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第15章 美術史の改革を目指して
先入観なしで絵画を観る 3
しおりを挟む※グリーで書いた日記の続き、転写
素朴な疑問です。
解説によると、フェルメールの『手紙を書く女と召使い』の、手紙を書いている女性は、恋文を書いているそうです。
またまた反論の文章になってしまいますが、今回もご了承下さい。
先ずは、フェルメール展での公式ホームページでの解説を、そのまま写しますね。
『この婦人が手紙を書いているのは、彼女が心を鎮めようとしているからか、あるいは愛人と和解しようとしているからであろう。この場面の直前に、彼女は彼からの最後の手紙を床に投げ捨てた。 しかし、この静かな自省の時が彼女の心を変え、心を開き輝かしい新たな将来を考えることで再出発を決意させたのである。』
なるほど、物語性があって、良い文章です。
だけど不思議です。
私には、この女性から、恋のオーラを感じ取ることが出来ませんでした。
白い頭巾のようなもの、被られていますよね。きっちりと…
恋文を書いている女性を描くのなら、髪の毛が見えていたほうが、艶っぽくて良いと思うのですが…
頭巾を被るにしても、後れ毛あたりを、ちらちらと見せるような描写だったら、女らしいと思います。
しかも、この女性、凄く筋肉質ですよね。
この筋肉質の感じが、ますます恋文を書いているイメージとの違和感を強めます。
(すみません。筋肉質な女性が恋をしてはいけないという話ではないので、ご理解下さい)
ネットで色々と調べてみると、手前に、落ちている、散らかったものは、当初は書き損じの手紙と解釈されていたそうです。その後の研究により、
誰かから実際に送られてきた手紙であることが判明したそうです。
17世紀のオランダ絵画では、女性が手紙を書いている姿 イコール 恋文である!と解釈されていたんだそうです。
だから、この女性が書いているのは、恋文と解釈されました。画中画の『モーセの発見』は、恋文であることを前提とし、それを根拠としたから、和解を促すメッセージであると捉えられたそうです。
まだまだ、分析や研究不足ですが、私は、この知的で聡明な雰囲気の女性は、恋ではなく、現代に通じるような、通信の一手段として、手紙を書いているように見受けられます。
『モーセの発見』により、女性は、ある悟りを得たから…
この手紙を書く前に、女性が行ったこと、それは、出鱈目な記述をしてある手紙を見たから…
女性は、その手紙を怒りを露に投げ捨てた。
そして彼女は【真実を伝える(この世の真理を伝える)内容の手紙】をひたすら書いていた。
召使いは、そんな彼女の様子に関心を持たないで、よそ事ばかり考えて、薄ら笑いをしている。
「そんなこと、どうでも良いことじゃない。それよりも、早く手紙を書き終えて欲しい」と自分のことばかり考えている………
みたいな内容を読み取りましたが、真相はどうなんでしょう???
それは、描いた画家、フェルメールにしか解らないですよね。
一つだけ、訴えたいことは、解説や既成概念に捕らわれていると、私達は、絵画の色々な見方が出来ず、想像力が失われてしまう危険性があるということです。
例えば、フェルメール作品『眠る女』
17世紀オランダ絵画で、女性が頬杖をつくポーズは「怠惰」と解釈されました。そばにワイングラスがありました。だから、実際は眠っていない女性に『(※酒に酔って)眠る女』というタイトルがつけられました。
『手紙を書く女と召使い』では、手紙イコール恋文と解釈され、絵のストーリーは、その既成概念のもとに組み立てられました。
う~ん。何だかね~~
どんなストーリーがあるにせよ、絵画ってミステリーですね!
応援ありがとうございます!
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