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花冠祭

23.神様の恋

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「リュジ、手伝って欲しいことがあるの」

 朝。朝食後、私はリュジの部屋を訪ねた。今日のリュジのスケジュールは完璧に頭に入っているので、朝食後に暇な時間が出来る、ということもきちんと理解した上での行動だ。
 リュジは突然の来訪に呆れたような表情を浮かべつつ、私を室内に招き入れてくれた。早速、と口火を切った私に、リュジは呆れた顔を更に渋くしてみせる。

「嫌な予感しかしない……」
「そ、そんなことないよ。変なことを頼むつもりじゃないよ」
「どうだか」

 し、信頼がない。少しだけ悲しくなるが、今までメルとして無茶ぶりをしてきたこともあるので、なんとも返事のしようがない。小さく呻いて、私は直ぐに首を振る。
 いや、これでへこたれていてはいけない。

「頼みたいことっていうのは、カイネ……兄様のことなんだけど」
「兄上の? 言っとくけど、花を渡す手伝いをしろ、っていうのは無しだからな。今まで一度も花を貰ってる所を見たことが無いんだ。俺が頼んでも、きっと貰ってくれない」

 リュジは赤い瞳をすがめて、それから小さく首を振る。

「というか、俺にそういう頼み事をしたら、いくらメルでも軽蔑するから」
「け、軽蔑まで行く?」
「そうだろ。だって、花冠祭の花を、他の奴に渡したいから手伝え、とか……、どう考えても最低だからな。だから、絶対にそういうのだけは無理」
「……なんていうか、その、頼みたいことは当たらずとも遠からずというか」
「はあ?」

 リュジが僅かに眉根を寄せる。流石に、私としても、リュジに真正面からカイネに渡すのを手伝って欲しい、だなんて言うつもりはない。むしろ、どちらかというと――。

「兄様が……他の人から、花を貰えるように、どうにかしたいなって思って」
「……他の人から?」
「そう。私だけじゃ無くて、兄様を好きな人からも」
「どうして?」

 どうして、とは。思わぬ問いかけに、一瞬だけ反応が遅れる。
 そんなの、決まっている。私はカイネに、自由でいてほしいからだ。母上に制限された生活を送るのではなく、好きな人を作って、その誰かと幸せに過ごすような――そんな生活を。
 そういった感情は、リュジに対しても思っていることでもある。推しであるリュジが、幸せで、優しくて、楽しい日々を送れるよう、私は尽力するのみである。

「――兄様だけ、好きな人を作れないのは、悲しいなあって思ったの」
「……」
「私はほら、リュジも兄様も、ユリウスも大好き。でも、兄様はそういうことすら、多分……口にするの、控えてるんでしょ?」

 朝早くの訓練所で、好きな人は? と問いかけた時の表情。僅かに曇って、そして返答をためらうような、そんな間を置かれたことを思い出す。
 あの時は私とカイネだけしか居なかったから、リュジとメルが好き、と言ってくれたのだろう。きっと傍に、他の――誰かがいたら、そこの答えすらはぐらかして、口にしなかったのではないだろうか。

 誰かの耳に伝わり、そこから母親へ伝わることを、危惧して。
 そうなった時、恐らく母親の怒りは異性である私に向かうだろうから。

「兄様も好きな人に好きって言えるようになってほしいの」
「……。メルの言い分はわかった、けど……」

 リュジは僅かに顎を引くと、僅かに困ったような表情を浮かべる。そうしてから、「エトラが……特定の誰かと付き合ったり、恋をしたり……、それに、子どもを為した話しがないのは、知っているよな」とだけ続ける。
 もちろん、知っている。創世神エトラの話は、メルの頭の中にきっちりと入っているからだ。

 創世神エトラには、特定の誰かとの浮いた話が一切無い。
 神話において、幅広く信仰される神様である以上、普通は枝葉のようにどこそこの神様と付き合ってるだの、だれそれと付き合っていてなおかつ子どもにほにゃららという神様が居て、みたいな話が続々と出てくるのが普通だと思うのだが、エトラにはそういった話を描いた文献があまり見られない。

 処女神――の、男性バージョン、みたいな感じなのだろうか。
 エトラに仕える四大元素の神に関しては、調べるとぽろぽろと色々な相手が居たことが出てくるのだが、エトラに関しては「配偶者は居なかった」で一貫している。

 でも、そういった話が、今の話題と何か関係あるのだろうか。首を傾げると、リュジは僅かに眉根を寄せた。

「……母上は、兄上を、エトラの……ううん、エトラと、思っているから。だから、エトラとして、生きて欲しいんだと思う」
「……えっ」
「俺は……、違うから。わからないけれど。そう言われたことは、無いけれど……。でも、多分、兄上は、ずっと、そう言われている」

 ――エトラとして、生きろ、と。
 そう言葉を続けて、リュジは小さく息を吐く。僅かな緊張の滲んだ声音に、リュジに無理をさせてしまったのだと、すぐに悟る。
 リュジからしたら、母親の話題はほとんど地雷のようなものである。化け物と誹られて育った彼に、母親とカイネの話を聞くのは、どう考えても酷い行動だった。

「……りゅ、リュジ」
「――良い。謝らなくても。……お前はもう、家族なんだから。家族のことは、知っておくべきだ。だろ?」
「……リュジ……」

 僅かに息を整えて、リュジはそれだけ言う。軽率な行動を恥じる言葉を、喉の奥に押し込んで、私はリュジの手に触れる。指先をきゅうっと握り絞めると、リュジは僅かな間を置いてから、同じように指を繋ぎ返してきた。

「ありがとう、リュジ。大好きだよ」
「メルの好きは、なんか……軽い」
「そ、そんなことないよ。本当だよ。本気だよ。私はリュジのためなら死ねるよ」

 慌てて言葉を繕うと、リュジがなんとも言えない顔でこちらを見てきた。ええっ。ど、どうして。私の愛情が一ミリも伝わっていない気がする。むしろなんか、こう、こう言えばリュジなら許してくれるんだろうなと思われているような愛情として捉えられている気がする。
 死にそう。愛情を伝える時と場所は選ぶべきかもしれない。枕詞のように使ってはいけない――なんて、心の奥底で強く思う。

 リュジは小さく息を吐くと、「なんだよ、それ」とだけ軽く笑った。そうして、言葉を続ける。

「メルの言う通り、俺も……兄上は、どうにかしたいと前から思っていて。だから、手伝えることがあるなら、手伝うよ。ただ、何かしらの策があるなら、という話になるけどな」
「策……策かぁ……」

 それを一緒に考えたくて、リュジを頼ったのだが。ううん、と唸りつつ、私は先ほどまでの会話を想起する。
 信仰心の強いトゥーリッキ夫人にとって、自分の元へやってきた、銀髪碧眼、星空の虹彩という三点を兼ね揃え、かつ、書籍で語られるエトルと近い容貌をしているカイネは、エトルそのものだと言う。
 だからエトルとしてのあり方をカイネに求めて居て、カイネもそれに応じている。

 恋を制限するのもそのためで、エトルには浮いた話が無かったのだから、カイネも異性と恋愛すべきではないと考え、婚約者も無ければ、花冠祭で異性に花を貰う、渡すことすら許さないと言うらしい。

 ――ここが、多分、つけ込める所なのだろう。

「……ねえ、リュジ」
「なんだよ」
「エトルが恋をしていたか、エトルに伴侶が居たことを書いてる本。何でもいいから、一つくらい、見つからないかな」
「……エトルに?」
「そう。もしあったら――、それで、どうにかなると思う」

 信仰によって子どもを制御するのであれば――信仰によって、その制御を解除することだって出来るだろう。
 信仰を逆手に取ったやり方である。
 それさえ見つかれば、あまたの説の内の一つだけだったとしても、状況を打破するきっかけの一つになるだろうから。

 リュジもなんとなく、私のやり口を理解したのだろう。「……見つからないと思うけどな」とだけ前置きして、「探してみる」と彼は続けた。
 私も、今日からでも探してみよう。
 道は切り開くものである。そう、――毒親による制御を、ここで! どうにか! するために!
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