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後日譚:金木犀の咲く頃に
165:妃殿下の愛嬌
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ルカは隣で嬉しそうに食事をするスーを見て、心が綻ぶとともにすこし気を使いすぎていたのだと反省していた。子を授かってからは、負担になりそうな行いは控えるべきだと考え、不用意に近づかないようにしていたのだ。
帰宅時にスーが飛びついてくることも注意したし、晩酌も禁止、もちろん寝室をともにすることもなくなった。
(もしかすると、寂しい思いをさせていたのかもしれない)
今は人生薔薇色というオーラが、彼女の全身からあふれ出している。
(まさかただいまのキスで、こんなに喜ぶとは……)
ルカが帰宅すると、邸の使用人とともにいつもスーが一番に迎えてくれる。腹部がますます膨らみはじめているので、部屋で休んでいれば良いと提案したが、スーは律儀で出迎えを欠かさない。
ただ以前のように飛びついてくることはなく、楚々とした様子で邸の女主人らしい物静かな出迎えになっていた。
「おかえりなさいませ、ルカ様」
玄関ホールに響くスーの声にあわせて、使用人たちがいっせいに頭をさげる。いつからかそんな習慣になっていた。スーの凛とした佇まいには、出会った頃のような幼さはない。
立派な妻となり女主人になったのだなと思う反面、皇子を産む妃という立場に重圧に感じていないのかは気になっていた。
「ただいま戻りました、スー」
歩み寄ると、スーはほほ笑んで頭をさげる。完璧な仕草だったが、彼女の愛嬌が殺されているように感じた。
ルカは綻びのない出迎えをすこし崩してみようと思ったのだ。
腹がここまで大きくなると、さすがに抱きあげることは憚られる。
だから代わりに、かるく頬に口づけた。
そのあとのスーの様子は、思いかえすだけでもおかしい。
はじめは何がおきたのかわからないようだった。呆然と赤い眼を見開いてこちらを凝視していた。ルカが「ただいま」と笑うと、スーの白い肌が一気に紅潮する。一瞬、腹の子に障るのではないかと不安がよぎったが、すぐに表情がぱっと綻び、赤い瞳がいきいきと輝いた。
完璧な妻の仮面がはがれ落ちて、さっそくスーの愛嬌が最大出力で発揮される。
「ルカ様! ありがとうございます!」
帰宅をむかえる時よりも高くうわずった声が、素直な気持ちを響かせる。とたんに玄関ホールに並んでいた使用人たちにどっと笑いが起きた。
「あ、あ、申し訳ありません。おかえりなさいと言うべきでした」
間違えたと恥ずかしそうに全身を紅潮させていたが、それでもスーは嬉しそうに笑っている。
近くに控えていた侍従長のオトが、するりと彼女に歩み寄って何かを耳打ちした。
「え!?」
何を吹き込まれたのか、スーがあたふたとルカを仰ぐ。
「あの、ルカ様、すこし屈んでください」
オトが何を伝えたのかはすぐに察した。ルカが屈むとスーからキスの返礼があった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
それからずっと、スーは人生薔薇色オーラを発している。
ほんの些細なことで、これでもかとウキウキとしているスーが微笑ましくて、ルカは夕食を自室で二人きりでとれるように指示した。思えば彼女が懐妊してからは、二人きりで過ごす時間が極端に不足している。帰宅後に食事をともにしていても、周りには給仕をはじめ邸の者の気配がある。
晩酌を禁じ、夜も早く休むように配慮していては、二人きりの時間などないに等しい。
(体を労るあまり、スーの気持ちに寄り添っていなかった)
ルカの部屋での夕食は、久しぶりに二人きりの時間になった。スーが喜んでいるのがわかるのでルカも嬉しくなるが、同時に自分の浅慮を反省したくもなる。
「ルカ様、今日は本当にありがとうございます。いつもの食事も素敵ですが、こうしてルカ様のお部屋にお邪魔して夕食をとるのも嬉しいです」
「スーとここで話すのは、ずいぶん久しぶりだな」
「はい」
夕食はいつも向かい合った席になるが、今日は大きな長椅子に二人で身を寄せるようにかけている。以前には当たり前だったことが、彼女の懐妊をきっかけに失われていた。
帰宅時にスーが飛びついてくることも注意したし、晩酌も禁止、もちろん寝室をともにすることもなくなった。
(もしかすると、寂しい思いをさせていたのかもしれない)
今は人生薔薇色というオーラが、彼女の全身からあふれ出している。
(まさかただいまのキスで、こんなに喜ぶとは……)
ルカが帰宅すると、邸の使用人とともにいつもスーが一番に迎えてくれる。腹部がますます膨らみはじめているので、部屋で休んでいれば良いと提案したが、スーは律儀で出迎えを欠かさない。
ただ以前のように飛びついてくることはなく、楚々とした様子で邸の女主人らしい物静かな出迎えになっていた。
「おかえりなさいませ、ルカ様」
玄関ホールに響くスーの声にあわせて、使用人たちがいっせいに頭をさげる。いつからかそんな習慣になっていた。スーの凛とした佇まいには、出会った頃のような幼さはない。
立派な妻となり女主人になったのだなと思う反面、皇子を産む妃という立場に重圧に感じていないのかは気になっていた。
「ただいま戻りました、スー」
歩み寄ると、スーはほほ笑んで頭をさげる。完璧な仕草だったが、彼女の愛嬌が殺されているように感じた。
ルカは綻びのない出迎えをすこし崩してみようと思ったのだ。
腹がここまで大きくなると、さすがに抱きあげることは憚られる。
だから代わりに、かるく頬に口づけた。
そのあとのスーの様子は、思いかえすだけでもおかしい。
はじめは何がおきたのかわからないようだった。呆然と赤い眼を見開いてこちらを凝視していた。ルカが「ただいま」と笑うと、スーの白い肌が一気に紅潮する。一瞬、腹の子に障るのではないかと不安がよぎったが、すぐに表情がぱっと綻び、赤い瞳がいきいきと輝いた。
完璧な妻の仮面がはがれ落ちて、さっそくスーの愛嬌が最大出力で発揮される。
「ルカ様! ありがとうございます!」
帰宅をむかえる時よりも高くうわずった声が、素直な気持ちを響かせる。とたんに玄関ホールに並んでいた使用人たちにどっと笑いが起きた。
「あ、あ、申し訳ありません。おかえりなさいと言うべきでした」
間違えたと恥ずかしそうに全身を紅潮させていたが、それでもスーは嬉しそうに笑っている。
近くに控えていた侍従長のオトが、するりと彼女に歩み寄って何かを耳打ちした。
「え!?」
何を吹き込まれたのか、スーがあたふたとルカを仰ぐ。
「あの、ルカ様、すこし屈んでください」
オトが何を伝えたのかはすぐに察した。ルカが屈むとスーからキスの返礼があった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
それからずっと、スーは人生薔薇色オーラを発している。
ほんの些細なことで、これでもかとウキウキとしているスーが微笑ましくて、ルカは夕食を自室で二人きりでとれるように指示した。思えば彼女が懐妊してからは、二人きりで過ごす時間が極端に不足している。帰宅後に食事をともにしていても、周りには給仕をはじめ邸の者の気配がある。
晩酌を禁じ、夜も早く休むように配慮していては、二人きりの時間などないに等しい。
(体を労るあまり、スーの気持ちに寄り添っていなかった)
ルカの部屋での夕食は、久しぶりに二人きりの時間になった。スーが喜んでいるのがわかるのでルカも嬉しくなるが、同時に自分の浅慮を反省したくもなる。
「ルカ様、今日は本当にありがとうございます。いつもの食事も素敵ですが、こうしてルカ様のお部屋にお邪魔して夕食をとるのも嬉しいです」
「スーとここで話すのは、ずいぶん久しぶりだな」
「はい」
夕食はいつも向かい合った席になるが、今日は大きな長椅子に二人で身を寄せるようにかけている。以前には当たり前だったことが、彼女の懐妊をきっかけに失われていた。
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