紅蓮と黝

皆中透

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さくら

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「えーっと、穂村、水町に酒とか飲ませてないよな?」

 踊っているというよりは、踊り狂うに近い状態の水町を見ながら、二人は少々絶句していた。何がそんなに楽しいのかが全くわからないほど、踊っている。そしてとにかく笑う。
 酔っ払いにしか見えないその謎の行動を、説明してもらわないことには、他のことが考えられなかった。

「もしかして、今日時々テンションがおかしかったのは、水町じゃなくて他のどなたかが表に出ているからって話ですか? ていうか、もしそうだとして、そもそもあなたはどなたですか?」

 綾人がそう尋ねると、水町はくるっと振り返り、ニコッと花が咲くように笑って答えた。

「私は、所謂縁結びの神様です。名前はさくら。穂村くんと貴人様の関係と、全く同じだと思ってもらったらいいでしょうね」

「さくら……様ってことですか? さくら様……あれ、さくら様って呼んでも、何も頭に思い浮かばないな」

 綾人は貴人様の名前を初めて呼んだ時、急に記憶が蘇ったことを思い出した。でも、今さくら様と読んでみても、何も思い出せない。過去に関わりがあったわけではなかったのだろうか。
 必死になって記憶を探ってみたけれど思い出せず、うんうん唸っているとさくら様はそれに答えてくれた。

「実は、私と綾人が直接話をしたことは、これまで一度も無いのです。私は貴人様と綾人の縁を結んだだけ。その縁が壊れないように、監視してるって言えばわかりますか?」

「え? それってつまり、貴人様は俺に断りもなく、一方的に俺と縁結びしてもらってるってことですか? 元々何か繋がりがあってとかじゃないんだったら、俺にも最初に説明してくれたら良かったんじゃ……」

 綾人は少し憤慨していた。自分の知らないところで勝手に誰かと縁を結ばれている。なぜかそれがとても理不尽に感じた。何気なく発したその言葉だった。しかし、それは大きな失言だったようだ。
 それを聞いたさくら様は、途端にスッと冷めた顔をして、地響きのような低く重たい声で、綾人を一喝した。

「お黙りなさい、罪人よ」

「えっ?」

 水町の体から出たとは思えない、重低音が空気を圧してきた。腹の底の方に感じる圧力が、息を吸い込みにくくする。その圧迫感だけで、大きな罰を受けているようだった。

 さくら様はカッと目を見開いて、綾人にその視線をまっすぐにぶつけている。髪がふわりと舞い上がり、その怒りの度合いを表しているようだった。
 怒気はその身の回りに、薄紅色の光の帯となって纏わりついている。温度も高く、見た目も舞い上がる炎のようだった。そして、それと相対するように、周囲の空気は小さな破裂音を出しながら急激に冷え込んでいった。

「お前は、本来ならとっくに地獄に送られているはずの人間です。それも次の転生までかなり長い期間落とされているはずだったのです。それを、貴人様が救ってくださったのですよ。彼の方は、お前に最も負担の少ない方法でチャンスをお与えになった。それをなんという言種ですか。感謝しこそすれ、貶めるなど許されません」

 そう言い切って、クイッと顎を上げながら綾人を見下ろした。その目を見た綾人の背中に、激しい戦慄が走った。まるで蛇のような瞳孔の狭まった目の奥には、深い怒りの色が秘められていた。

 骨が震えすぎて崩れてしまうのではないかと思うほどに、強い恐怖が襲って来る。冷たい空気が、綾人の肌をピシピシと凍らせていく。その矛先がだんだんと心臓に近づいて来た。
 身動きが取れず、謝罪するにも恐怖で口が開けず、どうすることも出来ない状態になっていた。

——まずい、このままじゃ死ぬ。せめて、瀬川を助けないと……。

 そう考えていると、久しぶりにあの声が聞こえた。穏やかで、軽やかで、雅で優しい、貴人様の声だった。

「さくら、綾人に謝罪くらいさせてやれ。恐怖で口が利けぬようになっているぞ」

 震える綾人の前にスッと歩み出てきた人は、右目が赤くアザが無かった。貴人様はさくら様に向かって雅に微笑むと、さくら様は次第に冷気をおさめ、徐々に元の姿に戻っていった。

「よろしいのですか? 貴方様への冒涜です。記憶も無いのですから、そこまで大事にされなくてもよろしいかと」

「この時代の人間は、神に対しての礼儀作法を知らないのだ。知らないことをやれというのは、なかなかに酷よ。二度は赦せ。罰するなら三度目だ」

 さくら様は目を閉じると、呆れたような表情を見せた。そして、諦めたように微笑むと、綾人の方へと向き直った。

「綾人。神には安易に約束を交わさないように。お前は最初の人生で一つ約束をしていながら、それを破りました。その罪が大きすぎるのです。いいですね。繰り返します。安易に神と約束をしないように」

 綾人は、少し前にタカトからその言葉を聞いたことがあったのを思い出した。

『神様にはお願いはしてもいいけど、交換条件をのまないことが大事なんだって。もし満願成就した時にその条件が満たされないと、命を失うかもしれないらしいよ』

 それじゃ悪魔と変わらなくないか? という話をしたことがあった。あれは本当の話だったのかと思うと、ゾッとした。

「二度目の転生って、あの夢の子供の時だよな……腹が減って略奪したって話だった」

 すると、さくら様は眉をグッと下げ困ったような表情をしてみせた。そして大袈裟にため息をつくと、ほんの少しだけ砕けた態度を見せた。

「いやいや、あなたね、食べ物を奪ったくらいで、いちいち転生しなければならないほどの罰を背負わすわけがないでしょう。その略奪行為には、命も含まれているのですよ。殺戮ですよ」

「え、俺はあんなに小さい頃に、人を殺しているんですか? 殺戮って……大量にってことですか?」

 驚いた綾人がさくら様に問うと、厳しい顔をしたさくら様が頷いて見せた。

「そうです。あなたの二度目の人生は九年という短さでしたが、その間に一つの村を滅ぼすくらいの人数の命を奪っています」

「そんな……俺、そんな酷い人間だったんですか……?」

 あの夢の感じだと、確かに今の小学校に入ったばかりくらいの感じだった。声変わりもしていない、小さな子供だった。そんな時に、殺人……。綾人は今でも過去を思い出せていないため、初めて知った事実に驚いてしまった。

——俺は殺人鬼……

 綾人は、少なからずショックを受けていた。

「綾人。お前は生まれた環境がもっと恵まれていたら、せめて飢えていなければ、自分は人を殺したりしなかったと俺に訴えた。それで俺は、お前に一度飢えと無縁の人生を送らせてみようと思ったのだ。それが今世のお前の人生だ。この人生によって、お前の魂に記録されている罪は随分減っている。それは浄化の儀式の辛さが減じていることでわかっているはずだ」

 貴人様は、綾人の髪を撫でながら、じっと目を見つめていた。その目の奥に、一つの提言が見て取れる気がした。

『闇に呑まれるな、光を見よ。どれほど堕ちる条件が揃おうとも、光を見続ける勇気を持て』と。

「お前は、環境が整っていれば人は殺さない。それだけでなく、人を救うことができる人間だ。修羅を抜け出し、天人を目指す。それがお前と俺との過去の約束だ。それが果たされていないことが、最も大きな罪となってる。次の節分までに、必ずやり遂げろ」

 そう言って、綾人をぎゅっと抱きしめた。とても暖かい抱擁の中に、残酷な言葉が含まれたいることに、綾人は改めて思い知らされていた。
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