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クレアが言っていたことが本当か訊ねると、ユージーンは「そうだよ」とあっさり認めた。
「ごめん。急に言っても君が困ってしまうかと思って」
前菜のグリーンサラダを食べながら細い眉を下げる。
あれから数時間後、ふかふかのベッドで呆然と横になっていると、ユージーンが部屋を訪れた。
仕事が終わったというので、一緒に一階の食堂まで降りてきた。
白いクロスがかけられた長いテーブルの、ユージーンは上座に、僕はそのすぐ隣に座って、見たこともない豪勢な食卓を囲んでいる。
「『ジギタリス』は……どんな部屋だったんですか」
「あそこは、リベラ家の当主が番を隠しておくための場所……言ってしまえば、鳥籠のようなものだった。とはいえ、ほとんど迷信みたいなものなんだよ」
ちょっと怖い話なんじゃ……と少し不安だったけど、それを見抜いているかのようにユージーンは意味深に微笑む。
「閉じ込めたくなるほど想う相手は、そう現れない。あの部屋は初代当主が造ったとされているが、それ以降使われた形跡はないんだ」
初代。
そういえば、辺境伯なんて立派な肩書きがあるお家なんだから、当然歴史も長いはずだ。ユージーンは何代目の当主なんだろう?
ユージーンと出会ってから彼の家について聞くことはなかった。
「あの、リベラ家について教えてくれませんか?」
「もちろん」
訊いてみると、ユージーンは快く頷いて簡単に説明してくれた。
――話によれば。
リベラ家は、ユスラ王国が建国された当時から存在する歴史ある一族だ。ユージーンは七代目の当主で、先代の息子だという。
ある大国から独立して国を作るとき、何人かのアルファに軍の統率が任された。
初代リベラさんは軍人で、それゆえに国境周辺の警備を担当したそうだ。その活動によって、のちに王様から『辺境伯』の称号を与えられた。
「それがおよそ三百年前の話だ。初代は典型的なアルファで――要するに傲慢で、気が短かった。だから下町で美しいオメガの子を見つけたとたん、そのオメガを無理やり番にしてしまったんだ」
「ユスラ国でも、そんなことが許された時代があったんですね……」
ダチュラで聞いていた噂では、ここはまるで理想の国だった。すべての性別が平等で、誰もが尊重される社会。それは、ただの夢だったんだろうか。
ユージーンは皮肉っぽく笑う。
「許されなかったんだよ。この国では、オメガを尊重する考えが根強いから。番うにあたって、オメガの意志は何より重視される。それを強引にねじ伏せた当主は、本来なら称号剥奪のうえで投獄されるはずだった」
それが本当なら……。
「どうして、ユージーンの代まで家が受け継がれたの?」
気になったことを質問しただけなのに、ユージーンは「カナンは賢いね」と褒めてくれた。
「当主がこの件で裁判にかけられた記録は残ってない。ということは、そもそも事が明るみに出なかったんだ。裁かれる前に事実を揉み消したのさ」
事実っていうのは……。
「無理やり番にされた相手のこと?」
ユージーンは答えの代わりに、笑みを深めた。見惚れるくらい綺麗なはずなのに、ぞっとするほど冷たくて……がたり、と椅子ごと退いてしまった。
「どのみち、番の契約を結んだオメガはもうアルファから逃れることはできない。行き場を失ったオメガを、当主は自分の屋敷で囲うことにした。家を改築し、二階の奥まったところ――日当たりがよくて過ごしやすいけれど、一番逃げにくい場所に専用の部屋を作った。扉には、宝物庫につけるような特殊な鍵をかけてね……。
相手への愛情と執着が混ざり合った、奇妙な部屋さ」
奇妙、と言いながらユージーンの瞳は静かに僕を映していた。
初代当主を嘲笑ったり、『理解できない』と突き放したりするような目ではなかった。
「……運命の番って、怖いですね」
「そう? 愚かだとは思うけど。カナンは運命が怖い?」
「だって……国を作り上げたような人が、たった一人のためにそこまでするなんて。そんなにすごい人ならきっと普段はしっかりしてたんだろうし、周りから信頼されてたはずなのに」
ユージーンは食べ終えた皿にフォークを置いて、ナプキンで口元を拭った。
「そうだね。軍人らしく、規則に忠実で冷徹な男だったらしいよ。厳しいけれど、その荒々しさに憧れてついてくる者が多かったようだ。
――そんな男が恋に溺れて、相手を力ずくでものにしたっていうんだから、周囲の失望はことさらだったろう」
最初はたんなる昔話くらいに聞いていて、そんなこともあったんだなぁと思っていたのに、今は食べる手もすっかり止まっていた。
他人事に聞こえないのは、ユージーンの目が鮮やかに輝いて、きらきらしているからかもしれない。
「強く賢く、一点の曇りもなかったはずの男が恋に狂い、あわや家を潰しかけた。彼に心酔していた側近や家の者たちは、男の正気を奪ったオメガの妻が棲む部屋を、毒花の名を付けて忌み嫌った」
――それが、ジギタリスの間。
そこまで聞いて、使用人たちが『ジギタリス』の名を聞いたときなんであんなに驚いたのか、やっと分かった。
新たな疑問も生まれる。どうして僕がそんな大事な部屋に通されたんだろう?
「なら僕は……なおさらあの部屋が、運命っていうのが、すごく怖いです。きっと初代さまは、相手の人をおもちゃにしたいとか奴隷のように思ってたんじゃなくて、本当に恋してたんでしょう? なのに……人がそんな風に自分を制御できなくなるなんて、怖い」
ユージーンはわずかに目を瞠った。
「奇遇だな。僕もこの話を知ったときは君と同じことを思ったよ。たかが本能のせいでそこまで狂うものなのかって……。だけど、実際に自分も出逢ってみれば、彼の気持ちが分かる気がしたんだ」
「え?」
「あの部屋に君を住まわせると言った意味が、これで分かる?」
見つめられて、鼓動が速まっていく。
――住まわせる意味?
――ユージーンのご先祖様が自分の番を閉じ込めた部屋に、僕が……。
「そんな……」
ぽそりと呟くと、やっとユージーンが表情を緩めた。爛々と輝いていた瞳が薄い緑に戻って、穏やかに僕を見つめる。
「なにも、すぐ番になろうって言うんじゃないんだ。カナンが嫌なら無理強いはしない。まあ、要するにあそこがうちで一番過ごしやすい部屋ってことだから、気楽に使ってよ」
「イヤとかじゃないんですけど……あなたはいいんですか? 僕が、その、番で……」
「もちろん」
ユージーンは頷くと、そっと僕の手を握った。
「僕は、君が欲しい。妻になってもらいたいんだ」
「つ、ま」
信じられない言葉だった。
「どうして……?」
「一目惚れに理由なんてないよ」
握られた手が熱い。僕の体温が上がっているのか、ユージーンの熱なのか分からなかった。
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