。

小さな声で名前を呼ぶと、ベアトリクスは顔を上げて私を見た。そして顔をしかめた。人の顔を見てそれは失礼だな。


「読書中申し訳ありません。キリの良いところで少々お時間よろしいでしょうか?」


ベアトリクスは開いた本を持ったまま、少しの間私の顔をじっと見つめた。そして深いため息を吐くと本を閉じて立ち上がった。

あれ、逃げられた?


「ベルメール先生、こちら借りてもよろしくて?」


と思ったが、どうやら本の貸し出し手続きをしに行ったようだ。


「もちろんですわ。その本とても面白いでしょう?」

「ええ。想像以上にね」


へえ、ベルメール先生と仲良さそうじゃん。私が思っていた以上にベアトリクスは図書室に通っているようだ。成績もどんどん上がっているようだし、いい傾向。


「場所を変えましょう」


本を手に持ったベアトリクスは不機嫌そうな表情のまま私の横をすっと通り抜けた。すぐに話を聞いてくれるようだ。ベアトリクスにとっては楽しい話じゃないだろうし、先ほどのあの感じだと聞いてくれないかも、と思っていたが杞憂だった。

ベアトリクスも少しは先に希望を持っているんだ。よかったよかった。なんて思っていると、ベアトリクスはチラッと私の顔を見て呟いた。


「あなたはとてもしつこいもの」


なんやねん! そんな理由かい!

思わず心の中でそうツッコむ。

……まあいっか。大事なのは結果だ。


「申し訳ありません」


にっこりとしてそう言うと、ベアトリクスは更に嫌そうに顔をしかめた。


場所を変えて私たちの部屋。三人でテーブルについてお茶を飲む。口火を切ったのは意外にもベアトリクスだった。


「それで、先ほどの件かしら?」

「ええ、レオン様とマクシミリアン様にお話を伺って参りました。率直に申し上げます」


今更遠回りな言い方をする必要もない。とりあえずベアトリクスをその気にさせるのが一番だ。


「クラッセン公爵家と縁を切ってくださいませ」

「嫌よ」


はい、きっぱり否定されました。まあそんなこと予想済みだ。


「ベアトリクス様も死んだ方がマシだとおっしゃるのですか?」

「……誰がそう言ったのかは分からないけど、別にそういうわけではないわ」

「ではどうしてなんです?」


横からクリスも入ってくる。さっさと理由を言ってくれとでも言いたげな、急かしているような口調だ。ベアトリクスの煮え切らない返事に少しイライラしているのが分かる。

クリスにしては珍しい。二人の相性はどうしてもよくないらしい。


「まさか家族が皆処刑されるんだから自分だけ助かるなんて、って思ってます? 今まで散々好き勝手してきたんですから、今回もそうしたらいいじゃないですか」


……わあ、辛辣。確かにその通りだと思うけど、せめてもう少し言葉を選んで欲しい。

ベアトリクスはクリスの言葉に怒った様子など全く見せずに言った。


「だから、よ」

「はい?」

「わたくしは今まで好き勝手してきたの。傲慢な態度で人を見下し、理不尽なことも言ってきた。お父様が不正で得た利益だって享受しているわ。罪を犯して処刑されるというのなら、わたくしこそ処刑されるべきなのよ」


言葉が出なかった。まさかベアトリクスがそういう風に考えているなんて思ってもいなかった。

てっきりこの先の未来を憂いてのことかと思っていたが……。


「それにわたくしはきっと家を縁を切ってこの先を生きていくことはできないわ。一人じゃ何もできないもの。自分で分かるわ」

「その点では心配に及びませんわ」


私がそう言うと、ベアトリクスは怪訝そうな顔で私を見た。何か聞かれる前に口を開く。


「その時はわたくしもご一緒いたしますもの。一人では無理でも二人なら余裕ですわ」

「三人だよ」


クリスが手を上げて言う。やはり譲る気はないようだ。


「あ、あなたたち……! 何を言っているの!? ご自分の言っていることが分かっているの!?」


驚きのあまり、ガタリと音を立てて立ち上がるベアトリクス。その反応は予想の範囲内だ。


「ええ、ベアトリクス様にお辛い道を勧めているのはわたくしですもの。そのくらいの覚悟はありますわ。無責任におっしゃっているわけではありませんの」

「そんなこと……っ! なおさらそんな決断できないわ。あなた達を巻き込むなんて……」


ベアトリクスは一転、落ち着いた声でそう言うと力なく首を横に振った。


「ベアトリクス様」


こういう展開は予想していた。ベアトリクスが申し訳なく思うことも大体想像通り。だから私はそれを打開できるようなことを考えて来たのだ。


「わたくしいくつか夢がありますの。その中に、身分や立場を気にすることなく王都から離れた田舎で穏やかに過ごす、というものがありますわ」


わざとちょっとしんみりした雰囲気を醸し出してみる。これできっと納得してくれるはずだ。


「穏やかに流れる時間の中で、畑を耕し、狩りをし、お昼寝をして、そして一日を終える。誰にも何にも縛られることなく。そんな日常の中に大切なお友達がいたらきっとそれはとてつもなく幸せな時間ですわ。そう思いませんこと?」

「エレナ……」


どうやらクリスの心には響いたみたいだ。よし、これでベアトリクスも……。そう思った時だった。


「思わないわ」


ズバッと雰囲気を切り裂く声がきっぱりと言い切った。


「そんな生活しなくてもエレナには幸せな未来が待っているじゃない。畑を耕す必要も狩りをする必要もないわ」


……今の雰囲気は絶対にジーンとして「わたくしそうしますわ!」ってなるとこでしょ。ロマンの分からないベアトリクスだ。畑を耕すのも狩りをするのもきっと三人なら楽しいだろうに。

ため息が出そうになった。と言うか、出た。


「そうですね。確かにそんな必要ありませんね」


少し拗ねたような言い方になってしまったが、今更取り繕う必要などあるまい。


「そんな幸せな未来が嫌だとおっしゃるのでしたら、ベアトリクス様はその魔力の見える目を大いに活用し、国の為に働いてくださいませ。王都から離れることはできませんので、辛い道にはなりますが、ベアトリクス様にとっては罪滅ぼしにちょうどいいのでは?」


ぶすっとしたままそう言うと、ベアトリクスは何を考えているかよく分からない表情で立ち上がった。


「……エレナやクリスの気持ちはとても嬉しいし、そのくらいわたくしの未来を考えてくれていることも分かるわ」

「でしたらこの先のことを前向きに考えてくださいませ」


別に感謝なんていらない。私が勝手にベアトリクスに生きていて欲しいと思っているだけなのだから。

ベアトリクスは頷くと、小さな声で「ありがとう」と言い、部屋を出て行った。その唇が泣きそうに震えていたような気がしたのは、私の見間違いかもしれない。
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