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第38話 それでも、君を守る — Even If You Never Look My Way
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畳の上に器の欠片が散らばり、店の中には、誰の足音も戻ってこなかった。
隆哉は、崩れ落ちた颯を抱き起こす。肩を支えた手のひらに、冷たい汗の感触が伝わる。
頬に触れると、熱がどんどん奪われていくのが分かった。
「颯、聞こえるか?」
答えはない。ただ、かすかに唇が動いた。
掠れた声で呼んだのは――匠真の名前だった。
隆哉は奥歯を噛みしめ、息を吸った。
すぐにタクシーを呼び、颯の体を抱え上げる。
店の外には、まだ雨の匂いを孕んだ夜風が吹いていた。
タクシーが到着する間も、誰一人として出てこない。
店員の姿も、他の客の気配もない。
まるで最初から“この場”だけが、世界から切り離されているようだった。
助手席に座り、腕の中の颯を見下ろす。
脈はある。けれど、弱い。
ガラス越しに流れていく街の光が、彼の頬を青白く照らした。
「……帰らなきゃ……匠真が……」
かすかに聞こえたその言葉に、隆哉は胸の奥で何かが崩れる音を聞いた。
こんな状態でも、真っ先に口にするのはその男の名前か。
羨望でも嫉妬でもない。もっと深いところで、どうしようもない感情が渦を巻く。
「大丈夫だ。すぐ連れて行くからな」
隆哉はそのまま、マンションの住所を告げた。
◆
雨脚が強まる。
マンションの前でタクシーを降りた隆哉は、傘も差さずに颯を支えながら歩く。
視線の先、エントランスの灯の下に、ひとりの男が立っていた。
黒のコートに濡れた髪、ポケットの中で握りしめたスマホ。
その目に宿るのは、怒りでも嫉妬でもない――恐れと焦燥が入り混じった色。
「……匠真」
颯が小さく呟く。
匠真は無言のまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。
その視線が、颯のぐったりとした体を一瞥した瞬間、
張り詰めた空気が、ぴんと音を立てた。
「何があった」
低く押し殺した声。
隆哉は、短く息を整えて言った。
「九条の会長に紹介された店で、颯の食べ物に……何か混ぜられたみたいだった」
匠真の瞳がわずかに揺れた。
隆哉は続ける。
「おまえ、心当たりあるんだろ?」
言葉は冷たいのに、声の奥には確かな怒りが宿っていた。
匠真は何も返せない。
息が詰まる。言葉を選ぶよりも先に、罪悪感のような熱が喉に上がった。
「おまえが九条と何らかの関係があることは、調べがついている。詳しくは知らないがな。……でも、颯を巻き込むな」
匠真は何も答えない。いや、答えられなかった。
「今日のことは予想できなかった俺も悪い。だけど、おまえの側にいる限り、颯は巻き込まれる」
隆哉の声は怒りではなく、痛みに近い。
匠真の視線が、颯の頬をなぞる。
唇がかすかに震えた。
その時、颯が小さく息を吐いた。
ゆっくりと目を開く。
まだ焦点は合っていないが、匠真の顔を見つけた途端、微かな笑みがこぼれた。
「……匠真……のせいじゃない。彼を……責めないで」
その言葉に、隆哉は目を伏せる。
匠真が口を開く前に、颯が続けた。
「迷惑かけたことは謝る。でも、悪いのは……匠真じゃない。……それは、分かってほしい」
小さな声だった。
けれど、その一言で空気が変わった。
匠真は、その瞬間に理解した。
颯は、自分を“選んでいる”――迷いも、後悔もなく。
胸の奥で、何かが静かに溶けていく。
彼は息を吸い込み、隆哉に向き直った。
「……送ってくれて、ありがとう」
隆哉の目が細められる。
怒りの残滓と、割り切れない感情が入り混じった目だった。
「俺は……ずっと颯のことが好きだった。けど、三年間、一度も手出ししなかった。それは、颯を自分の力で振り向かせたかったからだ。その気持ちは、今でも変わらない」
匠真の眉がわずかに動く。
隆哉は続けた。
「九条の仕事は続ける。だけどそれは、颯を奪うためじゃなく、守るためだ」
「……守る?」
「あいつが、どこまで手を伸ばすつもりか分からない。けど、颯を盾に使うような真似を、九条が二度とできないようにする。それが、俺なりの“やり方”だ」
言葉は穏やかだが、視線は真っ直ぐだった。
「だから」と隆哉は続ける。
「もし、おまえが颯を守り切れないと判断したら、どんな手段を使ってでも奪い取る」
匠真は、静かに頷いた。
「……命がけで守る。颯を。だから――守ってくれて、ありがとう」
一瞬の沈黙。
隆哉の口元に、皮肉とも笑みともつかない影が浮かぶ。
「俺に奪われないように、せいぜい頑張れよ」
そう言い残して、雨の中へ背を向けた。
濡れた背中が闇に消えるまで、匠真は一歩も動かなかった。
隣で颯が、かすかに息を整える。
雨音の中に、彼のか細い声が混じった。
「……ありがとう、匠真」
匠真はその手を握り、玄関の灯をくぐる。
外の雨音が遠のき、扉が閉まる。
その瞬間、ようやく胸の奥に溜まっていたものが、音を立てて崩れた。
◆
帰りのタクシーの中、隆哉はスマホを開いた。
画面の先、九条怜央の名前を選ぶ。
『せっかくの“贈り物”でしたが、俺には合いませんでした。
ほしいものは、自分の手で掴み取る主義なんで』
短くそう告げると、向こうの声が笑う。
『それは残念だね。けど、ビジネスは続けてくれるんだろう?』
「もちろん。それとこれとは別ですから」
通話を切る。
隆哉はシートに背を預け、深く息を吐く。
――守るために続ける。
けれどその“守る”が、いつまで本心でいられるのか、自分でも分からなかった。
夜が、静かに更けていく。
******************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「それでも、君を守る — Even If You Never Look My Way」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
♫「それでも、君を守る — Even If You Never Look My Way」はこちら⇒ https://youtu.be/AUrySNoHRqQ
隆哉は、崩れ落ちた颯を抱き起こす。肩を支えた手のひらに、冷たい汗の感触が伝わる。
頬に触れると、熱がどんどん奪われていくのが分かった。
「颯、聞こえるか?」
答えはない。ただ、かすかに唇が動いた。
掠れた声で呼んだのは――匠真の名前だった。
隆哉は奥歯を噛みしめ、息を吸った。
すぐにタクシーを呼び、颯の体を抱え上げる。
店の外には、まだ雨の匂いを孕んだ夜風が吹いていた。
タクシーが到着する間も、誰一人として出てこない。
店員の姿も、他の客の気配もない。
まるで最初から“この場”だけが、世界から切り離されているようだった。
助手席に座り、腕の中の颯を見下ろす。
脈はある。けれど、弱い。
ガラス越しに流れていく街の光が、彼の頬を青白く照らした。
「……帰らなきゃ……匠真が……」
かすかに聞こえたその言葉に、隆哉は胸の奥で何かが崩れる音を聞いた。
こんな状態でも、真っ先に口にするのはその男の名前か。
羨望でも嫉妬でもない。もっと深いところで、どうしようもない感情が渦を巻く。
「大丈夫だ。すぐ連れて行くからな」
隆哉はそのまま、マンションの住所を告げた。
◆
雨脚が強まる。
マンションの前でタクシーを降りた隆哉は、傘も差さずに颯を支えながら歩く。
視線の先、エントランスの灯の下に、ひとりの男が立っていた。
黒のコートに濡れた髪、ポケットの中で握りしめたスマホ。
その目に宿るのは、怒りでも嫉妬でもない――恐れと焦燥が入り混じった色。
「……匠真」
颯が小さく呟く。
匠真は無言のまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。
その視線が、颯のぐったりとした体を一瞥した瞬間、
張り詰めた空気が、ぴんと音を立てた。
「何があった」
低く押し殺した声。
隆哉は、短く息を整えて言った。
「九条の会長に紹介された店で、颯の食べ物に……何か混ぜられたみたいだった」
匠真の瞳がわずかに揺れた。
隆哉は続ける。
「おまえ、心当たりあるんだろ?」
言葉は冷たいのに、声の奥には確かな怒りが宿っていた。
匠真は何も返せない。
息が詰まる。言葉を選ぶよりも先に、罪悪感のような熱が喉に上がった。
「おまえが九条と何らかの関係があることは、調べがついている。詳しくは知らないがな。……でも、颯を巻き込むな」
匠真は何も答えない。いや、答えられなかった。
「今日のことは予想できなかった俺も悪い。だけど、おまえの側にいる限り、颯は巻き込まれる」
隆哉の声は怒りではなく、痛みに近い。
匠真の視線が、颯の頬をなぞる。
唇がかすかに震えた。
その時、颯が小さく息を吐いた。
ゆっくりと目を開く。
まだ焦点は合っていないが、匠真の顔を見つけた途端、微かな笑みがこぼれた。
「……匠真……のせいじゃない。彼を……責めないで」
その言葉に、隆哉は目を伏せる。
匠真が口を開く前に、颯が続けた。
「迷惑かけたことは謝る。でも、悪いのは……匠真じゃない。……それは、分かってほしい」
小さな声だった。
けれど、その一言で空気が変わった。
匠真は、その瞬間に理解した。
颯は、自分を“選んでいる”――迷いも、後悔もなく。
胸の奥で、何かが静かに溶けていく。
彼は息を吸い込み、隆哉に向き直った。
「……送ってくれて、ありがとう」
隆哉の目が細められる。
怒りの残滓と、割り切れない感情が入り混じった目だった。
「俺は……ずっと颯のことが好きだった。けど、三年間、一度も手出ししなかった。それは、颯を自分の力で振り向かせたかったからだ。その気持ちは、今でも変わらない」
匠真の眉がわずかに動く。
隆哉は続けた。
「九条の仕事は続ける。だけどそれは、颯を奪うためじゃなく、守るためだ」
「……守る?」
「あいつが、どこまで手を伸ばすつもりか分からない。けど、颯を盾に使うような真似を、九条が二度とできないようにする。それが、俺なりの“やり方”だ」
言葉は穏やかだが、視線は真っ直ぐだった。
「だから」と隆哉は続ける。
「もし、おまえが颯を守り切れないと判断したら、どんな手段を使ってでも奪い取る」
匠真は、静かに頷いた。
「……命がけで守る。颯を。だから――守ってくれて、ありがとう」
一瞬の沈黙。
隆哉の口元に、皮肉とも笑みともつかない影が浮かぶ。
「俺に奪われないように、せいぜい頑張れよ」
そう言い残して、雨の中へ背を向けた。
濡れた背中が闇に消えるまで、匠真は一歩も動かなかった。
隣で颯が、かすかに息を整える。
雨音の中に、彼のか細い声が混じった。
「……ありがとう、匠真」
匠真はその手を握り、玄関の灯をくぐる。
外の雨音が遠のき、扉が閉まる。
その瞬間、ようやく胸の奥に溜まっていたものが、音を立てて崩れた。
◆
帰りのタクシーの中、隆哉はスマホを開いた。
画面の先、九条怜央の名前を選ぶ。
『せっかくの“贈り物”でしたが、俺には合いませんでした。
ほしいものは、自分の手で掴み取る主義なんで』
短くそう告げると、向こうの声が笑う。
『それは残念だね。けど、ビジネスは続けてくれるんだろう?』
「もちろん。それとこれとは別ですから」
通話を切る。
隆哉はシートに背を預け、深く息を吐く。
――守るために続ける。
けれどその“守る”が、いつまで本心でいられるのか、自分でも分からなかった。
夜が、静かに更けていく。
******************
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今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「それでも、君を守る — Even If You Never Look My Way」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
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