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4、奪還のベリル
303、だから、悪の呪術師は絵本のお姫様になれなかったの
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「空王ハルシオンが不老症になり、空国の預言者が交代したのでしょう。聞いています」
「いかにも」
紅国のカサンドラは、仲間であるフェリシエンと一緒に森の実験場にいた。
「それで、実験の進捗はどうかね」
フェリシエンはカサンドラの心情など興味がないというように事務的な態度だ。
「青国で集めた生命力で、黄金の林檎は完成しかけています。像は壊されてしまいましたけど」
「グレイ男爵家の像か。よく今まで気づかれなかったな」
(あなたは、よくご存じですね)
心の中で感想をこぼしつつ、カサンドラは大きな木の幹を手で撫でた。
森の実験場には、霧の守護結界を張り巡らせてある。
「私はとても慕われていましたので……ご不満? まさか、正義感に駆られているわけでもないでしょう」
「自分を慕う者を陥れる側も外道であるが、見抜けない無能者にも問題がある」
カサンドラはフェリシエンの赤い瞳を見つめた。
二人は二十代から三十代の外見をしているが、カサンドラは五百年以上生きていて、フェリシエンは外見通りの年齢のはずだ。
その割に目の前の男は偉そうで、百年から三百年以上生きている仲間でも使えない者がいる『移ろいの術』を容易に会得してみせたり、カサンドラすら知らないような情報をポロリと教えてくれたりする。
あやしい。
おかしい。
「フェリシエンは、それを自分の身内にも言わないといけませんね」
「いかにも」
「研究成果の一部をフェリシエンの手柄にする約束だったけど、あの話は白紙にします。世間にも公表しません」
「そのつもりだと思ったので、ハルシオン陛下のご命令は渡りに船であった」
「あなたが仕組んだのではなくて?」
「答える必要性を感じぬ」
答える声からは、感情が読み取れない。
まるで、お人形でも相手にしているよう。
でも、実際のところはフェリシエンは人間で、カサンドラこそがお人形だ。
《輝きのネクロシス》の幹部亜人は、自然に生を受けてオルーサに改造された人間と、オルーサに呪術で創り出された人間とがいる。
預言者は、人間の男女の愛の営みの果てに自然に産まれた。
カサンドラは、オルーサという呪術師が創り出した命だ。
カサンドラが行っていた研究――才に恵まれた人間を不老症に改造したり、不老症を治したり、遺跡や神々の神秘について――に協力していた幹部亜人は、それぞれがなにかしら利害の一致をモチベーションにしていた。
たとえば、預言者ダーウッドは彼女の青王を不老症に改造したかった。
預言者ネネイは自分が死にたくなくて、制裁を恐れて。
ソラベル・モンテローザ公爵は、魔法の天才・預言者を自家から輩出したかった。
フェリシエン・ブラックタロンは……。
「あなたに天才の称号をあげられなくて、すみませんね。でも、私が約束を反故にするのを予想していたのでは?」
「そうだな」
カサンドラは遠くから聞こえる足音を感知しながら、微笑んだ。
「私の結界を破ったのは、どういうおつもり?」
「約束を反故にした罰に」
「偉そうですね、フェリシエン」
フェリシエンは返事をすることなく背を向け、遠ざかる。
その背中を見送りながら、カサンドラは父オルーサを思い出した。
『お父様。絵本に出てくるお姫様が、お父様と一緒にお花の冠をつくっていたの。カサンドラも、同じことをしたいです』
『カサンドラは本が嫌いなのか。気に入ってそうだと思ったが、意外だな』
『いいえ、お父様。本は好きです。お花がきれいですね。私がお水をあげても、いいですか?』
『ああ、この花は魔法薬の材料なのだ。本に挟む栞にしたいのか?』
『いいえ、いいえ、お父様……』
生まれたてのカサンドラは、呪術師オルーサが花を愛でる背中を見ていた。
『そうだな。そろそろメアリーに魔力を注ぐ時間だった。教えてくれたのだな』
『いいえ。私は、……』
自我が芽生えたばかりのカサンドラは、オルーサを見て『父』と認識した。
父は呪われていた。孤独の呪いだ。
孤独な父は、組織を作った。
父は人形をつくり、人間を改造し、無軌道になっていき――
* * *
木々がさやさやと葉音を立てる中、現実、現在の森の中で、カサンドラを探す声がする。
「悪の呪術師がこの森にいる……! 警戒を怠るな!」
世界は、冬を迎えようとしていた。
あたたかな季節は、いつの間にか過ぎていた。
美しい花が咲いていた父の庭に、花はもう咲いていない。
『他者になりすまし、正体を知らない者に他者の演技をして接する分にはコミュニケーションが比較的取れるようだ。だが、オルーサくんがオルーサくんとして彼を知る身内と話すとき、意思疎通に齟齬が生じやすくなるのだな』
フェリシエンは、そんな発言をしてカサンドラを驚かせたことがある。
最近になって組織に参加した、百歳にもなっていない若造が、父のなにを知っているというのか。
父をなぜ偉そうに呼ぶのか。
そんな違和感と反発心を感じるのと同時に、カサンドラは納得したものだ。
だから、私は父と心を通わせることができなかったのだ、と。
父の背中をふしぎそうに見つめていた幼い自分に教えてあげたい。
(……だから、悪の呪術師は絵本のお姫様になれなかったの)
「いかにも」
紅国のカサンドラは、仲間であるフェリシエンと一緒に森の実験場にいた。
「それで、実験の進捗はどうかね」
フェリシエンはカサンドラの心情など興味がないというように事務的な態度だ。
「青国で集めた生命力で、黄金の林檎は完成しかけています。像は壊されてしまいましたけど」
「グレイ男爵家の像か。よく今まで気づかれなかったな」
(あなたは、よくご存じですね)
心の中で感想をこぼしつつ、カサンドラは大きな木の幹を手で撫でた。
森の実験場には、霧の守護結界を張り巡らせてある。
「私はとても慕われていましたので……ご不満? まさか、正義感に駆られているわけでもないでしょう」
「自分を慕う者を陥れる側も外道であるが、見抜けない無能者にも問題がある」
カサンドラはフェリシエンの赤い瞳を見つめた。
二人は二十代から三十代の外見をしているが、カサンドラは五百年以上生きていて、フェリシエンは外見通りの年齢のはずだ。
その割に目の前の男は偉そうで、百年から三百年以上生きている仲間でも使えない者がいる『移ろいの術』を容易に会得してみせたり、カサンドラすら知らないような情報をポロリと教えてくれたりする。
あやしい。
おかしい。
「フェリシエンは、それを自分の身内にも言わないといけませんね」
「いかにも」
「研究成果の一部をフェリシエンの手柄にする約束だったけど、あの話は白紙にします。世間にも公表しません」
「そのつもりだと思ったので、ハルシオン陛下のご命令は渡りに船であった」
「あなたが仕組んだのではなくて?」
「答える必要性を感じぬ」
答える声からは、感情が読み取れない。
まるで、お人形でも相手にしているよう。
でも、実際のところはフェリシエンは人間で、カサンドラこそがお人形だ。
《輝きのネクロシス》の幹部亜人は、自然に生を受けてオルーサに改造された人間と、オルーサに呪術で創り出された人間とがいる。
預言者は、人間の男女の愛の営みの果てに自然に産まれた。
カサンドラは、オルーサという呪術師が創り出した命だ。
カサンドラが行っていた研究――才に恵まれた人間を不老症に改造したり、不老症を治したり、遺跡や神々の神秘について――に協力していた幹部亜人は、それぞれがなにかしら利害の一致をモチベーションにしていた。
たとえば、預言者ダーウッドは彼女の青王を不老症に改造したかった。
預言者ネネイは自分が死にたくなくて、制裁を恐れて。
ソラベル・モンテローザ公爵は、魔法の天才・預言者を自家から輩出したかった。
フェリシエン・ブラックタロンは……。
「あなたに天才の称号をあげられなくて、すみませんね。でも、私が約束を反故にするのを予想していたのでは?」
「そうだな」
カサンドラは遠くから聞こえる足音を感知しながら、微笑んだ。
「私の結界を破ったのは、どういうおつもり?」
「約束を反故にした罰に」
「偉そうですね、フェリシエン」
フェリシエンは返事をすることなく背を向け、遠ざかる。
その背中を見送りながら、カサンドラは父オルーサを思い出した。
『お父様。絵本に出てくるお姫様が、お父様と一緒にお花の冠をつくっていたの。カサンドラも、同じことをしたいです』
『カサンドラは本が嫌いなのか。気に入ってそうだと思ったが、意外だな』
『いいえ、お父様。本は好きです。お花がきれいですね。私がお水をあげても、いいですか?』
『ああ、この花は魔法薬の材料なのだ。本に挟む栞にしたいのか?』
『いいえ、いいえ、お父様……』
生まれたてのカサンドラは、呪術師オルーサが花を愛でる背中を見ていた。
『そうだな。そろそろメアリーに魔力を注ぐ時間だった。教えてくれたのだな』
『いいえ。私は、……』
自我が芽生えたばかりのカサンドラは、オルーサを見て『父』と認識した。
父は呪われていた。孤独の呪いだ。
孤独な父は、組織を作った。
父は人形をつくり、人間を改造し、無軌道になっていき――
* * *
木々がさやさやと葉音を立てる中、現実、現在の森の中で、カサンドラを探す声がする。
「悪の呪術師がこの森にいる……! 警戒を怠るな!」
世界は、冬を迎えようとしていた。
あたたかな季節は、いつの間にか過ぎていた。
美しい花が咲いていた父の庭に、花はもう咲いていない。
『他者になりすまし、正体を知らない者に他者の演技をして接する分にはコミュニケーションが比較的取れるようだ。だが、オルーサくんがオルーサくんとして彼を知る身内と話すとき、意思疎通に齟齬が生じやすくなるのだな』
フェリシエンは、そんな発言をしてカサンドラを驚かせたことがある。
最近になって組織に参加した、百歳にもなっていない若造が、父のなにを知っているというのか。
父をなぜ偉そうに呼ぶのか。
そんな違和感と反発心を感じるのと同時に、カサンドラは納得したものだ。
だから、私は父と心を通わせることができなかったのだ、と。
父の背中をふしぎそうに見つめていた幼い自分に教えてあげたい。
(……だから、悪の呪術師は絵本のお姫様になれなかったの)
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