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妻の役目を休んでしまった
しおりを挟む「体調がすぐれない?」
「ええ……。申し訳ありません」
「大丈夫なのか? 医者を呼ぼう」
「だ、大丈夫です! 一晩寝ていれば治ると思います」
「? そうか? 私は向かいの部屋にいるから、何かあったらベルを鳴らすのだよ」
お互いの部屋は、廊下を挟んで向かい合ったところにあった。いくら妻とはいえ、夫をベルで呼び出すなどとんでもないと思うが、彼の優しさが嬉しかった。
(ウィンストゲン様、ごめんなさい)
チェチナは妻の役目を休んでしまった。
昼間、婚約者の写真を大事そうに手で抱えるボンブを見て、自分が置かれている状況と比べてしまい、彼女は辛くなったのだ。
ウィンストゲンは口では妻の自分を尊重してくれているが、心の中では子どもを押しつけられてしまったと思い、弱り果てている。
まだ一緒に暮らし初めて十二日である。好き合って結婚したわけではないのでこの状況は仕方のないことだと頭では分かっているが、心がついていかない。
(眠れないわ……)
ずっとウィンストゲンのことを考えていたからか、それとも今夜は交合をしていないからか、頭と身体その両方が落ち着かない。
ウィンストゲンに抱かれると、その後はいつも気持ちよく朝まで眠れた。その生活習慣に慣れてしまったのかもしれない。
(やはり、今夜もウィンストゲン様のところへ参りましょう)
しばらく横になり色々考えていたが、妻の役目を自分勝手な理由で休むのは良くないとチェチナは思い立ち、起き上がる。
それに身体の関係を拒否しては、ウィンストゲンの心はますます自分から離れて行ってしまうかもしれない。まだまだ子どもだと呆れられてしまうかもしれない。
チェチナは上着を羽織ると、自分の部屋を出た。
(ウィンストゲン様はまだ起きていらっしゃるかしら?)
ウィンストゲンの部屋の扉は少し開いていた。光が僅かに漏れている。
ベルを鳴らした時、聞こえるようにするためだろうか。
彼は一人の女性としては自分のことを愛してはくれないが、家族としては大事にしてくれている。それだけでも恵まれていると思わなければならないのかもしれないが、チェチナはやはり、ウィンストゲンに一人前の女性として愛されたいと思う。
「旦那様?」
「チェチナ? ……どうした? 具合が悪くなったのか? ベルを鳴らすように言っただろう」
ウィンストゲンは自室の簡易机の上で書き物をしていたようだ。手元灯に照らされた、万年筆と手紙のようなものが見える。
こんな時間まで仕事をしていたのか。もしかしたら、毎夜の交合の後、自室へ戻ってしまうのも仕事の続きをするためだったのかもしれない。
チェチナはウィンストゲンの苦労も知らず、自分のことばかり考えている己を恥じた。
「いえ、その、ぐ、具合が良くなったので、こちらへ参りました!」
「チェチナ……」
「今夜もよろしくお願いします」
(私は、私の勤めを果たさなければ)
チェチナは深々と腰を折った。
◆
《チェチナは大丈夫だろうか。私が毎夜無理をさせるから、疲れが溜まっているのかもしれないな……》
「チェチナ、疲れているだろう? 今夜は二人でこのまま眠ろうか」
珍しく、ウィンストゲンの言葉と心の声の内容が一致している。と思ったところで、チェチナはウィンストゲンが自分に嘘ばかりついていた事実に気がつく。嘘と言っても、その嘘は自分を傷つけないための優しいものばかりだったが、悲しく思うのは何故だろうか。
「ええ……。ありがとうございます。今夜は少しお話がしたいです」
「そうだな。私もチェチナと話がしたい。……話といえば、昼間、中庭から賑やかな声がしていたな。何をしていたんだ?」
二人でウィンストゲンのベッドに入り、横になる。微かに彼の香水の匂いがシーツからしてドキドキした。
「ボンブと、アカシアの花輪を作っていました」
「アカシアの花輪?」
「ボンブが教えてくれたのです。お部屋に飾ると良いと……。結構上手く出来たので、今度お見せしますね」
「ああ……」
《アカシアの花輪か。よく姉達や母と一緒に作ったな》
ウィンストゲンは懐かしいのか、心の声はとても穏やかだ。ボンブの祖母がアカシアの木が好きだったのなら、ウィンストゲンにとっても思い出深いのは当然だろう。
「楽しかったか?」
「ええ。外で何かをするのは久しぶりでしたので、楽しかったですわ」
「そうか……」
《アカシアの木で花輪を作ることなんて、すっかり忘れていたな。チェチナと一緒に何か出来ないかずっと考えていたのに……。ボンブはこういうところに気を回せるから、婚約者とずっと上手くいっているのだろうな。……ああ、私は駄目な男だ》
(またウィンストゲン様の反省会が始まってしまったわ)
ウィンストゲンが頭の中でああでもないこうでもないと一度考え始めると中々終わらない。チェチナが声をかけても上の空なのだ。
それでも、チェチナは少しだけ大きな声を出して、ウィンストゲンに話しかける。
「今度! 旦那様も一緒に作りましょうね! ……アカシアの花輪を」
「あっ、ああ……」
「絶対に楽しいと思うのです。私に花輪を作るコツを教えて下さいね」
「ん? 君に、アカシアの花輪を作ったことがあると言ったことがあったかな?」
しまったとチェチナは焦る。が、すぐに笑顔を作った。
「ボンブがお義母様と作ったことがあると言っていたのです。勝手に、旦那様もお義母様と花輪を作ったことがあるのだろうなと推測してしまったのですが……。違っていましたか?」
「いいや、違わないよ。今度一緒に花輪を作ろう」
「はい!」
話のきりがついたところで、二人は布団の中で手を握り合う。チェチナは自分の手をすっぽり覆ってしまうウィンストゲンの手の大きさにドキドキした。なんて温かくて大きな手なのか。
胸にじわりと安心感が広がると、瞼が重たくなってきた。
(まだ、眠りたくないのに……)
もう少しだけウィンストゲンの手の温かさを感じていたかったが、睡魔には抗えなかった。
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