その花の名前は

青波鳩子

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【最終話:この花の名前は】

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チェスティ・ハウスと呼ばれるアドルナート公爵が管理する館で、もうすぐ結婚式が行われる。
ごく親しい者たちだけが集まり隣接する小さな教会で行われ、その後庭でちょっとしたパーティがある。

新郎のジルドは、数日前から食事も喉を通らないほど悩んでいた。
結婚式で新婦フィーナの髪を飾ったりブーケにしたりするはずのオルレアの開花が、このままでは間に合いそうもなかった。
フィーナが当日着る予定なのはシンプルな形の白いワンピースで、フィーナが好きだというオルレアの花で少しでも飾り立ててやりたかった。
本来ならば、この国の贅を集めた最高級のドレスを着られたはずの人なのに、結婚式にワンピースを着ようとしているフィーナ。
他の花ならジルドが咲かせたものがたくさんあるが、ジルドはどうしてもオルレアでフィーナを飾ってあげたかった。

──まだ蕾が硬い……。

やっと空が白み始めた早朝、ジルドはオルレアの花畑を端から確認していた。
蕾さえまだつけていない茎がたくさんある。
せっかく蕾をつけているのに、蕾のまま枯れてしまっているものもあった。

どうしてここではうまく咲かせられないのだろう。
王宮の裏庭ではそんなことはなかった。
オルレアの種は養父のガイロに分けてもらったものだし、肥料も同じように調合している。
気候がそれほど違うようでもないし、土はむしろここのほうが良く肥えているくらいだ。
ジルドは、何がいけないのだと呟きながら、オルレアを植えた庭をくまなく歩いていく。

一番南の一角に、数本だけ膨らんだ蕾をいくつか付けている株があった。
これは明日にも開花するだろう。
これが全部咲いたとしてもフィーナの髪を飾れるほどしかなく、ブーケにするには少なすぎる。
ジルドのイメージは、オルレアの花でこんもりとしたブーケを作りたかった。ブーケを丸くするには思うよりもたくさんの花が必要になるのだ。



「こんな朝早くにどうしたの?」

ショールを羽織ったフィーナが立っていた。

「……三日後の結婚式でフィーナを飾るためのオルレアが、花を咲かせないんだ……」

このところジルドが萎れた花のように元気がなかったのは、これが理由だったのか。
フィーナはこの理由で良かったと思えた。

ジルドはここへ来てからずっと、ほぼすべての時間を勉強と庭の手入れに費やしていた。
僅かな休息でさえ、フィーナがテーブルに引っ張らないと取ろうとしない。
食事も片手で食べられるものをフィーナが用意していた。

王宮の庭師だった頃、養父のガイロから文字を習い植物に関する本を読めるほどになっていたとはいえ、貴族としての知識に足るかといえば、さすがにそれにはとても届かなかった。

フィーナは、土地の管理や運営は自分に任せ、庭のことをジルドが担ってくれればいいと思っている。
庭といってもその中に教会もあり、その範囲はとても広い。
教会の裏手には、フィーナの母も眠る墓地がある。
このように広い土地に、花や木を整えながら配置するだけでも大変なことなのだ。

フィーナはそんなジルドを見て、少し恐ろしさのようなものを感じていた。
自分がこの土地の管理や運営を引き受けることは、難しいことではない。
でもそれをジルドが望まないのなら、手を出さないほうがいいのではないかと思うが、実際問題フィーナがやらなければ立ち行かないことは目に見えている。
フィーナではなかった頃のことを、つい考えてしまっていた。

その頃のフィーナは、王太子の婚約者としてあらゆる学びを詰め込まれていた。
幼い頃から公爵家の跡取りとして、ずっと学んでいたものに上乗せする形で。
それをこなしてきたことが、婚約者である王太子との間に溝を作ってしまった。
努力をしてきたことと優秀であることを疎まれたことは、フィーナの中で傷として残ってしまっていた。
ましてやジルドとフィーナの間には、ジルドの側に強く『身分の差』に対する意識が大河のようにある。
だから怖かった。
フィーナは、それがジルドが楽になることだと分かっていても、管理運営の仕事を担いたいとなかなか口に出せないのだった。



「私、ジルドが咲かせてくれた花なら何でも好きよ。そこにジルドの花に対する愛情があるもの」

「フィーナ……」

ジルドは微笑んだ。
フィーナはときどきこんなふうに、お姉さんぶった口調でジルドを元気づけようとしてくれるが、本当はこういう物言いが得意ではないことを知っていた。
フィーナは言ってから、これで良かったのかと目を泳がせることに気づいていた。
それに気づいてから、ジルドはそんなフィーナがたまらなく愛しくて抱きしめたくなる。

ここへ移り住んでから、フィーナを抱きしめるどころかその手に触れることもしていない。
毎日が忙しく覚えることが多すぎて、頭が常に仕事のことでいっぱいだということもあるが、新たな仕事が不慣れであるのは自分でなんとか許せるとしても、オルレアの花を咲かせられない自分は許せなかった。
愛しいフィーナが一番好きだと言ったオルレア。
フィーナの大切な日を、いっぱいのオルレアで飾りたいのに。


「ねえジルド、私ね、オルレアの花より何より、ジルドが好きなの。
ジルドが私の傍にいてくれるなら、もうそれだけで幸せよ。
結婚式はただの通過点に過ぎないわ。
そこにオルレアの花が間に合わなくても、その後にきっとたくさん咲くのだもの。
ブーケは何の花でもいいの。
隣のジルドが花のように明るい笑顔でいてくれれば、それが一番なの」

フィーナはそう言うと、顔を真っ赤にしてその頬を両手で押さえた。
私、何を言っているのかしらと小さな声で呟いたフィーナを抱きしめる。

「フィーナ、ありがとう。僕もフィーナが隣で花のように笑ってくれれば他に何も要らない」

フィーナの胸はジルドでいっぱいになり、涙が浮かびそうになる。
ここへ来てから、フィーナはよく笑い、よく泣き、そしてよく食べるようになった。
寂しいときは寂しいと、フィーナはジルドに少しずつ言えるようになっていた。

「これから母のお墓にいくのだけれど、一緒に行って欲しいの」

「ああ、行こう」

フィーナの母の墓に、ジルドは半月も行っていなかった。
ここへ来た頃は毎日二人で行っていたのに、この頃はフィーナもジルドも忙し過ぎたのだ。

墓地までの緩やかな傾斜のある小径を、フィーナと手を繋いで歩いていく。
坂を上りきった時、ジルドの目が驚きで見開かれた。

墓地の周りに植えたオルレアが開花していた。

「ねえ、咲いているわ! これ全部、オルレアよね?」

「……そうだよ、こんなに……。ああ蕾もたくさんつけている……」

フィーナは母の墓の前に膝をついて、指を組んだ。
隣でジルドも同じように膝をついた。
公爵令嬢だった頃なら、土の上に膝をつくなど考えられなかった。

「お母様、ほんの少しご無沙汰してしまってごめんなさい。いつでも来られると思うと、つい忙しさにかまけてしまったわ。
ここにこんなにたくさん咲いた花、この花の名前はオルレアというの。
私が一番好きな花よ。私が一番好きなジルドが咲かせてくれたの。
三日後にはジルドのお嫁さんになるわ。オルレアの花束を持って」

「……オルレアを咲かせてくれたのは、お母様だったのですね。
フィーナを生み育ててくださって、ありがとうございます……。
僕はこの先ずっとフィーナを大切に、きっと幸せにしますと約束します。
それが僕の幸せです」


ジルドは指を組み目を閉じて、しばらく動かなかった。
そしてフィーナを優しく抱き寄せ、三日後まで我慢するはずだったくちびるをそっと重ねた。
フィーナは真っ赤になり、オルレアの白い花は風に揺れていた。




      おわり




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最終話までお読みくださり、ありがとうございました!
 多くのエールやブックマークなどをいただき、とても嬉しくありがたく思います。
 それらに支えられて最後まで書き切ることができました。

 このあと本日19時に、番外編(4人の人物の自分語り)を投稿し、
 そのあとに、本編の続きとなる「その後の話」を投稿して、最後となります。
 よろしくお願いいたします。


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