初恋リフレイン ― Melody of First Love

梵天丸

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第7話 やっぱり君でないと — Only You

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 昼下がりのキャンパスに、また見慣れない制服が混じった。
 薄いカーディガンにスニーカー。彩香がスマホとプリントを抱えて、弾む声で近づいてくる。

「先生、ここの解き方だけ、今ちょっと見てほしくて!」

 講義を終えたばかりの廊下で、陽真が苦笑する。

「彩香ちゃん、学校は?」
「午前だけ。午後は自習。先生が大学にいるって分かったから」

 そのやり取りを視界の端で見て、湊は肩ひとつ分だけ距離を取った。

「……僕、バイト行ってくる」

 背を向ける。足音が軽くなるほど、胸の奥は重くなる。

「湊、待って」

 彩香の前で足を止めた陽真が、あっけなく彼女を置いて走ってくる。
 階段の陰で追いつかれて、湊は振り返った。

「なんで追いかけてくるの」
「話したい。——その、バイト……やめられないのか?」
「なんで?」
「昨日の……送ってくれた先輩。告白、されたんだろ」
「されたよ。でも、バイトは仕事だよ。そう簡単にやめられない」

 湊は息を整え、射抜くように見返した。

「じゃあ陽真は、家庭教師をやめられるの?」

 言葉が、そこで詰まった。
 湊は小さく首を振る。

「……じゃ、急ぐから。彩香ちゃんによろしく」

 皮肉を残して歩き出す。
 追ってくる気配はない。階段を降りるにつれて、胸の中の糸がきりきり締まる。



 取り残された彩香は、陽真の横顔を覗き込んだ。

「先生。今の人が、先生の“付き合ってる人”?」

 否定を探す沈黙は、数秒しか続かなかった。

「……そうだ」
「ふうん」

 彩香はプリントの角で軽く自分の指を叩く。

「じゃあ、私もはっきり言うね。——“お友達として”の線、先生が言うより少し広いんだ」
「だめだ」

 陽真の声は低く、はっきりしていた。

「俺は、誤解されたくない。あいつを、もやもやさせたくない。彩香ちゃん、頼む」

 真っ直ぐに言葉を置かれて、彩香は唇を尖らせ、やがて肩をすくめた。

「分かったよ。……でも私も受験生。先生が必要な時は、呼ぶから」
「勉強のことならいつでも。——それだけだ」

 自分に言い聞かせるように、もう一度、線を引いた。



 夕方のコンビニは、ドアベルの音と、湯気の白さで回っている。
 湊はレジ横のケースを補充し、会計をこなし、ドリップポットを空にする。
 その手元に、昨日の先輩の横顔がふっと重なった。

「昨日のこと、気にしてないから」

 休憩室の入口で、先輩が小声で言う。

「言えたら楽になるかなって、俺のわがまま。桐谷は、何も気にしなくていい」
「……ありがとうございます」
「帰り、一人で大丈夫か? 無理はするなよ」
「はい。ほんとに、大丈夫です」

 本当にいい人だ。そう思う。
 でも、違う。
 胸の底にひとつだけ、動かせない石のようにある名前。

 ——陽真。

 誰に何を言われても、最後に戻ってしまう場所。

 閉店前の静けさに、湊は息を合わせた。
 終業の打刻を押してバックヤードを出ると、夜の空気がからりと冷たい。



 家の角を曲がる手前で、街灯の下に立つ影が見えた。
 陽真だった。コートのポケットに手を入れ、こちらを見ると、ほっと笑った。

「待ってた」
「……寒かったでしょ」
「うん。でも、待ちたかったから」

 玄関で靴を脱ぎ、廊下を静かに進む。
 自室のドアが閉まると、外の音が遠くなった。

「話そう」

 同時に口を開いて、ふたりとも小さく笑う。椅子を引く音さえ、今日はどこか慎重だ。

「僕ね、信じたいって思ってる。ずっと。だけど……彩香ちゃんが大学に来るたび、胸がきゅってなる」

 湊は手のひらを重ね、言葉を選ぶように視線を落とす。

「疑ってるわけじゃない。ただ、うまく呼吸ができなくなる。——そんな自分に、また落ち込む」
「落ち込ませてるのは俺だ」

 陽真が静かに言う。

「線を引くって決めたのに、行動が追いついてなかった。今日、彩香ちゃんにも言った。『誤解されることはしない』って。『俺には大事な人がいる』って」
「……大事な人?」
「うん」

 躊躇なく頷く。

「湊だよ」

 胸の奥に落ちた言葉が、音を立てずに広がる。
 湊は息を吸い、ゆっくり吐いた。

「ごめん。僕も、ちゃんと話せばよかった。昨日、先輩に告白された。でも、すぐ断った。……怖かったのは、断ったのに、陽真に言う勇気が出なかった自分」
「言ってくれてありがとう」

 陽真は椅子から立ち上がり、目の高さを合わせる。

「俺も、怖かった。湊の前で、言葉足らずのままでいることが」

 距離が、自然に縮まる。
 手の甲が触れて、指先が絡む。温度が移る。

「やっぱり君でないと、って思った。何回でも」
「……僕も」

 唇が触れた。
 昨日の夜に残った曖昧さが、一枚ずつ剝がれていく。
 浅いキスを二度、三度。そのたびに安心が増えて、深い息に変わる。
 今度は焦らない。逃げない。
 唇の端で笑って、もう一度近づく。音もなく、確かめるみたいに。

 離れたとき、湊の目尻はうっすら濡れていた。

「泣いてない」
「分かってる。……でも、うれしい」

 額を合わせる。
 互いの呼吸が、同じリズムになるまで、しばらく黙っていた。

「明日からどうするか、決めよう」

 陽真が言う。

「彩香ちゃんには“大学に来ないこと”をお願いする。連絡はまとめて、時間を決める。湊のバイトのシフトも、俺に共有してくれ。迎えに行ける日は行く」
「うん。僕も、しんどい時はちゃんと『助けて』って言う。——逃げるより、伝える」

 ふたりは小指だけを絡めて、子どもみたいに小さく約束した。
 その軽さが、かえって心強い。

 窓の外で風が鳴る。
 夜はまだ長いけれど、胸の中は不思議と明るかった。



 帰り際、玄関の前で、もう一度だけ短くキスをする。

「おやすみ、湊」
「おやすみ、陽真」

 扉が閉まる。
 湊は背中で音を聞き、そっと胸に手を当てた。
 ——やっぱり、君でないと。
 言葉にしなくても、今はきちんと届いている。

 その頃、街の別の角で、制服の影がひとつ、スマホの画面を見下ろしていた。

 「大学に来ないで」と言われたばかりの彩香は、唇を噛み、やがて微笑に変える。
 “線”の上で、次の一手を考えるように。

 明日が、また動き出そうとしていた。

**************

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「やっぱり君でないと — Only You」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

「やっぱり君でないと — Only You」はこちら⇒ https://youtu.be/KplX9nhOuhA
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