羽黒山、開山

季徒川 魚影

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九 北行

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 (ほっこう)


 用明天皇(第三十一代)は、敏達天皇十四年(五八五年)、十月三日に即位した。
 しかし、その実は、蘇我馬子と炊屋姫(後の推古天皇)の傀儡かいらいであった。
 そして、敏達皇后の炊屋姫は、この時、皇后から皇太后となった。
 蛇足であるが、ここで整理しておく。
 穴穂部皇子は、用明天皇の異母弟とされているが、真実は同母弟である。
 すなわち、同じ、第三后妃、堅塩媛きたしひめ(蘇我稲目の娘)の実子だ。
 穴穂部皇子の実母とされる、第四后妃、小姉君おあねのきみは実在しない。
 穴穂部皇子は、蘇我馬子に反駁したからであろうか、別腹とされた。
 かつ、歴史は、さらに書き換えられ、泊瀬部皇子を穴穂部皇子の実弟としている。
 しかし、先に述べたように、泊瀬部皇子は、武烈系の皇子であり、穴穂部皇子よりも二回り以上歳上であった。
 さらに、これも前話で書いたように、穴穂部皇子の実姉とされる穴穂部間人皇女も、出自が怪しい。
 穴穂部皇子や泊瀬部皇子の実姉であるという史実に偽りがあるなら、その存在すら後世に書き換えられたことを疑うからである。
 よって、厩戸皇子が穴穂部間人皇女の実子であるということも信じがたく、その父が用明天皇である、ということすら疑うしかない。
 すなわち、日本古代史の偉大な謎である「なぜ、聖徳太子(厩戸皇子)は即位できなかったか」ということの答えがそこにある。
 つまり、父、穴穂部皇子が即位しなかったのだから、厩戸皇子には皇位継承権はなかったのである。

 用明天皇の、即位の礼が執り行われた、まさにその日、糠手子と小手姫、そして蜂岡皇子(蜂子皇子)と秦の者たちは、遂に尾張を出立し、北行を開始した。
 敏達天皇十四年(五八五年)は、十月三日のことである。
 尾張栗原の邸に、蜂岡皇子の一行が参着したのは、去る九月二十五日であった。
 つまり、蜂岡を出て五日目の夕刻のことである。
 それから遅れること三日の二十八日に、糠手子と小手姫の一行が、尾張に到着した。
 すなわち、両隊が合流して、四日後の出立となったのである。
 尾張滞在中、北行の行程計画が練られた。
 それに際して、尾張宿禰配下の者らは、方方から情報を集める。
 問題は、冬になる前に、碓氷の坂を越えられるかどうかであった。
「申し上げます。徒歩かちにては間に合わないと存じます。初雪のほうが早いと思われます」
 栗原配下の大将が探索より戻り、報じたのは、糠手子が尾張に着いた日の、午の刻(昼頃)であった。
 栗原は、それに対して、事もなげに返した。
「騎馬にて越えるが良い。その者らが随行せよ」
 尾張氏の勢力は、元来強大なものであった。
 仁徳天皇も、継体天皇も尾張の豪族の力なくしては、成り立たなかった。それほどのものである。
 しかし、この頃は、蘇我氏の力が台頭しており、尾張は静観していた。
「いずれ、長くは続かない、新参の小者である」
 そう見ていたのである。
 ただ、その尾張栗原ですら、この度の、穴穂部皇子の乱、物部守谷の敗退、そして、大伴糠手子の都落ちについては、流石に予測できなかった。
「馬子は、継体の皇統が続くように見せかけておきながら、つまりは、蘇我の存続を最優先しているに過ぎない。泊瀬部様のことが何より気がかりである」
 糠手子がもたらした報せに、栗原はそう述べた。
 この時まだ、泊瀬部皇子の訃報を知る者はなかったのである。
 由緒ある東国の優、尾張氏として、黙って見ている訳にはいかないが、時期尚早であると、栗原は判断した。
 時を見て、と。
 今は、自らを頼って都を逃れてきた、悲運の皇族を守ることが、歴代天皇に仕えてきた尾張宿禰としての役目であった。
 この時代、牛馬はまだまだ貴重であった。
 特に馬は、財力だけでなく、入手先の確保、牧場の管理、飼育技術など、総合的な力がなくては保有し得なかった。
 尾張宿禰には、それらがすべて揃っていた。
 故に、この当時、すでに馬を多く保有していた。
 それらを総動員する、というのである。
「皇子様、ご安心ください。我らが、騎馬隊が必ず、雪が降るまえに、坂越え(碓氷峠越え)まで、随行したします」
「本当に何から何まで、有り難く存じます」
「そのように御礼を賜っては、恐縮いたします。我は、当然の事をするまでにございます。泊瀬部様におかれましては、誠に無念にござりました。このことは、尾張宿禰として忘れること無く、何代かけても追及の手を緩めることはいたしません」
 蜂岡皇子は、言葉を発すること無く、深々と頭を下げる。
 もはや、朝廷の争い事とは無縁の出家の身であった。
 感謝こそすれ、先々のことには任せるしか無かった。
「しかれども、もはや出羽へは、今年のうちの到達は無理にございましょう。我の方から、杉ノ目すぎのめ(福島の豪族)のおさに、内密に繋ぎをつけることもできまするが、いかがいたしましょうか」
 「いえ、それには及びません。余は、逃げている身であります。この事の仔細は、尾張殿までで留めておきたいと存じます。お気持ちだけ、有り難く受け取っておきます」
「さようでございますか」
 栗原の気は晴れないが、皇子の言うことはもっともであり、仕方がないことであった。
 こうして、尾張栗原の助力を得て、蜂岡皇子の一行は、騎馬にて、行程の最難関を超えることになったのである。
 一行は、随行する栗原の配下の者十名。馬二十頭。

 秦峯能(大伴糠手子)
 秦佐小(小手姫)
 秦波知乃子はちのこ(蜂岡皇子)
 秦小予(錦代)
 秦忍勝
 秦養
 秦丸津
 秦田山
 秦犬山
 秦坂田
 秦奥久丹おくに
 秦石田

 小手姫と、錦代の騎馬の手綱を、栗原の配下の者二名が引いて歩く。
 その他は、各々が馬に乗る。
 尾張からは、東山道(古道)での道行きとなった。
 初日は、土岐とき(現、岐阜県瑞浪市釜戸町宿あたり)まで進む。
 土岐は律令制下の東山道、土岐駅が置かれた所である。
 二日目の移動距離は短めであった。
 坂本(現、岐阜県中津川市駒場あたり)までとした。
 翌日からの難関に備えたかたちだ。
 三日目、無事に木曾を越え、阿知あち(現、長野県下伊那郡阿智村駒場あたり)に到着。
 四日目は移動距離を抑え、比較的平坦な道を進み、賢錐かたぎり(現、野県下伊那郡松川町上片桐あたり)まで進んだ。
 五日目も同じく、高低差の少ない道を長めに進み、深沢ふかざわ(現、長野県上伊那郡箕輪町中箕輪大出あたり)に到着。
 六日目は、上って下る道のりであった。距離も長かった。深沢から錦織にしごり(現、長野県上伊那郡箕輪町中箕輪大出あたり)まで。
 そして七日目。この日は立冬である。
 朝はかなり冷え込んだが、それでも、幸い雪には成らず。
 上り下りの道を、錦織から日理わたり(現、長野県上田市常磐城あたり)へ。
 その夜も、冷え込みはしたが、雪は降らなかった。
 八日目は、緩やかな上りの行程を、日理から長倉(現、長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢あたり)まで。
 この夕刻、翌日の段取りが協議された。
「雪の心配はなさそうにございます。明日には、坂(碓氷峠)の向こうに越えられるかと存じます」
 栗原配下の大将が、そのように判断した。
「それでは、ここまでということにて、ほんとうに随行の難儀、有り難く、栗原殿には、くれぐれもよろしゅうお伝えいただきますようお願いします」
 糠手子が改めて礼を述べた。
「つきましては、我らは、下り(碓氷峠を越えて)の九十九折つづらおりを過ぎるまで同行いたし、その後は、この長倉まで戻りますゆえ、何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます」
「そこまで。有り難い」
 こうして、九日もの間、尾張栗原の騎馬隊によって、蜂岡皇子、糠手子一行は、木曽および碓氷峠の難関を越えたのである。
 九日目の野営は、野後のじり(現、群馬県安中市)であった。
 そして、この野後にて、一日の休息を取った。
 翌日は、十月十三日。
 都を離れて、二十二日目である。
 この先は、難関はなかったが、北上するため、心配事は寒さであった。
 はたして、どこまで進めるか、であった。
 それでも、秦の者たちの助言もあり、柴田(現、宮城県柴田郡柴田町)までが限界であろう、ということは分かっていた。
 柴田は、東山道の分岐点であった。
 すなわち、一行の予定する行程は、この柴田から出羽に入る。
 その出羽への坂は、すでに降雪していることは間違いなかった。
 故に、いずれ、柴田までのどこかで、一行は越冬せねばならないのであった。
「海側とはいえ、雨風をしのげる屋敷がなくては越冬はできまい」
 糠手子の心配はそこである。
「屋敷とはいかないまでも、最悪は、竪穴の住処をいくつか造れば、十分かと存じます。この地は出羽ほどには雪も深くないと聞きます故に」
「秦の者たちがいてくれるから、案ずることはございません」
 皇子は、妙に達観していた。
「ただ、母様と錦代が心配にございます。出羽路が無理であれば、早めに所(越冬地)を定めるのがよろしいかもしれませぬ」
 十月十三日は、野後から佐位さい(現、群馬県伊勢崎市五目牛町あたり)まで。
 十月十四日は、佐位から三鴨みかほ(現、栃木県栃木市岩舟町新里あたり)まで。
 十月十五日は、三鴨から田部(現、栃木県河内郡上三川町上神主あたり)まで。
 十月十六日は、田部から新田にゅうた(現、栃木県那須烏山市鴻野山あたり)
 十月十七日は、新田から磐上いわかみ(現、栃木県大田原市湯津上あたり)まで。
 十月十八日は、磐上から雄野おの(現、福島県白河市旗宿あたり)まで。
 十月十九日は、雄野から磐瀬いわせ(現、福島県須賀川市森宿あたり)まで。

 その翌朝だが、急激に気温が低下した。
 それが引き金になったのかもしれないが、道行きを中断せざるを得ない事態となった。
 小手姫が途中、腹痛を訴えたのである。
 調べれば、発熱しているようである。
 出立して一刻(約二時間)ほどのところ、葦屋あしや(現、福島県郡山市清水台あたり)に入ったあたりだった。
「今日はここまでにいたしましょう」
 蜂岡皇子の一言で、葦屋当泊が決まった。
 一行は、先に小手姫が横になる所だけ急ぎこしらえると、野営の準備に取り掛かった。
 小手姫の状態は心配ではあったが、誰もが、心労と旅の疲れからきた一時的なものだろうと思った。大事はなかろうと。
 ただ、皇子と錦代だけは、そうは思わなかった。
「小予、向こうで薪を拾おうぞ」
 皇子が林を指さして、錦代を誘った。
「あのような母様をこれまで見たことがない」
「わたくしも、そう感じております」
「やはり、そう思われたか」
 そう言葉を交わした後、二人は互いに思いにふけるように、薪を拾った。
 落ち葉が多く、乾いた枝を探すのは、思いの外難しかった。
 時折、ヒヨドリがうるさく鳴き過ぎ、沈黙を破った。
 二人は、上を見上げて、立ち止まった。
「母様には、出羽行きは無理かもしれぬのう」
「兄様は」
「わたしは、行かねばならない。まあ、いずれ、来年の春まで時があることだから、分からぬが。そうなったならば、母様を頼むぞ」
 錦代は言葉を返すこと無く、薪拾いを再開した。
 はじめから無理な計画だったのだろう。
 蜂岡皇子は、そう思い始めていた。
 そして、ふと父の事を想いやった。
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