致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.5 The Bubble-Like Honeymoon

Chap.5 Sec.16

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 アトランティスの空はドーム状に覆われている。
 したがって、内部は海上であっても潮風にさらされることはなく、外部の天候にも影響されない。内部に意図的に雨を降らすことはできるが、その機能は使われていない。
 ただの透明なフィルターと化した円蓋えんがい
 そのフィルター越しに夜空を見上げていたウサギが、振り返った。
 
「〈つき〉が、セトの〈め〉みたいだね」
「……そうか?」
 
 空には細い金の月。
 眺めてみるが、自分の眼のようだとは思わない。
 
 ドーム内なのもあって、外の空気は寒くなかった。家の中と同じ服装で不都合ない。しかし、出掛ける前にウサギはわざわざ着替えると言い、より寒そうな短いスカートに着替えていた。
 風邪ひくぞ、と忠告したところ、ひっそりと落ち込む顔をされた。
 
「いまからいく〈れすとらん〉は、〈ひと〉がつくってるの?」
「いや、確認したら料理に特化したロボだった。美味いかは知らねぇ」

 レストランまでの道中は短く、着いた先の建物はシンプルな外観だった。立体投影でスタイリッシュに演出されているが、本来レストランではなかったと思われる。
 入店した先は通路で、壁に映る表示によって個室に案内された。周囲にはアクアリウム。映像なのは分かるが、これを見ながら食べるのか。魚料理が食べづらくないか。
 疑問をいだきつつ、(あの魚、美味そうだな……)などと思うセトとは反対に、ウサギは「きれいだね」との感想を述べていた。
 
 テーブルで向かい合う。メニューはなかった。コース料理らしい。
 早々はやばやと運ばれて来たアミューズ。メニューの説明は見ていない。野菜のムースのようなもの。
 一口サイズのそれは秒で消え、
 
(……メルウィンのほうが美味いな)
 
 味についての感想もそれだけだった。
 喜ばないかも知れない。そう案じたが、向かいのウサギはにこにこして食べている。
 
「おいしいね」
「……おう」
 
 加工食よりは。
 そんな心の声を勝手に想像したが、ウサギは思っていないらしい。続く料理も目を輝かせて食べていた。
 締めの甘味と珈琲コーヒーでフルコースは終わり、外に出る。
 
(これはデートか? ただの外食だよな?)
 
 ひたすら疑問ばかりが残るだが、横に並ぶウサギは満足しているようで、
 
「〈でざーと〉に、セトがすきな〈ちょこれーと〉があって、よかったね?」
 
 スカートの裾が揺れるくらい、足取り軽く喜んで——
 
(いや、俺の歩きが速いのか)
 
 跳ねているように見えたのは、こちらの速度に合わせて早足で歩いていたからだった。
 足を止めると、ウサギは笑顔のまま首をかしげる。
 すこし考えて、手を差し出した。
 
「……?」

 伝わっていない。
 
「手ぇ繋ぐか」

 言葉にすると、ウサギは驚く目をしてから、「はい」弾けるように答えて手を重ねた。
 小さな手を、こうして迎えることはあまりない。いつも強引に掴んでいる事実を反省した。
 ほころぶ顔を横目に、極力速度を落として歩いていく。
 
「いまから、モルガンのところに、いく?」
「ああ」
「すこし、〈とおまわり〉してもいい? 」
「いいけど。どっか行きたいとこでもあるのか?」
「いきたいところは、ない。すこし、ながく、あるきたい。〈て〉をつなぐのが……うれしい」
「……こんなんで嬉しいか?」
「はい。これは、とても〈でーと〉っぽい」
「そうか……?」
「〈すかーと〉は、ほめてもらえなかったので……うれしい」 
「それは寒そうだろ」
「セトは、〈すかーと〉が〈すき〉かとおもったのに……」
「なんでだよ」
「きのう、〈すかーと〉のひとを、みてたから?」
「見てねぇよ」
「……みてた、よ?」
「お前が思ってる理由じゃねぇよ」
「…………?」
 
 闘技場の治安の悪さに、気を回してただけだ。
 口にしようとしたが、(なんだこの言い訳みてぇなセリフ) 説明したところで余計に言い訳めいて聞こえそうで……言葉にしなかった。
 
——きのう、〈すかーと〉のひとを、みてたから?
 
 変なところを見られていたことに、居心地のわるい思いがした。
 
 モルガンのいるコントロールタワーへ、回り道で進んでいく。
 途中で、ふいに足を止めた彼女に合わせて、セトも足を止めていた。
 
「どうした?」
「……あの、ひと……」
 
 ウサギは遠目の女を見ていた。知り合いかと思ったが、そうではなく、
 
「……あかちゃん?」
 
 彼女の口から出たワードに、セトも目を送っていた。
 スポーツウェアにしては緩い服。ウォーキングしているのだと思われるが、膨らんだ腹部をかばうような動き。
 
「ああ、そうかもな?」
「……このせかいに、〈こども〉はいないのかと……かんちがい、してた」
「……いや、合ってる」
 
 認識を肯定すると、不思議そうな彼女の目が上がった。
 
「子供は……ほとんど亡くなってる。本来の免疫は強いけどな。親や周囲の大人が感染すると襲われるから……結局、弱い人間が真っ先にやられるんだ」
「………………」
「こんな世で、どこのコミュニティに行っても誰も子供を産みたくないっつってたけど……ここは、産む気があるやつもいるんだな」
「……みんな、うみたくないの……?」
「産みたくねぇだろ。絶対に安全な場所なんてねぇんだ。自分の子が感染する可能性もあるのに、産む勇気なんてなかなか持てねぇよ」
「………………」
は感染しねぇけど、お前だって可能性は……」

 ——ある。
 これから先、ここにウィルスを持ち込むような輩が現れたり、なんらかの理由でパンデミックが起こったりすることは、ありうる。
 抗体はハウスにしかない。一部はジャッカルのいる活動拠点に残してあるので、ジャッカルを拾うついでに取って来てもらえるが……注射ショットの数は圧倒的に足りない。
 例の抗体は試作品になる。ウサギは問題なく使えたが、誰でも使えるのか分からない。そもそもハウスに現在ある物をかき集めても、アトランティスの住民どころか、たったひとりの一生分にも満たない。絶えず作り続けたとして……ようやく足りる程度。
 
 ——ここで、ウサギが感染する可能性は当然ある。
 その事実を改めて、ぞっと身をこわばらせていたセトに、どうしてかウサギはひらめいたような表情で声をあげた。
 
「セトは、〈かんせん〉しない……!?」
「……は?」
「セトは、〈かんせん〉しない?」
「ああ……俺は、な」
「もしかして、セトの〈こども〉も、〈かんせん〉しない?」
「? ……まあ、その蓋然性が高いだろうな?」

 セトの答えを喜ぶように、ウサギは微笑みを返した。
 
「セトの〈こども〉は、〈かんせん〉におびえず、いきていけるから……あんしんだね?」
「いや、でも……お前が子供産めねぇだろ? 視床下部の機能不全——って言われてたじゃねぇか」
「………………」
 
 ぱちり。
 ウサギの瞳が無言でまばたき、セトはハッとした。

「——いや、違う! 今のは言い方が悪かった! べつに責めてるわけじゃねぇからなっ? ありのままの話をしてるだけだからな! でも配慮が足りなかったよなっ? 悪かった!」
 
 怒濤どとうの謝罪と言い訳に、ウサギはびっくりしたように追加でまばたきをして固まっていたが、沈黙を挟んで小さく笑った。
 
(笑うとこじゃなくねぇか!?)
 
 ふふふ、と、こぼれる、脈絡のない笑い声。
 セトが困惑していると、彼女は笑顔のまま口を開き、
 
「セトのあいては、わたしだけ……みたいな、〈いいかた〉だったから……うれしかった」

 笑った理由。
 その、答えに——
 
(……そんなことだけで、嬉しいのか)
 
 セトの胸に、不可思議な戸惑いが生まれる。
 困惑のような、何かが身に余るような、抱きしめたくなるような——。
 
「……セト?」

 繋がっていた手を、セトは確かめるように握りなおした。
 
「ウサギ、お前の身体のことだけど……」
「………………」
は、今後も合間を見て調べようと思ってる」
「……はい」
「追い出すためじゃねぇからな? ここで安全にやってくためにも……必要なことだから」
「……はい。ありがとう」
「ん。……それで、いま話した……子供が作れないことに関しても、マシンに頼っていいなら……なんとかできなくもない。ここの医療技術なら、なんかしらの手段はあると思う」
「……ほんと?」
「ああ」
「………………」
「けど、俺は……子供を育てるならパートナーじゃなくて結婚して……いや、法律のもとじゃなくて、気持ちとして、ちゃんとした伴侶になりてぇっつぅか……時代遅れかも知んねぇけど、それは昔から思ってて……」
 
 散乱する思いで話すセトを、彼女は丸い目で見つめている。
 流れていたセトの目が、ぴたりと彼女の目に止まった。
 
「——ウサギは?」
「……わたしは、せとの〈はんりょ〉に、してもらえるなら……なりたい」
「……それ、ほんとに意味わかって言ってるか?」
「? ……わかってると、おもう」
「俺と、これから先——何年も。ずっとそばにいたいって?」
「はい。ずっと、そばにいたいと、おもう」
 
 やわらかく微笑む彼女の顔を見て、セトの瞳はなぜか、困ったように——

「なんか……夢でも見てるみてぇで……」
 
——怖いな。
 
 夜気に溶けるささやきとともに、彼女の身体を抱きしめていた。
 
 触れていなければ、消えてしまいそうな。
 はかな泡沫うたかたのような幸せ。
 
 セトの腕は、わずかに震えていて——
 本能で感じた恐怖から、目を逸らそうと、腕の中に向けて軽い声をかけていた。

「……遠回りしすぎだな。モルガンのとこ、そろそろちゃんと行くか」
「はい」
 
 手を繋ぎなおして、気持ちを切り替えるように話題を変え、
 
「次は、昼間に時間とってアクティビティ施設でも行くか」
「……あくてぃびてぃ?」
「身体を動かす遊び。最近、運動が足りてねぇ」
「たのしそう。……〈れすとらん〉も、またいきたい」
「お前は食べるの好きだしな?」
「それは……セトじゃ……?」
「——つぅか、さっきの店、普通じゃなかったか? メルウィンの料理が美味いのは分かってたつもりだけど……別格っつぅか……」
 
——ハウスにいたら、僕、これからもいっぱい作るからっ。
 
 セトを引き止めようとした、メルウィンの顔が思い浮かんだ。
 話題を変えようとして失敗している。吐息まじりに流そうとしたが、

「メルウィンって、だれ?」
 
 無垢むくな疑問の声に、セトは思わず足を止めて彼女を見下ろしていた。
 
「は?」

 首を傾ける彼女の顔に、ふざけている様子はない。
 
「?」
「……いや、メルウィンは分かるだろ? ここじゃなくてハウスの話をしてんだぞ?」
「……メルウィンは、セトの……きょうだい?」
「そうだけど……」

 彼女の尋ねる顔と言いぶりが、セトの胸に激しい違和感をひらめかせた。
 ざわざわと湧く——不安。
 怯えなく親しみを見せる瞳に、セトは長らく避けていた名前を、あえてぶつける覚悟をした。
 
「——ロキは?」
「……?」
「お前、ロキのこと心配してただろ……?」
「……ロキ……は、だれ……?」
「誰って……」
「? ……もしかして、セトと、〈ばんど〉してた? モルガンも?」
「してたけど……そんなことより、もっとあるだろっ?」
「……もっと?」
 
 思い詰めるセトの声に、彼女の眉じりが下がった。
 ——冗談だろ?
 彼女の手を握るセトの力が、徐々に強くなっていく。
 
「お前……ハウスのこと、全く覚えてねぇのか?」
「はうす? ……それは、セトと、くらしてたところ」
「俺も居たけど、他のやつらも居ただろ?」
「……いた、かも……?」
「………………」
 
 セトの沈黙の理由が分からない彼女は、慌てたように口を開いた。

「わたし、セトのことは、ちゃんとおぼえてるよ? 〈ちょこれーと〉がすきだから、わたし、セトに〈ぱん〉をつくった。〈もり〉で、〈ゆきかき〉もした。〈げーむ〉もした……よね?」
 
 フォローのつもりで発せられる彼女の言葉は、ひどく見当違いで。
 
「……ほかのひと、だいじ? セトだけじゃ、だめ?」

——はうすのみんなが、どうしても、きになる。
 
 あれだけハウスを心配していた彼女が口にしたのは、真逆のセリフ。
 それは、セトが胸中の違和感を無視できないほどに——明らかに、異常な発言だった。
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