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絶対に知られたくない

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「シトリンさん、大丈夫か? 顔色が悪いが……」
「う~~ん……。最近よく眠れていないのです」

 この日は郊外の丘まで二人でピクニックに来ていた。ほどよく整備された公園内には、平日の昼時ということもあってか人の姿はかなりまばらだ。

 シトリンは弁当に玉子のロールサンドに唐揚げ、それに蒸し野菜を持ってきた。簡単な料理だが、家庭の味に飢えているというアルゼットは大いに喜んだ。
 あっという間に二人で弁当を平らげ、今は水筒の紅茶を飲みながらまったりしている。
 雲一つない晴天、というわけではないが、そこそこに空は晴れている。暑くも寒くもない心地よい気候に、シトリンは寝不足気味なのも相まって、先ほどから何度も欠伸を噛み殺している。
 そんなシトリンを見、アルゼットは目を細めた。

「俺が急に結婚話を持ちかけたから、君に負担をかけさせてしまったな」
「えっ、ち、違いますよ!」

 違わなくもないが、肯定してしまうのもアルゼットに悪いと思い、シトリンは手を横に振って否定する。

「最近、前世の夢を良く見るのです」
「前世の夢? どんな?」
「そうですね……あんまり良い夢じゃないんです。前にもお話ししたかもしれませんが……。前世の時代はずっと戦争中で、苦しい時代でした……」

 かつて、天上には白羽族と黒羽族の二つの種族がいた。白鳥のような白い羽根を背に持つ白羽族と、甲虫のようなつるりとした羽と身体を持つ黒羽族はずっと天界の領域を巡って争っていた。
 前世では、シトリンは王宮で働く白羽族の女官。日々傷ついた兵達の看護も行っており、死にゆく者を看取ることも多かった。思い出す記憶は、血の臭いがするものも多い。

「前世の記憶がある者を羨ましく思ったこともあるが、苦しい時代を生きた記憶があるのは厄介だな」
「どうして、前世の記憶がある者が羨ましいのですか?」
「前世の時代、君とどう生きていたのか知りたいと思ってな」

 アルゼットの言葉にシトリンの息が止まる。
 シトリンから見れば、アルゼットには絶対に知られたくない前世の事柄の数々。
 前世のアルゼットが何故、つがいであるシトリンに冷たく接していたのか理由が分からない以上、夫婦仲が冷え切っていた事実は極力伏せておきたかった。

「シトリンさん、君はいつもこの話題を出すと悲しそうな顔をするな」
「そう、でしょうか……」
「もしや俺は、君を傷つけていたのか?」

 シトリンはアルゼットの問いかけに肯定も否定もしない。彼女は紅茶が入ったカップを両手で握りしめ、黙って俯いた。
 アルゼットは、前世のことを話したがらないシトリンに対し、自分で考察した内容を述べ始めた。

「前世では、俺と君の婚姻期間は十年あった。しかし、子どもは一人もいなかったようだ。神殿が決める白羽族のつがいの妊娠・出産率はかなり高かったらしいな。その事実から考えるに……もしや俺は君を裏切っていたのか? 俺が別の女にうつつを……」
「な……⁉︎ 前世のアルゼットは浮気をするような人ではありません!」

 前世の己の不貞を疑うようなアルゼットの言葉に、シトリンはバッと顔を上げる。

「アルゼットは誰よりも勇敢な白羽族の戦士で、高潔でした! 彼は不貞なんかしません!」
「そ、そうなのか……?」

 普段はおとなしいシトリンの剣幕に、アルゼットは座ったまま一歩後ずさる。

「前世の時代に私とあなたとの間に子がいなかったのは、あなたが戦場に出突っ張りだったからです……。アルゼットは誰よりも強かったですから」

 シトリンは前世のアルゼットにどれだけ冷たくされても、彼のことを尊敬し、慕っていた。たとえ今世のアルゼットだろうが、前世の彼を悪く言われるのは我慢ならない。

 シトリンは前世のアルゼットの姿を思い浮かべる。背の高さは今世の彼と同じぐらいだが、身体の厚みはかなり違う。今世のアルゼットは士官学校を卒業後、三年間兵役へ行ったのちに今は王都に住む公爵家の護衛官をしている。今でもアルゼットは業物を振るい、銃を持つ機会のある仕事をしているが、常に戦争に行っていた前世とは、身体だけでなく顔つきも大きく違う。今世のアルゼットは優しげな雰囲気をまとわせた甘やかな美男子だが、前世の彼は常に険のある表情を浮かべた無骨な美丈夫だった。前世のアルゼットは寡黙で何を考えているのかシトリンには理解出来ないこともあったが、シトリンは前世の彼も愛していた。

「私は今でも前世のアルゼットのことを尊敬しています」

 前世のアルゼットのことを語り、頬を赤らめるシトリンを見、彼女の目の前にいるアルゼットは目を細めながら自分の顎を手で摩った。

「なるほど……。シトリンさんのなかで前世の俺が一番だから、君は今の俺との結婚が考えられないというわけだな」
「そ、そんなことないですよ! 何を言ってるんですか、アルゼットさん!」
「確かに白羽族の勇敢な戦士と比べれば、今の俺はかなり物足りないよな……。公爵家の護衛官と言っても、ただの役人に過ぎない」
「エリートじゃないですか」
「でも、君は今の俺のことを物足りないと思っているよな?」
「思ってません!」

 反論の勢い余ってシトリンは両手を使ってアルゼットの身体を押そうとするが、要人護衛をするアルゼットの身体は細身でも鍛えあげられている。前のめりになったシトリンは、そのまま座った格好でアルゼットに抱きつく形になってしまった。

「あっ……!」
「大丈夫か? シトリンさん」

 アルゼットは難なくシトリンの華奢な身体を抱きとめる。
 二人の視線がかちりと合った。と、同時に、シトリンの琥珀色のまあるい瞳にみるみる内に涙が溜まっていく。

「シトリンさん?」
「ご、ごめんなさい! 急に泣き出してしまって」

 急いで目を擦ろうとするシトリンを見て、アルゼットはその細い手首を取った。

「謝るな。そのまま泣いていい」
「で、でも……でも……」
「いいから」

 アルゼットは自身の胸板にシトリンの顔を押し付ける。そして彼女の頭の後ろを大きな掌でやんわり撫で始めた。

「もっと甘えてくれていい」

 アルゼットの真剣な言葉が引き金になる。シトリンは家族以外の前で初めて大泣きしてしまった。


 ◆


 (どうしてこんなことに……)

 アルゼットは少し困惑していた。なぜなら彼の膝の上には、すうすう寝息を立てているシトリンがいたからだ。彼女はしばらくアルゼットの胸で涙を流していたが、今は泣き疲れて眠ってしまっている。風邪を引いてしまわないよう、アルゼットは自分が着ていた薄手のトレンチコートを脱ぎ、彼女の身体に掛けた。
 たまにううんと小さく声を漏らすこともあるが、シトリンは気持ちよさそうに眠っている。長いまつ毛の下に広がる隈が痛々しい。

 たびたび前世の──天上戦争時の夢を見るだなんて。想像するだけでしんどいなとアルゼットは思う。彼には前世の記憶がない。天上戦争のことは学校で習っただけの知識しかないが、この戦争の後、天上人は天上に住めなくなり、地上に降りたと言われている。そのエピソードだけでも戦争の悲惨さが偲ばれた。

 これからは自分がシトリンを支えてやりたいが、彼女はまだ自分との結婚を考えてはいないようだ。その事実にアルゼットは寂しく思うが、無理に急かすのもよくないだろう。それに彼女は前世の記憶をはっきり持ち合わせている。もっと慎重にことを運ばなければ。

 アルゼットは『白羽族のつがいの会』でシトリンと出逢い、彼女に一目惚れした。それまで勉学と武術の鍛錬一辺倒でろくに恋などしたことがなかったアルゼットだったが、シトリンの姿をひとめ目にしたとたん、雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。
 マシュマロのような白い肌、軽くウェーブかかった黒髪、琥珀色のまあるい瞳に、どこか儚げな雰囲気。美人と可愛いの中間のようなシトリンに一瞬で恋に落ちた。物言いが控えめなところも良い。しかし、前世のアルゼットを庇う時のように、言うべきところはちゃんと主張するところも、シトリンの美点だなとアルゼットは思う。
 少々情緒不安定なところはあるが、それは悲惨な前世の記憶があるから仕方がない。あまりにも気落ちが酷いようなら、精神科医を頼るのも良いかもしれない。

 (俺に前世の記憶があればなぁ)

 前世の記憶があれば、もっとシトリンの心に寄り添ってやれるかもしれない。いきなり泣かれても、彼女が可哀想だとは思っても面倒だとは思わない。なんとか、シトリンの胸のうちにある悲しみを少しでも拭ってやることは出来ないだろうか。
 アルゼットは人差し指を曲げると、シトリンのすべらかな頬に触れた。
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