シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
32 / 233
第二話 偽りの玉座

序章:二 天界(てんかい)

しおりを挟む
 疲労感を漂わせた足取りで、それでも人目に触れぬように細心の注意を払いながら、彼は天階てんかいから宮城へと続く道程を進んでいた。 

 地界ちかいからみずからの住まいまで戻ってくると、彼はその落差をありありと感じて余計に気が滅入ってしまう。天界てんかいに在ること、天籍てんせきを与えられることには、同時に重責がついて回る。

 分相応な責任と役割があると分かっていても、彼は枯れた地界を思う度に、自身に与えられた境遇を後ろめたく感じてしまうのだ。 

 全てが決められた仕組みの上に成り立っているのだとしても、どうしても快諾できない。 

 地界にあるたみが幸せで活気に満ちている頃は、そんなふうに感じることもなかった。天界のありようが神々しいほどに華やかでも、人々はそれに劣らぬほど明るく笑っていたからだ。彼自身も天界の働きが地界の暮らしのいしずえになっているのだと、王族にあることを誇りに感じていた。天籍てんせきを与えられる立場を嫌悪したことなどなかった。 

 地界があれほどに枯れてしまうまでは、ずっと。 

 彼はもつれる足でようやく城内へたどり着き、深い緑で塗られた柱の影に隠れるように内奥ないおうへと進む。まだまだ気が抜けない。城内に入ってからも先が長いのだ。気の遠くなるような広大な敷地を渡り、このまま自身の居城までたどり着かなければならない。

 天界に在る重鎮じゅうちんの目には、今の彼の姿は呆れるほどに質素な衣装だった。城内を警護している衛兵になど見つかれば、王子だと訴えても信用してもらえないだろう。不審者として査問にかけられた挙句、叩き出されてしまいかねない。 

 それに例え素性が明らかになったとしても、ただでさえ絶えぬ好奇心に翻弄されて城内に留まっていることが少ないのだ。自身の立場を理解していないだとか、変わり者だとか、今でも既に陰口を叩かれている。良からぬ風評に追い討ちをかけることは間違いがない。 

 彼自身は周りの評価など痛くも痒くもないのだが、いつもそれを嘆く者がいるので悪目立ちは避けたかった。自分なりに、いちおう品行方正な王子を演じているつもりなのだ。 

 彼はようやく視界に自身の居城を映すところまでやって来た。途中で人の気配から遠ざかるため、駆け足で突っ切った場面もあり、疲労感に加えて息も上がっている。 
 自身の住まいである翡翠宮ひすいきゅうまでを、こんなに遠く感じたのは初めてかもしれない。 

(こ、ここまで来れば、大丈夫) 

 立ち止まって翡翠宮へと続く門に寄りかかっていると、突然視界に影がよぎる。彼はぎくりとしてすぐに背後を振り返った。 

 間近で困ったように微笑む表情と出会う。彼は安堵して、ぐったりと力が抜けた。そのままずるずると座り込んでしまう。 

「王子、お帰りなさいませ」 

 どこか他人行儀な振る舞いで、現れた彼女はわざとらしく丁寧に頭を下げた。碧国へきこくで生まれた者にはない美しい白銀の髪が、彼女の動作にあわせて肩から流れ落ちる。加えて彼女の肌は抜けるように白い。 

 美しい容姿をたたえる意味をこめて、彼女は真っ白な雪を示す玉花ぎょくかという愛称を与えられていた。 
 彼はうやうやしい彼女の態度を気にとめる様子もなく、座り込んだまま屈託のない笑顔を見せた。 

「――ゆき」 

 彼は周りの者達のように、彼女を玉花ぎょくかひめとは呼ばない。彼だけに許された気安い愛称で、いつものように嬉しそうに呼びかけた。 

「良かった、すごくびっくりしたよ」 

 彼が手を伸ばすと、雪は不思議そうにその手を眺めている。 

「何ですか、この手は」 
「だから、引っ張って立ち上がらせて」 

 素直に甘えると、彼女は柔らかな微笑みを向けたまま、ぴしゃりと答えた。 

「嫌です」 
「えー? すっごく冷たい反応。雪ってば、僕の手を握ってよ。ほらほら」 

 彼女はあどけなさの残る美しい顔に笑顔を貼り付けたまま、再び容赦なく口を開く。 

「駄々っ子みたいに甘えないでください。とにかく早くお戻りになって。もしそんな姿を誰かに見られたら、わたくしは国へ下がらせていただきます」 

 可愛い声で、ためらわずに厳しい台詞を吐いている。彼は伸ばしていた手を所在無く引っ込めて、しぶしぶ立ち上がった。 

「雪のいじわる」 

 悪態をついても、彼女はいつもの通り優しげな笑顔で傍らに立っている。 

「私を残して好き勝手に出歩かれて、これでも拗ねているんです」 

 素直な不平に彼は反応が遅れた。こんなふうに自分への思いを語ってくれる彼女は、ただ愛らしい。思わず頬が染まる。 

 西の国から彼女が嫁いできて、既にどのくらいの月日が過ぎたのだろうか。 

 透国とうこくしろ御門みかどと呼ばれる王が治めている西方の地。国の守護として神獣しんじゅう白虎びゃっこを従えて、風を司っている。真っ直ぐな銀髪と灰褐色の瞳、白い肌をあわせ持つのが透国に生まれた者の特徴だった。 

 雪はしろ御門みかどの三人目の皇女みこになる。 
 ぷいとそっぽを向いて歩き出す雪を追うように、彼も後に続く。 

「ごめんね、雪」 

 叱られた子どものように詫びながら、彼は重い体をひきずるようにして邸内へ入る。 
 翡翠宮の軒廊こんろうにさしかかった辺りで、前を歩いていた雪がふと足を止めて振り返った。 

「もう拗ねるのにも飽きてしまいました。翡翠ひすい様、私の手でよかったら、どうぞ。つかまって下さい、とても疲れているのでしょう?」 

 ようやくいつものように、彼女も打ち解けた微笑みを向けて彼の愛称を口にした。碧国へきこくの第二王子として生まれた彼は、碧眼の溢れる国内にあっても、ひときわ鮮やかな緑のをしていた。そのため、彼は周りからも、最愛の妃からも翡翠ひすい王子おうじと呼ばれている。 

 茶髪に碧眼、褐色の肌色。碧国へきこくに生まれた者の共通の特徴である。 
 この世界は容姿を彩る色合いが、そのまま生まれた国を示す。天界でも地界でも、それだけは同じだった。 

 彼は笑顔を取り戻して、はりのある褐色の手で差し伸べられた白い手を取った。 

「やっぱり雪は優しいよね。僕は雪と縁を結ぶことが出来て、本当に良かったな」 
「出会った頃からは、想像もつかないお言葉ですね」 

「うん、まぁ。昔は誰かをめとるなんて考えたことなかったからね。僕みたいなのに嫁いだら、相手が不幸だと思っていたんだ。もちろん、雪も例外じゃないけど」 
「まぁ。私は王子と縁を結ぶことが出来て、とても幸せなのに?」 

「こんなふうに、一人であちこち彷徨さまよっているのに?」 
「それに関しては、たしかに一言申し上げたい気もしますが。でも私の知らないお話をして下さるし、楽しいわ。今日もお土産にたくさんお話を聞かせてください。それで許してあげます」 

「うん。……でも、楽しい話じゃないけど」 
「かまいませんわ。私もお伝えしておくことがありますし。……とにかくお着替えになって寛いでください」 

「うん」 

 彼は小さな声で感謝を言葉にすると、そっとつないでいた手に力を込めた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!

恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。 誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、 三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。 「キャ...ス...といっしょ?」 キャス……? その名を知るはずのない我が子が、どうして? 胸騒ぎはやがて確信へと変わる。 夫が隠し続けていた“女の影”が、 じわりと家族の中に染み出していた。 だがそれは、いま目の前の裏切りではない。 学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。 その一夜の結果は、静かに、確実に、 フローレンスの家族を壊しはじめていた。 愛しているのに疑ってしまう。 信じたいのに、信じられない。 夫は嘘をつき続け、女は影のように フローレンスの生活に忍び寄る。 ──私は、この結婚を守れるの? ──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの? 秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。 真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...