ミトスの彩色

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 ペタでのミトスの家はカフェの二階だった。大家に挨拶をした後、部屋に荷物を置くと、ミトスはオパル医師に挨拶に行き、それからタオルや食器などのとり急ぎ必要な生活用品を買って、家に戻った。生理用品は余分になるほど買っておいた。ミトスは事前に、看護師のアンに教えられながら、買う練習をしていた。
一階のカフェへの挨拶は明日にしようと、ミトスは夕食を食べる。今夜は外で買ってきたサンドウィッチとポタージュだった。部屋は家具付きで、寝具も揃っていると説明をした大家はミトスがカバンサと関係があるとは知らない様子だった。ジェーダはしっかりと用心していた。
 ミトスは出稼ぎに来たとういう設定だった。そのため、それなりの部屋だった。廊下はなく、寝室、ダイニング、リビングはひとつの部屋で、キッチンは部屋の奥にあった。一応、別の部屋だが、リビングとの間にドアはない。カフェの二階の部屋はフェナの屋敷のミトスの部屋より小さかった。けれどミトスはそんなことは気にもならなかった。健康な体と、自由な時間。けれど、寂しくないと言ったら嘘になった。不安もある。ジェーダは最初の資金は準備してくれたが、仕送りはしないとミトスに伝えていた。それもヨールへの用心のためだった。けれどミトスは不満がなかった。十分すぎるほどの準備をしてもらえた。働かなくても、一年ほど生活できるお金を貰っていた。
「でも、明日からすぐに仕事を探そう」
 ミトスは自分を鼓舞するように、声に出した。



 次の日の午前中に、ミトスは一階の「タルクカフェ」に挨拶に行った。カフェは妻レアーメ、夫ステアのタルク夫妻が営むカフェだった。
「うちも先週開店したばかりなんです。同じ新参者ですよ」
 人懐っこくレアーメが言った。レアーメは小柄で、よく動いた。そのたびに頭の上のお団子がよく揺れた。夫のステアは黒ぶちの眼鏡をかけて、ひげを生やしニコニコしていた。
「あ、そうなんですね。せっかくなので、コーヒーと、」
 ミトスはメニューを見る。
「ホットケーキ。お願いします」
「ありがとうございます!」
 ミトスがお金を払おうとすると、贔屓にして欲しいから、初回は特別とレアーメは受け取らなかった。店内はミトスだけだったのもあったのだろう。ミトスはご厚意に甘えた。ホットケーキには苺が添えられていた。
「苺はそろそろ終わり。そろそろサクランボに変わります」
「じゃあ、また来月来ます」
 ミトスが言った。
「ふふ、うちコーヒーはテイクアウトしてるの。それもよかったら」
 店が暇なのと、ミトスと年齢が近いこともあり、レアーメはミトスのテーブルに座り、お喋りをした。そのうち、スケッチブックを持って来て、店の理想図を見せた。
「これ、レアーメさんが描いたんですか」
 ミトスが感心する。レアーメの絵は上手だった。
「レアーメでいいよ。そう、絵は好きなの。まだ色々揃えられるほど店が軌道に乗ってないけど、いつかこうなったらいいなっていう、夢。描いているだけで楽しいよ」
 ミトスはレアーメの理想図をじっくりと見る。
「これ、なんですか?」
 ミトスが指さす。ちょうど今、ミトスが座っている横の窓に何か描かれていた。
「あ、ちょうどこのあたりにね、タペストリー掛けたいの。こういうデザインの」
 レアーメはスケッチブックをめくり、ざっくりしたタペストリーの図案を見せた。ミトスはそれを眺めて、申し出た。
「これ、刺しゅうでいいなら私、作れますよ」
「え?」
 レアーメが驚く。
「気に入ってくださるかどうか、自信はありませんが。とりあえず、見本で作りますよ。勿論、無料で。今日のお茶代で」
 ミトスの提案をレアーメは喜んだ。きっちりしたデザインをとりあえずやるので、そこで一度確かめさせて欲しいとミトスは話を詰めた。ミトスはタルクカフェを出ると、画材店に向かった。昨日の買い物の途中で、見つけていた。手芸店の隣にあったので余計に覚えていた。



 画材店へ行く途中、中央広場をミトスは通った。思わず足を止める。中央広場の時計台には舞台「シズ」の大きなタペストリーが提げられていた。色彩、構図、なにもかもが見事で美しい絵だった。シズをまとうスズランの花が今にも地上にこぼれ落ちて来そうだった。公演初日は、二か月後の七月だった。ミトスは観に行くか迷っている。その迷いを一旦、置いておくようにミトスは広場を去った。
 ミトスは「ルーサイト画材店」に入る。絵具や、鉛筆、定規、スケッチブックを買う。店での買い物に、昨日今日でなかなかなれず、ミトスは手間取った。あまりにもウロウロしていたせいか、客に声をかけられた。
「何か捜しているのか?」
 ミトスは見上げる。そこには黒いスーツを着た、柔らかいライトグレーの髪が映える男が胡散臭い笑みを浮かべていた。
「さっきから、あちこち歩き回っているから」
 男はからかうように人差し指をぐるぐるさせた。
「ありがとうございます。もう、大丈夫です」
 ミトスは丁寧に笑みを返す。男はミトスの買った物を見て、質問した。
「趣味かい?」
「はい。そうです」
 ミトスは男も大量の絵具を持っているカゴに入っているのに気が付いた。
「あなたも趣味ですか」
 男は驚いた表情して、吹き出した。
「僕を知らないなんて、田舎者だね」
 明らかにミトスを小馬鹿にした言い方だった。それはミトスも分かったが、何も思わなかった。ミトスはまた、笑みを浮かべた。
「はい。昨日、出て来たばかりで。失礼なことを言ったみたいですね。ご容赦ください」
 男は何も返さなかった。
「失礼します」
 ミトスは会計を終えて、店を出た。男も絵具を店主の元に持って行く。
「あれは、庶民じゃないね。どっかの地主のお嬢さまじゃないか? オーラが違う。サルファーさんはもう少し、人に対して気を付けた方がいいね」
 店主のルーサイトがお得意様に助言する。
「へいへい」
 
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