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第61話 理の果てで ― At the Edge of Reason
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夜が明けても、まだ心の中には雨の匂いが残っていた。
あの夜のことを思い出すたび、喉の奥が少しだけ痛む。
怜央のナイフの冷たさも、匠真の腕の温もりも、どちらも消えてくれなかった。
──それでも、俺も匠真も生きている。
それだけで、今は十分だった。
◆
Lucent Coreのオフィスは、夜明け前の静けさに包まれていた。
モニターの光が匠真の横顔を照らし出す。
髪の先にうっすらと光がかかり、指先がキーボードの上を滑っていく。
俺はその隣で、温め直したコーヒーを二つのマグに注いだ。
香ばしい匂いが部屋の中に広がっていく。
「……最終データ、完成だ。」
匠真が息を吐き、椅子の背にもたれる。
画面には、“封の勾玉 ― 失われた理の系譜”のタイトルが浮かんでいた。
「公開するのか?」
「まだだ。準備だけ整えておく。」
そう言って、匠真は端末に指を滑らせる。
二重認証、暗号化、バックアップ。
どの動作も迷いがなく、まるで心の奥の不安を押し込めるような正確さだった。
「……どちらか一方が欠けたら、自動で公開される。」
「つまり、命の保険か。」
「そうだ。俺たちが“消されても”、この理は残る。」
短い沈黙が流れる。
その言葉の重さが、静かな空間にじんわりと広がっていった。
俺はマグを差し出しながら、小さく笑った。
「なあ匠真。おまえ、そんな仕掛け作るタイプじゃなかったよな。」
「……おまえと出会う前までは、な。」
カップの縁が触れ合い、小さな音を立てた。
それは、嵐の前の一瞬のぬくもりのようだった。
◆
朝になると、窓の外は久しぶりに晴れていた。
冬と春の境目のような冷たい光が、カーテンの隙間から差し込む。
匠真はもうキッチンに立っていた。
エプロン姿の背中は、仕事のときよりも少しだけ柔らかい。
卵を割る音、トースターの焼ける匂い、フライパンの中の油の音――
全部が穏やかで、現実感があった。
「起きたか。」
「うん……」
「今日は、食べられそうか?」
「半分ならいける。」
匠真が少しだけ渋い顔をする。
「もう少し食えよ」
「でも、前よりはマシだろ? おまえが作る飯、うまいからさ。」
その瞬間、匠真がわずかに表情を和らげた。
ふとした沈黙のあと、俺は切り出す。
「……俺も、行くから。」
「京都のことか?」
「うん。九条の当主が“同行してもいい”って言ったんだろ。
だったら、行く。行って、おまえに無理難題をふっかけないか監視する」
俺が言うと、匠真が笑った。
「颯らしいな」
「おまえと一緒にいると、どんどん図太くなっていく」
「いいことだ」
「俺が守ってやるよ。おまえを」
「頼もしいな」
「あ、馬鹿にしてんだろ」
「してない」
「絶対してる!」
俺がムキになって言うと、匠真は笑いが止まらなくなったようだ。
失礼だなと思いつつも、匠真の珍しい笑顔に、少し胸が温かくなった。
◆
新幹線の窓の外で、街が流れていく。
高層ビルが遠ざかり、やがて山の稜線が見えてきた。
匠真は膝の上の資料を閉じ、少しだけ目を細める。
「宗雅は、九条の“理”を守ってきた最後の人間だ。
たぶん俺に、終わりを見届けろと言いたいんだろう。」
「終わりって……?」
「血の時代の終わりさ。」
その言葉に、胸がざわついた。
誰かが終わらせようとしているのに、誰かはまだ縛られている。
それが、九条の“呪い”のように思えた。
窓の外に、雲の切れ間から光が差し込んでくる。
新幹線の車内モニターにはニュース速報。
“ある歴史的映像が近く公開予定”という一文。
桐生が仕掛けたティザーだろう。
「……いよいよだな。」
「ああ。」
匠真が窓の外を見つめたまま、微かに笑う。
その横顔を見ていると、あの夜の傷跡も、少しだけ遠くに思えた。
雨の夜に止まった時間が、また動き出す。
次に向かう先で、俺たちは――“理”の果てを見る。
◆
京都駅のホームに降り立つと、空気が一変した。
乾いた風の中に、どこか懐かしい香りが混ざっている。
駅前に停まる黒塗りの車。その前に、志水が立っていた。
「お久しぶりです。宗雅様がお待ちです。ご案内します」
静かな声。まるで全てを見通しているような眼差し。
匠真が頷き、車のドアが開いた。
俺は振り返って、少しだけ空を見上げた。
雨上がりのような薄曇りの空の奥で、
何かが確かに、動き出していた。
◆
車は京都の市街地を離れ、山裾へと進んでいく。
窓の外に、やがて高い石垣と長い塀が見えてきた。
京都の九条邸は、想像を遙かに凌駕する規模の屋敷だった。
屋敷というよりは御殿。
私有地と公道を分ける門をくぐり、しばらく車を走らせてようやくたどり着く。
まるで欧米の貴族の邸宅並みの広さだ。
石畳を歩く足音が、ゆっくりと響く。
趣のある枯山水の庭が見渡せる廊下を通り抜けると、
志水が静かに振り向いた。
「篠原匠真様、ご友人の浅見颯様がお見えになりました。」
そう告げてから、志水は宗雅のいる部屋の障子を開けた。
静寂の向こうで、誰かの声がゆっくりと動いた気がした。
“理”を選ぶ者と、“血”に縛られた者。
その狭間に立つ音が、確かに響いていた。
******************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「理の果てで ― At the Edge of Reason」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
♫「理の果てで ― At the Edge of Reason」はこちら⇒ https://youtu.be/ADOFggk-UQ4
あの夜のことを思い出すたび、喉の奥が少しだけ痛む。
怜央のナイフの冷たさも、匠真の腕の温もりも、どちらも消えてくれなかった。
──それでも、俺も匠真も生きている。
それだけで、今は十分だった。
◆
Lucent Coreのオフィスは、夜明け前の静けさに包まれていた。
モニターの光が匠真の横顔を照らし出す。
髪の先にうっすらと光がかかり、指先がキーボードの上を滑っていく。
俺はその隣で、温め直したコーヒーを二つのマグに注いだ。
香ばしい匂いが部屋の中に広がっていく。
「……最終データ、完成だ。」
匠真が息を吐き、椅子の背にもたれる。
画面には、“封の勾玉 ― 失われた理の系譜”のタイトルが浮かんでいた。
「公開するのか?」
「まだだ。準備だけ整えておく。」
そう言って、匠真は端末に指を滑らせる。
二重認証、暗号化、バックアップ。
どの動作も迷いがなく、まるで心の奥の不安を押し込めるような正確さだった。
「……どちらか一方が欠けたら、自動で公開される。」
「つまり、命の保険か。」
「そうだ。俺たちが“消されても”、この理は残る。」
短い沈黙が流れる。
その言葉の重さが、静かな空間にじんわりと広がっていった。
俺はマグを差し出しながら、小さく笑った。
「なあ匠真。おまえ、そんな仕掛け作るタイプじゃなかったよな。」
「……おまえと出会う前までは、な。」
カップの縁が触れ合い、小さな音を立てた。
それは、嵐の前の一瞬のぬくもりのようだった。
◆
朝になると、窓の外は久しぶりに晴れていた。
冬と春の境目のような冷たい光が、カーテンの隙間から差し込む。
匠真はもうキッチンに立っていた。
エプロン姿の背中は、仕事のときよりも少しだけ柔らかい。
卵を割る音、トースターの焼ける匂い、フライパンの中の油の音――
全部が穏やかで、現実感があった。
「起きたか。」
「うん……」
「今日は、食べられそうか?」
「半分ならいける。」
匠真が少しだけ渋い顔をする。
「もう少し食えよ」
「でも、前よりはマシだろ? おまえが作る飯、うまいからさ。」
その瞬間、匠真がわずかに表情を和らげた。
ふとした沈黙のあと、俺は切り出す。
「……俺も、行くから。」
「京都のことか?」
「うん。九条の当主が“同行してもいい”って言ったんだろ。
だったら、行く。行って、おまえに無理難題をふっかけないか監視する」
俺が言うと、匠真が笑った。
「颯らしいな」
「おまえと一緒にいると、どんどん図太くなっていく」
「いいことだ」
「俺が守ってやるよ。おまえを」
「頼もしいな」
「あ、馬鹿にしてんだろ」
「してない」
「絶対してる!」
俺がムキになって言うと、匠真は笑いが止まらなくなったようだ。
失礼だなと思いつつも、匠真の珍しい笑顔に、少し胸が温かくなった。
◆
新幹線の窓の外で、街が流れていく。
高層ビルが遠ざかり、やがて山の稜線が見えてきた。
匠真は膝の上の資料を閉じ、少しだけ目を細める。
「宗雅は、九条の“理”を守ってきた最後の人間だ。
たぶん俺に、終わりを見届けろと言いたいんだろう。」
「終わりって……?」
「血の時代の終わりさ。」
その言葉に、胸がざわついた。
誰かが終わらせようとしているのに、誰かはまだ縛られている。
それが、九条の“呪い”のように思えた。
窓の外に、雲の切れ間から光が差し込んでくる。
新幹線の車内モニターにはニュース速報。
“ある歴史的映像が近く公開予定”という一文。
桐生が仕掛けたティザーだろう。
「……いよいよだな。」
「ああ。」
匠真が窓の外を見つめたまま、微かに笑う。
その横顔を見ていると、あの夜の傷跡も、少しだけ遠くに思えた。
雨の夜に止まった時間が、また動き出す。
次に向かう先で、俺たちは――“理”の果てを見る。
◆
京都駅のホームに降り立つと、空気が一変した。
乾いた風の中に、どこか懐かしい香りが混ざっている。
駅前に停まる黒塗りの車。その前に、志水が立っていた。
「お久しぶりです。宗雅様がお待ちです。ご案内します」
静かな声。まるで全てを見通しているような眼差し。
匠真が頷き、車のドアが開いた。
俺は振り返って、少しだけ空を見上げた。
雨上がりのような薄曇りの空の奥で、
何かが確かに、動き出していた。
◆
車は京都の市街地を離れ、山裾へと進んでいく。
窓の外に、やがて高い石垣と長い塀が見えてきた。
京都の九条邸は、想像を遙かに凌駕する規模の屋敷だった。
屋敷というよりは御殿。
私有地と公道を分ける門をくぐり、しばらく車を走らせてようやくたどり着く。
まるで欧米の貴族の邸宅並みの広さだ。
石畳を歩く足音が、ゆっくりと響く。
趣のある枯山水の庭が見渡せる廊下を通り抜けると、
志水が静かに振り向いた。
「篠原匠真様、ご友人の浅見颯様がお見えになりました。」
そう告げてから、志水は宗雅のいる部屋の障子を開けた。
静寂の向こうで、誰かの声がゆっくりと動いた気がした。
“理”を選ぶ者と、“血”に縛られた者。
その狭間に立つ音が、確かに響いていた。
******************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「理の果てで ― At the Edge of Reason」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
♫「理の果てで ― At the Edge of Reason」はこちら⇒ https://youtu.be/ADOFggk-UQ4
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