致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.5 The Bubble-Like Honeymoon

Chap.5 Sec.15

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 躊躇ちゅうちょなく向けられた銃口に、ハオロンは反応できていた。
 空間を割ったスライドドアの隙間から、ロキに照準が合わさったそれを知覚した瞬間、長袖の中に仕込んでいたハンドガンに指を掛けていた。
 しかし、それを相手に向ける前に——その手はロキによって押さえられていて、構えることができなかった。
 
「——ジゼル!」
 
 呼び声が重なる。
 カシとジェシーから名を呼ばれた人物は、背の高い女性。黒の短髪に鋭い瞳が——燃えるような怒りを発していた。
 
 ハオロンには、その殺気が見せかけでも脅しでもなく、純粋な殺意であることがわかった。
 だからこそ、すぐに反応できたというのに……立ち上がったロキを横目で睨むが、ロキはこちらを見ていない。入室して来たジゼルとやらに目を向けている。
 カシとジェシーも、震えるようにジゼルを見ていた。
 
「じ、ジゼル……あの、これには深い訳があってねっ……」
 
 口を開いたジェシーに、鋭い瞳が流れた。
 
「あたしが出掛けてるあいだに何やってるの?」
「そのっ……ウサギちゃんの知り合いって言って尋ねて来たから……追い返すわけにも行かなくて!」
「だからって男を入れていいわけないでしょ」
「う……ごめん……」
「——あんたに怒ってないよ。むしろ感謝してる」
「え……?」
「捕まえといてくれてありがとう。あとは私が処理するから、もういいよ。戻って」
「えっ……や、でも……えっ?」
 
 ジゼルは反対の手でもう一丁のハンドガンを腰から引き抜くと、ハオロンに照準を定めた。その間、ハオロンは何もしていない。
 
——
 
 ジゼルの言葉と、最初に聞いた“男子禁制”。
 ハオロンは、このコミュニティが、マガリーの言っていた女性のみのコミュニティであると——遅ればせながら理解した。

(嘘やなかったんか……)
 
 向けられた銃口は逸れない。反攻に転じようにも、ロキに制されている。
 ロキに何か考えがあるのだろう。そう信じることにした。
 
 うろたえながら、ジェシーがそろそろとジゼルのそばに歩いていく。後ろ髪を引かれるようにカシを振り返った。
 
「——カシも、戻っていいよ」
 
 こわばった頬のカシに、ジゼルが冷たく命じる。
 イスから立ち上がったカシは、歩いたが……
 
「……何してるの?」
 
 銃口の延長線。ロキの前に、カシは立ち塞がっていた。
 
「ジゼル……落ち着いて。二人を入れたのは私なんだよ。処罰なら私にして」
「処罰はない。その二人はあたしが処分する。誰にも知らせる気はない」
「処分……? アトランティスに……送るの?」
「なんでアトランティスに?」
「……だって、モルガンが……ロキが欲しいって……」
「……もう要らないらしいよ。さっき会って話した。セトが使から……って」
「………………」
「急にモルガンに呼ばれて、何事かと思ったら……ロボを30台くれたわ。……ねえ、カシ。なんでだろうね?」
「…………なんの、話?」
「別に責めてないよ。あんたのやったことは、ラグーンのみんなからしたら正しいだろうし。……ただ、事後報告でもいいから言ってほしかった。それだけ」
「…………ごめん」
「だから、怒ってないって。……でも、そこはどいてくれる?」
 
 ジゼルの声は張り詰めている。押し込められた怒りは、カシに向けられていない。
 利き手で持つ銃口が1ミリもブレないのと同じで、強い殺意は絶えずロキに突きつけられていた。
 
「ジゼル……?」
「なに?」
「まさか……ロキを、本気で撃とうとしてない……?」
「………………」

 無言の肯定に、あいだに立つカシの顔が青ざめていく。
 ハオロンも、同様に血の気が引く思いがした。ロキの手を振り払って、今すぐにでも相手を制圧してしまいたいが——
 
「どうして……?」
「……理由は、話したくない」
「……セトくんとは、ジゼルから別れたんでしょ? そう言ってたよね? なのに……ロキだけ嫌うのは、変だよ……?」
「セトは関係ない。あっちは整理ついてる」
「関係ない……?」

 困惑するカシの肩に、背後からロキが手を伸ばした。
 
「……カシちゃん、いいよ。どいて。銃口の前にいると危ねェよ?」
 
 振り仰ぐカシは、青い顔で首を振る。

「だめっ……ジゼルは、ほんとにロキのこと撃つ気でいるの」
「分かるけど、カシちゃんに非はないじゃん? オレをかばう必要ねェから——」
「違うのっ……私、ロキに話してないことがあって……こんなことになったの、ほんとは私のせいだからっ……」
「——カシちゃんのせいじゃねェよ」

 はっきりと否定したロキは、「この位置で銃弾が当たったら死ぬから。死んだら治せねェから、どいて」当たり前のことを唱えて、その肩を横へとずらした。
 てっきり彼女を盾にするのかと思っていたハオロンは、そっと眉をひそめた。
 
 ジゼルの銃口が、なんの障害もなくロキの胸へと——まっすぐに。
 
「……あたしが誰か、分かってる?」
「分かってる」
「分かってて抵抗しないの? あたしが本気で撃つわけないと思ってる? そこまで憎んでないと思ってる?」
「……いや、殺したいくらい憎まれてンのは、分かって——」
「分かってない」
 
 感情的な否定が、大きく響いた。
 
 ハンドガンを握る手が震えて、ジゼルの目が——泣きそうなほど——険しく、ロキを見据えていた。
 
「……あたしは、今でも夢に見る。目が覚めて、“夢だ”って……自分に言い聞かせて、それでも震えが止まらないときがある。……あんたに……分かるわけない。……本当は何も分かってないくせに……適当なこと言わないでっ!」

 ヒステリックな響きの余韻が、室内に薄く広がる。
 ハオロンは話が分かっていない。様子からして、カシとジェシーも。
 
 ロキが過去にした。それだけは察せられた。
 ハオロンの知るロキの所業は、今までにも数知れない。
 しかし、ロキはひとに怪我けがをさせるようなことはしない。そう思っていたが……
 
 ジゼルの顔を見ていたロキが、とくに感情の見えない表情で軽い息を吐いた。
 
「……そうだな、分かんねェよ。アンタの感情なんて、推測して合わせてるだけで、理解したことはない」

 トリガーに掛かる指は、震えている。
 静かに話すロキの声が、ハオロンの思考の表面をかすめていく。
 感情に揺れる銃口から——目が離せない。
 
「……悪いけど、何言われてもアンタの気持ちを正確には理解できない。分かるのは、アンタはオレを殺したいってことくらい。それだけはアンタが入室したときに理解した」
「………………」
「……オレを殺すのはいいけど、コイツは帰してくんない?」
 
 ロキの目が、ハオロンを示した。
 瞠目どうもくするハオロンに、ロキは目を合わそうとしない。

「コイツは、きっとアンタの殺意には関係ねェよな?」
「……自分の命と引き換えに、そのコだけ助けてほしいってこと? そんな殊勝な発想があんたにあるわけ?」
「いや、コイツを助けたいわけじゃねェよ。アンタがトリガーを引けば、オレの生死に関係なくコイツが必ず反攻する。アンタが想定してるよりも被害が出るし……アンタだけじゃなくて、カシちゃんも、そこのジェシーも死ぬ可能性がある」
「………………」
「誰かが死ぬのは、普通は嫌だよな? オレも、カシちゃんが死ぬのは嫌だから……邪魔者は帰して、オレだけ処理してくれればよくない?」
「………………」
 
 淡々と話すロキに、ジゼルの表情は困惑に染まっていった。
 
 手の震えは止まっている。
 理解のできない者と対峙たいじした混乱が、ジゼルの怒りを揺るがした。
 
「……あんた、何言ってるの? あんたの言うとおりにしたら、あんただけ死ぬよ?」
「アンタはオレを殺したいわけじゃん? オレはカシちゃんを巻き込みたくないし、アンタもカシちゃんたちを巻き込みたくない。利害一致してるよな?」
「……は? してないでしょ?」
「どこが?」
「……あんた、自分の命はどうでもいいの?」
「いや、どうでもよくねェよ? オレ、希死念慮なんてねェし、将来的に欲しいものもあるし」
「だったら……」
「——けど、それは別に、カシちゃんを死なせてまでやりたいことじゃねェから。オレをかばってくれるコを巻き込んでまでは——いらない。……ついでに、コイツに家族が死ぬところを見せるのも、避けられるなら避けたい」
 
 ジゼルの目が、コイツと呼ばれたハオロンを一瞬だけ捉えた。
 ロキの手はハオロンの腕を押さえている。その長い袖の下に何があるのか、想像に難くない。
 
——アンタが想定してるよりも被害が出る。
 
 ロキの話した言葉を信じるには、十分だった。
 
 ハオロンは動けない。
 怒りが揺らいだジゼルも、決断できていない。
 
「ジゼル……」
 
 緊迫した室内に、不安げなカシの声が、小さくこぼれた。
 
「お願いだから……ロキを、殺さないで」
「………………」
「ロキは、ここに侵入したんじゃないよ? 私が入れたんだから……侵入者じゃないの。ラグーンに落とす理由も、殺していい理由もないよ……?」
「………………」
「もし、ジゼルがロキを殺したら……ジゼルがなんでそんなに怒ってるのか分からないから……もう私たち、一緒にいられないよ……?」

 ジゼルの視線は、ロキから動かない。
 けれども、思い惑うように瞳が揺れている。
 
 ジゼルの背後にいたジェシーも、その名を呼んだ。
 
「ジゼル……やめよう? 侵入者じゃない人間を殺すなんて、ルール違反だよ。ジゼルが怒ってる理由、私も分かんないけど……私情で殺したら……きっと、苦しくなるよ……?」
「………………」
「あとさ……セトくんと違って、このコらはヴァシリエフから来たんだよ? ……ここで殺したら、ヴァシリエフを敵に回しちゃうよ。私情でみんなを危険にさらすなんて、ジゼルはしないよね? 交渉して、ヴァシリエフから何か引き出すほうが……ジゼルらしいよね……?」
 
 場違いに笑う顔は、困り果てた眉の下でぎこちなく引きつっている。
 
 答えられない。
 唇を引き結んだジゼルの顔は、苦悩したまま止まっている。
 
 長いあいだ停止していて——息が詰まるような空気のなか——ジゼルが、そっとハンドガンを下ろした。
 
「……ゆるしたわけじゃ、ないから……」
 
 濡れた瞳から、ひとしずくの涙が流れる。
 その涙を、ハオロンは黙って見つめていた。
 
 赦せない、やるせない、憎い、——悲しい。
 彼女の深い感情を、ロキはおそらく生涯しょうがい通して理解できない。
 ハオロンも理解していない。彼女の怒りの要因は知り得ない。
 ——しかし、その一方で、ハオロンは不思議なほど共感していた。

 泣きたくなる、胸を刺すような憎悪。
 普通の人間にもあるのか——と。
 ハオロンは少しだけ、ほっとした思いでその涙を見守っていた。
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