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第7章 西方・リバージョイン編

第130話 「治癒」は身体の傷を治すだけではありません

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 タティウスはここでオレに対してあらためて迫ってくる。
 全身を返り血で赤く染めているので、正直に言えばかなり怖い。

「とにかく今は急いで安全にこの地を去る事を優先しましょう。怪我人については近くの司祭達に任せるしかありません」
「しかし少しでも時間があるなら……お願いします!」

 オレが必死で頼み込むと、タティウスは困ったものだと言わんばかりにため息をつく。

「あなたを守って負傷した人々をどうにか助けたいというお気持ちは分りますが、失礼ながら、あなたがここに残って何が出来るのですか? 怪我人の手当なら他の者でも出来ますよ」

 ぬがあ。タティウスはオレが回復魔法の使い手だと知らない ―― カリルの言葉も信じていない ―― のだった。
 そりゃまあオレだってタティウスの立場なら、同じ事を言うだろう。
 この世界ではオレの方が例外的存在なのだから。

「あなたがまた奴らに襲撃されてもしもの事があったなら、それこそ尊い犠牲が無駄になりますよ。ここはこちらの言うことを聞いてもらいます」
「分りました……もうあなたには頼みません」

 タティウスの言っている事は、決して間違っているわけではないが、それでもオレは少々憤りを感じつつ、背を向けてカリルに近寄る。

「カリルさん。お願いします! 今は魔法を使わせて下さい!」

 どうせそんな事を言ったところで、はいそうですか、と了承するとは思えないけど、もし拒否されたなら、オレとしても何をするか分らんぞ。

「そうですか。ならばどうぞご自由に」
「だからどうしても必要だと ―― え? いま何と言いました?」

 オレの耳がおかしくなったのでなければ、カリルは魔法を使ってよいと認めたように聞こえたのだが。

「だから魔法を使っていいですよ。そう申し上げたのです」

 ええ? なんでそんなにあっさり認めているんですか?
 いや。嬉しい事は嬉しいけど、あまりにあっけなく認められたのでちょっとばかり拍子抜けしてしまう。

「わたくしは必要ないと考えましたし、団長の仰るとおりこの場から早く引き上げるべきだとも思いますわ」

 一瞬ながら動きを止めたオレに対して、カリルはいつもの平然とした口調で言葉を紡ぐ。

「しかしあなたがどうしてもと仰るなら、このわたくしに止める事は出来ません。どうぞ思うとおりになさって下さいな」

 それならオレがあんたら『暁の使徒』たちと離れて、自分一人で行動すると言っても了承してくれるのか?
 いや。カリルならごくあっさりと応じるかもしれない ―― 餞別として首輪はそのままで、と笑顔で言いながら。

 ええい。とにかく今はそれどころではない。
 せっかく久方ぶりに回復魔法を使うことが認められたのだ。
 ここはこれまでの鬱憤を晴らすためにも、存分に使わせてもらおう。
 オレは急いで倒れている重傷者に駆け寄って【肉体の治癒】ヒール・ボディを唱える。
 以前にケノビウスから『クビが吹き飛ぶ』と脅されていたので、ちょっとばかりおっかなびっくりではあったが、魔法は働いたらしく傷口は消え、死相の浮かんでいた顔には急速に血色が回復していく。

 どうやら大丈夫のようだ。
 ただしやっぱり足に重りをつけられているかのような、またはクビまで水のあるプールの中で歩いているような、そんな重荷は感じるな。
 しかし宮廷魔術師十人やそこらを軽く凌駕しているオレの魔力でも重荷を感じるぐらいだとしたら、これはやっぱり普通の魔術師は何も出来なくなるのではないのか。
 そこらへんは相手の魔力に応じて、変わるのだろうか。
 まあ今は考えたところで仕方ない。
 それでも回復魔法が使えるなら、オレには出来る事をやるしかないのだ。

「おお! こんな奇跡が起こせるとは!」
「やはり我らの『乙女』は素晴らしい!」

 こっちでは司祭達は『他人の傷を自分に移し、そして自己再生能力を高める事でその傷を治す』という二段階で回復させるが、オレのように直接回復魔法を使うものは殆どいないはずだ ―― ひょっとしたら皆無かもしれない。
 そんなわけでオレが触れただけで傷を治しているのを見て、周囲の連中は結構興奮しているようだ。

 なるほど。一神教の支配地域で異教の魔法をそうそう使われるわけにはいかないというのは、こういう事情もあるわけか。
 実際には、オレは完全な例外としてもこんな回復魔法が使えるのは、素質有る人間を選別し、幼い頃から訓練して、それでもモノになるのはごく一握りなのだから、効率がいいとは言いがたい。
 比較的に簡単にどの街にもいる司祭でも他人を回復させる事のできる、一神教徒の魔法の方がより多くの人を助けているとすら言えるかも知れない。
 もちろん一神教徒の魔法の場合、引き受ける傷や病気が己の魔力を越えたら、命を落としてしまいかねない ―― そして実際にそういう司祭は少なく無いらしい ―― のだから単純に優れているとはとても言えないだろう。
 両方を見てきたオレとしてはどっちもどっちで優劣はつけがたいと言うのが、正直な感想だな。

 いずれにせよそんな事を考えている内に、負傷した避難民の手当は一応終了した。
 もともとそんなに激しく戦っていたワケでもないので、重傷者もせいぜい十人かそこらぐらいだったのだ。

「ありがとうございます……何とお礼を言ったらよいか……」
「いえ。いいんです」

 まあオレの魔法で治癒して感謝されるのは、首輪のスピーカーをしているのに比べれば大分マシではある。
 そしてそんなオレに対して、タティウスはその目を丸くしていた。

「あなたには驚かされてばかりですな……正直、言葉がありません」
「それはどうも……」

 オレはいろいろと複雑過ぎる思いを胸中で握りつぶす。
 だがそこで周囲には新たな悲鳴が鳴り響き、オレは思わず硬直する事となった。

「助けてくれ!」
「お願いだ。赦してくれ!」

 振り向くとそこでは負傷し、仲間から置き去りにされた傭兵が何人か倒れていた。
 周囲には憎しみに駆られた避難民が、手に手に棒や石、更には倒された傭兵の持っていた武器を持ってジリジリと迫っている。

「うるせえ! お前達のせいで俺は家族を失ったんだぞ!」
「こっちは家を焼かれたんだ!」
「誰のせいでこんな苦しい生活をしてると思っている!」

 恨み重なる相手が動けなくなっているのを見て、避難民達はその怒りを叩きつけている。
 このままでは奴らは確実にリンチされて、八つ裂きになるだろう。
 もちろんこのまま見捨てても、捕虜の扱いを定めた戦時国際法なんて存在しないこの世界では、オレが責められる事は無いはずだ。
 だがそういうわけにはいかないんだ。

「ちょっと待って下さい!」

 オレは思わず駆け出して、負傷兵と避難民の間に割って入る。
 何でそんな事をしたのか、と問われても説明するのは難しい。
 この世界の基準ではむしろ異常な行為だろう。
 しかしそれでもオレはここで見逃す事は出来なかった。

「な、なぜです? そいつらはあなたを狙ってきたんですよ」
「そうだ。あなたを捕らえたらどうするのか、今さっき口にしていたじゃないですか」
「先ほどまではそうであっても、今は怪我人です。手を出すのは辞めて下さい」
「ええ?!」

 避難民達は驚いたというより、呆れた表情を浮かべる。

「今までひどい目に遭わされた皆さんが、恨みを抱くのは当然でしょう。しかしそれでもここでこの人達を殺すべきではありません」

 ああ。首輪の受け売りをしている時に比べ、オレの言葉は本当に拙いな。
 こんな事ではとても了承など得られないだろう。

「何ということだ……自分を辱めようとした相手まで助けようとは……そこまでの慈愛にあふれたお方だったとは」
「まさに聖者様そのものじゃ」

 あれ? むしろ感動されているぞ。
 まあまともに考えると、これも今のオレの容姿だから、こうなっているのであって、元の男子高校生のオレが訴えてもたぶん一蹴されただけなんだろうな。
 それはいい。とにかく話が通ったのだから、ここは何とかするしかない。
 オレはここで助かって安堵した、というよりは思わぬ成り行きが理解出来ないとばかりにこちらを呆然と眺めている負傷兵に向き直る。

「あなた方だって頑健な体を持っているのですから、これに懲りたら真っ当に働いて日々の糧を得るように努力して下さい」

 これで簡単に改心して、こいつらが真面目に生きてくれるなら苦労は無い。
 幾らオレでもそれぐらいは分っているつもりだ。

「あ、ありがとうございます! これからは心を入れ替えます!」
「オレは故郷を飛び出して、あいつらに加わったけど、もうウンザリです。もし赦されるなら故郷に戻って畑を耕します」

 助かりたい一心で口から出任せを言っているかもしれないけど、ここはそれを信じるしかないんだろう。
 もちろん避難民達がそれで納得する道理は無い。

「オレ達の田畑をお前達が踏み拉いて荒らしておいて、勝手な事をほざくな!」
「待て。待て。我らが『乙女』が赦すべきだと仰っているのだ。ここはオレ達も従おうではないか」
「分った……」

 避難民達の不満は明らかだが、それでも一応は我慢してくれたようだ。
 そしてここでオレの横にタティウスが立っている。

「いいのですか? こいつらの改心など所詮はその場凌ぎ。助かるためならどんな嘘でも口にするでしょう」
「ええ。そう思いますよ」

 まあオレが連中の立場でも、たぶんそうするはずだ。
 分っていてそれでも助けようとするオレは『バカ』なんだろう。
 毎度の事だけどな。

「とにかくもう二度とこんな事はしないで下さいよ」

 オレが連中を手当すると、慌てて逃げ出していくが、それを見て避難民達にもどこかホッとした空気が漂う。
 興奮して負傷兵達を殺そうとしたけど、少し落ち着いて考えたらやはり人を手にかける事は躊躇する意識があったのだろう。
 彼らの手を血で汚さなかっただけでも、オレのやったことは意義があったと信じたい。

「素晴らしいですわ~ やはりあなたはわたくしの見込んだ通りの慈悲深く、愛にあふれたお方でした」

 カリルは勝手に感動した様子を見せているが、あんたはついさっき負傷した避難民すら見捨てるように言ってなかったか?
 単純に頭を切り換えたのか、それとも場に合わせて心にもない事を言っているのか、全く見当もつかないな。
 しかしこの話も尾ひれついて、これから広まるのだろうと既に予想出来てしまうオレがどことなくイヤだ。
 もうこれ以上、賛美されるのは真っ平なので、一刻も早く避難民達からは離れたい。

「とにかくもう用件は済みました。勝手な事を言いますけど、今は急いでこの場を去りましょう」
「分りました――」
「ちょっと待って下さい」

 タティウスが了承したところで、横合いから割って入る声があった。
 見るとトラートが自分の腕を押さえ、痛そうにその顔をゆがめている。

「すみません。オレも怪我しているんです。ここは『黄金の乙女』が抱擁した上で口づけして治してくれませんか ―― うがあ!」
「貴様など、死神にでも抱擁されていろ! 神の身元にいくがいい!」

 タティウスが怒りと共にトラートのクビを抱え込み、情け容赦なく締め上げる。
 本当にこの二人は仲いいな!
 腐女子だったら怪しい妄想を暴走させているところだぞ。
 そんなわけでオレと『暁の使徒』一行は次の目的地に向けて先を急ぐ事となった。
 その先に何があるのか、知っているのはたぶんカリルだけなんだろうけどな。
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