【完結】新婚のオメガですが、旦那様が処女厨のため抱いてもらえません!

古井重箱

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第六章 つないだ手を離さない

34. この傷を抱えて生きていく

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 聴き手が王族であれ、やるべきことは変わらない。自分にできるベストを尽くすだけだ。
 俺はユイットの伴奏に合わせて、自作の歌曲を歌った。テーマは恋の喜びと悲しみである。俺はまず、アレス様に愛されていた頃の幸せな日々を思い出して、嬉しくてたまらなかった当時の気持ちをメロディに乗せた。

「あなたの愛に照らされて、私の胸に宿った湖水は冴え渡る」

 主旋律を歌い終えたところで、曲が転調した。伴奏が重苦しい雰囲気に変わる。俺は声が潰れないように気をつけながら、低音域のメロディを歌った。音楽に合わせて、俺の心象風景も様変わりする。
 アレス様。
 どうしてあなたは俺を愛し抜いてくれなかったのですか。
 あなたはご自分の弱さを許せないようだった。でも、ふたりで強くなるという道だってあったでしょう。
 もう一度あなたに会える日が来たら──俺は想いのすべてをあなたにぶつけたいです。
 アレス様。
 あなたから受け取った愛のかけらがガラスの破片のように俺の胸の奥に突き刺さっています。心の痛みはあなたがくださったもの。俺はこの傷を抱えて生きて参ります。
 いつかあなたに会える日が来るのでしょうか、アレス様。

「闇がすべてを塗り潰す。私の傷は、夜に溶け込む」

 最後のフレーズを歌い終えた俺は、虚空を見つめた。
 音楽室の中はしんとしている。場に居合わせた人々はみな一様に真顔だった。
 まずいな。失敗だったかもしれない。心の奥底から感情を汲み上げて、音楽にぶつけたのがよくなかった。
 俺が青くなっていると、ジョナス王子が靴音を高らかに立てながら近づいてきた。

「フィーラン・アレクシスと言ったな」
「左様にございます」
「……演奏、見事であった」

 ジョナス王子のセルリアンブルーの瞳は潤んでいた。

「俺は恋を知らない。だが、貴君の歌はそんな俺にも訴えかけてくるものがあった。貴君は辛い恋をした経験があるのか?」
「……はい」
「そうか……。音楽とは人生経験が生きるものなのだな」
「ジョナス、来てよかったわね」

 王妃様がジョナス王子に笑いかけた。
 ジョナス王子は真剣な表情を崩そうとしない。

「フィーラン・アレクシス。もっと貴君の音楽を知りたい」
「では、フィーランに私のサロンに来てもらってはどうかしら」
「お、王妃様のサロンに、俺が? よろしいのでしょうか」
「ジョナスが他人に興味を覚えるなんて珍しいわ。よほどフィーランの歌が気に入ったのね」

 セレンディア教授が言った。

「光栄なことじゃないの。このお話、もちろんお受けするわよね?」 
「はい……。謹んで」
「フィーラン・アレクシスは演奏が終わると雰囲気が変わるんだな。先ほど堂々たる歌声を披露していた者と同じ人物だとはとても思えない」
「俺は基本的に目立つことは苦手です」
「音楽が貴君に力を与えてくれるということか」

 ジョナス王子が感慨深そうにつぶやいた。
 ひとまず、ジョナス王子が音楽に興味を持ってくれてよかった。
 その時、俺はユイットが鍵盤楽器の前でうずうずしていることに気づいた。

「あのー。民族音楽をアレンジした舞曲を聴いていただきたいのですが、よろしいでしょうか? リズムが独特で、一度耳にすると中毒性があるんですよ! ジョナス様を音楽の魔力に引きずり込みたいです」

 ユイットは本当にブレないな。音楽マニアの鑑だ。

「面白そうだな。弾いてみてくれ」
「では、喜んで!」

 音楽室に軽快なメロディが鳴り響いた。


◆◆◆


 王妃様とジョナス王子の視察が終わった。
 遠ざかっていく馬車を見送りながら、俺は胸を撫で下ろした。
 ユイットがいたずらっぽく笑った。

「さて、フィーラン。これからが大変だね。王妃様のサロンは宮殿で開かれる。宮中のマナーやら服装やら、細々とした決まりを守らないといけないよ」
「ううっ。そうだよな」
「大丈夫。きみは貴族の子弟だから難なくこなせるさ」

 王立音楽学院で働くようになってから、俺は身分というものを忘れて過ごしていた。セレンディア教授は俺が伯爵家の息子だからと言って、遠慮することはなかった。ユイットにしてもフラットに接してくれた。
 でも、宮中ではそうはいかない。
 俺は王立音楽学院の代表であるとともに、実家であるノヴィス領も背負う必要がある。王妃様やジョナス王子の不興を買ったら、お父様やレナートにも影響が及んでしまうことだろう。

「セレンディア教授。二週間後に開かれるサロンに来るよう、王妃様に命じられましたが、何から手をつければいいでしょうか」
「そうね。まずは服装をどうにかしないとね」
「王立音楽学院の制服ではダメでしょうか?」
「当たり前でしょう。王妃様のサロンに相応しい、晴れ着を作らないとダメよ。もう今日は帰っていいから、仕立て屋のところに行きなさい」
「承知しました」

 俺は事務室に戻ると、荷物を準備した。そして、王立音楽学院の正門を出て、目抜き通りにある仕立て屋の店へと直行した。
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