風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動

梵天丸

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第14話 溶けてゆく孤独 — Melted Solitude

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 残業明けの夜風は、思ったより柔らかかった。
 オフィスの白い光が背中に遠のき、エレベーターの鏡に映る自分は、少しやつれて見える。
 部屋の鍵が開く音と同時に、匠真がネクタイを緩めて言った。

「夕飯の準備をするから、颯は先に風呂に入ってこいよ」
「……ありがとう、そうする」

 返事をしてバスルームに向かう。湯を張る間に肩の力が解けていくのが分かった。
 耳を澄ますと、キッチンで包丁がまな板を叩く軽いリズム。
 じゃがいもを水に落とす音、鍋が静かに歌い出す音。
 湯船に沈んだ腹の奥が、くう、と鳴いた。

 風呂上がり、タオルで髪を拭きながらリビングへ戻ると、空気が一段と豊かだ。
 だしの香り、砂糖と醬油が馴染んだ甘い匂い、湯気の向こうに温かな茶色。

「風呂、ありがとう。おまえも入ってこいよ。鍋、見ておこうか?」
「ああ、頼む」

 そう言って匠真が浴室に消える。
 頼まれた鍋の蓋をそっと持ち上げると、角が立たない火加減で里芋が転がり、玉ねぎが透けている。
 味噌汁の鍋では、わかめがゆっくり踊っていた。

 匠真が戻ってくるころ、肉じゃがも味が入ってちょうどいい頃合い。
 他にも、いんげんのごま和え、薄切りのタマネギにオイルと塩だけのサラダ、小皿に盛られた沢庵。
 体に良さそうで、胃袋が嬉しそうに手を叩く。

「すごいな、ごちそうじゃないか」
「おまえは食事に無頓着すぎるんだ。もう少しちゃんとしたものを食え」

 諭す声に、ぐうの音も出なかった。
 朝はカフェオレかココア、昼はゼリー飲料、夜はコンビニ弁当か外食。
 反論できない生活が胸のあたりで咳払いをする。

 一口、肉じゃがを頬張る。ほろりと崩れたじゃがいもに、玉ねぎの甘さが絡む。
 味噌汁は出汁がやさしくて、緊張した胃を撫でた。

「おまえが料理上手って、意外すぎる」
「10代の頃から一人暮らしだからな」
「そうなのか?」
「16のときに両親が事故で亡くなって、それからここで暮らしてる。このマンションは親の遺産の一部だ」
「……そっか」

 箸が止まった。匠真のプライベートに、こんなふうに触れる機会は今までなかった。
 穏やかな卓上に、ぽつりと落とされた重たい事実。水面が広がるように胸に沁みる。

「兄弟は?」
「姉が一人。あの頃は留学中で、今は結婚して海外だ。帰国は……年に一度あるかどうか」
「だから、料理も家のことも、全部自分でやってきたわけか」
「そうだな」

 淡々と語るが、10代で何もかも一人でしなければならないという状況は、俺には想像がつかなかった。
 ただ、匠真がどこか達観したような雰囲気を持っているのは、そういう境遇のせいなのかもしれないと思った。



「ありがとう。ごちそうさま。片付けは俺がやるよ」

 そう言って食器をキッチンに運ぶ。食器を洗い、布巾で水気を拭う。
 シンクの銀色が元の顔を取り戻すころ、時計はいい感じに寝支度の時間を指していた。

「じゃ、おやすみ」

 そそくさと部屋に戻ろうとした瞬間、背中に温度が触れた。
 肩越しにまわる腕、石鹸の匂いが近い。呼吸が一拍、遅れる。



「……おい、約束が違うだろ」

 言い終える前に、胸の鼓動が少し早くなっていることに気づく。
 腕の輪は強くも弱くもなく、逃げる余地を残したまま止まっていた。

「嫌なら、本気で抵抗してみろよ」
「おまえ、最初から約束なんて守る気なかっただろ?」
「颯が本気で抵抗するならやめる」

 全ての判断を俺に託すような言い方をして、匠真は俺の身体をまさぐってくる。

「ちょ…待てって…」

 拒める。ここで振りほどける。頭ではそうわかっているのに、先ほど聞いた匠真の「16歳からの生活」が、どこかで足を止めた。
 孤独を背負ってきた背中が、いま自分を抱いている——そう思ったら、強い言葉が喉でほどける。

 匠真の唇が触れる。歯列を開かれ、すぐに舌が入り込んできた。
 それを受け入れてしまっている自分がいる…。

(駄目だ…これじゃあ、抵抗になってない…)

 ソファの端がふっと背に触れたところで、俺は何とか口を開いた。

「……せめて、ベッドに…」
「了解」

 匠真は勝ち誇ったように笑った。
 その笑顔がしゃくに障ったが、今夜は俺の負けだ。
 腕に抱え上げられる感覚に、心臓がもう一度跳ねる。部屋の灯りはそのまま。
 隣の部屋へ移る短い廊下で、壁に映る二つの影が一瞬重なって、すぐに離れる。

 ベッドにそっと降ろされると、スプリングが静かに軋んだ。
 見下ろしてくる匠真の瞳には、リビングの明かりが反射して、揺れる光が宿っている。
 それは紛れもない欲望の色だったが、その奥に、今日初めて知った彼の孤独が滲んでいるように見えて、俺は目を逸らせなかった。

「食われるのを待つ獣みたいな顔してるぞ」
「……うるさい」

 軽口を叩いてはみたものの、声は掠れていた。匠真は俺のパジャマに手をかけると、ゆっくりとボタンを外していく。羞恥心よりも先に、ぞくりとした予感が背筋を走った。

「綺麗だな、颯は」

 囁きながら、匠真は自分のシャツのボタンを外していく。
 露わになる厚い胸板と、引き締まった腹筋。無駄のない、しなやかな筋肉の動きから目が離せない。
 俺の全てを見透かすような視線を浴びながら、ただ待つことしかできなかった。

 全てを脱ぎ捨てた匠真がベッドに乗り上げ、俺に覆いかぶさる。
 シーツ越しに伝わる熱と重み。
 再び唇が塞がれ、今度はもっと深く、貪るように角度を変えながら求められる。
 首筋から鎖骨へ、そして胸へと唇が下りていくたび、俺の体は意思とは無関係にびくりと跳ねた。

「ん……っ、や、だ…そこは……」

 胸の突起を舌でなぞられ、甘い痺れが全身に広がる。
 シーツを握りしめる指先に力がこもる。抗議の声は、自分でも情けないほど甘く震えていた。

「……やっぱり、ここは弱いんだな」
 悪戯っぽく笑いながら、匠真はさらに執拗にそこを刺激する。
 もう駄目だと思った。
 思考が熱で溶かされ、快感に支配されていく。
 彼の指が腹を撫で、ゆっくりと脚の間へと滑り込んでいくのを、ただ受け入れるしかなかった。

 準備をされる間、俺は天井の模様を見ながら、込み上げる羞恥と期待から逃れようとした。
 けれど、内側を丹念に解きほぐされていく感覚はあまりにも鮮明で、やがて痛みに似た疼きが、体の奥で熱を持ち始める。

「颯……もう、いいか?」

 耳元で問われ、俺は返事の代わりに固く目を閉じた。
 それが肯定だと受け取った匠真は、ゆっくりと、しかし確実な力で俺の体を貫いた。

「……っ、ぁ……!」

 内側から押し広げられる圧迫感と、満たされる熱。息が詰まり、視界が白く点滅する。
 俺が慣れるのを待つように動きを止めていた匠真が、やがてゆっくりと腰を動かし始めた。

「……たく、ま……っ」

 浅い動きが繰り返されるたびに、体の芯がじんじんと痺れてくる。

 それはやがて、抗いがたい快感の渦へと変わっていった。

 俺は彼の背中に腕を回し、その動きに身を委ねる。
 シーツの擦れる音と、二人の荒い息遣いだけが部屋に響いていた。

 孤独だった男の熱が、俺の孤独を溶かしていく。
 そんな錯覚に陥りながら、俺は何度も彼の名前を呼んだ。

******************

「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「溶けてゆく孤独 — Melted Solitude」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

♫「溶けてゆく孤独 — Melted Solitude」はこちら⇒ https://youtu.be/BrlwTv7c-E8
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