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第五章 すれ違い
7 気分転換
しおりを挟む「…あれ?将生くん、どうしたの?なんだか元気無さそうじゃない?」
愛子さんと晴斗の電話中、なるべく自分は映らないようにしていたのだが、やっぱり写ってしまったようだ。
「…いやいや、全然元気だよ。」
将生が意識的に画面に映ってから、作り笑いをして愛子さんに答える。
「あはは!その顔!祐樹くんの作り笑いにそっくり!」
愛子さんがウケている。
将生とて、慕っている祐樹に似ていると言われるのが嫌なわけではないのだが、『作り笑い』と言われると良い気はしない。
「意地悪を言わないでくださいよ。」
将生が不貞腐れたような声を出すと、
「ごめん、ごめん。懐かしくて。最近その表情の祐樹くん見てないなぁ…。」
普通、交通事故の場合、運転手は自分を庇うことから、1番被害が軽いと言われている。
しかし、祐樹の場合、後部座席にいる2人を守ろうとした結果なのか、うまく自分を庇えず、1番ひどい怪我を負ってしまったそうだ。
それでも、だいぶ回復してきたようではある。
「そう!それでね、もう少ししたら、祐樹くんも個室から大部屋へ移動できるらしいの!そしたら、私、なんとかして談話室に連れ出すから、そしたら晴斗と電話させてあげたいんだ!」
晴斗と電話ができるようになってから、愛子さんはかなり明るくなってきたように思う。
もともと明るい人なのだが、事故と晴斗不在にかなり気落ちしていたようで、元の愛子さんに近付いてきたことが将生としても嬉しかった。
「兄さんも順調に回復してるんだね。」
将生はその容体にも安堵しながら言う。
「うん!だから、安心してね。」
愛子さんも祐樹も、将生のことを弟扱いするのが好きだ。
祐樹が将生を可愛がっているのはもちろん、愛子さんは一人っ子なので、お姉さんぶりたいところがある。将生は少し恥ずかしくなる時もあるが、基本的には良い弟として振る舞っている。
「それはそうと、将生くん…その元気の無さは…。可愛い子に振られちゃったかな。」
愛子さんがふざけて言ったその言葉に、ちょっとだけピクっとくる。
「いや、まだ、そうと決まったわけじゃ…。」
と、言いかけて、いやいやいや、もうすでに決まっているではないか。
元からまみさんには日本に恋人がいて、自分は横恋慕しているのだ。と。
今回は、『もしかしたら自分にもチャンスあるかも!』と1人で勘違いして、1人で浮かれていただけだった…。
「あぁっ!状況を再認識すると辛いっ…。」
将生の大きめな独り言に、
「あれあれ。図星だったかな…?」
愛子さんの方こそ焦ってしまう。その後、
「あっ!将生くん、ちょっと晴斗だけよく見せて!」
とリクエストされる。
「えっ?」
晴斗は将生の後ろにいたので、将生は携帯ごと振り返り、画面を切り替えて晴斗の全身を映し出す。つかまり立ちをした晴斗が静かに全身に力を入れている様子が映し出される。
「それ!うんちしてるから!」
愛子さんがなぜか嬉しそうに将生に告げる。
「ええっ!晴斗!」
かと言って、途中で止めさせるのも可哀想だし、出るものは出させてあげた方が良いだろう。
ただ、その後座ってしまうと、片付けがより大変になってしまう。
「あっ、ちょっ、…まみさん!まみさんすみません!晴斗がうんちしてて。せっかく立ってるので、座る前に確保した方が良いかと…。」
将生は携帯をその辺にあった本を使って立てかけると、部屋を出て、まみを呼びに行った。
「あら~?晴斗のオムツは、将生くんが替えてるわけじゃあないのねぇ。」
愛子さんが晴斗に向かって話しかける。
少しすると、『まみさん』と呼ばれた女の子がこちらに駆け寄ってくるのが見える。そして、晴斗が出し終わったのをなんとなく確認すると、そのままトイレまで抱き抱えて行ってしまった。
その、まみを見送る将生の目が、少し切なそうに見える。
(あらあらあらっ!)
愛子さんは口に手を当てながら、面白いものを見つけたような、嬉しそうな顔をする。
(これはまた、祐樹くんに話すネタが増えたわねぇ。)
愛子さんは1人でクスッと笑う。
愛子さんの携帯の画面には、もう誰も映っていないが、トイレでのやりとりだけはなんとなく聞こえてくる。もうきっとこの電話のことは忘れているだろう、と思い、愛子さんは『晴斗、またね。』と小さく声をかけると、自分から電話を切った。
今朝の将生は何だったのだろう。
まみは、バザーが行われるという、カンダリアシティに向かう車の中で考えていた。
今日は、『ジャカルタマザーズクラブ』という、日本人のお母さん達が協力している集まりが主催の、バザーがある。
要らなくなった子ども服や、オモチャなどを、安く売ってくれる人と、それが必要な人をうまく結びつけてくれるありがたい催し物だ。
まみは、リマウナレジデンスの遊び場や公園で、少しずつママ友を獲得し、そういう情報を手に入れられるようになっていた。今日のバザーは、年に数回しかない、かなり大きいバザーのようだ。
マザーズクラブの会員になると、バザー会場に9時半から入場できるが、非会員は10時半からしか入場できない。今後のことも考えて、今日から会員になることにし、9時半より前に会場前に着いて、会員になる手続きをするつもりだ。
晴斗は、抱っこ紐の中で良い子にしている。車の揺れが好きなのか、車内では比較的眠そうな様子でいることが多い。
それにしても、将生は、何か『勘違いをしていた』と言っていたが、何をどう勘違いしていたのか…。
もっと詳しく話をしたかったけれど、そんな時間は与えられなかった。いつもの『伊藤家の電話の時間』になってしまったし、晴斗のお世話をしているうちに、いつの間にか出勤時刻になっていて、大した話もできずに出て行ってしまった。
(最近の伊藤さんは、奥さんとの電話が優先で…。)
それが当たり前である。
でも…やっぱりやりきれない気持ちがあって、それを自分だけでうまく処理できていない。
それが、この前の日曜日に溢れ出てしまったのだ。
まさか将生に見られていたとは思わなかった。家庭教師候補の先生は、とても穏やかで優しく、片言の日本語と、わかりやすい英単語で話しかけてくれた。
最近の『happy story』と『sad story』についてが話題になった時、共に遊園地での将生とのことを思い出した。『happy story』は、『遊園地で遊んだこと』と言えたけれど、『sad story』は、なかなかうまく言えなくて、先生は『sad』を『hard(辛い)』とか『moved(感動した、心動かされた)』に言い換えてくれた。
でも、そのどちらも、将生との毎日を思い出してしまい、まみは辛い気持ちを抑えきれなくなってしまった。
突然に泣き出したまみに、先生はとてもビックリしたと思うが、彼はその場で静かに泣き止むのを待ってくれた。
感謝の言葉が『thank you』しか出てこなくて、そればかりを繰り返してしまったが、今思えば、インドネシア人なのだから、『テリマカシ』でも良かったのか…。とにかく、突然に泣き出してしまったことが恥ずかしかったので、先生と日程が合わないので、家庭教師は難しい、という話になった時にはホッとしてしまった。
今朝の聞き方だと、日曜からまみのことを気にしてくれていたようだ。
それを嬉しいと思ってしまうのは、間違っているのだろうか…。ただ、そこで『ヒロくん』が出てくるところがズレている。
泣いていた原因は、将生を想うことや、諦めなきゃいけないのに、それがうまくできない自分に対する苛立ち、将生が奥さんと楽しそうに電話をするたびに、傷ついてしまうこと…。そういういろいろ含めて『将生のせい』なのに!
考えていると、だんだん腹が立ってきてしまった。
(もうっ!誰のせいでこんな辛い思いをしてると思ってるのっ!)
…紛れもなく、まみ自身のせいだ。それは自分でもわかっている。これは完全な八つ当たりだ。
(あーあ。結局、私ってどこに居てもパッとしないんだなぁ…。)
日本に居た時も、仕事はもちろん、恋愛もちゃんと実ったことがない。
ため息をつきながら、車から見えるジャカルタの空を見上げる。
ここに来たばかりの時に見たのと同じ空なのに、あの時ほどキラキラして見えない気がする。それは『慣れ』から来るのか、『まみの今の気持ち』が現れているからか…。
(何か良いことも起こりますように。)
晴斗を優しく抱きしめながら、そんなことを願った。
いろいろと考えに沈んでいる間に、車はカンダリアシティの住居部分のメインゲートへと進んでいく。
カンダリアシティは、表がデパートである商業施設、裏は多くの日本人も利用するマンションになっている。住人の持つ特別な鍵があれば、その境目を自由に行き来できるそうだ。
今日のまみは住居部分のみに用があるので、住居面のメインゲートから入館する。
すでに数台の車が列を作って、メインゲート前で待っている。
離れた場所に停まっているまみの車からも、先頭の車から赤ちゃん連れのお母さんらしき人が車から降りて行くのが見える。みんなバザーに参加しに来たのだろう。
まみ達の車がメインゲート前で停まって、まみが晴斗ごと降りると、運転手さんにジェスチャーで、『終わったら電話する』と伝える。
後ろにも車が並んでいるので、急いで車から離れると、もう次の車から、日本人女性が1人で降りてきていた。
玄関から館内に入ると、ロビーで人を待っている様子の人もいたが、なんとなく人の流れができていて、その流れに乗ると、大きなホールの前に出た。日本人女性が7~8人すでに並んでいる。
『マザーズクラブ入会の方はこちら』と書かれた看板を持っている人の近くへ行くと、入会したい旨を伝える。その人に連れて行かれた小部屋で、必要事項を記入し、入会金を支払うと、赤い小さなシールを胸に貼られた。会員証の代わりに、会員であることを示すシールだ。
「1ヶ月以内に、会員証が郵送されるはずです。次回以降のバザー参加の際は、それをお持ちください。」
まみが小部屋を出ると、先ほどより長くなった列が、折り曲がって2列になっていた。まみも急いでそこに並ぶ。
9時半になると、ホール前の扉が開けられ、順番に中に入って行く。
まみの番になり、中に入ってみると、1つのお店のスペースは1.5m四方くらいで、15組くらいが出店していた。
それぞれ、着終わったベビー服、靴、絵本、玩具、オムツ、水着…。また、子ども用だけでなく、大人の妊婦服、浴衣、新品のタオルや、大量に買って使わなかった日本食、歯ブラシや手作りのアクセサリーなど、本当にさまざまな物が売られていた。
(これは、思ったより欲しいものがたくさんある…!)
オモチャに関しては、小さなミニカーから、大きめな積み木、木のおもちゃや人形、果ては折り畳みの自転車まで揃っていた。日本人女性がこれだけたくさん集まってくるのも納得だなぁ、とまみは感心する。
次回参加する時には、ベビーカーを持って来て、買った物を車まで運ばないと!と決心する。
(今日は、とりあえず厳選して、本当に欲しいものだけ買おう。)
そうは思っても、なかなか手に入らない日本製の物を、安く手に入れられるとなると、どんどん買い足していってしまう。いろんなお店の人に、大きめのレジ袋をいただいたりして、なんとか荷物を持ちあげられるていで、まみはホールを後にする。
荷物の他にも、晴斗を抱いているため、余計に重たい。
かなり汗をかきながら、なんとかロビーまで進み、運転手さんに電話をかける。
「スダ。」
この一言で、たいていのコミュニケーションが取れるという、ありがたいインドネシア語である。
『もうすでに終わった』というような意味がある。
運転手さんから『OK』の返事があり、電話を切ると、晴斗と共にソファに沈み込んだ。少し、晴斗を抱っこ紐から出して、水分を取らせる。
「はぁ~、今日はいっぱい買ったね。」
まみは満足した顔で、晴斗に話しかける。晴斗は、少し自由になったことが嬉しくて、キャアキャア言って答えてくれる。
晴斗を抱いて買い物をしていると、いろんな人が優しく声をかけてくれるし、中にはお金を払わなくても『これ、持って行って』と赤ちゃん用品を持たせてくれる人もいた。何より、まみが荷物の多さに困っていると、積極的に手助けしてくれる人が多く、そんな温かな人の気持ちに触れられて、幸せな気持ちになった。
来た時は、少しささくれ立っていた心が、いろんな人のおかげで、丸く柔らかくなった。
「よっし!帰りも頑張りますか!」
まみ達の車がメインゲートに着いた時、まみは元気いっぱいに充電されていた。
晴斗を抱っこ紐に入れ、重たい戦利品を両手で抱えると、車に向かう。
来た時より力強い足取りで、まみは車へ向かっていった。
応援ありがとうございます!
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