忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛

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第一章「火付盗賊」

第四話「蛇女と怪力男」

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 蝮の善衛門の屋敷を後にした文蔵と粟口は、すぐに分かれてそれぞれの捜査にあたることになった。

 文蔵は同心見習い、しかも定町廻りの職務は今日が初めてある。本来その様な事は有り得ない。

 その有り得ないを実現したのは、今文蔵の横を歩いている男なのだ。

 その男、背は六尺を優に超え、すれ違う町人達より頭一つ以上飛びぬけている。しかもその四肢には筋肉がびっしりと纏わりついており、まるで金剛力士か仁王かといった風情だ。

 そしてその顔立ちはどんな鬼瓦なのかと思って見てみると、三座の二枚目の様な色男だ。

 この男、名を善三と言い、二代目蝮の善衛門の息子である。

「こうして一緒に歩くのは懐かしいねえ、文蔵……おっと今は服部様でしたな」

「善兄、前と同じで文蔵で構わんって。ま、他の連中と話す時は少しばかり俺を立てて欲しいがな」

「じゃあやっぱり服部様って言わなきゃな。ここは人の目が多いから、お侍さんにため口叩くわけにはいかん……いきませんからね。今の俺は服部様の岡っ引きなんだから」

 どの世界にも言える事であるが、蛇の道は蛇である。特に犯罪の世界は余人にはうかがい知れないものも多く、同心がどれだけ必死に捜査しても分からない部分が多い。そのため元やくざで改心した者を岡っ引きとして雇い、治安維持のために役立てる事は町奉行所で常態化している。元犯罪者、中には現役の犯罪者が岡っ引きとして幕府の役人たる町方同心の手先になる訳であるから、当然中には素行が悪い者も混じり、町奉行所の権威を利用して悪事を働く者もいる。そのため時の将軍吉宗は岡っ引きの利用を禁止するよう再三言っているのが、実態としては全く減っていない。

 所謂必要悪なのだ。

 その岡っ引きとして、大侠客蝮の善衛門の息子である善三が文蔵に協力してくれているのだ。

 先代の蝮の善衛門は町奉行所との馴れ合いを嫌い、彼の手下の中で岡っ引きとなってくれる者は一人もいなかった。にも関わらず新米の文蔵の岡っ引きに息子をさしだしてくれるというのであるから、先輩同心の粟口は仰天したし、彼の手下たちも驚いた。粟口の使う岡っ引き達も、元は名の知れた侠客揃いなのだが、蝮の善衛門と比べたら月と鼈だ。善衛門の屋敷に来る途中では、小者の一人も連れずにやって来た文蔵の事を密かに侮っていたのだが、善三が岡っ引きになった事で評価が完全に変わった。彼らの価値観においては、大侠客の息子が岡っ引きになると言う事はそれだけ重い事らしい。

 そして文蔵と蝮の善衛門達には何やらよんどころない関りがあるのは一目瞭然であり、彼らと一緒に行動する事を畏れてしまったのだ。

「しかし善兄が裏の世界に通じているなんて知りませんでしたよ。一緒に旅をしてる時はそんな素振りは見せませんでしたからね」

「いや、通じてねえよ。だって俺はただの芸人だもん。お前だって知ってるだろ? 俺の特技は怪力芸くらいのもんだって。親父が爺さんの後を継いでからも悪事に手は染めてねえしな」

「いやいや、善兄の軽業だって大したもので……って、どうするんすか。岡っ引きって裏の世界を色々知らないと出来ないんじゃ?」

「元々いた爺ちゃんの手下達からは色々聞いているし、何とかなるだろ。この辺りじゃ顔は効くし。お前も新米同心、俺も新米岡っ引きって事でちょうどいいじゃねえか。最近旅に出てないから退屈していたんだよ。お前だってそうだろ?」

「そうっすね。あの頃が懐かしくはあるかな」

 文蔵は、元はと言えば善三やその父達と長年旅をして来た仲間である。

 武士の子である文蔵が、何故善三達と旅をしていたのかというと、それは幼少期の事件が原因である。

 文蔵は端午の節句にお参りに行った帰り、何者かに拐かされてしまったのだ。供をしていた老僕は殴り殺され、幼き日の文蔵は連れ去られた。そして江戸を離れてどこか遠くの悪党の根城に閉じ込められたのだ。

 どうやら悪党どもは拐かした子供を何処かに売りつけているらしく、時間が経つにつれて共に幽閉された子供が入れ替わっていった。その時に売り物の印として腕に猪の目紋に似た刺青を施され、それを隠すために手甲をするのが習慣になっている。

 一緒に囚われていた子供と協力し、何とか逃げ出す事に成功したのだが山中を追われている内に散り散りとなり、里に出て来れたのは文蔵だけであった。

 そこに出くわしたのが善衛門達旅芸人の一座であり、それ以来十数年文蔵は旅芸人の一員として生きて来た。そして十数年経って江戸で芸を披露していたところ、見物人の中に文蔵がかつて行方不明となっていた服部家の嫡男である事に気付いた者がいて、面通しを経て親元に戻ったのであった。

 文蔵は一座で様々な芸を身につけ、特に軽業を得意にしていた。それを火事場泥棒退治の時に発揮したのだが、どういう訳か忍者と間違われてしまったのである。

「で、あてはあるんすか? 聞き込み先に。同心になったのは偶然だけど、お勤めは真面目にするつもりなんで。でないと、父上にも申し訳ないし、殺しなんて放っておく訳にもいかねえよ」

「おうよ、その点は心配しなさんな。元々あれはうちのシマで起きた事件だぜ。もう親父の手下が聞いて回ってるからよ。ああそうだ。朱音も今頃そっちに回ってるぜ」

「ああ、朱音さんもか」

 朱音は善三の妹で、旅芸人をしている時は蛇女や手裏剣の芸で人気を博していた。文蔵とは歳が近い事もあり、仲良くしていたものである。

「まだ嫁にも行かず、よく小屋で芸を見せているよ。もう二十歳を超えているから、もうそろそろ身を固めて欲しいんだけどな」

「朱音さんは美人だから、探せばいくらでも相手はいるっしょ」

 善三は意味ありげに言ったのだが、文蔵の返答はそれに一切気づかぬものであった。

 歩きがてら善三が言うところによると、見つかった死体の素性は一五郎という流れの芸人である。芸人と言ってもかつての文蔵や善三の様な真っ当な芸人ではない。

 いや、現在侠客の一味である善三は、正確には真っ当とは言い難いのだが、それとは全く違う。

 善三達蝮の善衛門の一家は、両国一帯を取り仕切る香具師として、見世物小屋の芸人達をあくどい奴らや杓子定規な役人達から守っている。

 それに引き換え一五郎は、行く先々で盗みや暴力、時には殺しまであらゆる悪事を働いているのだ。そのため正統派の侠客の間では廻状が回り、決して仲間にせぬように申し合わせていたのである。

「と言う事は、その正統派のヤクザ者が始末したって事っすか? そりゃあ粟口さんと一緒に来れないや。で、どうやってうやむやにすんの?」

「いやいや、んな訳ないだろ。少なくともうちの連中はやってねえな。付き合いのある他の奴らも知らんそうだ」

「へえ? まあ冗談っすよ」

 この様な冗談を軽々しく岡っ引きに向かって言うあたり、文蔵はまだ同心としてのありように慣れていないようだ。

「えーと、どこまで言ったかな。それでその一五郎の奴と繋がりのある、裏社会の連中を今聞いて回ってるって訳だ。絶対どこかで接点があるのは分かるはずだからな」

「なるほど、裏の連中と協力して対立組織に殺されたのか、それとも内輪揉めで殺されたのかは分からんが、まあ手掛かりにはなるな。ところで、あれは何だろう? 何か騒がしいが」

 文蔵が何か揉め事が起きているのに気付き、そちらの方を指さした。そう言われるが早いか、善三はそちらに向かって走り出した。この辺り一帯の顔役として鎮めに行ったのだ。その後を文蔵が追う事になる。本来同心たる文蔵の方が率先して動くべきなのだが、残念ながらまだまだ自覚に欠けている。もしもこの場に粟口がいたのなら、真っ先に駆け出していただろう。

「やいやい、てめえらここを何処だと思ってやがる。蝮の善衛門の縄張りだぜ。そこで揉め事を起こすたぁどういう了見だ!」

 騒ぎが起きている辺りには人だかりがあったのだが、善三が突撃していくと皆自発的に脇に避けていく。善三は巨体のうえ長年の旅のおかげで足腰も強く身のこなしが軽快だ。それが突っ込んで行くのであるから鉄砲玉の如しだ。ただの野次馬など威圧感でとても前に立ってられるものではない。

 人だかりが割れ、争っている者達が見えて来る。片方は三人組のどう見てもチンピラの類にしか見えない男達、もう片方は一人の妙齢の女だ。整った顔立ちをしているが、勝気な気性が顔から滲み出ており、普通の男はそれに気圧されて美女だとの印象を抱かないかもしれない。

 そしてこの女に文蔵は見覚えがある。

「朱音さんじゃないか。おい、てめえら。『葛葉屋』に喧嘩を売るとは言い度胸じゃねえか!」

「げ、八丁堀のやろ……ん? 葛葉屋?」

「おっと間違えた。この北町奉行所同心、服部文蔵の目の前で騒ぎを起こそうとはどういう了見だ」

 文蔵は十手を相手に向けながら言った。十数年ともに旅した懐かしい顔が見えたので、つい旅芸人をしていた時の感覚で啖呵を切ってしまった。まだまだ文蔵は同心としての心構えが出来ておらず未熟である。

「あ、文蔵じゃん。なーに? その恰好。お侍みたいにして」

「馬鹿、今の文蔵はれっきとした侍だぞ。昔みたいに気安く話しかけるんじゃねえ」

「朱音さん、善兄はこう言っているけど、気にしないでくれよ」

 男達と争っていた女は、善三の妹の朱音であった。彼女とは文蔵も古い付き合いであり、気の置けない仲だ。

「それで、こいつら何なんだ? 朱音さんに声でもかけて来たのか?」

 朱音は美人であるが気の強そうな顔をしているので普通の男では声をかけるなど出来やしない。だが、朱音が争っていた様な荒くれ者なら臆せず声をかけるだろう。

「いいや違うね。あたしが殺しの聞き込みをしていたら、知りたけりゃついて来いって言って来たのさ。怪しいだろ?」

「そいつは怪しいな。何か都合が悪いと見える」

「な、何の証拠があってそんな事を……」

「証拠なんてこれから確かめりゃあ良いじゃねえか」

 急な援軍の出現に、破落戸風の男達は気圧された様子だ。彼らの様に度胸千両の稼業の者はそうそう弱みを見せないものであるが、女一人を相手にするだけだったのに町方同心と六尺を超える巨漢が現れたのだ。こうなっても仕方の無い事だろう。

「こうなったら、お前ら! やっちめえ!」

 追い詰められてかえって腹をくくったのか、破落戸たちは懐からドスを取り出し、一斉に襲い掛かった。

 まず最初に刺されそうになったのは、文蔵に先立って走り寄っていた善三だ。善三が如何に巨漢であろうと、筋骨隆々の怪力無双であろうと、先んじてドスをぶち込んでしまえばそれでかたがつく。先制攻撃をかけるのは良い判断だと言えよう。

 だが、善三は単なる木偶の坊ではない。文蔵ほどではないが軽業を修業していて身が軽いし、第一に喧嘩慣れしている。この程度奇襲にもならぬ。

 破落戸はドスを突き出した途端手首を掴まれ、軽く捩じられてしまう。柔術の心得などない力任せの技であるが、それでも効果は覿面だ。ドスを取り落とし、鳩尾に一撃加えられると吐瀉物を撒き散らして気絶してしまう。

 次に襲い掛かった男は、善三の少し後ろから接近する文蔵に狙いをつける。こちらの男は先の男と違いドスを突き出すのではなく、腰だめに構えて突撃する。

 この刃を腰だめに構えた突撃と言うのは単なる喧嘩殺法に見えるが、対処方法は中々に難しい。手首が固定されているため掴んで関節を極める事も難しいし、勢いがついているため生半な当身では止められず、刃を体に受けてしまうだろう。

 まあ、武士ならば簡単な対処法がある。腰に差した刀で一閃してしまえば良いのだ。間合いは腰だめのドスより遥かに長いし、切り捨ててしまえば勢いもへったくれもない。

 しかし今の文蔵はこの手段をとる事は出来ない。刃を向けられているのだから切り捨てても一応問題は無いのだが、同心として調査中の文蔵がその参考人をいきなり切る訳にはいかない。加えて文蔵は居合の稽古はほとんどしていない。

 文蔵が今手にしている十手を使って、相手の頭部を手加減抜きで殴打すれば一撃で昏倒させる事が可能なので刀を使用するのと同じように勝てるのだが、こちらも死んでしまう可能性が大いにあるため結局それは出来ない。

 では文蔵はどうしたのか。

 答えは蹴りである。

 そして文蔵の蹴りは普通の蹴りではない。柔術の当身の中には蹴りも含まれているのだが、それとはかなり性質を異にした蹴りである。普通の蹴りは相手の態勢を崩すなど副次的な目的で使用される。これは柔術の主な技が投げや関節、締め技だからだ。

 しかし文蔵は相手の膝関節を狙い、振りぬく様に蹴りを放った。文蔵の鍛えた足腰で繰り出されたそれは、破落戸の膝を一撃で破壊し、呻き声を上げて転倒する。当然だ。膝を破壊されて立っていられる者などいないのだ。

 最後に残った男は出遅れたため、仲間たちが無残に打倒される光景を目にしてしまう。こうなってしまうと、いくら度胸を売り物にして生きて来たヤクザ者とはいえとても立ち向かっていけるものではない。

 結果、文蔵や善三に突っかかる事なく、朱音に標的を定めた。

 素早く身を翻すと、朱音に掴みかかり羽交い絞めにしてドスを喉に突きつける。女を人質にして、何とかこの場から逃げ出そうというのだ。その身のこなしは中々に素早く、それなりに喧嘩慣れしているのが伺える。

「やい! こいつの命が惜しければ、下がりやがれ!」

「おいおい、文蔵。あいつ、何か言ってるぜ。」

「死ぬかもしれんすね。朱音さん、手加減効かないから」

 仲間が人質になり、刃を突きつけられているというのに、二人は全く動じていない。朱音は芸で鍛えているのでその身は引き締まっているが、流石に暴力をもって身を立てる輩と比べるといかにも頼りなく見える。しかも今の彼女は動くことが出来ない。だが、

「いてっ! へ、蛇だと?」

 朱音を羽交い絞めにしていた男が痛みに悲鳴を上げ、腕を抑えて朱音から離れた。

 その腕には蛇がしっかりと噛みついている。

 体長は二尺ほど、太く短い体形で赤褐色の体には銭形の模様がある。

 蝮である。

 朱音は所謂蛇女である。蛇女の見世物といっても、鱗を体に張り付けたり蛇を食ったりと種類があるのだが、朱音は蛇使いの芸を得意としているのだ。見世物小屋では笛を吹いて蛇を操っているが、実は小さな呼吸音でも操る事が出来るのである。

「さて、蝮に噛まれたら、どれくらいで死ぬんだっけ?」

「さあ? 一刻で死ぬこともあれば、何日も苦しんでから死ぬこともあるとは聞くけど」

「おい、手当てをして欲しいか? 大人しく吐くと約束すれば、助けてやっても良いぞ」

「た、たすけてください。何でも話します」

 町奉行所では拷問をするのには制限がある。するにはそれ相応の理由が必要であるし、奉行だけで拷問を決定する事は出来ず、両町奉行で協議した上、老中に裁可を仰ぐ必要がある。

 拷問をなるべく避ける事は良い事なのだが、この連中の様なヤクザ者どもは、拷問でもしなければ中々悪事を吐いたりしない。

 そう考えると捕縛する前に蝮毒で脅すというのは上手いやり口だ。もちろん褒められる類の手段ではないのであるが。

 さて、よく分からない状況であるが、事件の情報を持っていると思われる参考人を確保する事に成功した。事件について聞き回っていた朱音に接触してきたのだ。どうせ探られて痛い腹をしていたに決まっている。手当てをしている間に善三が手下を呼び集め、戸板に乗せて北町奉行所まで運んで行く。

 例え破落戸どもが動けるようになったとしても、蝮の善衛門の一味は江戸でも名の知れた侠客一家だ。逃げようとしたところでそれは叶わないだろう。そして、一応同心であるために手加減した文蔵と違い、逆らったら命が危ない。

「待ちな」

 奉行所に向けて進んでいる途中、何者かに声をかけられた。声の主は、袴をつけず羽織を羽織った侍で、その着こなしからするに浪人ではなくどこぞで役を貰っている役人の様だ。緊張感を纏ったその雰囲気は、定町廻りの同心に似ているが、さらにとげとげしい様にも見える。

「火付盗賊改同心、百地満岳である。お主らが運んでいる者達を引き渡してもらいたい」
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