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勇者と冥王のママは暁を魔王様と

第五章・星屑を抱いて1

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◆◆◆◆◆◆

「ゼロス様、おやつの用意ができました。ゼロス様のお好きなクッキーもありますよ?」
「……いいの。おやつ、いらない」
「ゼロス様……」

 扉越しにもマアヤが心配しているのが分かった。
 おやつは大好きだが今はおやつを楽しむ気分になれない。
 ゼロスは人間界から魔界に戻ると、自分の部屋に閉じこもっていたのだ。
 ショックだった。ブレイラと一緒がよかったのに、ブレイラにダメだと言われたのである。
 それは、ゼロスが魔力を上手く制御できなかったから。

「ぅっ……」

 ゼロスはベッドに突っ伏して唇を噛みしめた。
 抱っこしてほしかった。一緒にいてほしかった。
 だってブレイラはいつも一緒にいてくれた。ブレイラはゼロスが寂しい気持ちになると、どんな時も抱っこしてくれて『もう寂しくありませんよ』と優しく慰めてくれた。
 いつもブレイラは綺麗で、優しくて、いい匂いがして、『ゼロス、こちらへ来てください』と手招きされるとゼロスは嬉しくなって我慢できずにぴゅーっと駆け寄るのだ。

「うぅ、ブレイラ……」

 ゼロスは涙声で呟いた。
 悲しくて寂しくて、どうしていいか分からない。ブレイラは嫌になってしまったのだろうか。上手に力を使えなかったから……。

「うぅ~っ」

 視界が涙で滲んで、うっ、うっ、嗚咽が込み上げる。
 ゼロスはベッドに突っ伏したまま小さな肩を震わせていた。
 だが少しして部屋の外が騒がしくなった。バタバタと廊下を行ったり来たりする足音や、士官や女官の大きな声もする。それに混じって「イスラ、イスラ!!」と声がした。

「あ! ブレイラのこえだ!」

 ゼロスはガバリッと顔をあげた。
 ベッドから降りて部屋を飛びだす。すぐにブレイラに会いたかったのだ。
 部屋の外に控えていたマアヤが驚いた顔になる。

「ゼロス様、どちらへ?!」
「ブレイラのとこいくの!」
「お、お待ちくださいっ。今はお部屋でお待ちください!」
「どうして?! ブレイラ、かえってきたのに!」

 ゼロスはマアヤの制止を振り切ってブレイラの声がした方へ向かって駆けだす。
 でも。

「…………あれ?」

 最初は勢いよく走っていたゼロスだったが、近づくにつれて勢いがなくなっていく。
 城内が異様な緊迫感に包まれていることに気付いたのだ。
 明らかにいつもとは違っている。
 士官や女官が慌ただしく部屋を出入りしていて、そこから大人たちの焦った声が聞こえてきた。それに混じって、イスラ! イスラ! とブレイラがイスラの名を呼ぶ声も。
 聞こえてくるブレイラの声は悲鳴のようで、ゼロスは唇を噛みしめた。
 何かが起きている。それが分からなくて、なんだか怖い。
 ゼロスは困惑しながらも部屋に近づいた。
 扉が少しだけ開いていて、隙間からこっそりと室内を覗く。
 部屋からツンッと鼻につく臭いが漂ってきた。それは鉄の臭い。
 たくさんの医務官がベッドを取り囲んでいて、その周りを士官や女官が忙しく動き回っている。
 そこから少し離れた場所にブレイラがいた。
 ブレイラを見た瞬間、ゼロスの心臓がどくりと鳴る。

「ブレイラ……」

 ブレイラは泣いていた。張り詰めた顔でベッドの方を見つめ、イスラ、イスラと震える声で繰り返している。

「お願いします、イスラを助けてくださいっ。お願いします、お願いします……!」

 お願いしますと繰り返すブレイラの声は涙に濡れていた。女官が側にいなければ膝から崩れてしまいそうな、そんな不安定な悲壮さでベッドの方を見つめている。
 それはゼロスが初めて見たブレイラの姿だった。
 いつもブレイラは綺麗で、優しくて、いい匂いがして……。それなのに、それなのにブレイラがたくさん泣いている。あんなに悲しい顔をしているブレイラを見るのは初めてだった。

「ゼロス、何をしている」
「あっ、ちちうえ!」

 背後からの声にゼロスがハッとした。
 ハウストがフェリクトールや側近士官を連れて歩いてきたのだ。
 でもハウストもいつもと違っていた。怖いくらい厳しい顔をしていてゼロスの体が縮こまる。

「……ちちうえ、ブレイラとあにうえ、どうしたの?」
「お前は部屋に戻っていろ」
「で、でも……」
「後で呼ぶ。今は部屋にいろ」

 ハウストはそれだけを言うと部屋に入って行く。
 パタンと扉が閉じて、室内から「ハウスト、イスラがっ……」とブレイラの焦った声がした。
 ゼロスは閉じられた扉をじっと見つめた。
 今、この扉の向こうで大変なことが起きているのだ。
 それはきっとイスラに関わることで、ブレイラがとても悲しそうだった。
 でも今、ゼロスはとぼとぼ自分の部屋に戻る。
 ゼロスも部屋に入りたかったけれど、入れなかった。入ってはいけないのだ。
 ゼロスはとぼとぼ歩きながら大きな瞳にじわりと涙を浮かべた。
 分からないことがたくさんある。自分だけ外にいるみたいで、寂しさに唇を噛みしめていた。

◆◆◆◆◆◆




 カーテンに閉ざされた薄暗い部屋。
 私はベッドの横に座って昏睡状態のイスラをじっと見つめていました。
 私が人間界でイスラを発見した時、イスラは血の海に倒れていました。左腕を切断された状態で、途切れそうな意識を必死に繋ぎとめて、ブレイラと名を呼んでくれたのです。出血多量で気を失ってしまったけれどイスラは生きていました。
 すぐにエルマリスの転移魔法でイスラを魔界に連れ帰り、上級医務官たちによって治療されました。しかしイスラの左腕を切断した短剣は特殊な力を宿していたようで、治療には魔王であるハウストの魔力も必要としたのです。
 半日にも及ぶ治療の間も生死を彷徨っていたイスラですが、ハウストと医務官たちの尽力によって一命を取りとめました。
 血の気のない青白い顔。薄く開いた唇から細い呼吸が漏れています。糸のように細い呼吸ですが、今はその呼吸一つ。微かに上下する胸の動き一つ、その一つ一つから目が離せません。
 それはすべて弱々しいものだけれど私にとって一筋の光。止まらないように、消えてしまわないように、ただ縋るように見つめていました。

「イスラ、イスラ……」

 胸が苦しくなって、名を呼んでイスラにそっと手を伸ばす。
 汗で湿った前髪を指で横に流してあげると、額が露わになって、少しだけ幼い印象になりましたね。
 早く目覚めてほしくて、アメジストのような紫の瞳で見つめてほしくて、ブレイラと名を呼んでほしくて、何度も何度もイスラの髪を撫でました。
 ふと扉がノックされる。静かに扉が開いて、部屋に入ってきたのはハウストでした。

「ハウスト……」

 立ち上がって迎えようとして、「そのままでいい」とハウストが側まで来てくれました。
 見るとハウストも疲労を残しています。
 イスラの治療でハウストもたくさんの集中力と魔力を要しました。彼も酷く疲弊して、イスラが一命を取りとめたのを確認してから今まで休んでいたのです。

「体調はいかがですか? もう少し休んだ方がいいのではないですか?」
「問題ない。それよりイスラの容態はどうなっている」
「まだ目覚めませんが落ち着いています。……イスラの腕のことで何か分かりましたか?」
「イスラの左腕の切断部には人間界の古い禁術の力が宿っていた。禁術については調査させている」

 ハウストは私の隣に立つと、そっと肩に手を置いてくれます。
 私を慰める優しい重みと温もり。イスラを見つめたままその手に手を重ねて、ぎゅっと握りしめました。

「ハウスト、イスラはどうなってしまうんでしょうか。どうして、どうしてイスラがっ……」

 唇を強く噛みしめる。言葉が続けられません。
 頭がぐちゃぐちゃで何も考えられないのです。どうしてイスラがこんな目に遭わなければならないのですか? どうしてイスラがっ……。
 イスラの体には上掛けの布団が被せられています。それは体の厚みに膨らみますが、左腕の場所がぺたりと下がっている。何もないのです。左腕を失ったのです。
 痛かったですよね。苦しかったですよね。悲しかったですよね。

「っ……、イスラっ」
「…………勇者とは難儀なものだな」

 ハウストがぽつりと漏らしました。
 彼を見上げると、ハウストはイスラを見つめたまま言葉を続けます。

「勇者は俺や精霊王や冥王と同格の王だが、その存在は特殊だ。統治する国は無く、玉座も無い、だが人間の王でなければならない。勇者は存在だけで絶対的な王となり、すべての人間の上に君臨することを求められる。それが勇者だ。だが」

 ハウストはそこで言葉を切り、厳しい面差しになりました。
 魔王と勇者は同格の王、ですがその存在の在り方は違います。

「それは簡単なことじゃない。歴代の勇者の中には、戦場に身を置いて人知れず死んだ者もいれば、強国の傀儡として利用された勇者もいる。人間界には幾多の国があるゆえに、謀略と策略に翻弄されて非業の最期を迎えた勇者も少なくない。だからこそ、勇者が勇者である為に、絶対的な王であることを求められるんだ」
「……それが、勇者っ……」

 胸に鉛のような感情が競り上がりました。胸が締め付けられるように苦しくなって、呼吸が詰まりそう。
 ……分かっていたつもりでした。
 以前モルカナ国の騒動に巻き込まれた時に、怪物クラーケンの体内で千年前の勇者に会ったことがあります。勇者の名はジレス。冥界の怪物クラーケンとの戦闘中にクラーケンの体内に取り込まれて死んでしまった勇者です。
 他にも、長い歴史のなかで過去の魔王や精霊王と戦って敗れた勇者もいたでしょう。いにしえの時代には、神になろうとした冥王と戦った勇者もいました。何万年という長い年月に渡って勇者は各界の王と一人で渡り合い、一人で戦ってきたのです。現在のように四界の王が親交を結んでいる時代の方が稀なのです。

「勇者とは、なんて……哀れな存在なのでしょうか」

 途方もない孤独と、人間からの身勝手な期待と希望。それらを一身に受け止めて一人で戦っているのです。
 この勇者の宿命を生きるイスラに私は何をしてあげられるでしょうか。
 沈黙が落ちる中、ふと部屋の扉が少しだけ開きました。
 扉の隙間に見える小さな人影がおどおどした瞳で部屋を覗いています。ゼロスでした。
 目が合うとゼロスはパッと嬉しそうな顔になりましたが、ハウストを見ると次には焦りだしてしまう。叱られると思ったのかもしれません。

「部屋にいろと言ったんだがな」
「不安にさせてしまったようですね。ゼロスに可哀想なことをしました」

 私は目元の涙を拭いました。まだ幼いゼロスに泣き顔は見せられません。
 少しでも笑みを作ってゼロスを手招きします。
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