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第二章 クリスタ編
86.面会の目的
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レイに用事があるというジークヴァルトの護衛騎士を部屋に招き入れたレイは、早くも二人きりになったことを後悔していた。
不躾に向けられる視線には、先程まで浮かべていた親しみといった感情は一切なく、むしろ拒絶に近いものに変わっている。
(あれが演技だったってわかってるけど、ここまであからさまに態度を変えることないんじゃ……。)
レイはため息を吐きたくなるのをなんとか堪えながら、精一杯の愛想笑いを浮かべて目の前にいる護衛騎士に席を勧めた。
「どうぞ、お掛け下さい。今お茶の用意を致しますので。」
すると。
「結構だ。長居をするつもりはない。用件が済み次第すぐに帰る。実際はどうでも、一応今の君は結婚したばかりの女性ということになってるんだろう?
俺自身、君も含めた女子供に全く興味はないが、誤解されるのも迷惑だ。それから口調も通常のものに戻してくれ。中身が男だとわかってるのに女性のように話されるのは気味が悪い。」
流れるような口調で失礼極まりないことをサラリと言ってのけた護衛騎士に対し、レイはその言葉を正しく理解するまでの準備ができるまでの間、思考を停止してしまった。
(もしかしなくても嫌われてる……?)
相手が向けてくる感情の種類を覚ったレイは声のトーンを通常のものに戻すと、愛想笑いもやめて護衛騎士と向き合った。
「はい。わかりました。ではそうさせていただきます。」
護衛騎士は顔つきが変わったレイを見て、ほんの僅かに口角を上げた。
「で、今日はどのようなご用件でこのような場所にいらっしゃったのですか? えーと……」
そこまで言いかけてレイはようやくこの護衛騎士の名前を知らないことに気がついた。
相手にもそれが伝わったらしく、憮然とした表情で自己紹介をしてくれた。
「俺の名はフレドリック・カーライルだ。王宮の近衛隊に所属しているが、実質ジークヴァルト様の専属の護衛騎士となっている。」
カーライルといえば、ファランベルク王国でも一、二を争うほどの格式高い公爵家であり、先々代の王弟が臣下に下った際に創設された一番新しい公爵家でもある。
そんな高貴な身分の人間が近衛騎士ということに驚いたものの、今気にするべき所はそこではないと気付いたレイは、フレドリックの希望どおりさっさと本題に入ることにした。
「レイ・クロフォードでございます。それでフレドリック様。こちらとしても誤解を招くような真似はしたくないので、簡潔にご用件をお聞かせ願えませんか?そもそもどなたの許しがあって殿下のお側を離れてこちらに参られたのかお聞きしても?」
レイ達は公にはなっていないが王命で動いている身だ。
一応旅券の偽造も含めて国家ぐるみの偽装工作をした隠密行動である以上、王家に近い人間が個人の判断でむやみに訪ねて来られても困るのだ。
誰の指示でこんな真似をしているのかきっちりと確認する必要がある。
するとフレドリックにはレイの反応が意外に映ったらしく、軽く目を見開いた。
「クロフォードの次男は深窓の令嬢のように家族に甘やかされて育った世間知らずだと聞いていたが、どうやら馬鹿ではないようで安心した。まともに話が出来ないようならどうしようかと思っていたからな。」
少し前までまことしやかに囁かれていた自分の評判を持ち出され、レイは無意識に眉を顰めた。
「もちろん俺はジークヴァルト様の指示で動いている。俺は王家に仕えるためではなく、ジークヴァルト様個人にお仕えするために近衛騎士になったのだからな。そのジークヴァルト様からお前の力になるようにとの指示を受けてわざわざここまで来たのだ。」
ジークヴァルト個人の判断だというのなら、王命で動いているレイがフレドリックの話に付き合う義務はない。
「では、このままお引き取り下さい。こちらからお話することはありませんし、フレドリック様にご助力いただくようなこともございません。僕はファランベルクの国民として微力ながらも陛下ために行動する身ですから。」
きっぱりとそう言いきったレイに、フレドリックは不快感を露にした。
「俺だって女子供の御守りは御免だ。しかし、お前の身を案じたジークヴァルト様が陛下に掛け合われて許可をいただいた結果、一番信頼が厚い俺が遣わされたんだ。異論は認めない。」
「……僕がレイラだと知っておられたのなら、どういう設定で行動してるのかもご存知なのですよね?」
新婚旅行という設定で動いているレイ達にとって、突然押し掛けてきたフレドリックは邪魔者以外の何者でもない。
暗に余計な気遣いだと言ってみたのだが、あくまでも主君の指示に忠実に従う姿勢を見せるフレドリックに、その意図を正しく汲みとろうという気遣いはないらしい。
「お前の夫となっているランドルフの執事では、いざという時に色々と不足しているものがある。クリスタという国を相手にするならせめて同等の身分である公爵家の者が近くにいたほうがいいだろうというジークヴァルト様のご配慮だ。こっちだって芝居だとわかっていても間男のような真似をさせられるんだ。あの方の望みでなければ、誰がこんな役割を引き受けるものか。」
吐き捨てるような口調ではあるが、ジークヴァルトのやり方に同調しているらしいフレドリックの説明は確かに一理ある。
クリスタでレイが公子と直接交渉するということはないかもしれないが、いざという時に身分というものを持ち出された場合、侯爵子息でしかないレイは公爵位と同等である公子に太刀打ちできない。
いくらクリスタの公子と個人的な繋がりがあるとはいえ、貴族籍ではないアスランならば尚更だ。
それに王の許可が出ているというのなら、大変不本意ではあるがこれ以上反対する理由がレイにはない。
「安心しろ。お前たちとは適切な距離を保って行動してやる。俺の力が必要な時にすぐに行動できるよう、近くにいることにはなると思うがな。──ありがたく思え。
その代わり王都に戻っても今後一切ジークヴァルト様には近付かないと約束してもらおう。どうしても男が必要だというのなら、不本意だが俺がいくらでも相手をしてやる。」
「……は?」
レイはあまりの一方的すぎる物言いに一瞬言われた意味が理解出来なかった。
(一体この人は何言ってるんだ……? これじゃまるで僕が男に見境ない人間みたいじゃないか!)
屈辱と羞恥で一瞬頭に血が上りかけたのをなんとか必死で堪えて言葉を紡ぎ出す。
「──失礼ですが、そのような極個人的な事情を貴方にお気遣いいただく必要はありません。」
遠回しに今の失礼過ぎる発言を批判してみたのだが、フレドリックはレイの言葉を意に介すことなどないようで。
「まさかとは思うが、ランドルフの執事にも色目を使ってるんじゃないだろうな? 命令で仕方なく付き合っている人間に対して、身分を笠に着て迫ることなど許されないことだぞ。」
それどころかレイが節操なく男性と関係を持ちたがる無類の男好きだという勝手な思い込みまで披露してくれた。
レイは元々他人との関わりが苦手なほうではあるが、結構負けん気が強く短気な一面もあるのだ。
アスランとの関係まで持ち出されたことで、相当頭にきたレイは、自分の中で何かがプツリと切れたのを感じていた。
侮辱されて冷静さを失っていると思われないよう、レイはあえて口許にうっすらと笑みを浮かべて話し出す。
「失礼ですが、フレドリック様は何か僕という人間について誤解されてるようですね。貴方の言い方では、まるで僕が見境なく周りの方々に言い寄ってるように聞こえるのですが。」
「あながち間違いではないだろう?案外何も知らない無垢な子供の振りをして男達を誑かしているんじゃないのか? しかし俺は騙されないぞ。ジークヴァルト様に言い寄られて嬉しそうな声で啼いてたヤツが、清い身体だとは到底思えないからな。」
誕生日の前夜にジークヴァルトとの間にあった事を持ち出されたレイは、あの時の声をしっかりと聞かれていたことに羞恥を覚えて内心狼狽えてしまった。
しかし意地でもここで怯む訳にはいかない。
「それでフレドリック様が僕のお相手をしてくださると? どういう思い違いでそのようなことをおっしゃったのかは分かりかねますが、もし本当に僕が周りにいる方々との関係を望んでいるとしても、生憎と僕にも好みというものがありまして。」
レイは余裕の表情でそう言って除けた。
「……公爵家の人間で近衛にも選ばれるほどの容姿と実力を持つ俺相手に何か不満があるとでも?」
「目に見える部分だけが人間の価値ではありませんので。」
「……なかなか面白い事を言う。」
一歩も引かないレイに対し、フレドリックは言葉ほど面白いと思っていないことが丸わかりの抑揚のない声で、予想外のことを言い出した。
「では是非とも付加価値を認めてもらわないとな。」
嫌な予感がしたレイは咄嗟に逃げを打つ。
しかし、現役騎士の動きには敵うはずもなく、あっという間にフレドリックに間合いを詰められ、まるで抱き寄せられているような体勢になってしまった。
抵抗しようにも、身動きひとつ取れないほどの力強さに、嫌でも体格差というものを感じずにはいられない。
(絶対にすくすく成長して、そのうちギャフンと言わせてみせる!!)
そう決意しながら唯一動かせる頭を上向かせ、頭ひとつ分以上上にあるフレドリックを精一杯睨み付けた。
「何をされるおつもりで?」
「わからないほど初な訳ではないだろう?」
少しだけ拘束する力を弱めたフレドリックは、まるで愛しい人間にする行為とは別なものだと云わんばかりの義務的な手付きで、レイの耳から顎にかけてをそっと撫でていった。
不覚にも少しだけ動揺してしまったレイは、少しだけ自由になった手でそれを振り払おうとしたのだが、フレドリックに片手だけで易々と捕らえられ、動きを封じられてしまう。
その間にもフレドリックのもう片方の手は、レイの顎から首筋を伝い、やがて胸元で結ばれたリボンへと伸ばされていく。
迷いのないその手付きに、嫌でもこれから行われるであろう行為が想像できてしまい、レイは自然と身体が強張っていくのを止められなかった。
(大丈夫。こんなのはなんともない。気持ちが負けたら、本当の負けだ。)
必死にそう自分に言い聞かせた結果、リボンがシュルリと音をたてて解かれる頃には、レイの気持ちに冷静さが戻っていた。
レイはワンピースのボタンを外されながら、フレドリックには気付かれないよう慎重にワンピースのポケット忍ばせていたものを探り当てる。
──三つ目のボタンに手が掛けられたその時。
レイは素早い動きでそれを取り出し、器用にも片手だけで使用できる状態にすると、一気に反撃へと転じるため、フレドリックの首筋に迷うことなく刃を向けた。
誕生日にカインからプレゼントされた短剣は、普段持ち歩く際の形状はポケットにも入るサイズの小さな筒状だが、前世の口紅と同じ仕組みで作られているため、いざというときには片手で簡単に蓋をあけられ、尚且つ束の部分を軽く回すだけで収納されている刃が出てきて短剣になるという優れものなのだ。
「……まさか武器を仕込んでいたとはな。」
「こんな格好をしてますが、一応僕もそれなりに鍛えられてますので。」
「──そう言えば、君たちの剣の師匠はテオドール様だったな。すっかり失念していたよ。まさか反撃されるとはな。」
フレドリックはそう言うと、初めて興味深そうにレイを見た。
レイはそんなフレドリックに対し、不快感を露にする。
「同意もなくこのような真似をされるということは、どんな反撃をされても文句はいえないと思いますが。」
「今更そんな真似をしたところで、俺の言葉や態度ひとつで不貞があったと思われることに変わりはないぞ。」
「……王太子殿下の顔を潰すおつもりで?」
「…………。」
それからしばらくの間、一歩も引かずに対峙していた二人だったが、意外なことに先に引いたのはフレドリックのほうだった。
両手を上げておどけたように降参のポーズをとるフレドリックに、レイは警戒しつつ向けていた短剣をゆっくりと下ろした。
またすぐに使えるということを示すため、あえて元の形状には戻さず、その手の中に納めておく。
フレドリックはレイの意図がわかったのか、口許を片方だけ歪ませると、この部屋を訪ねてきた時と同じく真面目な表情作って口を開いた。
「だいぶ話がずれたが、こちらの用件はそういうことだ。残念だがこちらも陛下の許可が出ている正式な任務である以上、異論は認められない。」
急に近衛騎士らしい口調で何事もなかったかのようにそう言われ、レイとしては色々と言いたいことは山ほどあるものの、これ以上関わり合いになりたくない一心で、仕方なく気持ちを入れ換えることにした。
「わかりました。陛下の許可が出ているというのなら、仕方ありませんね。」
レイはそう前置きしてから、精一杯の作り笑いを浮かべて、フレドリックが訪ねて来た時と同じレイラの顔になった。
「──ですがくれぐれも、わたくしと旦那様の邪魔にならないようお願いいたしますわね。新婚旅行ですもの。」
レイは今起きたことは忘れてやるから余計なことをするなよ、という気持ちを目一杯込めてフレドリックを牽制する言葉を掛けた。
しかし。
「俺も馬に蹴られたい訳でも、熱に当てられたい訳でもないから必要以上に近付かないさ。
──じゃあな。レイラ。また近々。」
フレドリックはレイの言葉の意味が本当にわかったのか怪しいくらいにあっさりそう言うと、ヒラヒラと手を振りながら部屋を後にしたのだった。
「……ふざけやがって!!」
レイはフレドリックが出ていった扉を睨み付けながら、普段なら絶対に使わないであろうぞんざいな言葉で悪態を吐く。
完全に気配が遠ざかるまで神経を張り詰めて警戒していたレイは、気配が消えたことを確認するなり大きなため息を吐いて脱力すると、ソファーに突っ伏した。
(もうなんなんだ!?あの人!訳わかんないよ!!)
散々心の中でフレドリックに対する悪態を吐いた後、長旅や捜索による疲れと、久々に他人からの悪意を正面からぶつけられたことによる精神的な疲弊のせいか、レイはいつの間にか意識を手放してしまっていたのだった。
◇◆◇◆
「レイ様。起きて下さい。このような場所で眠られては風邪を召されます。」
すぐ耳許でアスランの声がして、レイはゆっくり目を開けた。
レイはまだ覚醒しきっていない頭で、必死に状況判断をしながら気怠い身体を起き上がらせる。
(あれ……?アスランが帰って来てるってことは、もしかしてあのまま朝まで寝ちゃった?)
化粧も落とさず、風呂にも入らないままソファーで寝てしまったらしいことに気付いたレイは青くなる。
(マズい……。今日の捜索は早くからやるって言ったの僕なのに遅くなっちゃう……!っていうか今何時?)
「レイ様。落ち着いてください。まだ朝にはなっておりません。」
レイの考えたことがわかったのか、アスランが冷静に答えてくれた。
誕生日にレイの父親のヴィクトルからもらった懐中時計で時間を確認したところ、アスランが出掛けてからまだ二時間ほどしか経っていない。
「あれ?じゃあなんでアスランがいるの?」
「レイ様にお客様が訪ねていらっしゃったことをジョセフが知らせに来てくれたので、急いで戻ってきたのです。」
どうやらジョセフには随分心配されていたらしいことがわかり、レイは苦笑いした。
「……ああ、そういうこと。お客様はとっくにお帰りになられたから、大丈夫。 王太子殿下の取り計らいで近衛騎士のフレドリック・カーライル様がこちらに派遣されたんだ。一応陛下の許可が出ているそうだから、無碍に断る訳にもいかなくて了承しておいた。あちらも僕達の邪魔にならないよう配慮してくださるそうだよ。」
先程の事のあらましを説明しながら、アスランがどこから急いで戻ってきたかを思い出したレイは、自然とと不快な気分になっていく。
「もう話は済んだし、アスランはいつもどおりにしていいよ。僕ももうシャワー浴びたらさっさと寝るから。」
毎晩娼館通いで朝帰りのアスランを不満に思い始めていたレイは、上手く自分の感情を隠しきれなかったのだ。
(多少嫌味な言い方になってしまった気するけど、ギリギリセーフだよね。)
これ以上アスランの側にいる気になれず、少々乱暴な手付きで髪型が崩れたウィッグを外すと、バスルームへ向かうために立ち上がった。
ところが歩き出そうとしたところで突然アスランに腕を強く引かれ、ソファーへと戻されてしまう。
「ちょっと、何すんの!?」
意味のわからない行動に、レイは即座にアスランに対して非難するような視線を送った。
しかし、咎められたはずのアスランの口からは、謝罪の言葉は聞こえてこなかった。
「カーライル様が任務で訪ねていらっしゃったことはわかりました。
──しかし、レイ様のこの服装の乱れは一体どういうことなのでしょう?」
「え……?」
自分の服装がフレドリックによって乱されたままになっていることをようやく思い出したレイは、なんとなく雰囲気に気圧されてしまい、特別疚しいことがあったわけでもないというのに、反射的に視線を逸らしてしまった。
(しまった!つい……。)
後悔した時には既に遅く、その咄嗟の行動が間違いであることをすぐに知らされることになったのだった。
「レイ様にはもっと私という人間がどういう人間なのか知っていただく必要があるようですね。」
いつものようにうっすらと笑み湛えながら紡ぎ出された言葉は、甘いのにどこか背筋が寒くなるようなもので、レイはアスランと視線を合わせたまま、まるで凍り付いてしまったかのように動くことが出来なくなってしまった。
不躾に向けられる視線には、先程まで浮かべていた親しみといった感情は一切なく、むしろ拒絶に近いものに変わっている。
(あれが演技だったってわかってるけど、ここまであからさまに態度を変えることないんじゃ……。)
レイはため息を吐きたくなるのをなんとか堪えながら、精一杯の愛想笑いを浮かべて目の前にいる護衛騎士に席を勧めた。
「どうぞ、お掛け下さい。今お茶の用意を致しますので。」
すると。
「結構だ。長居をするつもりはない。用件が済み次第すぐに帰る。実際はどうでも、一応今の君は結婚したばかりの女性ということになってるんだろう?
俺自身、君も含めた女子供に全く興味はないが、誤解されるのも迷惑だ。それから口調も通常のものに戻してくれ。中身が男だとわかってるのに女性のように話されるのは気味が悪い。」
流れるような口調で失礼極まりないことをサラリと言ってのけた護衛騎士に対し、レイはその言葉を正しく理解するまでの準備ができるまでの間、思考を停止してしまった。
(もしかしなくても嫌われてる……?)
相手が向けてくる感情の種類を覚ったレイは声のトーンを通常のものに戻すと、愛想笑いもやめて護衛騎士と向き合った。
「はい。わかりました。ではそうさせていただきます。」
護衛騎士は顔つきが変わったレイを見て、ほんの僅かに口角を上げた。
「で、今日はどのようなご用件でこのような場所にいらっしゃったのですか? えーと……」
そこまで言いかけてレイはようやくこの護衛騎士の名前を知らないことに気がついた。
相手にもそれが伝わったらしく、憮然とした表情で自己紹介をしてくれた。
「俺の名はフレドリック・カーライルだ。王宮の近衛隊に所属しているが、実質ジークヴァルト様の専属の護衛騎士となっている。」
カーライルといえば、ファランベルク王国でも一、二を争うほどの格式高い公爵家であり、先々代の王弟が臣下に下った際に創設された一番新しい公爵家でもある。
そんな高貴な身分の人間が近衛騎士ということに驚いたものの、今気にするべき所はそこではないと気付いたレイは、フレドリックの希望どおりさっさと本題に入ることにした。
「レイ・クロフォードでございます。それでフレドリック様。こちらとしても誤解を招くような真似はしたくないので、簡潔にご用件をお聞かせ願えませんか?そもそもどなたの許しがあって殿下のお側を離れてこちらに参られたのかお聞きしても?」
レイ達は公にはなっていないが王命で動いている身だ。
一応旅券の偽造も含めて国家ぐるみの偽装工作をした隠密行動である以上、王家に近い人間が個人の判断でむやみに訪ねて来られても困るのだ。
誰の指示でこんな真似をしているのかきっちりと確認する必要がある。
するとフレドリックにはレイの反応が意外に映ったらしく、軽く目を見開いた。
「クロフォードの次男は深窓の令嬢のように家族に甘やかされて育った世間知らずだと聞いていたが、どうやら馬鹿ではないようで安心した。まともに話が出来ないようならどうしようかと思っていたからな。」
少し前までまことしやかに囁かれていた自分の評判を持ち出され、レイは無意識に眉を顰めた。
「もちろん俺はジークヴァルト様の指示で動いている。俺は王家に仕えるためではなく、ジークヴァルト様個人にお仕えするために近衛騎士になったのだからな。そのジークヴァルト様からお前の力になるようにとの指示を受けてわざわざここまで来たのだ。」
ジークヴァルト個人の判断だというのなら、王命で動いているレイがフレドリックの話に付き合う義務はない。
「では、このままお引き取り下さい。こちらからお話することはありませんし、フレドリック様にご助力いただくようなこともございません。僕はファランベルクの国民として微力ながらも陛下ために行動する身ですから。」
きっぱりとそう言いきったレイに、フレドリックは不快感を露にした。
「俺だって女子供の御守りは御免だ。しかし、お前の身を案じたジークヴァルト様が陛下に掛け合われて許可をいただいた結果、一番信頼が厚い俺が遣わされたんだ。異論は認めない。」
「……僕がレイラだと知っておられたのなら、どういう設定で行動してるのかもご存知なのですよね?」
新婚旅行という設定で動いているレイ達にとって、突然押し掛けてきたフレドリックは邪魔者以外の何者でもない。
暗に余計な気遣いだと言ってみたのだが、あくまでも主君の指示に忠実に従う姿勢を見せるフレドリックに、その意図を正しく汲みとろうという気遣いはないらしい。
「お前の夫となっているランドルフの執事では、いざという時に色々と不足しているものがある。クリスタという国を相手にするならせめて同等の身分である公爵家の者が近くにいたほうがいいだろうというジークヴァルト様のご配慮だ。こっちだって芝居だとわかっていても間男のような真似をさせられるんだ。あの方の望みでなければ、誰がこんな役割を引き受けるものか。」
吐き捨てるような口調ではあるが、ジークヴァルトのやり方に同調しているらしいフレドリックの説明は確かに一理ある。
クリスタでレイが公子と直接交渉するということはないかもしれないが、いざという時に身分というものを持ち出された場合、侯爵子息でしかないレイは公爵位と同等である公子に太刀打ちできない。
いくらクリスタの公子と個人的な繋がりがあるとはいえ、貴族籍ではないアスランならば尚更だ。
それに王の許可が出ているというのなら、大変不本意ではあるがこれ以上反対する理由がレイにはない。
「安心しろ。お前たちとは適切な距離を保って行動してやる。俺の力が必要な時にすぐに行動できるよう、近くにいることにはなると思うがな。──ありがたく思え。
その代わり王都に戻っても今後一切ジークヴァルト様には近付かないと約束してもらおう。どうしても男が必要だというのなら、不本意だが俺がいくらでも相手をしてやる。」
「……は?」
レイはあまりの一方的すぎる物言いに一瞬言われた意味が理解出来なかった。
(一体この人は何言ってるんだ……? これじゃまるで僕が男に見境ない人間みたいじゃないか!)
屈辱と羞恥で一瞬頭に血が上りかけたのをなんとか必死で堪えて言葉を紡ぎ出す。
「──失礼ですが、そのような極個人的な事情を貴方にお気遣いいただく必要はありません。」
遠回しに今の失礼過ぎる発言を批判してみたのだが、フレドリックはレイの言葉を意に介すことなどないようで。
「まさかとは思うが、ランドルフの執事にも色目を使ってるんじゃないだろうな? 命令で仕方なく付き合っている人間に対して、身分を笠に着て迫ることなど許されないことだぞ。」
それどころかレイが節操なく男性と関係を持ちたがる無類の男好きだという勝手な思い込みまで披露してくれた。
レイは元々他人との関わりが苦手なほうではあるが、結構負けん気が強く短気な一面もあるのだ。
アスランとの関係まで持ち出されたことで、相当頭にきたレイは、自分の中で何かがプツリと切れたのを感じていた。
侮辱されて冷静さを失っていると思われないよう、レイはあえて口許にうっすらと笑みを浮かべて話し出す。
「失礼ですが、フレドリック様は何か僕という人間について誤解されてるようですね。貴方の言い方では、まるで僕が見境なく周りの方々に言い寄ってるように聞こえるのですが。」
「あながち間違いではないだろう?案外何も知らない無垢な子供の振りをして男達を誑かしているんじゃないのか? しかし俺は騙されないぞ。ジークヴァルト様に言い寄られて嬉しそうな声で啼いてたヤツが、清い身体だとは到底思えないからな。」
誕生日の前夜にジークヴァルトとの間にあった事を持ち出されたレイは、あの時の声をしっかりと聞かれていたことに羞恥を覚えて内心狼狽えてしまった。
しかし意地でもここで怯む訳にはいかない。
「それでフレドリック様が僕のお相手をしてくださると? どういう思い違いでそのようなことをおっしゃったのかは分かりかねますが、もし本当に僕が周りにいる方々との関係を望んでいるとしても、生憎と僕にも好みというものがありまして。」
レイは余裕の表情でそう言って除けた。
「……公爵家の人間で近衛にも選ばれるほどの容姿と実力を持つ俺相手に何か不満があるとでも?」
「目に見える部分だけが人間の価値ではありませんので。」
「……なかなか面白い事を言う。」
一歩も引かないレイに対し、フレドリックは言葉ほど面白いと思っていないことが丸わかりの抑揚のない声で、予想外のことを言い出した。
「では是非とも付加価値を認めてもらわないとな。」
嫌な予感がしたレイは咄嗟に逃げを打つ。
しかし、現役騎士の動きには敵うはずもなく、あっという間にフレドリックに間合いを詰められ、まるで抱き寄せられているような体勢になってしまった。
抵抗しようにも、身動きひとつ取れないほどの力強さに、嫌でも体格差というものを感じずにはいられない。
(絶対にすくすく成長して、そのうちギャフンと言わせてみせる!!)
そう決意しながら唯一動かせる頭を上向かせ、頭ひとつ分以上上にあるフレドリックを精一杯睨み付けた。
「何をされるおつもりで?」
「わからないほど初な訳ではないだろう?」
少しだけ拘束する力を弱めたフレドリックは、まるで愛しい人間にする行為とは別なものだと云わんばかりの義務的な手付きで、レイの耳から顎にかけてをそっと撫でていった。
不覚にも少しだけ動揺してしまったレイは、少しだけ自由になった手でそれを振り払おうとしたのだが、フレドリックに片手だけで易々と捕らえられ、動きを封じられてしまう。
その間にもフレドリックのもう片方の手は、レイの顎から首筋を伝い、やがて胸元で結ばれたリボンへと伸ばされていく。
迷いのないその手付きに、嫌でもこれから行われるであろう行為が想像できてしまい、レイは自然と身体が強張っていくのを止められなかった。
(大丈夫。こんなのはなんともない。気持ちが負けたら、本当の負けだ。)
必死にそう自分に言い聞かせた結果、リボンがシュルリと音をたてて解かれる頃には、レイの気持ちに冷静さが戻っていた。
レイはワンピースのボタンを外されながら、フレドリックには気付かれないよう慎重にワンピースのポケット忍ばせていたものを探り当てる。
──三つ目のボタンに手が掛けられたその時。
レイは素早い動きでそれを取り出し、器用にも片手だけで使用できる状態にすると、一気に反撃へと転じるため、フレドリックの首筋に迷うことなく刃を向けた。
誕生日にカインからプレゼントされた短剣は、普段持ち歩く際の形状はポケットにも入るサイズの小さな筒状だが、前世の口紅と同じ仕組みで作られているため、いざというときには片手で簡単に蓋をあけられ、尚且つ束の部分を軽く回すだけで収納されている刃が出てきて短剣になるという優れものなのだ。
「……まさか武器を仕込んでいたとはな。」
「こんな格好をしてますが、一応僕もそれなりに鍛えられてますので。」
「──そう言えば、君たちの剣の師匠はテオドール様だったな。すっかり失念していたよ。まさか反撃されるとはな。」
フレドリックはそう言うと、初めて興味深そうにレイを見た。
レイはそんなフレドリックに対し、不快感を露にする。
「同意もなくこのような真似をされるということは、どんな反撃をされても文句はいえないと思いますが。」
「今更そんな真似をしたところで、俺の言葉や態度ひとつで不貞があったと思われることに変わりはないぞ。」
「……王太子殿下の顔を潰すおつもりで?」
「…………。」
それからしばらくの間、一歩も引かずに対峙していた二人だったが、意外なことに先に引いたのはフレドリックのほうだった。
両手を上げておどけたように降参のポーズをとるフレドリックに、レイは警戒しつつ向けていた短剣をゆっくりと下ろした。
またすぐに使えるということを示すため、あえて元の形状には戻さず、その手の中に納めておく。
フレドリックはレイの意図がわかったのか、口許を片方だけ歪ませると、この部屋を訪ねてきた時と同じく真面目な表情作って口を開いた。
「だいぶ話がずれたが、こちらの用件はそういうことだ。残念だがこちらも陛下の許可が出ている正式な任務である以上、異論は認められない。」
急に近衛騎士らしい口調で何事もなかったかのようにそう言われ、レイとしては色々と言いたいことは山ほどあるものの、これ以上関わり合いになりたくない一心で、仕方なく気持ちを入れ換えることにした。
「わかりました。陛下の許可が出ているというのなら、仕方ありませんね。」
レイはそう前置きしてから、精一杯の作り笑いを浮かべて、フレドリックが訪ねて来た時と同じレイラの顔になった。
「──ですがくれぐれも、わたくしと旦那様の邪魔にならないようお願いいたしますわね。新婚旅行ですもの。」
レイは今起きたことは忘れてやるから余計なことをするなよ、という気持ちを目一杯込めてフレドリックを牽制する言葉を掛けた。
しかし。
「俺も馬に蹴られたい訳でも、熱に当てられたい訳でもないから必要以上に近付かないさ。
──じゃあな。レイラ。また近々。」
フレドリックはレイの言葉の意味が本当にわかったのか怪しいくらいにあっさりそう言うと、ヒラヒラと手を振りながら部屋を後にしたのだった。
「……ふざけやがって!!」
レイはフレドリックが出ていった扉を睨み付けながら、普段なら絶対に使わないであろうぞんざいな言葉で悪態を吐く。
完全に気配が遠ざかるまで神経を張り詰めて警戒していたレイは、気配が消えたことを確認するなり大きなため息を吐いて脱力すると、ソファーに突っ伏した。
(もうなんなんだ!?あの人!訳わかんないよ!!)
散々心の中でフレドリックに対する悪態を吐いた後、長旅や捜索による疲れと、久々に他人からの悪意を正面からぶつけられたことによる精神的な疲弊のせいか、レイはいつの間にか意識を手放してしまっていたのだった。
◇◆◇◆
「レイ様。起きて下さい。このような場所で眠られては風邪を召されます。」
すぐ耳許でアスランの声がして、レイはゆっくり目を開けた。
レイはまだ覚醒しきっていない頭で、必死に状況判断をしながら気怠い身体を起き上がらせる。
(あれ……?アスランが帰って来てるってことは、もしかしてあのまま朝まで寝ちゃった?)
化粧も落とさず、風呂にも入らないままソファーで寝てしまったらしいことに気付いたレイは青くなる。
(マズい……。今日の捜索は早くからやるって言ったの僕なのに遅くなっちゃう……!っていうか今何時?)
「レイ様。落ち着いてください。まだ朝にはなっておりません。」
レイの考えたことがわかったのか、アスランが冷静に答えてくれた。
誕生日にレイの父親のヴィクトルからもらった懐中時計で時間を確認したところ、アスランが出掛けてからまだ二時間ほどしか経っていない。
「あれ?じゃあなんでアスランがいるの?」
「レイ様にお客様が訪ねていらっしゃったことをジョセフが知らせに来てくれたので、急いで戻ってきたのです。」
どうやらジョセフには随分心配されていたらしいことがわかり、レイは苦笑いした。
「……ああ、そういうこと。お客様はとっくにお帰りになられたから、大丈夫。 王太子殿下の取り計らいで近衛騎士のフレドリック・カーライル様がこちらに派遣されたんだ。一応陛下の許可が出ているそうだから、無碍に断る訳にもいかなくて了承しておいた。あちらも僕達の邪魔にならないよう配慮してくださるそうだよ。」
先程の事のあらましを説明しながら、アスランがどこから急いで戻ってきたかを思い出したレイは、自然とと不快な気分になっていく。
「もう話は済んだし、アスランはいつもどおりにしていいよ。僕ももうシャワー浴びたらさっさと寝るから。」
毎晩娼館通いで朝帰りのアスランを不満に思い始めていたレイは、上手く自分の感情を隠しきれなかったのだ。
(多少嫌味な言い方になってしまった気するけど、ギリギリセーフだよね。)
これ以上アスランの側にいる気になれず、少々乱暴な手付きで髪型が崩れたウィッグを外すと、バスルームへ向かうために立ち上がった。
ところが歩き出そうとしたところで突然アスランに腕を強く引かれ、ソファーへと戻されてしまう。
「ちょっと、何すんの!?」
意味のわからない行動に、レイは即座にアスランに対して非難するような視線を送った。
しかし、咎められたはずのアスランの口からは、謝罪の言葉は聞こえてこなかった。
「カーライル様が任務で訪ねていらっしゃったことはわかりました。
──しかし、レイ様のこの服装の乱れは一体どういうことなのでしょう?」
「え……?」
自分の服装がフレドリックによって乱されたままになっていることをようやく思い出したレイは、なんとなく雰囲気に気圧されてしまい、特別疚しいことがあったわけでもないというのに、反射的に視線を逸らしてしまった。
(しまった!つい……。)
後悔した時には既に遅く、その咄嗟の行動が間違いであることをすぐに知らされることになったのだった。
「レイ様にはもっと私という人間がどういう人間なのか知っていただく必要があるようですね。」
いつものようにうっすらと笑み湛えながら紡ぎ出された言葉は、甘いのにどこか背筋が寒くなるようなもので、レイはアスランと視線を合わせたまま、まるで凍り付いてしまったかのように動くことが出来なくなってしまった。
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