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第4話「過去という名の影」
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第4話「過去という名の影」
その日から、圭介と佳奈美はときどき連絡を取り合うようになった。
「今日は、天気がいいから釣りに行ってきました」
「近所のパン屋さんで、おいしいクリームパンを見つけました」
他愛もないやりとりだったけれど、スマートフォンの通知が鳴るたび、心がふわりと軽くなる。
「明日、少しお茶でもどうですか?」
そんな佳奈美からのメッセージに、圭介は一瞬だけ指が止まった。
──ああ、これって、デート……なのかな。
その言葉に戸惑いながらも、画面に「ぜひ」と打ち込み、駅前の喫茶店で待ち合わせることになった。
「このお店、昔からあるんですよ。高校生の頃、よく友達と来てて」
佳奈美は、カップの縁を指でなぞりながら言った。
「変わらないものって、ほっとしますね」
「……俺、変わってしまったものの方が多い気がします」
圭介の声には、少しだけ翳りがあった。
「妻が病気になってからの数年間、正直なところ、あまり記憶がないんです。毎日をこなすことで精一杯で……」
「看病、されてたんですね」
「ええ。最期は、自宅で看取りました。……なのに、心のどこかで後悔してるんです。もっと、ちゃんと“ありがとう”って言えたんじゃないか、って」
佳奈美は、黙って耳を傾けていた。
彼の声には、過去への罪悪感がにじんでいた。
「自分を責めても、仕方ないのに。そう思うのに、心のどこかで許してない自分がいるんです」
「……それ、わかります」
佳奈美の声は、かすかに震えていた。
「私も、離婚したこと、今でも時々後悔します。あのとき、もっと優しくできていたらって。……娘が一番つらかったはずなのに、私は自分のことで精一杯で」
「でも、ちゃんと向き合ってきたんですよね。娘さんと」
「はい。今は、仲良しです。でも……やっぱり心のどこかに、穴が開いたままなんです。何年経っても、埋まらない」
二人のカップの中のコーヒーが、静かに冷めていく。
その沈黙は、どこか心地よくさえあった。
「圭介さん、怖くないですか?」
「何が、ですか?」
「……また誰かを好きになること。傷つくこと。別れること。いずれ失うかもしれないこと、全部」
圭介は、少し考えて、ゆっくりと答えた。
「正直に言えば、怖いです。……でも、何もなかった日々の方が、もっと怖かった。あの夜、あなたと話して、帰り道に風が気持ちよかったんです。こんな気持ち、久しぶりでした」
佳奈美は、ふっと微笑んだ。
「私も、あの夜から、少しだけ前を向けるようになった気がします」
「それなら……よかった」
その言葉に、二人は小さな笑みを交わす。
やがて、店の時計が午後四時を指した。
夕暮れの光が、窓辺に差し込み始めていた。
「そろそろ行きましょうか」
店を出ると、街の景色は少しだけ色を変えていた。
「圭介さん。これ、よかったら」
佳奈美が差し出したのは、小さな紙袋。
中には、小さな手作りのクッキーが入っていた。
「私、趣味でお菓子作りしてて。味は……まあ、期待しないでください」
「ありがとう。嬉しいです」
素直にそう言えたのは、たぶん久しぶりだった。
何かが始まるには、まだ少し時間がかかるかもしれない。
でも、互いに心の中で抱えている“過去”を、そっと見せ合うことができた——
それだけでも、大きな一歩だった。
次の約束は、まだ決めていない。
でも、たぶんまた会える。
そんな気がしていた。
その日から、圭介と佳奈美はときどき連絡を取り合うようになった。
「今日は、天気がいいから釣りに行ってきました」
「近所のパン屋さんで、おいしいクリームパンを見つけました」
他愛もないやりとりだったけれど、スマートフォンの通知が鳴るたび、心がふわりと軽くなる。
「明日、少しお茶でもどうですか?」
そんな佳奈美からのメッセージに、圭介は一瞬だけ指が止まった。
──ああ、これって、デート……なのかな。
その言葉に戸惑いながらも、画面に「ぜひ」と打ち込み、駅前の喫茶店で待ち合わせることになった。
「このお店、昔からあるんですよ。高校生の頃、よく友達と来てて」
佳奈美は、カップの縁を指でなぞりながら言った。
「変わらないものって、ほっとしますね」
「……俺、変わってしまったものの方が多い気がします」
圭介の声には、少しだけ翳りがあった。
「妻が病気になってからの数年間、正直なところ、あまり記憶がないんです。毎日をこなすことで精一杯で……」
「看病、されてたんですね」
「ええ。最期は、自宅で看取りました。……なのに、心のどこかで後悔してるんです。もっと、ちゃんと“ありがとう”って言えたんじゃないか、って」
佳奈美は、黙って耳を傾けていた。
彼の声には、過去への罪悪感がにじんでいた。
「自分を責めても、仕方ないのに。そう思うのに、心のどこかで許してない自分がいるんです」
「……それ、わかります」
佳奈美の声は、かすかに震えていた。
「私も、離婚したこと、今でも時々後悔します。あのとき、もっと優しくできていたらって。……娘が一番つらかったはずなのに、私は自分のことで精一杯で」
「でも、ちゃんと向き合ってきたんですよね。娘さんと」
「はい。今は、仲良しです。でも……やっぱり心のどこかに、穴が開いたままなんです。何年経っても、埋まらない」
二人のカップの中のコーヒーが、静かに冷めていく。
その沈黙は、どこか心地よくさえあった。
「圭介さん、怖くないですか?」
「何が、ですか?」
「……また誰かを好きになること。傷つくこと。別れること。いずれ失うかもしれないこと、全部」
圭介は、少し考えて、ゆっくりと答えた。
「正直に言えば、怖いです。……でも、何もなかった日々の方が、もっと怖かった。あの夜、あなたと話して、帰り道に風が気持ちよかったんです。こんな気持ち、久しぶりでした」
佳奈美は、ふっと微笑んだ。
「私も、あの夜から、少しだけ前を向けるようになった気がします」
「それなら……よかった」
その言葉に、二人は小さな笑みを交わす。
やがて、店の時計が午後四時を指した。
夕暮れの光が、窓辺に差し込み始めていた。
「そろそろ行きましょうか」
店を出ると、街の景色は少しだけ色を変えていた。
「圭介さん。これ、よかったら」
佳奈美が差し出したのは、小さな紙袋。
中には、小さな手作りのクッキーが入っていた。
「私、趣味でお菓子作りしてて。味は……まあ、期待しないでください」
「ありがとう。嬉しいです」
素直にそう言えたのは、たぶん久しぶりだった。
何かが始まるには、まだ少し時間がかかるかもしれない。
でも、互いに心の中で抱えている“過去”を、そっと見せ合うことができた——
それだけでも、大きな一歩だった。
次の約束は、まだ決めていない。
でも、たぶんまた会える。
そんな気がしていた。
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