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4.変わらないもの
(3)
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『任せてもらっても、構いませんよ』そう言われたときのモヤッと感が、また私の内心をしめ始めた。
任せたくないって、思った。贖罪だからとか、クレスさんが信用できないからとかじゃなくて、ただ単に私がみてあげたかった。昔みたいに。幼いころみたいに。
でも、あのときとは決定的に違うなにか。あのときに感じていたのは、義務感のようなものだった。私が守ってあげなくちゃ、私が助けてあげなくちゃ、私が、私が。
確かにそんな気持ちもあるけど、だけど今はそれだけじゃなくて――
「私にも、よくわかりません。でも……、でも、秋斗くんが、私の大事な――」
「大事な?」
「大事、な――」
つられかけて、私は口ごもる。
私……、今なんて言おうとしたの?
「美結、さん?」
ハッとなって、私はベッドに目を戻した。
うっすらとひらかれた藍色の瞳が、あまり視点のさだまらないまま、こちらにむけられている。
「秋斗くん……! よかった、意識がもどったのね」
「ごめん……、美結さん……。おれ……」
「なんで、秋斗くんが謝るのよ。あなたはなにも、悪いことなんてしていないでしょ」
「ううん。おれが勝手なことを言って、美結さんを困らせて……、悩ませて……、苦しめた……。本当に、ごめ……」
徐々に小さくなっていく秋斗くんの言葉が、完全に消える。
「秋斗くん?」
「おや。また、眠ってしまったようですね」
クレスさんの言ったとおり、秋斗くんは薄く唇をひらいたまま、再び意識を飛ばしてしまっていた。伸ばされていた右手を布団の中にもどして、私は落ちていた布を水桶につける。
「あなたも、少し休まれてはどうです? ちょうど、軽い食事もそこへ持ってきましたから」
「いえ……。私は大丈夫です」
かけられた声にそう答えながら、私は秋斗くんの顔を軽くぬぐった。
「そうですか。では、好きなときに食べてくださいね。わたしはあちらの部屋にいますから、何かあれば呼んでください」
「はい。ありがとうございます」
部屋から出ていくうしろ姿を見送って、私は「よし」と気合をいれなおした。今夜は、寝ないでがんばらないと。
それからは、ずっと単調な作業の繰り返しだった。
秋斗くんの額の布を冷やして戻す、汗ばんだ顔や首元、胸元をぬぐう、あとはグラスの水で唇をしめらせてあげる、苦しそうなうめきを耳にするたびにのぞきこむ、何度も同じことを続けてどれくらい経ったころだろう?
一つ一つの間隔がだいぶ空くようになって、秋斗くんの静かに眠っている時間が増えてきていた。
はりつめていたものが徐々にほころんでいった私は、つい両腕をベッドにかさねると、その上に頬を置いた。
私はさっき、なにを口走ろうとしていたんだろう?
「大事、な……」
知り合い? 友達? 元・ご近所さん?
「幼なじみ、だよね? ……ううん、きみはきみだもの。あっくんはあっくんだし、他のだれでもない。その関係は、変わらない。変わらないはずだったんだけど、な」
笑っちゃう。
私がきみを、こんな風にしちゃったのに――
『こうやってあなたが献身的に看病をしているのも、その贖罪のためですか?』
贖罪って、罪滅ぼしのことだよね。確かに、謝罪したい気持ちはあるけれど。本当に、それだけなのかなあ? 自分のことのはずなのに、よくわからない。
贖罪より、食材の方がいいのにね。
安らかに眠っている秋斗くんをぼんやり見つめていると、いつしか私もウトウトしてしまって。
次に気がついたとき、真っ白な光がまぶた全体にひろがっていた。ゆっくりと目を開いて、まばたきをする。
「私、いつの間にか寝てしまって……あれ?」
身じろぎと同時に、肩からずり落ちていったのは白い上着だった。これって、エレナイのやつ?
上着を羽織りなおしながら、私はその持ち主だろう彼を見る。その長いまつげが、ふるえた。
「ん……、美結、さん?」
「秋斗くん……、目が覚めた? えっと……、おはよ」
「おはよう」
上半身を気だるげに起こし、シャツ一枚の秋斗くんが私に微笑してくる。
前髪をかきあげる横顔からダダもれになっているのは、相変わらずの色気……
藍色の瞳が私の方に流され、そのまま伏せられる。
「ごめん。迷惑かけて」
「ううん、迷惑なんかじゃない。これくらい、どうってことないから。それより上着、いつの間にかけてくれたの? その……、ありがと」
「あ……、うん。それくらいしかできなくて、ごめん」
「それくらいって、私は普通に――ごにょごにょ」
あ、あれ?
『嬉しかった』が意味不明な言葉になっちゃったけど、き、気にしない!
「ったですよ……っ」
「え?」
やっぱりきき取れなかったらしい、きょとんとする秋斗くんに上着を押しつけた私は、「まったく」と短く息をはいた。
「いつも、きみはそう。どうして自分ばかり悪く言うの? きみがおかしくなっちゃった原因をつくったのも、きみを傷つけて苦しめたのも、全部全部私が」
「優しいね、美結さん。いつも、いつも……」
私の言葉を途中でさえぎるように、秋斗くんが強めの口調で言ってくる。
彼を見つめると、藍色の眼差しとおだやかな表情が真っすぐに受けとめてくれた。
どうして、とめるの? だって、私がきみを――
「どうし、て……?」
「どうして? きみは、何も悪くないじゃないか。悪いのは、全部おれ」
「秋斗くんは、悪くない。ねえ、どうして? どうして、自分ばかり悪く言うの?」
それじゃまるで、私の分まで一人で全部しょいこんで、みずから汚れようとしているみたいじゃない。
そんなの、まちが――
「そんなの、ずっと前から決まっている」
やわらかな笑みと一途な眼差しが、私の疑問を完全に封じこめてくる。
任せたくないって、思った。贖罪だからとか、クレスさんが信用できないからとかじゃなくて、ただ単に私がみてあげたかった。昔みたいに。幼いころみたいに。
でも、あのときとは決定的に違うなにか。あのときに感じていたのは、義務感のようなものだった。私が守ってあげなくちゃ、私が助けてあげなくちゃ、私が、私が。
確かにそんな気持ちもあるけど、だけど今はそれだけじゃなくて――
「私にも、よくわかりません。でも……、でも、秋斗くんが、私の大事な――」
「大事な?」
「大事、な――」
つられかけて、私は口ごもる。
私……、今なんて言おうとしたの?
「美結、さん?」
ハッとなって、私はベッドに目を戻した。
うっすらとひらかれた藍色の瞳が、あまり視点のさだまらないまま、こちらにむけられている。
「秋斗くん……! よかった、意識がもどったのね」
「ごめん……、美結さん……。おれ……」
「なんで、秋斗くんが謝るのよ。あなたはなにも、悪いことなんてしていないでしょ」
「ううん。おれが勝手なことを言って、美結さんを困らせて……、悩ませて……、苦しめた……。本当に、ごめ……」
徐々に小さくなっていく秋斗くんの言葉が、完全に消える。
「秋斗くん?」
「おや。また、眠ってしまったようですね」
クレスさんの言ったとおり、秋斗くんは薄く唇をひらいたまま、再び意識を飛ばしてしまっていた。伸ばされていた右手を布団の中にもどして、私は落ちていた布を水桶につける。
「あなたも、少し休まれてはどうです? ちょうど、軽い食事もそこへ持ってきましたから」
「いえ……。私は大丈夫です」
かけられた声にそう答えながら、私は秋斗くんの顔を軽くぬぐった。
「そうですか。では、好きなときに食べてくださいね。わたしはあちらの部屋にいますから、何かあれば呼んでください」
「はい。ありがとうございます」
部屋から出ていくうしろ姿を見送って、私は「よし」と気合をいれなおした。今夜は、寝ないでがんばらないと。
それからは、ずっと単調な作業の繰り返しだった。
秋斗くんの額の布を冷やして戻す、汗ばんだ顔や首元、胸元をぬぐう、あとはグラスの水で唇をしめらせてあげる、苦しそうなうめきを耳にするたびにのぞきこむ、何度も同じことを続けてどれくらい経ったころだろう?
一つ一つの間隔がだいぶ空くようになって、秋斗くんの静かに眠っている時間が増えてきていた。
はりつめていたものが徐々にほころんでいった私は、つい両腕をベッドにかさねると、その上に頬を置いた。
私はさっき、なにを口走ろうとしていたんだろう?
「大事、な……」
知り合い? 友達? 元・ご近所さん?
「幼なじみ、だよね? ……ううん、きみはきみだもの。あっくんはあっくんだし、他のだれでもない。その関係は、変わらない。変わらないはずだったんだけど、な」
笑っちゃう。
私がきみを、こんな風にしちゃったのに――
『こうやってあなたが献身的に看病をしているのも、その贖罪のためですか?』
贖罪って、罪滅ぼしのことだよね。確かに、謝罪したい気持ちはあるけれど。本当に、それだけなのかなあ? 自分のことのはずなのに、よくわからない。
贖罪より、食材の方がいいのにね。
安らかに眠っている秋斗くんをぼんやり見つめていると、いつしか私もウトウトしてしまって。
次に気がついたとき、真っ白な光がまぶた全体にひろがっていた。ゆっくりと目を開いて、まばたきをする。
「私、いつの間にか寝てしまって……あれ?」
身じろぎと同時に、肩からずり落ちていったのは白い上着だった。これって、エレナイのやつ?
上着を羽織りなおしながら、私はその持ち主だろう彼を見る。その長いまつげが、ふるえた。
「ん……、美結、さん?」
「秋斗くん……、目が覚めた? えっと……、おはよ」
「おはよう」
上半身を気だるげに起こし、シャツ一枚の秋斗くんが私に微笑してくる。
前髪をかきあげる横顔からダダもれになっているのは、相変わらずの色気……
藍色の瞳が私の方に流され、そのまま伏せられる。
「ごめん。迷惑かけて」
「ううん、迷惑なんかじゃない。これくらい、どうってことないから。それより上着、いつの間にかけてくれたの? その……、ありがと」
「あ……、うん。それくらいしかできなくて、ごめん」
「それくらいって、私は普通に――ごにょごにょ」
あ、あれ?
『嬉しかった』が意味不明な言葉になっちゃったけど、き、気にしない!
「ったですよ……っ」
「え?」
やっぱりきき取れなかったらしい、きょとんとする秋斗くんに上着を押しつけた私は、「まったく」と短く息をはいた。
「いつも、きみはそう。どうして自分ばかり悪く言うの? きみがおかしくなっちゃった原因をつくったのも、きみを傷つけて苦しめたのも、全部全部私が」
「優しいね、美結さん。いつも、いつも……」
私の言葉を途中でさえぎるように、秋斗くんが強めの口調で言ってくる。
彼を見つめると、藍色の眼差しとおだやかな表情が真っすぐに受けとめてくれた。
どうして、とめるの? だって、私がきみを――
「どうし、て……?」
「どうして? きみは、何も悪くないじゃないか。悪いのは、全部おれ」
「秋斗くんは、悪くない。ねえ、どうして? どうして、自分ばかり悪く言うの?」
それじゃまるで、私の分まで一人で全部しょいこんで、みずから汚れようとしているみたいじゃない。
そんなの、まちが――
「そんなの、ずっと前から決まっている」
やわらかな笑みと一途な眼差しが、私の疑問を完全に封じこめてくる。
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