シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
93 / 233
第三話 失われた真実

第七章:1 開かれた影脈(みち)

しおりを挟む
 彼方かなたが新たな会話の糸口を探していると、何の前触れもなく副担任のはるかが立ち上がった。一瞬にして、宿直室に尋常ではない緊張感がみなぎる。彼方は寝台に横たわったまま動けず、どうしたのかと声をかけようとして目を見開いた。 

 遥が素早く虚空に手を這わせ、何かをつかみ取ったのが判る。突然の抜刀に声を失っていると、彼は手にした漆黒の刀剣――悠闇剣ゆうあんのつるぎを迷わず床に突き立てた。 

「――影脈みちを開く」 

 淡く差し込む陽光で形作られた遥自身の薄い影。艶やかな刀剣は彼の足元に描かれた影を的確に貫いている。彼方があっと声を上げる前に、遥の姿は室内から跡形もなく失われていた。 
 彼方が引き止める隙も与えぬ素早さで、遥は目の前から立ち去ってしまったのだ。彼方は寝台に横たわったまま天井を眺めて、目の前で繰り広げられた状況を整理した。 

「……影脈けいみゃくを使えるって、どういうこと?」 

 思わず声に出して呟いてしまう。有り得ない話ではないが、彼方はただ驚いていた。 
 みちを使うためには、それなりの条件を満たす必要がある。彼方には副担任の遥がそれを満たしているとは思えない。じゅってを制する彼には、みちすらも自由自在に使える力なのだろうか。 
 あるいは。 

 そこまで考えたとき、彼方は宿直室の外に人の気配を感じた。ようやくそうがやって来たのだと思うと、闇呪あんじゅである副担任を足止めできなかったことを悔やみたくなる。ついさっきまで、彼がここにいたのだ。わずかな差でそうはるかを対面させることが叶わなかった。 

「彼方、大丈夫ですか」 

 予想にたがわず奏が顔を出した。窺うように、ゆっくりと扉を押し開いて室内へ入ってくる。彼方は虚脱感に襲われながらも、現れた奏に笑顔を向けた。それから悪戯いたずらを叱られた子どものように顔をしかめてみせる。 

「ごめんなさい、奏。もうちょっとだったんだけど」 

 奏はさっきまで遥が座っていた椅子にかけて、不思議そうに彼方かなたを見つめる。 

「それはどういう意味ですか」 

 彼方は教室で起きた出来事から、これまでの経緯をかいつまんで語った。奏は彼方の謝罪の意味を理解すると、穏やかに笑う。 

「そうですか。ついさきほどまで、ここに彼が」 
「うん。僕がうまく引き止めていられたら良かったのに」 

 彼方が横たわったまま溜息をつくと、奏は表情から笑みを消して呟いた。 

「何か起きたのかもしれませんね」 
「何かって?」 

 視線を奏に向けると、彼は何かを考えている風情で室内の一点を見据えている。彼方を見ることはせずに続けた。 

「あなたの兄上もこちらへ渡っている。緋国ひのくにの二ノ宮は残念なことになってしまいましたが、彼女も魂禍こんかとなる前には目的があった筈です。その目的はおそらく闇呪あんじゅきみや、相称の翼に関わることに間違いないでしょう」 

「だけど、兄上は僕を狙っていたのに?」 
「その辺りの成り行きは、はっきりとはしませんが……」 

 奏は一瞬黙り込んでから、彼方を見た。 

闇呪あんじゅきみ影脈みちを開いたのですね」 
「うん、間違いない」 

 彼方はさっきまでの思考を取り戻す。 
 みちを使うために、満たさなければならない条件。奏もそれを考えてしまったのだろう。まさかと思ったが、彼方はそれを口に出して見た。 

「副担任、じゃなくて……闇呪あんじゅ翼扶つばさがいるとしたら」 

 奏は頷く。 

「たしかに、影脈みちを使うことは可能です」 
「でも、そんなことあるのかな。闇呪あんじゅが忠誠を捧げる相手なんて想像がつかない。付け加えてみちではこの異界から天界に渡れないだろうから、相手もこちらに渡っているということになる」
 
 今までの成り行きを考えると、彼方にも一人だけ思い当たる人物がいる。どんなに闇呪あんじゅであるはるかに否定されても、俗物的とも言える一つの考えを拭い去ることができない。 

 天宮あまみや朱里あかり。彼女に対する特別な感情。彼方は思い過ごしではないと感じてしまう。 
 けれど、朱里が闇呪の翼扶つばさになることは不可能なのだ。彼女はこちらの世界に生まれ、真実の名を持たない。みちを開く以前の問題だった。 

 みちと呼ばれるものは幾通りかある。 
 ついさっき闇呪あんじゅが目の前で開いてみせた影脈けいみゃく。影を介して開くみち。もちろん彼方にも開くことの出来るみちがある。彼方は一度だけ地脈ちみゃくを開いたことがあった。

 雪と縁を結び、互いに真名まなを捧げあってから、初めて放浪癖を発揮したときだ。彼の長すぎる不在に、さすがの雪も耐え切れなかったのだろう。不安に苛まれた彼女の声に呼ばれたのだ。それは即座にみちを開く契機となった。 
 彼方は脳裏に浮かんだ朱里のことを、すぐに考えから追い払った。 

天籍てんせきに在る者で、闇呪あんじゅが心を捧げるとしたら誰だろう。みちは愛をって真名まなを捧げた翼扶つばさか、仁を以って真名を捧げた主君にしか開くことは出来ないわけで……。闇呪あんじゅには、どっちも想像がつかないけど」 

 考えをまとめながら呟いていると、ふっと闇呪あんじゅく守護を思い出す。 
 闇呪を護るために生まれた黒麒麟くろきりん。 

「奏。もしかすると闇呪は守護に対してみちを開くことが出来るのかもしれない。僕達は守護を持ったことがないから知らないだけで。それに、各国の守護は王に対して霊脈れいみゃくを開くことができるわけだし」 

「そうですね。その可能性もあるでしょうが。――しかし、王が守護に対してみちを開いたという話は聞いたことがありません」 

 過去の事例に造詣の深い奏が知らないのならば、それは有り得ないことわりなのだろう。彼方は短く唸ってしまう。奏は面白そうに彼方に指摘する。 

「闇呪が翼扶つばさを得たと考えるのは、そんなに不自然ですか」 
「いや、そういうわけじゃないけど。むしろ、こっちの世界の人物には心当たりがあるくらいなんだけど。天籍に在る者で、なおかつこちらに渡っていて、闇呪が真名を捧げるなんて。そんな都合の良い人いるのかなって」 

 奏は興味を惹かれたように、椅子から身を乗り出した。 

「こちらの世界で心当たりがある人物とは、どういうことですか」 

 彼方かなた朱里あかりに関わるこれまでの成り行きと、自分の感じた当てずっぽうな意見を述べた。奏は無駄話であるとは思わないようで、真剣に耳を傾けている。 

天宮あまみやゆかりのある者ですか。――闇呪に人並みの情があるのならば、恩義を感じても不思議ではないでしょうね。彼はこちらにつながる鬼門の守役もりやくとして、本当はこの天落の地にも馴染みがあるのかもしれません」 
「うん、まぁ。理由は色々考えられるけど」 

 奏は小さく笑った。 

「彼女のためにを呑んで見せたのが、彼方にとっては余程衝撃的だったのでしょうね」 
「だって、あれはひどかったよ。思い出すだけで鳥肌が立つ」 

 寝台に横たわったままでも、体が震えてしまいそうだった。彼方は嫌な光景を追い払うために、固く目を閉じる。奏の落ち着いた声が、一つのことを示唆した。 

「天宮の娘はさておき、闇呪の君に翼扶つばさが在るということは、充分考えられるでしょうね」 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

処理中です...