風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動

梵天丸

文字の大きさ
61 / 64

第61話 理の果てで ― At the Edge of Reason

しおりを挟む
 夜が明けても、まだ心の中には雨の匂いが残っていた。
 あの夜のことを思い出すたび、喉の奥が少しだけ痛む。
 怜央のナイフの冷たさも、匠真の腕の温もりも、どちらも消えてくれなかった。

 ──それでも、俺も匠真も生きている。
 それだけで、今は十分だった。



 Lucent Coreのオフィスは、夜明け前の静けさに包まれていた。
 モニターの光が匠真の横顔を照らし出す。
 髪の先にうっすらと光がかかり、指先がキーボードの上を滑っていく。

 俺はその隣で、温め直したコーヒーを二つのマグに注いだ。
 香ばしい匂いが部屋の中に広がっていく。

「……最終データ、完成だ。」

 匠真が息を吐き、椅子の背にもたれる。
 画面には、“封の勾玉 ― 失われた理の系譜”のタイトルが浮かんでいた。

「公開するのか?」
「まだだ。準備だけ整えておく。」

 そう言って、匠真は端末に指を滑らせる。
 二重認証、暗号化、バックアップ。
 どの動作も迷いがなく、まるで心の奥の不安を押し込めるような正確さだった。

「……どちらか一方が欠けたら、自動で公開される。」
「つまり、命の保険か。」
「そうだ。俺たちが“消されても”、この理は残る。」

 短い沈黙が流れる。
 その言葉の重さが、静かな空間にじんわりと広がっていった。

 俺はマグを差し出しながら、小さく笑った。

「なあ匠真。おまえ、そんな仕掛け作るタイプじゃなかったよな。」
「……おまえと出会う前までは、な。」

 カップの縁が触れ合い、小さな音を立てた。
 それは、嵐の前の一瞬のぬくもりのようだった。



 朝になると、窓の外は久しぶりに晴れていた。
 冬と春の境目のような冷たい光が、カーテンの隙間から差し込む。

 匠真はもうキッチンに立っていた。
 エプロン姿の背中は、仕事のときよりも少しだけ柔らかい。
 卵を割る音、トースターの焼ける匂い、フライパンの中の油の音――
 全部が穏やかで、現実感があった。

「起きたか。」
「うん……」
「今日は、食べられそうか?」
「半分ならいける。」

 匠真が少しだけ渋い顔をする。

「もう少し食えよ」
「でも、前よりはマシだろ? おまえが作る飯、うまいからさ。」

 その瞬間、匠真がわずかに表情を和らげた。
 ふとした沈黙のあと、俺は切り出す。

「……俺も、行くから。」
「京都のことか?」
「うん。九条の当主が“同行してもいい”って言ったんだろ。
 だったら、行く。行って、おまえに無理難題をふっかけないか監視する」

 俺が言うと、匠真が笑った。

「颯らしいな」
「おまえと一緒にいると、どんどん図太くなっていく」
「いいことだ」
「俺が守ってやるよ。おまえを」
「頼もしいな」
「あ、馬鹿にしてんだろ」
「してない」
「絶対してる!」

 俺がムキになって言うと、匠真は笑いが止まらなくなったようだ。
 失礼だなと思いつつも、匠真の珍しい笑顔に、少し胸が温かくなった。



 新幹線の窓の外で、街が流れていく。
 高層ビルが遠ざかり、やがて山の稜線が見えてきた。
 匠真は膝の上の資料を閉じ、少しだけ目を細める。

「宗雅は、九条の“理”を守ってきた最後の人間だ。
 たぶん俺に、終わりを見届けろと言いたいんだろう。」

「終わりって……?」
「血の時代の終わりさ。」

 その言葉に、胸がざわついた。
 誰かが終わらせようとしているのに、誰かはまだ縛られている。
 それが、九条の“呪い”のように思えた。

 窓の外に、雲の切れ間から光が差し込んでくる。
 新幹線の車内モニターにはニュース速報。
 “ある歴史的映像が近く公開予定”という一文。
 桐生が仕掛けたティザーだろう。

「……いよいよだな。」
「ああ。」

 匠真が窓の外を見つめたまま、微かに笑う。
 その横顔を見ていると、あの夜の傷跡も、少しだけ遠くに思えた。

 雨の夜に止まった時間が、また動き出す。
 次に向かう先で、俺たちは――“理”の果てを見る。



 京都駅のホームに降り立つと、空気が一変した。
 乾いた風の中に、どこか懐かしい香りが混ざっている。
 駅前に停まる黒塗りの車。その前に、志水が立っていた。

「お久しぶりです。宗雅様がお待ちです。ご案内します」

 静かな声。まるで全てを見通しているような眼差し。
 匠真が頷き、車のドアが開いた。

 俺は振り返って、少しだけ空を見上げた。
 雨上がりのような薄曇りの空の奥で、
 何かが確かに、動き出していた。



 車は京都の市街地を離れ、山裾へと進んでいく。
 窓の外に、やがて高い石垣と長い塀が見えてきた。

 京都の九条邸は、想像を遙かに凌駕する規模の屋敷だった。
 屋敷というよりは御殿。
 私有地と公道を分ける門をくぐり、しばらく車を走らせてようやくたどり着く。
 まるで欧米の貴族の邸宅並みの広さだ。

 石畳を歩く足音が、ゆっくりと響く。
 趣のある枯山水の庭が見渡せる廊下を通り抜けると、
 志水が静かに振り向いた。

「篠原匠真様、ご友人の浅見颯様がお見えになりました。」

 そう告げてから、志水は宗雅のいる部屋の障子を開けた。

 静寂の向こうで、誰かの声がゆっくりと動いた気がした。
 “理”を選ぶ者と、“血”に縛られた者。
 その狭間に立つ音が、確かに響いていた。

******************

「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「理の果てで ― At the Edge of Reason」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

♫「理の果てで ― At the Edge of Reason」はこちら⇒ https://youtu.be/ADOFggk-UQ4
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き

toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった! ※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。 pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/100148872

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

溺愛じゃおさまらない

すずかけあおい
BL
上司の陽介と付き合っている誠也。 どろどろに愛されているけれど―――。 〔攻め〕市川 陽介(いちかわ ようすけ)34歳 〔受け〕大野 誠也(おおの せいや)26歳

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...