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3、変革のシトリン

176、黄色の海、夕映え。画家の子は絵を楽しんではいけない

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 太陽は真上に輝き、澄み切った空の青色をまばゆく輝かせていた。

 軽やかな風が吹き、そよそよとたてがみの毛先を遊ばれて、空国の王都サンドボックスで留守番中の黒馬のゴールドシッターは目をつむる。
 
 預けられた厩舎で、隣の馬房にいる白馬と仲良くなったのだ。

 厩番うまやばんも熱心に世話をしてくれて、白馬といっしょに散歩にも連れだしてくれる。今日も、お揃いの色の馬着を着せてもらって、手綱を引かれて堂々と外に出る。

 すると、王都の民は喜んでこちらを見たり、手を振ったりするのだ。

「黒の英雄の馬だ」
「神師伯だぞ」
「神師伯とはなんだ? 他国の役職?」

 聞き覚えのある単語が耳に拾われる。

 出身の異なる旅人が二人、並んで「俺の国では黒の英雄なんだ」「我らの神師伯だが?」と言葉を交わしている。

 主人の話をされているのが嬉しいので耳を澄ましていれば、彼らはすこしずつ別の話題に移っていった。

「紅国の神々とやらが実在するのか知らんが、我々青国と空国には現人神あらひとがみが玉座におわすのだ。俺は直接この目で俺たちの神様を拝んだこともあるんだぜ」

 年嵩の男が言えば、「それって、違うって聞いたことあるけどな」と若い旅人がおずおずと口を挟む。

「神のように偉い、と形容しているだけで、別にほんとうに神なわけではないのだろう? そんな噂があるが、違うのか?」


 * * *

 
 空はまるでキャンバスのように広がり、上空で真っ白の太陽がのんびりと角度を変えている。
 多島海を巡る豪華客船『ラクーン・プリンセス』は、航路を変えていた。
 
「友よ、十人目の人魚の恋人がいるらしい」
「ほうほう」 

 死霊がサイラスにもたらした情報を空王くうおう青王せいおうに共有すると、二人は海底遺跡に向けようとしていた調査船を二手に分けて片方をその島に先行させた。

「以前、冒険しようと言っていた洞窟のある島ではないか」
「運命的ですね。さてさて、その人魚をどうしましょう。また歌詞をいじりますか?」
「とりあえずついてこいと言って引っ張って行けばいいのではないかな」
 
 二人の王は盛り上がり、船自体を寄り道させることにした。その決定が下されるころには、人魚に連れられて行った九人の男たちも戻ってくる。

「人魚とどうだった」
「海の中に行ったのか?」

 客船デッキでは、人魚との交流に出かけた九人の男たちが帰還して武勇伝を語っている。

「いいや、小島に連れて行かれたんだが、そこに営巣えいそうされててさ……岩で囲まれた浅くてぬるい湯の中で……」

 大人な会話が聞こえてくる中、楽団は船尾方向に集まって海門序曲を奏でている。船尾方向の海には、十人目の人魚がいた。

「恋人に会わせる意図が伝わっているかはわからないですが、ついてきてくれるようですね」

 サイラスが「よしよし、しめしめ」と言う声に安堵が滲む。
 隣で同じセリフを唱えようとしたフィロシュネーは、画家のバルトゥスに気付いた。

 木製の椅子をデッキに置いて、子供と一緒にいる。

 後援会に囲まれているのだが、その一員のような顔で空国のブラックタロン家当主フェリシエンと青王アーサーの婚約者候補のひとりである紅国のアリス・ファイアハート侯爵令嬢も混ざっていた。
 
 潮風に乗って、会話が聞こえてくる。

「パパ、絵の具をなくしたの。かわいそーね」
「ははは。予備があるから平気さ」

 バルトゥスの子は、海の絵を描いていた。黄色い絵の具で海水を塗っている頬が熟れた果実のように真っ赤で、目は楽しくてたまらないというようにキラキラしていた。

「水は黄色ではないだろう。青を使わないとだめだぞ」

 大人の声がした。後援会のメンバーだ。バルトゥスにかけていたのと同じようなノリで、子供にも意見を呈している。

「子供だからと絵を楽しむな。遊びではないのだ。お前が楽しむのではなく、他人を楽しませろ……おい、バルトゥス。教育がなっていないのではないか?」
「その絵をやめてまともな絵を描け。言うことをきかないのか? 子供のくせに素直さが足りないな。それじゃ父のようになれんぞ」
「父の絵の模写をしてはどうだ、上達する一番の近道だと思うぞ」
 
 アリスとフェリシエンは微妙な顔をして「子供ではないですか」「そういう口出しはバルトゥスだけにしておけばよいのではないかね」と言っている。

「この子はバルトゥスの子だぞ。我々は親のようなものだ。将来のために指導してやっているのだ」

 後援会のメンバーはむすりとして声を荒げ、子供の手から描きかけの絵を取り上げた。

「ふ、ふえ……」
「この子の絵を好きに描かせてあげてください。お願いします」
「――バルトゥス! 父であるお前がそんな態度だから息子が売りものにならないような絵を描くのだ!」

 バルトゥスは息子を守るように抱きしめ、懇願する。

「す、すみません。声をあまり荒げないでください。息子が怯えております」
「これだから子供は」
「お前の子だから期待しているのに、意識も低ければ遊び気分で……」
「見るに堪えない! 不快な色だ」

 びり、という音が聞こえる。黄色い海の絵が真ん中からふたつに破かれたのだ。 
 
 ――これはひどいのではなくて?

 フィロシュネーは一瞬ぽかんとしてから、声をあげた。

「あなたたち、それはお芝居の練習かなにかですの?」

 視線をサイラスに向ければ、同じような困惑の色を返してくる。

「これはこれは、青国のフィロシュネー姫殿下……」
 後援会の輪の中へと進み入り、フィロシュネーは子供から絵を取り上げた男の正面に立った。

「あなたは、役者さん?」
「……?」
 
 この反応だと、違うのだ。フィロシュネーは残念に思いながらサイラスに目配せをし、男の手から子供へと絵を取り戻した。
 
「バルトゥス。この子供は、まだ三つか四つくらいに見えますが、この小さなおててで売りものの絵を描くことを強要されるような職人画家なのかしら?」
「いえ、息子はただ、父親である私が絵を描いているのを見て興味をおぼえて……」

 その通りです、職人画家ですと言われなくてよかった――ほっとしつつ、フィロシュネーは扇をひろげた。

「大人なら、このくらいの年齢の子供には、絵を描くことを楽しんでもらうように接するべきではなくて? あなたたち、後援という意味をご存じ?」

 青国と空国における芸術家の後援会は、芸術家を支援し、その創造性や芸術的な活動を促進するためのグループだ。

 後援会は、芸術家が創作に打ち込める環境を提供し、彼らの才能を広めるために活動する。フィロシュネーはその概念を説明した。

 なぜか「正しいことをおっしゃっている」とサイラスが意外そうに呟くのが聞こえるが、きっと気にしてはいけないのだろう。

「今の後援会は、悪影響を与えていないかしら。あなたたちはどちらかといえば、創造性を否定し、創作をやめさせる会になっているように思えますわ」

「空国の後援会の在り方については、俺も興味があります。外交官を通して、後日正式に問い合わせしましょう」

「あら。サイラスもそう思いまして? わたくし、空王陛下にもこの件をお話して見解をお聞かせいただこうかしら。不適切な会は解散して、ちゃんとした会を再結成させたらいいと思うの。バルトゥスは空王陛下もお気に入りの画家と聞きますもの」

 後援会のメンバーたちは「おい、やばいのではないか」「罪に問われたりはしないと思うが……」と顔色を悪くしていく。
 
 バルトゥスの子供が自分の絵を見て、わあわあと泣いている。
 その声は痛々しくて、フィロシュネーは胸が痛んだ。

 だが、後援会の男には「私が正しいのに」という感情が揺らがない。

「どれ、吾輩が紙を直してやろう」

 意外にも、フェリシエンが呪術をつかって破れた紙をくっつけてくれる。フィロシュネーはその陰鬱そうな横顔をまじまじと見つめた。

「ああ、ブラックタロンは呪術が得意なのであったな。感謝する。こころから感謝する」

 元通りになった黄色い海の絵を見てぐすぐすと泣く息子を撫でながら、バルトゥスは自身も鼻を赤くした。
 
 いつの間にか、太陽はすっかり傾いて、海の近くまで降りていた。
 
「その海は、夕映えの海のようね。ほうら、目の前の海も、ちょうどこんな具合だわ……日が沈む前から、日没の海を想像して色を塗ったの? とっても素敵。預言者のように、未来がみえているのね」
 

 海の水面が深いオレンジと金色に染まる夕刻。

 きらきらと輝く美しい景色と絵を見比べてフィロシュネーが微笑めば、子供は泣きはらした目から新しい透明な雫をこぼしながら小さく頷いた。

 そして、父バルトゥスが差し出す絵筆を受け取り、子供の手は沈みかけの太陽を海のそばに寄り添わせたのだった。
 
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