幕末群狼伝~時代を駆け抜けた若き長州侍たち

KASPIAN

文字の大きさ
85 / 152
第10章 暴走の果てに

4 和作と杉蔵

しおりを挟む
 一方、寅次郎が捕らえられたあとの松本村では、村塾の門下生の一人である野村和作が決死の思いで、他の門下生達の家を一軒一軒訪ね回っていた。
 寅次郎は久子とのやりとりの後、栄太郎や八十郎などの門下生達に伏見要駕策を実行に移すよう命じたが、ほとんどの塾生が無謀と判断してそれを拒否したり、あるいは親兄弟の強い反対にあって寅次郎から離れざる負えない状況に陥っていたため、数少ない協力者の一人であった和作が離れていく門下生達を何とか繋ぎ止めようと踏ん張っていた。
「一生の頼みじゃ、栄太郎! わしらに力を貸しちょくれ!」
 栄太郎の家に上がり込んだ和作が土下座をして頼み込んでいる。
「佐世さんや弥二にも断られ、忠三郎にも断られて、もうおめぇしか頼れるもんがおらんのじゃ! わしらと一緒に伏見に行ってくれんかのう?」
 他の塾生達に悉く断られ、門前払いにされた和作は、藁にも縋る思いで栄太郎に懇願した。
「すまんのう、和作。それはできぬ相談じゃ」
 栄太郎が悲しそうな顔をしながら首を横に振る。
「わしには年老いた母上とまだ幼い妹がおるけぇ、これ以上先生についてゆくことはできん。わしが先生の老中暗殺計画に加担し、さらには佐世さん達と周布様のお屋敷に乗り込んで謹慎させられたことで、母上にもふさにもずいぶん肩身の狭い思いをさせてしもうた。昨日も村塾の門下生の身内じゃからゆうて、村人達が母上だけでなく、妹のふさにまで石を投げつけてきよったしのう……」
 和作に協力できない訳を話す栄太郎の顔は苦渋に満ちている。
「そうか……おめぇもか……。おめぇも佐世さん達と同じで、先生から離れるっちゅうんじゃな?」
 和作が落胆した表情で尋ねる。
「そうじゃ。そうゆうことになるのう」
 和作の表情を見た栄太郎が言いにくそうに答えた。
「じゃがこれだけは分かってもらいたい。わしは今でも先生の事を心から尊敬しちょるし、尊王攘夷の志を忘れた訳では決してないっちゃ! 参勤途上のお殿様を伏見で足止めした上で大原卿と引き合わせ、そして大原卿と供に帝のおわす御所に参内させて、幕府の失政を正す勅を出させるっちゅう先生の伏見要駕策はまっこと素晴らしい策じゃと思うちょる。できることならわしも助力したかった……」
 栄太郎の言葉の節々に悔しさと無念さが滲んでいた。





「無念じゃ! わしが不甲斐ないばかりに、皆の心が先生から離れていってしまう! わしにもっと力があったら、才があったならばこねーなことにはならんかったものを……」
 頼みの綱の栄太郎にも協力を断られ、力なく家に帰宅した和作は、兄の入江杉蔵に弱音を吐いている。
 この時の和作は塾生達の説得に失敗したことで、罪悪感に押しつぶされそうになっていた。
「そねー自分を責めるな。おめぇは何も悪かねぇ。ただ他の門下生達にもそれぞれやむを得ない事情っちゅうもんがあるんじゃ。それはちゃんと理解せんといけんぞ」
 杉蔵は自責の念に苛んでいる弟を何とか元気づけようとした。
「分かっちょります! 分かっちょるつもりではありますが、しかし……」
 和作は兄の言葉を聞いてもどこか腑に落ちない様子だ。
「仕方ないじゃろう。ほとんどの塾生が先生から離れた今、わしらだけで伏見要駕策を成し遂げるより他にないっちゃ。それに先程わしらだけで伏見に向かうよう先生から文が届いたけぇ、もう後戻りはできん」
 杉蔵はどこか諦めた様子で言うと、寅次郎から届いた文を懐から取り出した。
 その文は伏見要駕策に反対した塾生達を詰ると同時に、和作と杉蔵に伏見行きを命じていた
「じゃが実際に伏見に向かえるのは和作、おめぇだけじゃ」
 入江が複雑な表情で答える
「何故ですか? 何故わしだけしか向かえんのですか?」
 和作は困惑した表情で尋ねた。
「栄太郎と同じで、わしらも年老いた母上や幼い妹がおるからに決まっとろうが。もしわしらが二人とも萩より脱走して伏見に向かったら、一体誰がこの家を支えるんじゃ? 誰が母上とすみの面倒を見るのじゃ?」
 入江は今更何をといわんばかりの口調だ。
「家財道具を整理して工面した金はおめぇに全て託すけぇ、これを持って早う伏見に迎え。ほんで大原卿を説得して無事伏見要駕策を現実のものとしてくれ。家のことはわしが何とかするけぇ、お前は何も心配するな」
 入江は後ろの箪笥から十五両が入った袋を取り出して和作に手渡す
「分かりました……先生や兄上のためにも必ずや伏見要駕策を成功させてご覧に入れまする。 脱走することになるけぇ……兄上とお会いするのはこれで最後になるやもしれませんが……どうか、どうかお元気でお暮し下さい」
 和作はすすき泣きながら脱走する覚悟を固めていた。





 このやり取りから数日後、和作は萩を脱走して一人京に向かうも、すぐに藩に察知されて、追っ手を差し向けられることとなった。
 また兄の杉蔵も和作の脱走を手助けしたことを藩から咎められて、岩倉獄に入牢することとなるのである。
 


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔
歴史・時代
江戸の長屋から、奇妙な事件を解き明かす! 発明家と世話焼き娘の、笑えて泣ける人情捕物帖! 江戸、とある長屋に暮らすは、風変わりな男。 名を平賀甚兵衛。元武士だが堅苦しさを嫌い、町の発明家として奇妙なからくり作りに没頭している。作る道具は役立たずでも、彼の頭脳と観察眼は超一流。人付き合いは苦手だが、困った人は放っておけない不器用な男だ。 そんな甚兵衛の世話を焼くのは、隣に住む快活娘のお絹。仕立て屋で働き、誰からも好かれる彼女は、甚兵衛の才能を信じ、持ち前の明るさと人脈で町の様々な情報を集めてくる。 この凸凹コンビが立ち向かうのは、岡っ引きも首をひねる不可思議な事件の数々。盗まれた品が奇妙に戻る、摩訶不思議な悪戯が横行する…。甚兵衛はからくり知識と観察眼で、お絹は人情と情報網で、難事件の謎を解き明かしていく! これは、痛快な謎解きでありながら、不器用な二人や長屋の人々の温かい交流、そして甚兵衛の隠された過去が織りなす人間ドラマの物語。 時には、発明品が意外な鍵となることも…? 笑いあり、涙あり、そして江戸を揺るがす大事件の予感も――。 からくり長屋で巻き起こる、江戸情緒あふれる事件帖、開幕!

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

処理中です...