夢の続き

ぽてち

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高見沢東吾の場合

6、美咲の訪問

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 擦れた声で、「水が飲みたい」とぐったりと枕に顔を埋めながら、言うアシュリンから名残惜しそうに体を離して、そのまま部屋を出ようとした。

「東吾……服くらい着て行け」
「ですが、また……いえ、はい」
 キッと睨まれて、渋々Tシャツとハーフパンツを穿く。
「水でいいですか? 炭酸水もありますが」
「炭酸水が良いな」
「分かりました」
 部屋から出ると、磨きこまれたチーク材の階段を下りて行く。

 東吾の家は祖母の藤子の趣味が遺憾なく発揮されたチューダー様式の家で友人を連れて来ると大抵驚かれた。
 東吾の友人も裕福な家の子女が多いのだが、剣道場を有るのに洋風の家というギャップに驚かれるのだろう。

 キッチンに入り、冷蔵庫から炭酸水を二本取り出す。
 一本を開けて一口飲む。キンキンに冷えた炭酸水は無糖なのだが、酷く甘く感じられる。
 自分も喉が渇いていたのだろう、半分まで飲み干して、二階を見上げる。
 キッチンのカウンターに置かれたアンティークの置時計は三時を過ぎたところだった。

 母親の紗耶香は姉の茅夜と歌舞伎に出かけた。なんでも姉は夫と行く予定だったが、突然仕事が入っていけなくなったので、急遽紗耶香を誘った。
 夕食も外で食べてくると言っていたから遅いだろう。
 祖父母も親族の祝い事に呼ばれている。

 もう一回くらい出来るか。

 緩みそうになる口元を何とか引き締める。
 アシュリンが怒りそうだが、宥めればと思う。
 シャワーを浴びて、家族が帰ってくる前に夕食に誘いだそう。

 炭酸水の残りを飲み干し、部屋に戻ろうと廊下に出ると玄関ホールからドアの開く音がした。
 ぎくりと振り返ると紗耶香と茅夜、祖父母と…なぜか美咲が入ってきた。

 茫然と立ち尽くした。

「ただいま……あら、東吾。今起きたの?」
「東吾。美咲さんが差し入れを持ってきてくれたわよ。あんたが好きなガトーショコラよ」
 将正は玄関に置かれたアシュリンの靴を一瞥した後、道場に向かった。

 東吾はどっと脂汗が出て来るのが分かった。
 それほど間を置かずに戻ってきた将正は渋い顔で東吾を見る。
「アシュリンはどうした、東吾?」
 美咲が息を呑むのが分かった。
「……俺の部屋にいます」
 紗耶香と茅夜は目を見開き、藤子は「あら、まあ」とおっとりと呟いた。
 美咲は顔色を白くさせて震えている。

 将正は嘆息すると
「連れてきなさい」
 短い言葉だったが有無を言わせぬ強さがあった。
「……はい」

 浴室に行って、散らばっていたアシュリンの服を拾って自分の部屋に向かった。
 背中に突き刺さる様な視線を感じながら。




 美咲は東吾の家に向かっていた。
 最近、いやあのガーデンパーティーから東吾の様子が変わった。

 今までも忙しかったが、月に2回は会えたし、返信が遅れてもSNSでのメッセージにはちゃんと応えてくれた。
 電話もつながったのに、素っ気ないSNSのメッセージが返ってくるだけだ。
 忙しいのだと納得させていたがそれだけではない気がした。
 今日も休みのはずなのに疲れているからと会うことを拒絶された。

「あら、美咲ちゃん?」
 後ろから声を掛けられて、振り向くと東吾の母親の紗耶香と紗耶香によく似た若い女性が立っていた。

 二人とも訪問着を来ていた。
 紗耶香は本紫の貝散らし文に茅夜は紅桔梗に辻が花の華やかな装いだった。
 紗耶香も茅夜も目鼻立ちのはっきりした美人なのでよく似合っていた。

「お母さん、こちらは?」
「東吾の彼女よ。美咲ちゃん、こっちは東吾の姉の茅夜よ」
「はじめまして、東吾さんとお付き合いしてます能条美咲です」
「東吾の姉です。東吾がいつもお世話になってます。あの子我が儘だから大変でしょう?」
 艶やかな笑みを浮かべて笑いかけてくる茅夜に「いえ、そんなことは」と首を振る。


 そこにタクシーが家の前に止まると将正と藤子が下りてきた。
「お義父さん、お義母さん早いですわね」
 夜まで帰ってこないはずの義両親に目を丸くする。
「藤子が美弥子と喧嘩してな」
 苦笑いを浮かべる将正に藤子はぷりぷりと怒っていた。
「わたくしは悪くありません! 美弥子さんが無礼なんですわ!」
「どんなことで喧嘩したのですか?」
 紗耶香も少し苦笑して聞くと、藤子はチラッと茅夜の方を見て「そんなことどうでもいいでしょう」と口を噤んだ。

 茅夜は何かを察したらしく俯いた。
 茅夜は結婚して十年が経つが子供がいない。兄である正人も結婚しているが同様に子がいない。
 その事を美弥子がよく嫌味を言っているのを知っている。

「ケーキを買ってきたのよ、美咲さんも一緒にどうかしら?」
 にこりと笑う藤子に美咲も笑顔で応じる。
「私もガトーショコラを買ってきました」
「あら、気が合うわね。私は苺のミルフィーユなのよ。良かったわ、かぶらなくて」


 家に通じる門のセキュリティーを解除して藤子が入っていく。
 道場に直接いける入口とは違い、こちらは綺麗に整ったイングリッシュガーデンが広がっている。

 重厚なアンティークの扉を開けると茫然としたようにこちらを見る東吾が立っていた。
 Tシャツにハーフパンツという随分ラフな格好だ。

「ただいま……あら、東吾。今起きたの?」
「東吾。美咲さんが差し入れを持ってきてくれたわよ。あんたが好きなガトーショコラよ」
 玄関には白いミュールが置かれていた。
 それを目にした美咲はすうと血の気が引くのが分かった。

 同様に白いミュールをちらと見た将正が玄関横の入り口を入って行って、すぐ戻ってきた。
「アシュリンはどうした、東吾?」
 美咲は、自分が息を呑むのが分かった。

「……俺の部屋にいます」
「連れてきなさい」
「……はい」
 東吾が自分の部屋でなく奥に向かった。
 手には女性の服と下着を持っていた。

 もう、何があったか誰の目にも明らかだった。
 藤子は溜息をつくと「美咲ちゃん入って頂戴」と促した。
 美咲は機械的に頷くとリビングのソファーを勧められた。

「あの子が浮気するなんて」
 ぽつんと茅夜が呟いた。
「馬鹿な息子でごめんなさいね、美咲さん」
「いえ、……お母さんに謝ってもらうことではありませんから」
「どんな子なの、アシュリンと言う子は? 若い子のようだけど、彼女がいる男に手を出すなんて相当性格の悪い子なの?」
「……いや、今どきの若者には珍しく礼儀を弁えた少女だ」
「そうね、外国人だけど、敬語も流暢に操っていたわ。中渡さんも鷹人さんも気に入っていた様だしね。……まさか、東吾が」
「……アシュリンが来る日は必ず、東吾は道場に顔を出していたな」
 シンと静まり返った。
 



 アシュリンは微睡みかけたところで東吾に起こされた。
 さっきと違って酷く顔色が悪い。
 差し出された炭酸水を礼を言って受け取ると一気に飲み干した。

「どうかしたのか?」
 少しだけ意識がすっきりする。
「……母親たちが戻ってきました。美咲も一緒です。祖父に貴女を連れてくるように言われました」
 嘆息すると東吾が持っていた服を身につけ始めた。

「アシュリン、貴女は帰って下さい。後のことは俺が話をつけます」
「そうもいかないだろう。……結婚するのだから」
 立ち上がると股の間を血の混じった白濁が白い太腿を伝う。溜息をついてティッシュで拭う。
 ワンピースを着ると髪を手串で整える。


 階段を降りて、リビングに入ると皆こちらを見ていた。
 美咲は蒼褪めて顔でアシュリンと東吾を見ていた。
 アシュリンを庇うように立つ東吾を退かせて、床に座ると手をついて頭を下げた。

「美咲さん、ごめんなさい」
「……分かっていてやったのでしょう。何に対して謝っているの?」
「貴方を傷つけたこと、順番を違えた事に対してです」
 かっとなった美咲はアシュリンを目掛けて手を振り上げた。
 寸前で東吾に止められた。

「東吾!」
「お前……いったい誰に手を上げようとした?」
 アシュリンは非難するような声を上げ、東吾は今まで聞いたことも無いような冷たい声と表情で美咲を見ていた。
 そんな東吾に美咲は顔を歪める。

「私の事をどう思っていたの、東吾?」
「聡い女だと思った。一緒にいると居心地が良かった」
「愛してはいなかったんだね」
「……結婚してもいいと思うくらいの情はあった」
「分かった。……今までありがとう」
「傷つけてごめん」
「そんなに好きなの、その人のことを。会ったばかりなのに」
「……信じてもらえないかもしれないが、俺は前世の記憶があるんだ。その時からこの人しか愛していない。この人の為なら俺は自分の命さえ差し出せる」

 淡々とした口調だった。
 何の気負いも感じさせない、実際にそうしてきたとしか思えない感情のない声だった。
 それが酷く生々しかった。

「……命まではいらないんだが」
 アシュリンが困ったようにつぶやくのを東吾は見下ろした。
 笑っていた。
 酷く苦しそうな笑い方だった。

「そんな生き方したことがないんですよ、俺は」
「面倒臭い奴だな」
「貴女も好い加減諦めてください」
「……悪いが頷けないよ。お前の家族がいる前では特にな」
 男のような口調で話すアシュリンは不思議と威厳があった。
 当たり前のように年下のアシュリンに敬語を使う東吾もまるで違和感がない。
 それは不思議な絆を感じさせる光景だった。


「前世の記憶とはいったい……」
 呆気にとられた様にアシュリンと東吾を見ていた将正たちだったが、将正の質問に東吾がぽつぽつと語った。

 アシュリンに付き従った二つの人生を、どちらも若くして亡くなったアシュリンを追って自刃した件に女性たちは息を呑んだ。
「ないとは思いますが、私が先に死んだ場合彼を止めて欲しいのです」
 そう言ったアシュリンを東吾は仄暗い笑顔で見ていた。

 将正ですら、寒気を感じた笑顔だった。
 振り返ったアシュリンは東吾の表情を見て嘆息すると
「無理そうなときは私が彼を連れて行きます。お前に三度も自殺させるわけにはいかないからな」
「ありがとうございます、アシュリン」
「……礼を言うことじゃないんだが」
 困ったように首を竦めている。


「私はこれで失礼します。お幸せに…東吾」
 どこか毒気を抜かれた様に呟くと美咲は立ち上がった。
「いろいろとごめん」
「アシュリンさん、東吾を幸せにしてやってください」
「どうだろう? 俺は結局誰も幸せに出来なかったから」
 寂しげに笑うアシュリンに
「少なくとも今彼は幸せそうですよ」
 アシュリンの肩を抱く東吾は嬉しそうな顔をしている。
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