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第4章
#6
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しばらく、液体の滴る音だけが響いていた部屋に、「分かった」というハッキリした強い声が響いた。
声を発したのはカオリさんだった。
「要くんがそこまで言うなら、私たちはもう知らないわ」
「か、カオリ!」
カオリさんを慌ててたしなめようとする周藤の声がする。
俺は何も思わないままカオリさんの言葉を聞いていた。
「あなたを見つけた時、私たちがどんな思いだったかも知らないで、よくそんなことが言えるもんだわ」
「カオリ、今はあんま言わねぇ方がいいって」
周藤はカオリさんの肩を抱き、宥める。
俺は二人から顔を逸らした。
さっき溢れた白湯が今もまだ滴っている。
溢れた床を見たら、康祐さんはきっとこう言うんだ。
(『床の色が抜けちゃうから早く拭いて!』って)
だから本当は拭かなきゃいけないんだ。
でも体が動かないんだ。
ラグが敷いてあるから大丈夫かな。
でもラグもきっとびちゃびちゃだね。
「要くん」
「うるせェな……」
「要‼︎」
周藤の声に、余計にイライラが募る。
だって、カオリさんを庇って俺がキレられてるわけでしょ。
なんで俺が?
俺は一人で静かにしてたんだ。
部屋を荒らすだけで、誰にも迷惑かけてない。
退去する時はちゃんと修理代払う。
だから良いじゃないか。もう、なんだって。
「要、もうやめよう。亡霊に縋るのは」
周藤の言葉に俺はピクッと体が反応した。
「ぼう、れい?」
今、こいつなんて言った?
亡霊って言わなかったか?
亡霊って?康祐さんのこと?
なんで、なんで……。
「……お前は、カオリさんが他人から亡霊って言われても、笑って許せるのか……?」
目を見開いてそう言えば、周藤はグッと言葉を詰まらせる。
その時、カオリさんが周藤を押しのけて俺の前に来て強い口調で言った。
「私は、笑って許すわ」
「は?」
カオリさんの言葉の意味が分からず、睨みつける。
カオリさんは怯むことなく、俺から目を逸らさずに言った。
「私は、もし自分が死んでしまってもヒロくんにこんな生活してほしくない。自分を自分で殺すなんて絶対にしてほしくない」
「はあ、そうですか……」
「なんでか分かる?」
カオリさんの釣り上がった眉。
それと対比して、彼女の瞳には薄い涙の膜が張られている。
無感情に見つめ返して「いいえ」と首を振る。
カオリさんは息を吸った。
「愛してるからよ」
口紅が塗られている、人工の色が動く。
「愛しているから、こんな生活をもう続けてほしくないの」
「それはあんたたちが幸せだから……」
「じゃあ‼︎」と、反論の余地なく、カオリさんが畳み掛けた。
「なら、康祐さんが要くんみたいに過ごしてたら、アンタ天国で穏やかにいられるわけ?」
「……」
康祐さんが、俺みたいに?
部屋をぐちゃぐちゃにして、髪もボサボサだしきっと匂うかもしれない。
ご飯も食べていないからガリガリで、手も足も傷だらけで。
痛そうなのに、本人は何も気にしていない。
溢れた水さえも拭かない。
「ねえ、アンタはさ今、自分のことしか見えてないけどさ。ちゃんと天国の康祐さんのこと考えなよ」
カオリさんのその言葉を聞いた時、俺の中の何かが弾けた。
ばんっとカオリさんを突き飛ばし、俺は立ち上がって二人から距離を取る。
大きく息を吸った。
久しぶりに、肺に酸素をたくさん取り込んだ気がした。
「なんでお前らは、俺が康祐さんのこと考えてないって思えるの?なんでそんなあり得ないことが前提なわけ……?」
怒りで体が震えている。
俺に突き飛ばされたカオリさんは真後ろに周藤がいたから、特になにもなく周藤に支えられながら俺を見上げていた。
そんな二人を見下ろす。
「考えてないわけがないだろうよっ‼︎ だからこんなに苦しいんだ‼︎『オメガ』が『俺』に死ねって言ってくるぐらいに狂ってんだろっ‼︎」
腹の底から湧き上がる怒りの衝動が抑えられなかった。
これは、康祐さんと付き合っていた時と一緒だった。
いつもなら、……いや、前ならここで抱きしめてもらえたのに。
「俺の人生、康祐さんが全てなんだよっ‼︎ あの人がいなきゃ、いっときの幸せなんてなんの意味もないんだ……っ。全部、あの人に回帰する……」
俺は口角を上げて、泣いた。
抱きしめ合う周藤夫妻を見下して、泣いた。
「『本能』に殺されなかった俺の気持ちなんか、……お前らには、一生分かんねぇよ……っ」
叫んだのなんて何年ぶりだろうか。
声を押し殺さず、喉が焼けるくらいに痛い。
ひりつく痛みが現実だと思い知らされる。
気づけば俺は、換気のために開けられていたであろう窓から、外に飛び出した。
ふわり、と数ヶ月前に洗ったレースカーテンから甘い香りがした。
……それは二人で愛用していた、柔軟剤だった。
声を発したのはカオリさんだった。
「要くんがそこまで言うなら、私たちはもう知らないわ」
「か、カオリ!」
カオリさんを慌ててたしなめようとする周藤の声がする。
俺は何も思わないままカオリさんの言葉を聞いていた。
「あなたを見つけた時、私たちがどんな思いだったかも知らないで、よくそんなことが言えるもんだわ」
「カオリ、今はあんま言わねぇ方がいいって」
周藤はカオリさんの肩を抱き、宥める。
俺は二人から顔を逸らした。
さっき溢れた白湯が今もまだ滴っている。
溢れた床を見たら、康祐さんはきっとこう言うんだ。
(『床の色が抜けちゃうから早く拭いて!』って)
だから本当は拭かなきゃいけないんだ。
でも体が動かないんだ。
ラグが敷いてあるから大丈夫かな。
でもラグもきっとびちゃびちゃだね。
「要くん」
「うるせェな……」
「要‼︎」
周藤の声に、余計にイライラが募る。
だって、カオリさんを庇って俺がキレられてるわけでしょ。
なんで俺が?
俺は一人で静かにしてたんだ。
部屋を荒らすだけで、誰にも迷惑かけてない。
退去する時はちゃんと修理代払う。
だから良いじゃないか。もう、なんだって。
「要、もうやめよう。亡霊に縋るのは」
周藤の言葉に俺はピクッと体が反応した。
「ぼう、れい?」
今、こいつなんて言った?
亡霊って言わなかったか?
亡霊って?康祐さんのこと?
なんで、なんで……。
「……お前は、カオリさんが他人から亡霊って言われても、笑って許せるのか……?」
目を見開いてそう言えば、周藤はグッと言葉を詰まらせる。
その時、カオリさんが周藤を押しのけて俺の前に来て強い口調で言った。
「私は、笑って許すわ」
「は?」
カオリさんの言葉の意味が分からず、睨みつける。
カオリさんは怯むことなく、俺から目を逸らさずに言った。
「私は、もし自分が死んでしまってもヒロくんにこんな生活してほしくない。自分を自分で殺すなんて絶対にしてほしくない」
「はあ、そうですか……」
「なんでか分かる?」
カオリさんの釣り上がった眉。
それと対比して、彼女の瞳には薄い涙の膜が張られている。
無感情に見つめ返して「いいえ」と首を振る。
カオリさんは息を吸った。
「愛してるからよ」
口紅が塗られている、人工の色が動く。
「愛しているから、こんな生活をもう続けてほしくないの」
「それはあんたたちが幸せだから……」
「じゃあ‼︎」と、反論の余地なく、カオリさんが畳み掛けた。
「なら、康祐さんが要くんみたいに過ごしてたら、アンタ天国で穏やかにいられるわけ?」
「……」
康祐さんが、俺みたいに?
部屋をぐちゃぐちゃにして、髪もボサボサだしきっと匂うかもしれない。
ご飯も食べていないからガリガリで、手も足も傷だらけで。
痛そうなのに、本人は何も気にしていない。
溢れた水さえも拭かない。
「ねえ、アンタはさ今、自分のことしか見えてないけどさ。ちゃんと天国の康祐さんのこと考えなよ」
カオリさんのその言葉を聞いた時、俺の中の何かが弾けた。
ばんっとカオリさんを突き飛ばし、俺は立ち上がって二人から距離を取る。
大きく息を吸った。
久しぶりに、肺に酸素をたくさん取り込んだ気がした。
「なんでお前らは、俺が康祐さんのこと考えてないって思えるの?なんでそんなあり得ないことが前提なわけ……?」
怒りで体が震えている。
俺に突き飛ばされたカオリさんは真後ろに周藤がいたから、特になにもなく周藤に支えられながら俺を見上げていた。
そんな二人を見下ろす。
「考えてないわけがないだろうよっ‼︎ だからこんなに苦しいんだ‼︎『オメガ』が『俺』に死ねって言ってくるぐらいに狂ってんだろっ‼︎」
腹の底から湧き上がる怒りの衝動が抑えられなかった。
これは、康祐さんと付き合っていた時と一緒だった。
いつもなら、……いや、前ならここで抱きしめてもらえたのに。
「俺の人生、康祐さんが全てなんだよっ‼︎ あの人がいなきゃ、いっときの幸せなんてなんの意味もないんだ……っ。全部、あの人に回帰する……」
俺は口角を上げて、泣いた。
抱きしめ合う周藤夫妻を見下して、泣いた。
「『本能』に殺されなかった俺の気持ちなんか、……お前らには、一生分かんねぇよ……っ」
叫んだのなんて何年ぶりだろうか。
声を押し殺さず、喉が焼けるくらいに痛い。
ひりつく痛みが現実だと思い知らされる。
気づけば俺は、換気のために開けられていたであろう窓から、外に飛び出した。
ふわり、と数ヶ月前に洗ったレースカーテンから甘い香りがした。
……それは二人で愛用していた、柔軟剤だった。
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