7 / 10
第7話 やっぱり君でないと — Only You
しおりを挟む
昼下がりのキャンパスに、また見慣れない制服が混じった。
薄いカーディガンにスニーカー。彩香がスマホとプリントを抱えて、弾む声で近づいてくる。
「先生、ここの解き方だけ、今ちょっと見てほしくて!」
講義を終えたばかりの廊下で、陽真が苦笑する。
「彩香ちゃん、学校は?」
「午前だけ。午後は自習。先生が大学にいるって分かったから」
そのやり取りを視界の端で見て、湊は肩ひとつ分だけ距離を取った。
「……僕、バイト行ってくる」
背を向ける。足音が軽くなるほど、胸の奥は重くなる。
「湊、待って」
彩香の前で足を止めた陽真が、あっけなく彼女を置いて走ってくる。
階段の陰で追いつかれて、湊は振り返った。
「なんで追いかけてくるの」
「話したい。——その、バイト……やめられないのか?」
「なんで?」
「昨日の……送ってくれた先輩。告白、されたんだろ」
「されたよ。でも、バイトは仕事だよ。そう簡単にやめられない」
湊は息を整え、射抜くように見返した。
「じゃあ陽真は、家庭教師をやめられるの?」
言葉が、そこで詰まった。
湊は小さく首を振る。
「……じゃ、急ぐから。彩香ちゃんによろしく」
皮肉を残して歩き出す。
追ってくる気配はない。階段を降りるにつれて、胸の中の糸がきりきり締まる。
◆
取り残された彩香は、陽真の横顔を覗き込んだ。
「先生。今の人が、先生の“付き合ってる人”?」
否定を探す沈黙は、数秒しか続かなかった。
「……そうだ」
「ふうん」
彩香はプリントの角で軽く自分の指を叩く。
「じゃあ、私もはっきり言うね。——“お友達として”の線、先生が言うより少し広いんだ」
「だめだ」
陽真の声は低く、はっきりしていた。
「俺は、誤解されたくない。あいつを、もやもやさせたくない。彩香ちゃん、頼む」
真っ直ぐに言葉を置かれて、彩香は唇を尖らせ、やがて肩をすくめた。
「分かったよ。……でも私も受験生。先生が必要な時は、呼ぶから」
「勉強のことならいつでも。——それだけだ」
自分に言い聞かせるように、もう一度、線を引いた。
◆
夕方のコンビニは、ドアベルの音と、湯気の白さで回っている。
湊はレジ横のケースを補充し、会計をこなし、ドリップポットを空にする。
その手元に、昨日の先輩の横顔がふっと重なった。
「昨日のこと、気にしてないから」
休憩室の入口で、先輩が小声で言う。
「言えたら楽になるかなって、俺のわがまま。桐谷は、何も気にしなくていい」
「……ありがとうございます」
「帰り、一人で大丈夫か? 無理はするなよ」
「はい。ほんとに、大丈夫です」
本当にいい人だ。そう思う。
でも、違う。
胸の底にひとつだけ、動かせない石のようにある名前。
——陽真。
誰に何を言われても、最後に戻ってしまう場所。
閉店前の静けさに、湊は息を合わせた。
終業の打刻を押してバックヤードを出ると、夜の空気がからりと冷たい。
◆
家の角を曲がる手前で、街灯の下に立つ影が見えた。
陽真だった。コートのポケットに手を入れ、こちらを見ると、ほっと笑った。
「待ってた」
「……寒かったでしょ」
「うん。でも、待ちたかったから」
玄関で靴を脱ぎ、廊下を静かに進む。
自室のドアが閉まると、外の音が遠くなった。
「話そう」
同時に口を開いて、ふたりとも小さく笑う。椅子を引く音さえ、今日はどこか慎重だ。
「僕ね、信じたいって思ってる。ずっと。だけど……彩香ちゃんが大学に来るたび、胸がきゅってなる」
湊は手のひらを重ね、言葉を選ぶように視線を落とす。
「疑ってるわけじゃない。ただ、うまく呼吸ができなくなる。——そんな自分に、また落ち込む」
「落ち込ませてるのは俺だ」
陽真が静かに言う。
「線を引くって決めたのに、行動が追いついてなかった。今日、彩香ちゃんにも言った。『誤解されることはしない』って。『俺には大事な人がいる』って」
「……大事な人?」
「うん」
躊躇なく頷く。
「湊だよ」
胸の奥に落ちた言葉が、音を立てずに広がる。
湊は息を吸い、ゆっくり吐いた。
「ごめん。僕も、ちゃんと話せばよかった。昨日、先輩に告白された。でも、すぐ断った。……怖かったのは、断ったのに、陽真に言う勇気が出なかった自分」
「言ってくれてありがとう」
陽真は椅子から立ち上がり、目の高さを合わせる。
「俺も、怖かった。湊の前で、言葉足らずのままでいることが」
距離が、自然に縮まる。
手の甲が触れて、指先が絡む。温度が移る。
「やっぱり君でないと、って思った。何回でも」
「……僕も」
唇が触れた。
昨日の夜に残った曖昧さが、一枚ずつ剝がれていく。
浅いキスを二度、三度。そのたびに安心が増えて、深い息に変わる。
今度は焦らない。逃げない。
唇の端で笑って、もう一度近づく。音もなく、確かめるみたいに。
離れたとき、湊の目尻はうっすら濡れていた。
「泣いてない」
「分かってる。……でも、うれしい」
額を合わせる。
互いの呼吸が、同じリズムになるまで、しばらく黙っていた。
「明日からどうするか、決めよう」
陽真が言う。
「彩香ちゃんには“大学に来ないこと”をお願いする。連絡はまとめて、時間を決める。湊のバイトのシフトも、俺に共有してくれ。迎えに行ける日は行く」
「うん。僕も、しんどい時はちゃんと『助けて』って言う。——逃げるより、伝える」
ふたりは小指だけを絡めて、子どもみたいに小さく約束した。
その軽さが、かえって心強い。
窓の外で風が鳴る。
夜はまだ長いけれど、胸の中は不思議と明るかった。
◆
帰り際、玄関の前で、もう一度だけ短くキスをする。
「おやすみ、湊」
「おやすみ、陽真」
扉が閉まる。
湊は背中で音を聞き、そっと胸に手を当てた。
——やっぱり、君でないと。
言葉にしなくても、今はきちんと届いている。
その頃、街の別の角で、制服の影がひとつ、スマホの画面を見下ろしていた。
「大学に来ないで」と言われたばかりの彩香は、唇を噛み、やがて微笑に変える。
“線”の上で、次の一手を考えるように。
明日が、また動き出そうとしていた。
**************
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「やっぱり君でないと — Only You」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「やっぱり君でないと — Only You」はこちら⇒ https://youtu.be/KplX9nhOuhA
薄いカーディガンにスニーカー。彩香がスマホとプリントを抱えて、弾む声で近づいてくる。
「先生、ここの解き方だけ、今ちょっと見てほしくて!」
講義を終えたばかりの廊下で、陽真が苦笑する。
「彩香ちゃん、学校は?」
「午前だけ。午後は自習。先生が大学にいるって分かったから」
そのやり取りを視界の端で見て、湊は肩ひとつ分だけ距離を取った。
「……僕、バイト行ってくる」
背を向ける。足音が軽くなるほど、胸の奥は重くなる。
「湊、待って」
彩香の前で足を止めた陽真が、あっけなく彼女を置いて走ってくる。
階段の陰で追いつかれて、湊は振り返った。
「なんで追いかけてくるの」
「話したい。——その、バイト……やめられないのか?」
「なんで?」
「昨日の……送ってくれた先輩。告白、されたんだろ」
「されたよ。でも、バイトは仕事だよ。そう簡単にやめられない」
湊は息を整え、射抜くように見返した。
「じゃあ陽真は、家庭教師をやめられるの?」
言葉が、そこで詰まった。
湊は小さく首を振る。
「……じゃ、急ぐから。彩香ちゃんによろしく」
皮肉を残して歩き出す。
追ってくる気配はない。階段を降りるにつれて、胸の中の糸がきりきり締まる。
◆
取り残された彩香は、陽真の横顔を覗き込んだ。
「先生。今の人が、先生の“付き合ってる人”?」
否定を探す沈黙は、数秒しか続かなかった。
「……そうだ」
「ふうん」
彩香はプリントの角で軽く自分の指を叩く。
「じゃあ、私もはっきり言うね。——“お友達として”の線、先生が言うより少し広いんだ」
「だめだ」
陽真の声は低く、はっきりしていた。
「俺は、誤解されたくない。あいつを、もやもやさせたくない。彩香ちゃん、頼む」
真っ直ぐに言葉を置かれて、彩香は唇を尖らせ、やがて肩をすくめた。
「分かったよ。……でも私も受験生。先生が必要な時は、呼ぶから」
「勉強のことならいつでも。——それだけだ」
自分に言い聞かせるように、もう一度、線を引いた。
◆
夕方のコンビニは、ドアベルの音と、湯気の白さで回っている。
湊はレジ横のケースを補充し、会計をこなし、ドリップポットを空にする。
その手元に、昨日の先輩の横顔がふっと重なった。
「昨日のこと、気にしてないから」
休憩室の入口で、先輩が小声で言う。
「言えたら楽になるかなって、俺のわがまま。桐谷は、何も気にしなくていい」
「……ありがとうございます」
「帰り、一人で大丈夫か? 無理はするなよ」
「はい。ほんとに、大丈夫です」
本当にいい人だ。そう思う。
でも、違う。
胸の底にひとつだけ、動かせない石のようにある名前。
——陽真。
誰に何を言われても、最後に戻ってしまう場所。
閉店前の静けさに、湊は息を合わせた。
終業の打刻を押してバックヤードを出ると、夜の空気がからりと冷たい。
◆
家の角を曲がる手前で、街灯の下に立つ影が見えた。
陽真だった。コートのポケットに手を入れ、こちらを見ると、ほっと笑った。
「待ってた」
「……寒かったでしょ」
「うん。でも、待ちたかったから」
玄関で靴を脱ぎ、廊下を静かに進む。
自室のドアが閉まると、外の音が遠くなった。
「話そう」
同時に口を開いて、ふたりとも小さく笑う。椅子を引く音さえ、今日はどこか慎重だ。
「僕ね、信じたいって思ってる。ずっと。だけど……彩香ちゃんが大学に来るたび、胸がきゅってなる」
湊は手のひらを重ね、言葉を選ぶように視線を落とす。
「疑ってるわけじゃない。ただ、うまく呼吸ができなくなる。——そんな自分に、また落ち込む」
「落ち込ませてるのは俺だ」
陽真が静かに言う。
「線を引くって決めたのに、行動が追いついてなかった。今日、彩香ちゃんにも言った。『誤解されることはしない』って。『俺には大事な人がいる』って」
「……大事な人?」
「うん」
躊躇なく頷く。
「湊だよ」
胸の奥に落ちた言葉が、音を立てずに広がる。
湊は息を吸い、ゆっくり吐いた。
「ごめん。僕も、ちゃんと話せばよかった。昨日、先輩に告白された。でも、すぐ断った。……怖かったのは、断ったのに、陽真に言う勇気が出なかった自分」
「言ってくれてありがとう」
陽真は椅子から立ち上がり、目の高さを合わせる。
「俺も、怖かった。湊の前で、言葉足らずのままでいることが」
距離が、自然に縮まる。
手の甲が触れて、指先が絡む。温度が移る。
「やっぱり君でないと、って思った。何回でも」
「……僕も」
唇が触れた。
昨日の夜に残った曖昧さが、一枚ずつ剝がれていく。
浅いキスを二度、三度。そのたびに安心が増えて、深い息に変わる。
今度は焦らない。逃げない。
唇の端で笑って、もう一度近づく。音もなく、確かめるみたいに。
離れたとき、湊の目尻はうっすら濡れていた。
「泣いてない」
「分かってる。……でも、うれしい」
額を合わせる。
互いの呼吸が、同じリズムになるまで、しばらく黙っていた。
「明日からどうするか、決めよう」
陽真が言う。
「彩香ちゃんには“大学に来ないこと”をお願いする。連絡はまとめて、時間を決める。湊のバイトのシフトも、俺に共有してくれ。迎えに行ける日は行く」
「うん。僕も、しんどい時はちゃんと『助けて』って言う。——逃げるより、伝える」
ふたりは小指だけを絡めて、子どもみたいに小さく約束した。
その軽さが、かえって心強い。
窓の外で風が鳴る。
夜はまだ長いけれど、胸の中は不思議と明るかった。
◆
帰り際、玄関の前で、もう一度だけ短くキスをする。
「おやすみ、湊」
「おやすみ、陽真」
扉が閉まる。
湊は背中で音を聞き、そっと胸に手を当てた。
——やっぱり、君でないと。
言葉にしなくても、今はきちんと届いている。
その頃、街の別の角で、制服の影がひとつ、スマホの画面を見下ろしていた。
「大学に来ないで」と言われたばかりの彩香は、唇を噛み、やがて微笑に変える。
“線”の上で、次の一手を考えるように。
明日が、また動き出そうとしていた。
**************
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「やっぱり君でないと — Only You」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「やっぱり君でないと — Only You」はこちら⇒ https://youtu.be/KplX9nhOuhA
1
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
Candy pop〜Bitter&Sweet
義井 映日
BL
「完璧な先輩」が壊れるまで、カウントはもう、とっくに『0』を過ぎていた。
「185cmの看板男」が、たった一人の恋人の前で理性を失う。
三ヶ月の禁欲を経て、その愛は甘く、激しく、暴走する――。
「あらすじ」
大学の「看板男」こと安達大介は、後輩の一之瀬功(こう)を溺愛している。
ついに迎えた初めての夜。しかし、安達の圧倒的な「雄」の迫力に、功は本能的な恐怖で逃げ出してしまう。
「――お前は俺を狂わせる毒だと思ってた」
絶望した安達と、愛しているのに身体が竦む功。
三ヶ月の「じれったい禁欲生活」を経て、看板男の仮面が剥がれるとき、世界で一番甘い夜が始まる。
★本編全6話に加え、季節を巡る濃密な番外編1本も公開中!近日最新エピソードも追加予定!
(2月の看病編/3月のホワイトデー編公開予定です)
お話が気に入った、面白かった、と思ってくださったら、お気に入り登録、いいね、をお願い致します!
作者の励みになります!!
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる