【完結】指先が触れる距離

山田森湖

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第19話 新しい日常

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第19話 新しい日常

松田さんとの話し合いから一週間が経った。

美咲からの報告によると、職場の雰囲気は徐々に改善されているようだった。

『松田さん、以前のように話しかけてくださるようになりました』

『良かったです。気まずくないですか?』

『少しはありますが、時間が解決してくれそうです』

『そうですね。松田さんも理解のある方でしたから』

職場での問題が解決されたことで、私たちの関係もより安定したものになった。もう後ろめたさを感じることなく、堂々と付き合うことができる。

その土曜日、私たちは新しい場所を探索することにした。横浜の中華街だった。

「賑やかですね」

美咲が楽しそうに辺りを見回している。

「何を食べましょうか」

「小籠包が食べたいです」

私たちは評判の良い小籠包の店に入った。週末の昼間ということもあって、多くの人で賑わっている。

「美味しいですね」

「本当に。熱々で...」

美咲が小籠包を頬張る姿を見ていると、幸せな気持ちになる。こんな些細な時間が、今はとても貴重に感じられる。

食事の後、私たちは中華街を散策した。お土産屋さんを覗いたり、占いの看板を見つけて笑ったり。恋人らしい時間を過ごした。

「佐藤さん」

「はい」

「最近、すごく幸せです」

美咲が突然そう言った。

「僕もです」

「松田さんの件で不安だった時期もありましたが...今は本当に」

「もうあんな心配はしなくていいですね」

「はい。でも...」

美咲が少し表情を曇らせた。

「でも?」

「また別の問題が起きないか、少し不安で」

「どんな問題ですか?」

「分からないです。でも、こんなに幸せだと、何か悪いことが起きるんじゃないかって」

美咲の不安が理解できた。確かに、恋愛にはいろんな困難がつきものだ。

「大丈夫ですよ。僕たちなら、どんな問題も乗り越えられます」

「本当ですか?」

「もちろんです。今回の松田さんの件も、話し合いで解決できました」

「そうですね」

美咲は少し安心したような笑顔を見せた。

---

その一週間後、私に新しい仕事の話が来た。

横浜支社での業績が評価され、今度は大阪支社の新プロジェクトのリーダーに推薦されたのだ。

「大阪ですか...」

課長の話を聞きながら、私の頭に最初に浮かんだのは美咲のことだった。

「期間は一年程度の予定です。成功すれば、本社への昇進も視野に入ります」

キャリア的には非常に魅力的な話だった。でも、大阪は遠い。週末に会うことも難しくなる。

「検討のお時間はいただけますか?」

「もちろんです。来週までにお返事をいただければ」

その夜、私は美咲に電話をかけた。

「大阪への異動の話があるんです」

電話の向こうで、美咲が息を呑む音が聞こえた。

「大阪...ですか」

「はい。新しいプロジェクトのリーダーとして」

「それは...すごいことですね」

美咲の声は複雑だった。喜びと不安が混じっている。

「でも、遠いです」

「そうですね...」

私たちは少し沈黙した。

「佐藤さんは、どうしたいんですか?」

「正直、迷っています」

「仕事としては、良い機会なんですよね?」

「はい。でも、美咲さんと離れるのは...」

「私のことは気にしないでください」

美咲がそう言ったが、声が震えていた。

「そんなわけにはいきません」

「でも、佐藤さんのキャリアの方が大切です」

「美咲さんも同じくらい大切です」

電話の向こうで、美咲が小さく泣いているのが分かった。

「会って話しませんか?明日、時間作ります」

「はい...お願いします」

---

翌日の夕方、私たちはいつものカフェで会った。美咲の目は少し赤くなっていた。

「昨夜は眠れませんでした」

「僕もです」

「大阪の件、よく考えたんですが...」

美咲が口を開いた。

「佐藤さんは行くべきだと思います」

「美咲さん...」

「私のために、キャリアを犠牲にしてほしくないんです」

美咲の言葉は優しかったが、その優しさが逆に辛かった。

「でも、離れ離れになってしまいます」

「大阪は東京から三時間です。横浜より遠いですが、絶対に会えない距離ではありません」

「でも...」

「それに、一年後には東京に戻ってこられるかもしれないんですよね?」

「可能性はあります」

「だったら、待ちます」

美咲の決意を込めた言葉に、私は深く感動した。

「本当にいいんですか?」

「佐藤さんが成功するのを見ていたいんです。私のせいで、チャンスを逃してほしくない」

美咲の愛情の深さに、私は改めて彼女を愛おしく思った。

「ありがとうございます。でも、寂しいです」

「私も寂しいです。でも、大丈夫」

「大丈夫って?」

美咲が小さく微笑んだ。

「指先が触れる距離で始まった私たちの関係は、もうそんな距離に縛られることはないから」

その言葉に、私は希望を見た。確かに、私たちの絆は物理的な距離を超越している。

「美咲さん、愛しています」

初めて、その言葉を口にした。

「私も愛しています、佐藤さん」

美咲も初めて、その言葉を返してくれた。

大阪への異動は決まった。でも、私たちの愛は距離に負けない。そう信じて、新しい挑戦に向かうことにした。

指先が触れる距離から始まった私たちの物語は、今度は愛する人を想う距離の物語になる。

それもまた、美しいものになるはずだった。
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