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第9話 揺らぐ影 — Flickering Shadows
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夕方の街は、秋の風に少し冷え始めていた。
彩香はスマホを指で弄びながら、コンビニの自動ドアを出たところで立ち止まる。
数分前、レジで「桐谷って子のこと、どう思う?」と訊ねたとき、先輩の視線が一瞬泳いだのを、彼女は見逃さなかった。
「やっぱり、湊くんのこと……特別なんですね」
わざと小さく微笑んで、声を落とす。
彼は否定しなかった。ただ、唇をかみ、俯いた。
そこへ、彩香はさらに言葉を投げる。
「彼を手に入れる方法、ありますよ。……信じられないかもしれないけど」
「どういう意味だ」
「ちょっとした“きっかけ”を作ればいいんです。あとは、流れに任せれば」
彼女は小さな紙袋を差し出す。中には怪しい小瓶。
「効くかどうかは分かりません。でも、試してみる価値はあると思いません?」
「これは何?」
「いい気分になれる薬です。既成事実を作っちゃえばいいんですよ」
「既成事実…」
彼は顔を強張らせた。それでも袋を受け取ってしまったのは、迷いと欲の狭間で揺れていたからだ。
◆
夜のシフトを終えた湊は、制服を脱いで更衣室のロッカーを閉めた。
ふとスマホが震える。画面には先輩からの短いメッセージ。
〈少しだけ話せないか〉
〈裏の駐輪場で待ってる〉
胸がざわついた。昨日の告白のことが、まだ尾を引いているのだろうか。
断る選択肢もあった。けれど「気まずさをそのままにするのはよくない」と思い、湊は上着を羽織って外へ出た。
駐輪場は人影もなく、街灯の下に先輩が立っていた。
視線が合うと、彼はぎこちない笑みを浮かべる。
「来てくれてありがとな」
「いえ……どうしたんですか?」
湊はすぐに用件を聞いた。
もしもこんな場面を陽真に見られたら、誤解されてしまう。
陽真に変な気をもませるようなことはしたくなかった。
「えっと……とりあえず、これ…寒いだろ?」
先輩は湊に湯気の立つコーヒーを差し出した。
断るべきか迷ったが、せっかく用意してくれたものを断るのもどうかと思い、湊は受け取った。
(さっさと飲んで、なるべく早く終わらせよう…)
ふと気がつくと、先輩が湊の手にあるコーヒーを凝視していた。
「先輩…?」
「あ、いや…何でもない…」
「そうですか…」
湊がそう言って、コーヒーに口をつけようとしたその瞬間。
「駄目だ!」
先輩が、湊の手からコーヒーを取り上げた。
熱いコーヒーが、先輩の手にかかる。
「だ、大丈夫ですか!?」
湊は慌ててハンカチを取り出し、コーヒーがかかった先輩の手を拭いた。
先輩の手は、なぜか震えていた。
「どうしたんですか…?」
心配になって聞くと、先輩は首を横に振った。
「……無理だ。こんなやり方で手に入れようとするなんて、間違ってる」
「どういういう意味ですか?」
「ごめん、湊。俺は弱い。彩香さんに言われて、一瞬でも揺らいだ自分が情けない」
「先輩…僕、意味がよく…」
「さっきのコーヒーには…媚薬が入ってたんだ…」
「え…」
「本当にごめん…」
その声は、悔恨に満ちていた。
湊は、なんと答えていいか分からず、先輩の前に立ち尽くすしかなかった。
◆
「——何してるんだ!」
鋭い声が夜気を裂いた。
振り返ると、陽真が駆け寄ってきた。息を切らし、目は真っ直ぐに先輩を射抜いている。
「陽真……」
「湊、大丈夫か!?」
腕を掴まれた瞬間、全身の緊張が解けていく。
湊は「平気」と答えようとしたが、声は震えていた。
先輩はうなだれ、地面に飛び散ったコーヒーの後を見つめている。
「すまない。本当にすまない」
陽真はその視線を追い、何が起きていたのかを悟った。
怒りが胸を焼く。だが同時に、先輩が最後に踏みとどまったことも分かっていた。
「……湊に手を出さなくてよかったな。手を出してたら、おまえをぶん殴ってたところだ」
「ああ…殴られても仕方がない…本当にごめん…」
先輩は深々と頭を下げ、足早に去っていった。
◆
二人きりになると、湊は小さく息を吐いた。
「陽真、どうしてここにいるのが分かったの……?」
「連絡したのに返事がなくて、嫌な予感がした。来て正解だった。何があったんだ?」
湊は唇を噛みしめ、簡単に事情を説明した。
「ごめん……僕、巻き込まれてばかりで」
「違う。悪いのは彩香ちゃんだ。湊を傷つけようとしたのは絶対に許せない」
その声には、静かな怒りがこもっていた。
「……俺、家庭教師やめる」
「え?」
「湊をこんな目に遭わせたことは、許せない。彩香ちゃんのことは学校に相談する。俺一人じゃ抱えきれないから」
真剣な眼差しに、湊は胸が熱くなる。
「ありがとう…」
「いや、俺がもっと気をつけるべきだった」
「仕方がないよ。まさか、あんなことを考えてたなんて…誰も予想できなかった思うから」
「怖かっただろう?」
「少し…」
言葉と一緒に、涙がにじむ。
陽真はその頬に手を添え、そっと拭った。
「湊。もう二度と、不安にさせない」
「……うん、僕も、陽真を不安にさせないようにする」
二人の距離が縮まり、静かな夜の駐輪場で唇が触れた。
深くはない。ただ確かめ合うようなキス。けれど、その一瞬に込められた想いは、どんな誓いよりも強かった。 ——やっぱり僕には、陽真しかいない。
*********
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「揺らぐ影 — Flickering Shadows」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「揺らぐ影 — Flickering Shadows」はこちら⇒ https://youtu.be/D8sYnPdxHvg
彩香はスマホを指で弄びながら、コンビニの自動ドアを出たところで立ち止まる。
数分前、レジで「桐谷って子のこと、どう思う?」と訊ねたとき、先輩の視線が一瞬泳いだのを、彼女は見逃さなかった。
「やっぱり、湊くんのこと……特別なんですね」
わざと小さく微笑んで、声を落とす。
彼は否定しなかった。ただ、唇をかみ、俯いた。
そこへ、彩香はさらに言葉を投げる。
「彼を手に入れる方法、ありますよ。……信じられないかもしれないけど」
「どういう意味だ」
「ちょっとした“きっかけ”を作ればいいんです。あとは、流れに任せれば」
彼女は小さな紙袋を差し出す。中には怪しい小瓶。
「効くかどうかは分かりません。でも、試してみる価値はあると思いません?」
「これは何?」
「いい気分になれる薬です。既成事実を作っちゃえばいいんですよ」
「既成事実…」
彼は顔を強張らせた。それでも袋を受け取ってしまったのは、迷いと欲の狭間で揺れていたからだ。
◆
夜のシフトを終えた湊は、制服を脱いで更衣室のロッカーを閉めた。
ふとスマホが震える。画面には先輩からの短いメッセージ。
〈少しだけ話せないか〉
〈裏の駐輪場で待ってる〉
胸がざわついた。昨日の告白のことが、まだ尾を引いているのだろうか。
断る選択肢もあった。けれど「気まずさをそのままにするのはよくない」と思い、湊は上着を羽織って外へ出た。
駐輪場は人影もなく、街灯の下に先輩が立っていた。
視線が合うと、彼はぎこちない笑みを浮かべる。
「来てくれてありがとな」
「いえ……どうしたんですか?」
湊はすぐに用件を聞いた。
もしもこんな場面を陽真に見られたら、誤解されてしまう。
陽真に変な気をもませるようなことはしたくなかった。
「えっと……とりあえず、これ…寒いだろ?」
先輩は湊に湯気の立つコーヒーを差し出した。
断るべきか迷ったが、せっかく用意してくれたものを断るのもどうかと思い、湊は受け取った。
(さっさと飲んで、なるべく早く終わらせよう…)
ふと気がつくと、先輩が湊の手にあるコーヒーを凝視していた。
「先輩…?」
「あ、いや…何でもない…」
「そうですか…」
湊がそう言って、コーヒーに口をつけようとしたその瞬間。
「駄目だ!」
先輩が、湊の手からコーヒーを取り上げた。
熱いコーヒーが、先輩の手にかかる。
「だ、大丈夫ですか!?」
湊は慌ててハンカチを取り出し、コーヒーがかかった先輩の手を拭いた。
先輩の手は、なぜか震えていた。
「どうしたんですか…?」
心配になって聞くと、先輩は首を横に振った。
「……無理だ。こんなやり方で手に入れようとするなんて、間違ってる」
「どういういう意味ですか?」
「ごめん、湊。俺は弱い。彩香さんに言われて、一瞬でも揺らいだ自分が情けない」
「先輩…僕、意味がよく…」
「さっきのコーヒーには…媚薬が入ってたんだ…」
「え…」
「本当にごめん…」
その声は、悔恨に満ちていた。
湊は、なんと答えていいか分からず、先輩の前に立ち尽くすしかなかった。
◆
「——何してるんだ!」
鋭い声が夜気を裂いた。
振り返ると、陽真が駆け寄ってきた。息を切らし、目は真っ直ぐに先輩を射抜いている。
「陽真……」
「湊、大丈夫か!?」
腕を掴まれた瞬間、全身の緊張が解けていく。
湊は「平気」と答えようとしたが、声は震えていた。
先輩はうなだれ、地面に飛び散ったコーヒーの後を見つめている。
「すまない。本当にすまない」
陽真はその視線を追い、何が起きていたのかを悟った。
怒りが胸を焼く。だが同時に、先輩が最後に踏みとどまったことも分かっていた。
「……湊に手を出さなくてよかったな。手を出してたら、おまえをぶん殴ってたところだ」
「ああ…殴られても仕方がない…本当にごめん…」
先輩は深々と頭を下げ、足早に去っていった。
◆
二人きりになると、湊は小さく息を吐いた。
「陽真、どうしてここにいるのが分かったの……?」
「連絡したのに返事がなくて、嫌な予感がした。来て正解だった。何があったんだ?」
湊は唇を噛みしめ、簡単に事情を説明した。
「ごめん……僕、巻き込まれてばかりで」
「違う。悪いのは彩香ちゃんだ。湊を傷つけようとしたのは絶対に許せない」
その声には、静かな怒りがこもっていた。
「……俺、家庭教師やめる」
「え?」
「湊をこんな目に遭わせたことは、許せない。彩香ちゃんのことは学校に相談する。俺一人じゃ抱えきれないから」
真剣な眼差しに、湊は胸が熱くなる。
「ありがとう…」
「いや、俺がもっと気をつけるべきだった」
「仕方がないよ。まさか、あんなことを考えてたなんて…誰も予想できなかった思うから」
「怖かっただろう?」
「少し…」
言葉と一緒に、涙がにじむ。
陽真はその頬に手を添え、そっと拭った。
「湊。もう二度と、不安にさせない」
「……うん、僕も、陽真を不安にさせないようにする」
二人の距離が縮まり、静かな夜の駐輪場で唇が触れた。
深くはない。ただ確かめ合うようなキス。けれど、その一瞬に込められた想いは、どんな誓いよりも強かった。 ——やっぱり僕には、陽真しかいない。
*********
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「揺らぐ影 — Flickering Shadows」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「揺らぐ影 — Flickering Shadows」はこちら⇒ https://youtu.be/D8sYnPdxHvg
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