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第6章
#5
しおりを挟むオメガの「後遺症」というのは酷いものなのだ。
俺でも知っている。
パートナーが生きている状態でのパートナー解消も、オメガにとっては精神的にも身体的にも負荷がかかること。
相手がベータでもそれは変わらない。
元パートナーは元々体が強くなかったらしくそれも災いして、オメガの隔離病棟に入院中だと、文月さんは淡々と言った。
後遺症は俺みたいに衰弱するだけじゃなくて、ホルモンバランスが崩れてしまって点滴で調整剤のようなものを注入し続けて治していくしかないんだけれど、それでも破壊衝動に見舞われたり、安定したかと思ったらまた壊れたり。
「彼は今、あの大学病院のオメガ隔離病棟にいるんです」
「……」
まだ戦っている彼の支えに自分はなる資格すらないと言う文月さんは自嘲気味に笑った。
(隔離病棟、か……)
一瞬俺も入れられてしまうんじゃないかって思ったなあ。
でも、俺の後遺症が文月さんの元パートナーほど酷くなかったのは、きっと康祐さんが亡くなってしまったからだろう。
亡くなってしまったら、婚姻関係ではない限り勝手にパートナーを解消されてしまう。
ただその代わり、俺にはまだ、発情期は来ない。
それが俺の後遺症なんだろう、と佐々木先生にも言われたことがある。
「……だから俺には、美澄さんに手のひらを見せる資格がないんです」
文月さんの言葉に、俺は自分の手のひらを見つめた。
白くて薄い自分の手のひら。
何度も康祐さんが繋いでくれた、手。
初めて手を繋いだ時、康祐さんは言った。
――『要の手は薄っぺらいね』
それの意味がわからず首を傾げた。
手のひらというものはこういうもんじゃないのか、と。
その時に初めて、自分が他人と手を比べられるほど、心の距離を許したことがなかったことに気がついた。
文月さんは地面を見つめながら、言葉を続ける。
「彼の見舞いに行く資格も権利もなくて……。俺は、一人の大切な人の人生を壊した贖罪のために、生きていかなければならないんです」
見えない十字架を背負う彼を見つめる。
ただ人を好きになっただけで、ただ愛し続けたいと思っていただけなのにね。
(運命とやらをロマンチックだと宣う奴らに言って聞かせてやりたい)
……運命ってのは、『残酷』なんだよ。
人から細胞レベルで大切な人を奪う。
思い出も食らい尽くされる。
そんなのが本当にロマンチックと言えるのだろうか。
「こんな生き方をしなければならない人間に、美澄さんを巻き込むことはできない」
諦めたように笑う文月さんに、俺は何を返してやれるのだろうかと天を仰ぐ。
空はいつだって俺たちを見下ろしている。
ねえ、そこにいる俺の大切な人たち。
今俺はこの人に何を言えると思う?
雲ひとつない青い空は、何も示すことなどない。
俺の心が映し出されることもない。
ただそこにあるだけの存在。
「上手く話せないのは、俺も同じなんですよねぇ」
俺はため息を吐いて、「ふ」と笑う。
「俺も、康祐さんを忘れられることなんてできないし、したくないんです」
俺の言葉に文月さんは、まるで分かっていたみたいに笑う。
「じゃあやっぱり、死ぬまで物々交換でもしますか」
文月さんはそう言ってまたハンカチを取り出すそぶりを見せた。
だけど俺はそれを制止して、彼の顔を見つめて言った。
「文月さん。俺ね、康祐さんと一緒に生きることにしたんです」
俺の言葉の意味がわからない文月さんは、首を傾げた。
彼はハンカチを再びポケットにしまい、俺の顔を見つめる。
「それってね、生涯康祐さんしか選ばないことじゃなくて、自分の人生を生きていたら自然と康祐さんや両親と生きることになるって、気づいたんです」
「……?」
まだ意味が分かっていなそうな文月さんに俺は、笑いかける。
「例えば、俺がちょっとばかり料理ができるのは、小学生のころ、欲しいおもちゃがあって母さんを手伝って好感度を上げようとしたから」
「……」
「俺が競馬やボートに少し詳しいのは、父さんの休日の趣味で一緒にテレビ観たり、たまにボートレース場に連れてってもらったから」
「……」
「洗濯や掃除がきちんと綺麗にできるようになったり、物を返す時に何かを添えて返すようになったのは康祐さんに教わったから」
「……」
きっと今の俺は清々しい顔をしているだろうな、と自分で分かった。
もう一度、手のひらを見せて文月さんに差し出す。
「俺、過去と一緒に生きることに決めたんです。
だから俺は、何度でもあなたに手のひらを見せられます」
文月さんは目を見開き、俺の手のひらを見つめる。
「なんで、『運命』ってやつに翻弄されなきゃなんないんでしょうね、俺たちは」
国がベータ性にするのはやっぱり、良い案だったのかもしれない。
それがちゃんと進めば、運命なんて残酷なものは消えるだろう。
「……ロマンチックな運命の出会いにしてあげられなくて、すみません」
ぼそりと呟いた文月さんの声に、俺は思わず吹き出してしまった。
(ロマンチックな運命の出会いって……っ)
文月さんとその言葉が不釣り合いに思えて、俺は「くくっ」と我慢しても声が漏れてしまう。
文月さんは少し不満そうな声で「何か……?」と言ってくる。
笑いの止まらない俺は目尻に溜まった涙を拭いながら、「いや」と顔を上げて、文月さんの不満げな顔を視界に入れた。
「だって文月さんさ、」
「なんですか」
不満そうな仏頂面の彼は、彼らしくないように被せ気味で言ってくる。
それもまた面白くて、「あははっ」と笑ってしまった。
「だから……」
痺れを切らした文月さんの呟きに被せるように、俺は言った。
「ロマンチックなんて、俺らには似合わないっしょ!」
ケラケラ笑う俺に、文月さんはポカンとした顔を向けていた。
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