風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動

梵天丸

文字の大きさ
35 / 64

第35話 夜を煮込むように — Like Warming the Night

しおりを挟む
 午前九時。役員会議が終わると同時に、社内ポータルに一文が追加された。
 ――『九条ホールディングス案件については、パートナーシップ戦略室が一次対応を行うものとする。』

 会議室を出た匠真が、真っ直ぐ営業部の島に戻ってくる。
 俺は立ち上がり、目で問いかけた。

「決まった」
「一応、営業部は関わらなくて良くなったけど、会社としては関わることになるって事だよね」
「ああ。形だけの窓口を置く――という判断だ。とにかく、おまえは怜央には近づくな」
「うん……気をつける。あ、良かったら隆哉に九条のこと聞いてみようか?」
「それはやめてくれ」
「そのほうがいい?」
「おまえは、室内飼いのネコが野生のライオンの懐に飛び込むような、無防備すぎるところがある」
「それは言い過ぎでは……」
「言い過ぎじゃない」
「分かった。隆哉のことは、向こうから連絡があってからにする。その時はちゃんと相談するよ。それでいい?」
「ああ」

 短い会話のあと、匠真は「天峰を前に進める」とだけ言い、机上の資料をまとめた。
 会社が“波風を立てない選択”をしたとしても、俺たちの優先順位は揺らがない――その確認だった。



 天峰酒造プロジェクトは、準備段階から速度を上げた。
 俺は秘書として匠真の予定を押さえつつ、技術側――インテリジェント・システム部(IS部)にも頻繁に顔を出すようになる。

「金泉の成分変動、温度相関の外乱に近いですね。発酵側のセンサー値と分けて扱わないと、学習が崩れます」
「じゃあ環境データは別レイヤーで持って、転移学習で蔵ごとの癖を吸わせる?」
「うん。そのほうが早い。あと、酵母活性のプロキシに使ってる指標、アメリカでやってたやつ流用したい」

 IS部のエンジニアは優秀だ。だが“現場の癖”を理解するには、別の言語がいる。
 天峰の仕込み場で聞いた杜氏の言葉、現場の匂い、温度、足音――そういう“非データ”をどうアルゴリズムへ訳すか。
 そこに自分の役割がある気がして、自然と机に向かう時間が長くなった。

 夕方。匠真が様子を見に来る。

「まだ終わらないのか?」
「うーん、もうちょっと。キリのいいところまでチェックしていく。先に帰ってていいよ」
「手伝う」

 短い二音に、肩の力が抜ける。
 ログの異常検知のルールを見直してもらい、俺はデータ連携の仕様書を詰める。
 二人がかりだと、時間はちゃんと前に進む。

「ここの例外、営業側の運用に合わせてメッセージ変えよう」
「了解。じゃあ“在庫過不足の予兆アラート”って文言にする」
「いい。現場が迷わない」

 そうやって詰めているうちに、時計はいつの間にか二十二時を回っていた。

「それでも二十二時か……」
「うちに寄っていけ。どうせ今日もろくなものを食べてないんだろ?」
「朝はヨーグルト食べた」
「それだけか?」
「そういえば、それだけだな」
「おまえ……」

 すごまれて、思わず口が滑る。

「じゃあ、オムライスが食べたい」
「お子様か」
「いいだろ、今日は仕事頑張ったんだし。作ってよ」
「……仕方がないな」

 言葉とは裏腹に、彼の表情はどこか楽しそうだった。



 深夜近い東京の道は、窓の外で静かな光を流していく。
 車内で交わす話は、さっきまでの仕様の続きで、時々どうでもいい雑談が混ざる。
 会社の外に出ても、俺たちの会話は仕事から完全には離れない。
 それがいやじゃないと思えるくらいには、同じ景色を見ている。

「明日の午前、天峰のデータ受け取り確認が来るはずだ」
「IS部の担当には俺からも共有しておく」
「頼む」

 赤信号で車が止まる。窓の向こう、コンビニの前に猫が丸くなっていた。
 思わず笑ってしまう。

「……何だ」
「いや、室内飼いでも、外に出たら猫は猫だなって」
「野生のライオンに近づくな」
「はいはい」

 冗談めかして、互いに息がほぐれる。
 会社は会社の論理で動き、俺たちは俺たちの現実を進める。
 守るべき順番を、間違えないように。



 部屋に着くと、匠真は迷いなくキッチンへ向かった。
 卵を割る音、バターが溶ける香り、ケチャップが小さく弾ける気配。
 湯気の向こう、彼の背中がいつもより少し近い。



「チキンライス、味見」
「……うまい」
「それは良かった」

 数分後、皿の上にふっくらとした黄色い丘が出来上がる。
 スプーンを入れると、卵がとろりと割れ、赤い道がのぞいた。

「いただきます」
「食え」
「命令形」
「早く冷める」

 一口目で、身体が思い出す。
 湯気、塩味、わずかな甘さ――どれもが、今日という一日をやさしく終わらせてくれる味だった。

「……うまい」
「知ってる」

 短い会話が、灯りの下でほどける。
 窓の外の風が、ほんの少し春めいていた。

 守るという選択は、時に誰かを遠ざけることになる。
 それでも、目の前の一皿を温かいまま差し出せるのなら、今はそれでいい。
 明日また、前に進むために。

******************

「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「夜を煮込むように — Like Warming the Night」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

♫「夜を煮込むように — Like Warming the Night」はこちら⇒ https://youtu.be/MxIT3YExAqA
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ネクラ実況者、人気配信者に狙われる

ちょんす
BL
自分の居場所がほしくて始めたゲーム実況。けれど、現実は甘くない。再生数は伸びず、コメントもほとんどつかない。いつしか実況は、夢を叶える手段ではなく、自分の無価値さを突きつける“鏡”のようになっていた。 そんなある日、届いた一通のDM。送信者の名前は、俺が心から尊敬している大人気実況者「桐山キリト」。まさかと思いながらも、なりすましだと決めつけて無視しようとした。……でも、その相手は、本物だった。 「一緒にコラボ配信、しない?」 顔も知らない。会ったこともない。でも、画面の向こうから届いた言葉が、少しずつ、俺の心を変えていく。 これは、ネクラ実況者と人気配信者の、すれ違いとまっすぐな好意が交差する、ネット発ラブストーリー。 ※プロットや構成をAIに相談しながら制作しています。執筆・仕上げはすべて自分で行っています。

【完結】ルガルの星―冷徹な社長は、僕の運命を知っていた―

綾波絢斗
BL
この世界には、二つの特別な称号を持つ者たちが存在する。 一つは、絶対的な権力を持つ王の称号――ルガル(lugal)。 もう一つは、ルガルと対をなし、その力を補う「番」――ムル(mul)。 ルガルは生まれながらに選ばれし存在。 国家からエリート教育と地位を与えられ、能力に応じて厳格なランク分けが行われる。 最上位のルガルは、政治さえも動かす絶対者だ。 一方で、ムルは生まれた瞬間にはその正体がわからない。 遺伝子検査や学力テストを経て候補が絞られるが、 最終的に「真のムル」かどうかを見極められるのは――ルガルだけ。 ムルが覚醒したとき、同じ場所に「紋章」が現れ、その瞬間から、ルガルとムルの力は共鳴し始める。 ムルの能力はルガルの力を最大限に引き出す。 ゆえにルガルたちは、自らのムルを求め、時には他人のムル候補を奪い合う。 そして、すべての出生データと遺伝情報を管理するのは、 巨大企業イルジオン――国家をも超える存在。 その頂点に立つ社長、一条レイ。 冷徹なルガルの頂点に君臨する彼が「自分のムル」と出会った。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

こじらせ委員長と省エネ男子

みずしま
BL
イケメン男子の目覚まし担当になりました……!? 高校一年生の俺、宮下響はワケあって一人暮らし中。隣に住んでいるのは、同じクラスの玖堂碧斗だ。遅刻を繰り返す彼の目覚まし係になるよう、担任から任命され……。 省エネ男子(攻め)と、ちょっとひねくれた委員長(受け)によるわちゃわちゃ青春BL! 宮下響(みやしたひびき) 外面の良い委員長。モブ顔。褒められたい願望あり。 玖堂碧斗(くどうあおと) 常に省エネモードで生活中。気だるげな美形男子。

血のつながらない弟に誘惑されてしまいました。【完結】

まつも☆きらら
BL
突然できたかわいい弟。素直でおとなしくてすぐに仲良くなったけれど、むじゃきなその弟には実は人には言えない秘密があった。ある夜、俺のベッドに潜り込んできた弟は信じられない告白をする。

【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

猫カフェの溺愛契約〜獣人の甘い約束〜

なの
BL
人見知りの悠月――ゆづきにとって、叔父が営む保護猫カフェ「ニャンコの隠れ家」だけが心の居場所だった。 そんな悠月には昔から猫の言葉がわかる――という特殊な能力があった。 しかし経営難で閉店の危機に……
愛する猫たちとの別れが迫る中、運命を変える男が現れた。 猫のような美しい瞳を持つ謎の客・玲音――れお。 
彼が差し出したのは「店を救う代わりに、お前と契約したい」という甘い誘惑。 契約のはずが、いつしか年の差を超えた溺愛に包まれて――
甘々すぎる生活に、だんだんと心が溶けていく悠月。 だけど玲音には秘密があった。
満月の夜に現れる獣の姿。猫たちだけが知る彼の正体、そして命をかけた契約の真実 「君を守るためなら、俺は何でもする」 これは愛なのか契約だけなのか……
すべてを賭けた禁断の恋の行方は? 猫たちが見守る小さなカフェで紡がれる、奇跡のハッピーエンド。

処理中です...