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しおりを挟むそれからまたしても春を盗み見た雅だったが、春は何故か唇を突き出し、不満そうな顔をしながらドリンクを作っていて。
その口がヒヨコのようで愛らしく、けれども何故機嫌が悪くなったのだろうかと雅は不思議そうにしながらも、自分のアイスコーヒーが出来るのを大人しくひっそりと待った。
「アイスコーヒーでお待ちのお客様~!」
数分後。混み合う店内に負けじと春が声を張りあげている。
それがやはり可愛く、小さくはにかみながら受け取りカウンターへと近付いたが、しかし春はムスッとした顔をしたまま、雅をじとりと見ていて。
その顔は見たことがなくなんだか愛らしかったが、しかし向こうは機嫌を損ねていると分かっているので、何か怒らせるような事をしてしまったのだろうか。と雅は内心不安になり始めながら、春の前に立った。
「お待たせ致しました」
「……春? 怒ってる?」
「怒ってません」
「いやどう見ても怒ってるだろ」
「……怒ってない」
「……」
「……怒ってません、けど……、」
「けど?」
「……なんでマスクしてないんですか」
「……は?」
「そのせいでお客さん皆雅さんの事見てるじゃないですか!」
「へ、」
「今日はバレンタインデーなんですよ! 女の子いっぱいって分かるでしょ! だから今日はマスクしてて欲しかったのに! それに良介とめちゃくちゃ楽しそうに話したりしてたし!」
つい先日、マスクがないと色んな顔が見れて嬉しい。というような事を言ったのは春である。
それだというのに、でも今日は違うだろう。と唇をますます尖らせ、プリプリと怒っていて。
その言葉も仕草も全てが可愛らしすぎて、……まじか。と雅は途端にドクンッと高鳴る鼓動のまま、だが嬉しさで弛みそうな口元を隠すため、手を唇に当てた。
「……なに笑ってんですか」
「いや、笑ってない」
「笑ってる!」
「だって春が可愛いこと言うから」
「はっ!? 聞いてました!? 俺怒ってるんですけど!!」
「やっぱ怒ってんじゃん」
「っ! もういいです!! はい持ってって!!」
ドンッ! と机に作ったアイスコーヒーを置き、ふんっと鼻を膨らませている春。
それがやはり本当に可愛すぎて、雅はカップを持ったままの春の一回り小さな手に自身の手をそっと重ね、指を撫でた。
「っ、」
「ごめん」
「……」
「怒るなよ。悪かった」
「……」
「春……」
「……いえ、俺が悪いです。理不尽な事言って、ごめんなさい」
「ふはっ」
「……笑わないでってば」
「夜、終わったら電話して。迎えに行くから」
「……何時ものお散歩のついでに?」
迎えに行く。としっかり明言した雅に目を見開きつつ、頬を染めた春が悪戯に聞き返す。
その少しだけ上目遣いな仕草が胸に突き刺さり、……わざとか、わざとなのか。小悪魔なのか。だなんて雅はングッと喉を詰まらせながらも、もう一度春の指をするりと撫でては、呟いた。
「……散歩がついで」
「っ、……はい」
「春! 急いで!」
二人がふわふわと目には見えないハートが浮かぶ世界に浸っているなか、不意に現実に引き戻す他のスタッフの声が響く。
それに二人ともハッとして春がカップから手を離し、雅も気まずそうに視線を逸らしては、サッとカップを受け取った。
「じゃ、じゃあ、ごめん。仕事中に」
「い、いえ。来てくれてありがとうございます」
「ん。じゃあまた後で」
「……はい、また後で」
顔を真っ赤にしながらも、もう機嫌が直ったのかふわりと花が綻ぶような笑顔を見せた春が、小さく手を振る。
それに雅も手を小さく振り返し、少しだけ火照った頬のまま、踵を返した。
「ありがとうございました~!」
という春や良介、それから他のスタッフの声を背に、雅が店を出る。
カラン、という鈴の音が耳に残るなか、店から数歩行った先で何の気なしにコーヒーを一口飲んだが、しかしそこで雅は目を見開かせた。
……なんか、甘い……?
そうポツリと心の中で呟いた雅がカップを見れば、何時もは透明のプラスチック容器なのに今日に限ってホット用の白いカップが使われていて。
それにも困惑しつつ、渡し間違えたのか? と雅がカップを凝視しながらくるりと回した、その瞬間。
♡ちょっとだけチョコレートシロップ入れちゃいました。HAPPY VALENTINE'S DAY! 雅さん♡
だなんてマジックで書かれた可愛らしい字が目に入り、雅は堪らずピタリと足を止め、数秒後、その場にへなへなと座り込んでしまった。
……いやいやいや、なんだそれまじか。可愛すぎるだろ。
と愛しさで引き裂かれそうなほどの衝撃が体に走り、まじでなんだこれ。無理だろ。と撃沈したまま、道で踞る雅。
そんな雅を怪訝そうな顔で見ながら通りすぎる人々のなか、しかし雅は暫く動けずに、……いやまじでクソほど可愛すぎる。と春のとんだ可愛さに身悶えるしか、術がなかった。
──それから、数分後。
フラフラとしながらもようやく何とか立ち上がった雅が、寒空のなか冷たくもほんのり甘いアイスコーヒーを口に含んでは、
「……甘い」
だなんて呟きつつ、歩き出す。
手にしている春からのサプライズドリンクは、冬にも負けず結露を走らせ始めていて。
だがそれを大事にちびちびと飲みながら雅は耳の縁を赤く染め、背を丸めては通りを歩いた。
容赦なく肌を突き刺してくる、吹き荒れる風。
それでも喉を通る苦くて甘いコーヒーが、カップに書かれた可愛らしい字が、雅の体をただひらすらに燃えるよう熱くさせてくるばかりだった。
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