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第二章「江戸城の象」
第二話「見世物小屋へ」
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両国はこの日も見世物小屋の呼び込みや、物見高い江戸の町人達で賑わっていた。その大通りを文蔵は幼馴染の善三と朱音を連れて歩く。
手には鰻を刺した串を持ち、歩きながら頬張っている。善三と朱音はこの辺り一帯を仕切る香具師の跡取りである。それに元々旅芸人として漂泊の身分であったので、あまり行儀は良くないがそんなものである。
文蔵は三十俵二人扶持に過ぎないが、れっきとした武士である。歩きながらものを食うなど余程落魄した浪人でもなければ有り得ないだろう。五歳の頃から旅芸人の一員として生きて来たので、侍としての意識が未だに薄いのである。
「そんな訳で今日は暇なんだよ」
「そいつは結構じゃないか。それなら一緒に色々見て回ろうじゃないさ」
大きな事件が片付いたので決まった捜査が無いというだけで、決して暇な訳ではない。
とは言っても、未だに同心見習い市中見回りに慣れてはいない文蔵では、先輩同心達の様に見回りの伝手は無く、真面目に見廻るのも遊んで回るのも同じ事だろう。
敢えて弁護する様に言ってみれば、他の同心には無い大物香具師という大きな伝手があるのであるから、その縄張りである見世物小屋やその周辺の屋台を見て回るのは理にかなっているといえる。余人をもっては代えがたい情報が手に入る可能性があるからだ。
もっとも彼らにその様な意識は無いのは確かであるのだが。
「それで、その囃子の又左って奴の事はまだ分からないんだ?」
「ああそうだ。まだ吟味は始まったばかりだし、何せ奴らが人攫いで暴れていたのは十数年前だからね。結局分からないかもしれないな」
茶店に立ち寄り、団子を食べながら文蔵は朱音に今日あった会合の内容について語った。
文蔵が幼いおり人攫いの一味に拐かされたのは朱音も善三も知っている事だ。この様な外道の存在は、朱音たちにとっても許せるものではない。
なお善三は、茶店の看板娘を口説くのに忙しく、この話は集中して聞いていない。だが、後でこの話を朱音から伝えられたら、朱音と同じように怒りを覚えるだろう。それは彼女らの父親である二代目蝮の善衛門も同じ様に旅芸人仲間として思うであろうし、隠居した先代蝮の善衛門も正統派の侠客として許さぬであろう。
「ま、気長に待つさ。それよりこれからどうする? 俺は皆今何をやってるか気になるんだけど」
文蔵が所属していた旅芸人の一座、「葛葉屋」は江戸を除いた日本各地を巡業していた。だが、葛葉屋は少し前に江戸に来て以来旅を辞めにしてしまった。葛葉屋の主である当代蝮の善衛門が両国を縄張りとする先代蝮の善衛門の跡を継いだからだ。一座はそこで解散となったのだが、その内の何人かは江戸に残り見世物興行をしているのだ。
「そうね。今は巳之吉小父さんが、色んな動物を公開してるわよ。結構流行ってるってさ」
巳之吉は葛葉屋でも二番格の古手であり、その温厚な性格から一座の誰からも好かれていた。また、好かれているのは人間からだけではなく、動物からも好かれていた。
朱音の蛇女としての蛇使い芸は元々巳之吉に習ったものであるし、文蔵も動物の扱いは相当仕込まれている。
「じゃあ決まりだな。巳之吉小父さんの所に行ってみようぜ……ところで」
文蔵の促した先には看板娘を口説いている善三の姿がある。善三は旅をしている時もゆく先々の女を口説いて来たし、色里にも結構な頻度で行く。これまでの事を鑑みると、明日まで帰ってこないかもしれない。年が近いのでいつも善三とつるんでいた文蔵であるが、この辺の感覚は理解しがたい者がある。
文蔵とて木石ではないので女に興味はあるが、女を口説くとか色里に行くとかの気分になれないのだ。身売りされた娘達の事情を思うと、自分が人攫いの一味に囚われていた時の事を思い出してしまうのである。
共に囚われていた少女の協力で何とか文蔵一人は逃げ出す事が出来たのだが、もしもあのまま囚われていれば一体どうなっていたのだろう。そしてあの子はどうなったのだろう。
悪党一味の手先として使われていたのかもしれないし、何処かの鉱山に売り渡されていたのかもしれない。場合によっては陰間茶屋あたりに渡されていたかもしれない。
何にしても碌な事になっていなかっただろう。
そう思うと、何が何でも囃子の又左を捕まえようとの意気が湧きおこってくるのだが、そうは言っても今焦っても仕方がない。先日の戦いの疲れを癒そうと、旧知の者に会うために巳之吉の見世物小屋に行くことにしたのだった。
なお、善三は置いていった。
手には鰻を刺した串を持ち、歩きながら頬張っている。善三と朱音はこの辺り一帯を仕切る香具師の跡取りである。それに元々旅芸人として漂泊の身分であったので、あまり行儀は良くないがそんなものである。
文蔵は三十俵二人扶持に過ぎないが、れっきとした武士である。歩きながらものを食うなど余程落魄した浪人でもなければ有り得ないだろう。五歳の頃から旅芸人の一員として生きて来たので、侍としての意識が未だに薄いのである。
「そんな訳で今日は暇なんだよ」
「そいつは結構じゃないか。それなら一緒に色々見て回ろうじゃないさ」
大きな事件が片付いたので決まった捜査が無いというだけで、決して暇な訳ではない。
とは言っても、未だに同心見習い市中見回りに慣れてはいない文蔵では、先輩同心達の様に見回りの伝手は無く、真面目に見廻るのも遊んで回るのも同じ事だろう。
敢えて弁護する様に言ってみれば、他の同心には無い大物香具師という大きな伝手があるのであるから、その縄張りである見世物小屋やその周辺の屋台を見て回るのは理にかなっているといえる。余人をもっては代えがたい情報が手に入る可能性があるからだ。
もっとも彼らにその様な意識は無いのは確かであるのだが。
「それで、その囃子の又左って奴の事はまだ分からないんだ?」
「ああそうだ。まだ吟味は始まったばかりだし、何せ奴らが人攫いで暴れていたのは十数年前だからね。結局分からないかもしれないな」
茶店に立ち寄り、団子を食べながら文蔵は朱音に今日あった会合の内容について語った。
文蔵が幼いおり人攫いの一味に拐かされたのは朱音も善三も知っている事だ。この様な外道の存在は、朱音たちにとっても許せるものではない。
なお善三は、茶店の看板娘を口説くのに忙しく、この話は集中して聞いていない。だが、後でこの話を朱音から伝えられたら、朱音と同じように怒りを覚えるだろう。それは彼女らの父親である二代目蝮の善衛門も同じ様に旅芸人仲間として思うであろうし、隠居した先代蝮の善衛門も正統派の侠客として許さぬであろう。
「ま、気長に待つさ。それよりこれからどうする? 俺は皆今何をやってるか気になるんだけど」
文蔵が所属していた旅芸人の一座、「葛葉屋」は江戸を除いた日本各地を巡業していた。だが、葛葉屋は少し前に江戸に来て以来旅を辞めにしてしまった。葛葉屋の主である当代蝮の善衛門が両国を縄張りとする先代蝮の善衛門の跡を継いだからだ。一座はそこで解散となったのだが、その内の何人かは江戸に残り見世物興行をしているのだ。
「そうね。今は巳之吉小父さんが、色んな動物を公開してるわよ。結構流行ってるってさ」
巳之吉は葛葉屋でも二番格の古手であり、その温厚な性格から一座の誰からも好かれていた。また、好かれているのは人間からだけではなく、動物からも好かれていた。
朱音の蛇女としての蛇使い芸は元々巳之吉に習ったものであるし、文蔵も動物の扱いは相当仕込まれている。
「じゃあ決まりだな。巳之吉小父さんの所に行ってみようぜ……ところで」
文蔵の促した先には看板娘を口説いている善三の姿がある。善三は旅をしている時もゆく先々の女を口説いて来たし、色里にも結構な頻度で行く。これまでの事を鑑みると、明日まで帰ってこないかもしれない。年が近いのでいつも善三とつるんでいた文蔵であるが、この辺の感覚は理解しがたい者がある。
文蔵とて木石ではないので女に興味はあるが、女を口説くとか色里に行くとかの気分になれないのだ。身売りされた娘達の事情を思うと、自分が人攫いの一味に囚われていた時の事を思い出してしまうのである。
共に囚われていた少女の協力で何とか文蔵一人は逃げ出す事が出来たのだが、もしもあのまま囚われていれば一体どうなっていたのだろう。そしてあの子はどうなったのだろう。
悪党一味の手先として使われていたのかもしれないし、何処かの鉱山に売り渡されていたのかもしれない。場合によっては陰間茶屋あたりに渡されていたかもしれない。
何にしても碌な事になっていなかっただろう。
そう思うと、何が何でも囃子の又左を捕まえようとの意気が湧きおこってくるのだが、そうは言っても今焦っても仕方がない。先日の戦いの疲れを癒そうと、旧知の者に会うために巳之吉の見世物小屋に行くことにしたのだった。
なお、善三は置いていった。
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